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Monthly Web Magazine July 2018

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■ 近江(滋賀)の聖地(パワースポット)−3 中山辰夫

滋賀県の湖西に所在する高島市に入ります。

大津市に接する高島市は、長浜市に次ぐ広域さをほこります。「日本100選」に数多く選ばれた自然豊かな景観、古墳時代から脈々と受け継がれてきた歴史と文化、それらに付帯する暮らしが息づく町並みと魅力一杯ので、すべてを知り尽くすことがとても出来ない地域です。

12−白髭神社 高島市 社殿は国重要文化財

       

琵琶湖に突き出た明神崎の先端に坐します近江最古の社です。交通安全、長寿の神である猿田彦命を祀り、近江の地主神である比良明神も祀られています。

「安芸の厳島神社」を彷彿させる大鳥居と檜皮葺の社殿、磐座、古墳群、背後の神奈備山が一直線上に並ぶ姿は実に神々しく、まさに山と湖をつなぐ信仰の形を呈しています。往古から湖上を行く多くの人達がその姿に手をあわせたことでしょう。

13−鵜川四八躰仏 高島市 県史跡

    

近江守護職で観音寺城主(近江八幡市)佐々木六角義賢が、亡き母の追善のために阿弥陀四十八願に因んで建てたものです。花崗岩製で定印を結んだ阿弥陀如来坐像は高さ約1.6mほど。表情が豊かな室町時代の作です。観音寺城の対岸にあたるこの場所に建立されました。

当初は48躯ありましたが、鵜川には33躯、天海僧正を祀る慈眼寺(大津市)に13躯安置されており、残りの2躯は盗難に遭い不明です。

14−岳山(だけ) 高島市

シダが覆う幅1m弱の登山道が昔からの参詣道。比良山系縦走の北の出発点。標高565mの琵琶湖を見下ろす円錐の山容は信仰の対象でした。

長谷寺の横から登り始め、途中に建つ「賽の河原」や菩薩像を過ぎると岩の上に建つ石造石灯籠に出合います。景観が素晴らしい。いよいよこれから先が本番ですが、単独行でしたので不安を感じ引き返しました。(後で聞きますと正解だったようで、一人では難しいコースのようでした)

     

奈良長谷寺の観世音菩薩はこの山の谷から流れ出た霊木に刻まれたともいわれます。岳山の中腹には観音堂跡があり、山頂には十一面観音を祀る石窟があります。ここが長谷寺の奥の院でしたが、江戸時代に大溝城主が参詣者の便宜を考え観音堂跡に移したとされ、さらに近年山麓に移されました。

石窟と現在の観音堂、長谷寺、岳山 十一面観音は国重文で秘仏、33年毎に開扉されます。長谷寺は「岳観音」ともいわれました。

    

長谷寺は677年開創の歴史を持つ古刹。毎年7月19日には「千日会」が行われ参拝の列が山頂まで続いたようですが、今は誰一人登りません。

15−大荒比古神社 高島市 七川祭は滋賀県無形民俗文化財指定

          

大荒比古神社派、鎌倉時代に佐々木高伸が佐々木氏の祖神を勧請して合祀して以来、高島七頭と呼ばれる武家達の氏神となりました。

もとは、安曇川が平野に流れ出る変化点を見下ろす用水の神ともいわれます。

祭礼の七川祭は湖西最大の祭りで、佐々木一族が出陣の際に戦勝祈願をし、凱旋の時にお礼として12頭の流鏑馬と12基の的を神前に奉納したのが始まりのようです。今年初めて見ましたが、戸数僅かな8集落の人達が交代交替に受け持ち、7年間に溜めた自費で行う手作りの祭りです。継承された踊りや祭具に歴史が感じられ感銘を受けました。他の集落にも独特の歴史ある祭事があるようで、高島の奥の深さに触れました。

16−酒波寺 高島市

      

奈良時代行基によって開かれ興福寺に属し僧坊56を有した大寺でした。平安時代「昭光観音堂」と呼ばれ、その素晴らしさが都でも評判だった観音堂は江戸時代に入って「観音行院」と呼ばれ、明治の廃仏毀釈後「本堂」と改称されました。現在の本堂は江戸時代に再建されたものです

山門への石段を登る途中に樹齢約400年とされるエドヒガンサクラがあります。一字樹勢が衰えピンチでしたが立ち直ったようです。境内は桜の名所で、山桜、エドヒガンサクラ、ソメイヨシノが順番に咲きます。境内の裏山にヒガンサクラが約140本密集しているのは珍しいことです

若狭からの風が吹き溜まる本堂前には毎年1m程の積雪があり、道路面の3倍ほど積もると聞きます。本堂裏には弁才天を祀る池があります。

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