Monthly Web Magazine Jan.2025
宮崎市の双石山はずっと訪れる機会に恵まれなかったが、2024年1月に初訪問することができた。
事前の調査で、「象の墓場」とか、「空池」とか謎めいた地名が出てくるが、それがどんなものか、どこにあるのかよくわからない。天然記念物林に生息する動植物の詳細もわからない。険しい地形は修験の場だったのであろうが、その情報も手に入らない、のないないづくしだった。
文化庁が管理する「文化財データベース」は、天然記念物についてはほぼ例外なく非常に不親切で、明治時代のカナ混じりの短い説明文があれば良いほうで、学術的な参考資料としてはあまり役に立たないことが多い。自然科学系の博物学研究機関、例えば各地の科学博物館や植物園などの協力を仰いでもっと世界に情報を発信したほうが良いのではないかと思っている。情報を詳しく開示すれば不法な盗掘者や環境破壊者も増えるので、それらへの対策も重要だが、日本の自然と文化の価値を正しく評価した「文化財」を世界に知ってもらうことは国民はもちろんのこと、知的探求指向で日本の文化財の価値を尊重するインバウンド客を増やすことにも役立つと思う。
ちなみに、双石山について、文化財データベースを調べると全く情報が無い。やむなく文化財オンラインを調べると、1969年に天然記念物に指定された当時の以下の解説文のだけが見つかる。
「S43-01-023[[双石山]ぽろいしやま].txt: 宮崎市の南部にある国有林の一部で、学術参考林として保護されている。カシ・シイ・タブなど暖地性の広葉樹林であって、九州地方に残存する少ない例の一つである。ヤマネ・ミカドアゲハなどの貴重な動物も生息している。」
詳しい資料は、天然記念物指定に際して作成されたであろう調査報告書に記述されているはずだが、それを探すのは大変だ。
今回の現地調査では、現地で双石山の自然と文化に詳しい方々に引率解説頂きながら学ぶことができたのでとても幸運だった。
詳しくは双石山のページへ。
各地でこのような学びの体験企画が増えることを望んでいる。
■ 新しい… 大野木康夫
2010年にJapan Geographicの暫定通信員となった際に、勧められてデジタル一眼レフカメラの入門機として買ったのがPENTAXのK-xでした。
その後、PENTAXの鮮やかな色彩に惹かれて少しずつ上位機種に移行し、最後はフルサイズのK-1
MarkⅡまでたどり着きましたが機体とレンズの重さに体が悲鳴を上げつつあったため、昨年12月についにPENTAXを離れてSonyのα7CⅡを購入しました。
レンズは純正ではなく評判がいいTAMRONの28-200mm F/2.8-5.6 Di III RXDと17-28mm F/2.8 Di III
RXDを選びました。
購入以降、様々な撮影を試しています。
購入して初めての撮影は光明寺と糺の森の紅葉風景でした。雨模様の早朝でのPモードでの撮影をしましたが、今一つ写りがよくありませんでした。
次に行ったのは大津の日吉大社、同じく早朝の撮影でしたが、マニュアルモードで撮影したらだんだん思ったような撮影ができるようになってきました。ただ、α7CⅡにはK-1のようなバリアングル式モニターはないので、差し上げ撮影には工夫が必要でした。スマホでのリモート撮影は一人の撮影には向いていません。
大晦日から元日にかけて地元の神社の初詣接待をした後、以前から行きたかった宇治上神社の夜間参拝(年越し限定)に行きました。暗所での撮影をマニュアルモードで試しましたが、PENTAXよりも写りが良かったと思います。
元日は八坂神社に初詣に行ったついでに長楽館や知恩院三門を撮影しました。Pモードを試しましたが、想定よりも明るく写ってしまい、調整が必要でした。
1月4日は高野山周辺に重要文化財建造物を撮影に行きました。雪が残る中での撮影となりました。
大門、金剛峯寺本坊
壇上伽藍の11棟の建造物は昨年12月に新たに指定された重文建造物です。
三昧堂、大会堂、愛染堂
金堂、根本大塔
山王院拝殿、山王院鐘楼、西塔
准胝堂、御影堂、宝蔵
既指定の重文建造物も屋根の葺替工事が終わった不動堂、木が切られて見やすくなった山王院本殿と、満足できる撮影となりました。
高野山内塔頭寺院(普賢院、金剛三昧院)
帰りに周辺の寺社を撮影しました。
丹生都比売神社
慈尊院、丹生官省符神社
御霊神社、博西神社
今後も試行錯誤して新しい機材に慣れていきたいと思います。
■ 八坂神社建造物ほぼ総ざらえ 野崎順次
昨年の8月16日と12月8日に八坂神社の建造物をほぼ全て撮影したので、原則的に1件当たり写真1枚としてまとめた。
国重文 西楼門・北翼廊・南翼廊・西手水舎・絵馬堂
国重文 疫神社本殿・太田社本殿・北向蛭子社本殿
ふれあい「えびす像」
国重文 大国主社本殿・大年社本殿・十社本殿・神馬舎
国宝 本殿
国重文 透塀・神饌所・舞殿
国重文 美御前社本殿・悪王子社本殿・玉光稲荷社本殿
忠盛燈籠・大神宮社本殿・命婦稲荷社本殿・能舞台
国重文 南手水舎・神輿庫・南楼門・石鳥居
北側に戻って
厳島神社・祖霊社・刃物社
国重文 五社本殿・日吉社本殿]
境外御旅所
国重文 四条旅所東御殿・西御殿・冠者殿社本殿(下京区寺町通四条東入貞保前之町624)
国重文 大政所社本殿(下京区烏丸通仏光寺下る大政所町675)・又旅社本殿(中京区三条通黒門上る御供町)
少将井御旅所旧跡(京都御苑宗像神社内)
福井県の「永平寺1839年」 「大滝神社 1843年」 「気比神宮」 「常宮神社」です。
永平寺は770余年の歴史を有する日本最高峰の禅道場としてあまりにも有名です。建築彫刻にも優れ、永平寺の勅使門は、永平寺大工の大久保左衛門が手掛けたとされます。
大滝神社は、日本一複雑な社殿建築ともいわれ、建築彫刻に優れた建築とされています。大滝神社の大工も永平寺大工の大久保左衛門です。そのため神社の本殿および拝殿の細部彫刻がよく似ているとされてきました。
気比神宮は敦賀市に鎮座する北陸道総鎮府で、越前国一之宮です。
常宮神社は気比神社と関係深く、奥宮・境外摂社です。
■2024を振り返ってカレンダーを作ったり 田中康平
このところ年末には子供達や親しい人に贈る2025年の卓上カレンダーつくりや年賀状つくりを行ってきたが、もうそろそろしんどくなってきて、特に年賀状は終活の文字が頭に浮かんでおしまいにしようかと思ってもみた、しかしこれは生存証明のような気もしていて、宛先をミニマムにすることにはするが一応図案を作り書き込をして送り出すことにした。カレンダーのほうは前年の2024年のその月に撮った写真から選ぶことにしていて、こちらもしんどいが落ち着いて1年を振り返ることも悪くないという気がして今年も作成して送り出した。出かけての撮影が減っていた2024年版に比べても更に近場の写真が多い、人生が出ているようで面白くもある。
最後は例年通り自宅近くで年の最後の夕日を眺め、元旦の初日の出を迎えた。今年もいい年になりますように。
写真は1、2,3:カレンダー用写真 1-4月(左上-左下の順に、1月自宅庭のキズイセン、2月近くの公園のツグミ、3月那珂川市のハツミヨザクラ、4月佐賀・小城公園の桜)、5-8月(5月日田彦山線採銅所駅、6月近くの池のチョウトンボ、7月同じくバン親子、8月福岡市西区の野方遺跡)、9-12月(9月自宅から見た中秋の名月、10月九州国立博物館所蔵の三尊仏龕、11月英彦山大権現の紅葉、12月福岡・天神中央公園のクリスマスイルミネーション)、4:今年最後の夕焼け、5:初日の出
■2024年の投稿振り返り 川村由幸
毎年恒例、新年は昨年の投稿の振り返りです。
どうも年齢と共に動くことが億劫になってきています。JGの通信員も返上させていただく時が近いのかもと思うこの頃です。
昨年はと、まず2月の関東の雪で朝、近くの重文旧吉田邸に開門一番で入りました。
でも残念でした。すでに雪が除けられていて真っ白な中の旧吉田邸を撮影することは叶いませんでした。
中々、思い通りにはならないものです。逆にまだらに雪が残っていることがマイナスの印象を与えてしまうかも。
三月には近くにありながら訪問したことのなかった柴又帝釈天近くの山本邸に出かけました。
ここは米国の雑誌「The Journal of Japanese
Gardening」の日本庭園ランキングで2021年から第三位、一位が足立美術館ですから、そのレベルが判ります。
ここには春夏秋冬に訪問しようと思い、すでに春夏秋は昨年訪問済。冬は来月に訪問しようと考えています。
次の投稿は埼玉幸手市、権現堂公園の紫陽花です。
ここも幾度も訪ねているところです。ただ、今回同様の紫陽花と曼珠沙華の時ばかりで最も名高い桜の時期の訪問はしていません。混雑を敬遠しています。今年は早朝に訪ねましたので人も少なく静かに紫陽花を楽しむ
ことができました。
そして、上期の最後の撮影にでかけたのが真壁の重伝建と富谷観音です。
真壁は東日本大震災のダメージからは完全に立ち直ったのですが、今回訪ねて空き家や、商売を廃業してしまった重伝建の建造物が荘かしているのがとても気になりました。
このままでは、いずれこの街並みの維持が困難になってしまうのではと危惧しています。
富谷観音は真壁と異なり、重文の三重塔もきちんとメンテナンスされており、維持に不安は感じません。
いつもながら、静かな境内に佇む三重塔を楽しみました。
10月上旬に仕事で新居浜に出張し、仕事が完了してから松山に寄りました。
石手寺・道後温泉本館・松山城・萬翠荘と定番の観光スポットを撮影して廻りました。
ただ、今年は10月でも暑くて、夕方17時の羽田行を予約していながら、上の4箇所を廻り終えたのが13時過ぎでした。すでにヘトヘトで他の撮影スポットに出かける元気が残っておらず、松山空港で
長い長い待ち時間を過ごしました。
2024年の最後が秋田・山形県境ツアーです。
最初が秋田湯沢市の子安峡。紅葉には少し早かったようですが、まあまあ美しい風景が撮影できました。
つづいて、にかほ市の元滝伏流水です。
静かでほんとに美しい場所です。岩から染み出す滝の清らかさに心打たれ、俗世を離れた気分にさせてもらいました。
ここは過去に瀧山さんともご一緒したことがあった場所です。その時と何も変わっていないと感じましたが外国からの観光客がここにも居たことに少し驚きました。
最後が酒田市内の定番スポットです。
定番の山居倉庫と本間美術館。本間美術館は展示替えで休館しており、見学できませんでしたがどちらにしても写真撮影は不可でしょうから、鶴舞園と清遠閣を撮影。本間家旧本邸にも行きましたがここも撮影禁止でした。
こんな投稿をしたのが2024年の私でした。冒頭でも述べた通り、どんどんものぐさになってきています。
年齢には逆らえません。できないことが日々増えてゆく中、できることを大切に育てて行きたいと思っています。
今年も一件でも多くの投稿ができることを望んでいます。
■『行く先々の水に合わねば』 柚原君子
大江戸線「清澄白河」の駅を出て清澄通りを門前仲町のほうに歩いていくと、一つ目の信号の左側に江戸資料館通りがある。大きなケヤキが立ち並ぶ道で、小暗いものの重厚にして優雅。いつの季節にも絵になる道である。
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この通りには下町らしい間口の狭い店も並んでいる。ウグイスの糞を売る店。昔風の駄菓子屋。深川あさり丼を売る佃煮屋。茶店風の店もあり、店内に入るために店横の縁台の緋毛氈に座って待つ人々もいる。江戸六地蔵や松平定家の墓所のある霊厳寺が荘厳な門と美しい石畳を見せている。
その並びにはこの通りの名称ともなっている江戸資料館がある。館内いっぱいに長屋の町並みが再現されていておもしろい。路地を歩いたり、小唄の師匠の家に上がりこんだり、米屋の帳場に座ったりもできる。館全体はコンピュータ制御されていて、深川の長屋の一日が早朝の目覚めの鶏の声、日中の物売りの声、夕立・稲妻・雷などで現されている。船着場の水が揺らぎ、屋根の上の猫も微妙にしっぽを振っている。知り合いが来ると必ずご案内をする江戸資料館である。
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寄り道はさておいて、この江戸資料館どおりを信号二つ行って右折したところに雲光院がある。雲光院には徳川家康の側室「阿茶の局」のお墓がある。阿茶の局は、生母をなくした家康の子、秀忠(二代将軍)の母親代わりを勤めた側室で、寺の名の「雲光院」は、阿茶の局が秀忠の娘の入内に伴って京都に赴き、秀忠の死後に落飾をした時の号で、江戸幕府よりこの深川に寺地を貰って「雲光院」の名前そのままに菩提寺とした、と歴史の本にはある。徳川家ゆかりであるから、この寺の紋は三つ葉葵である。
この寺の本堂で阿弥陀様を背にしてのありがたい落語会が年に数回ある。下町の人々でいつも満員である。「葵落語会」という。
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どんな生き方がいいのかと時々茶飲み話をする。
一番いいのは、とてもよい身代の家に生まれ落ちること(笑)。男ならその身代の事業を継いで(良い番頭さんがいることが条件)、女ならそんな男のかみさんになって、少しだけ仕事をして楽しく遊んで暮らせること。
とは言え、落語の熊さん八っつぁん的な幸せが庶民には分相応で、となるってぇと、若いうちに一所懸命働いて、体が効かなくなる頃に小金持ちになって、子どもの成長を見届けて、オムツの世話にならずにある朝ぽっくりと生涯を閉じる、ということにでもなれば万々歳なのだろうか。
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私には中学時代の仲良しグループがある。人生の節目節目のお祝いだ!相談だ!と駆けつけあっているうちに、しっかり育った友情であるが、似た境遇の人が見事に一人もいない。常に離婚の危機にさらされながら思いとどまってきた人、紆余曲折で再婚した人、夫と死別後にすぐに素敵な彼ができた人、夫と死別後にわが道をひたすら歩き始めた人、そして慎重に吟味を重ねたあげくにいまだ結婚せずにいる人、夫と子どもに囲まれてパートをしながらささやかに暮らしている人……などなど。
この6人の中では最も平和にささやかに暮らしていたはずの彼女から、離婚届の用紙に判を押して夫が失踪、生活が不安、とSOSが発信されてきた。私たちは一大事!とばかりに集まったが、例によってどうしてよいのか分からない。判を押された離婚用紙も夫の失踪も一同体験がないからである。いろいろ話を聴いたが、これといった解決策もないままに散会した。
後日、その中の一人から電話があって
「今回はそっとしておくのが一番いいと思うよ。私の感だけど、彼女は夫を嫌っていない。戻ってくるのを待つつもりじゃない?」と言うので、ひとまずそのままになっている。
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八月の初めの夜に、雲光院の「葵落語会」に出かけた。本堂は人でいっぱいであった。落語の世界は笑い転げたいばかりでなく、庶民のいろいろな生き方の機微が垣間見られてためになる。この夜の落語会は、蕎麦を二十杯も三十杯も、どぉもぉ~!と言いながら食べ続けて賭けに勝っていく「蕎麦清」を柳家喬乃進さんがメリハリのある口調で一席。
獲られていけすの中に放り込まれた鯛が活き造りの網からどうやって逃げるのか、時には弱ったふりをして腹をみせて泳ぐなど、話芸一つで観客全員をいけすの中に放り込んでくださった「いけすの鯛」を柳家はん冶師匠。
能天気な若旦那が勘当をされて唐茄子を売り歩く顛末「唐茄子屋政談」を柳家さん喬師匠が、時にはしんみりと、そして泣き笑いとで、長時間に渡って楽しませてもらった。楽屋を訪ねて「堪能しちゃった。いつも、やっぱり、うまいネェ」と言ったら、さん喬師匠が「“芸人はうまいもへたも無かりけり、行く先々の水に合わねば“ですよ」、
と笑った。
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水に合う、いい言葉だなぁと思った。
たとえ身代のよいところに生まれ落ちても、そこの水に合わなければ不幸は極まりないだろうし、人生の不幸に流されたとしても、流れる水に合わせながら行けば、いつか舵も取れるようになるのだろう。
帰り際に稲葉君が「みんな元気ぃ」と訊いた。「元気だよぉ」と答えた。
稲葉君、とは柳家さん喬師匠の本名で、そして私たちは中学時代の仲間である。
……離婚届を懐に持ったままの彼女はその後どうしただろうか。日常に笑いは戻ってきただろうか。水に合わせてうまく舵を取って生活を進めて欲しいと雲光院本堂の御仏様に手を合わせて御辞儀をした。
■ 酒井英樹
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