Monthly Web Magazine Dec..2024
■蟇股あちこち 57 中山辰夫
福井県の「永平寺1839年」 「大滝神社 1843年」 「気比神宮」 「常宮神社」です。
永平寺は770余年の歴史を有する日本最高峰の禅道場としてあまりにも有名です。建築彫刻にも優れ、永平寺の勅使門は、永平寺大工の大久保左衛門が手掛けたとされます。
大滝神社は、日本一複雑な社殿建築ともいわれ、建築彫刻に優れた建築とされています。大滝神社の大工も永平寺大工の大久保左衛門です。そのため神社の本殿および拝殿の細部彫刻がよく似ているとされてきました。
気比神宮は敦賀市に鎮座する北陸道総鎮府で、越前国一之宮です。
常宮神社は気比神社と関係深く、奥宮・境外摂社です。
福井県吉田郡永平寺町志比5-15
曹洞宗の仏教寺院。総持寺と並んで、日本における曹洞宗の中心的な寺院(大本山)、開山は道元です。
創建は1244年 当初の傘松峰大仏寺が開創、1246年に永平寺に改称。戦火に見舞われ、応仁の乱にも焼失、現存の諸堂は近世以降のものです。
室町から安土にかけて皇室から重んじられ、歴代天皇より論旨を受けました。江戸時代初期に徳川幕府から法度が出され総持寺と並び大本山となりました。
傘松峯下の渓谷も奥の33万㎡の広大な敷地内に、山門・仏殿・法堂・草堂・浴室・東司をはじめとした大小70余種の堂舎が建ち並びます。
樹齢600余年とされる老杉に囲まれた静寂な佇まいは禅修行の第一道場に相応しい聖域です。
江戸時代初期建物は大工が彫刻も担当していましたが、彫刻が多用される江戸時代後期以降には向拝の頭貫木鼻や中備の蟇股・懸魚の彫刻は
彫物師が手掛けています。永平寺では勅使門の彫刻をはじめ祠堂殿向拝・中雀門の頭貫木鼻・虹梁・懸魚の彫刻は彫刻師の担当とされます。
■アプローチ 案内図・金毘羅堂・地蔵堂・稲荷堂
■金毘羅堂・地蔵堂・稲荷堂
■通用門
■唐門(勅使門」) 国重文 建立:天保10(1839) 四脚門、切妻造、前後軒唐破風付、左右袖塀及び築地塀附属、銅板葺
新住職を迎え入れるための門。門の扉には皇室の菊花紋
■吉祥殿
昭和46年(1971年)の建築。地上5階地下1階の宿泊研修施設 天井には花鳥の天井画
■傘松閣 天井画
傘松閣は昭和7年(1995年)に再建されました。 230枚の天井画は144名の日本画家の筆。
■承陽門 国重文 建立:明治14(1881) 一間一戸 向唐門、銅板葺
□正面
□背面 承陽殿より見る
■承陽殿拝殿・本殿 国重文 建立:明治14(1881)
日本曹洞宗の精緻とされます。
□拝殿 国重文 桁行五間、梁間五間、一重、入母屋造、桟瓦葺、向拝一間、南面及び北面下屋附属、銅板葺"
向拝
□本殿 国重文 土蔵造、正面三間、側面四間、一重、宝形造、銅板葺
開山・道元の廟、道元以後の第五世までの住職の像を安置しています
■仏殿 国重文 建立: 明治35(1902) 桁行三間、梁間三間、一重もこし付、入母屋造、本瓦葺 「覚皇宝殿」とも呼ばれます
二重屋根の様見見える一重裳階付の荘厳・美しい姿です.最も標高が高く、眺めがいいです。
■法堂 国重文 建立: 天保13(1842) 桁行32.2m、梁間23.2m、一重、入母屋造、東面下屋附属、桟瓦葺一部銅板葺、西面及び北面軒下張出附属
永平寺の住職禅師説法のお堂。堂内に八葉蓮華の天蓋がみえます。昼、夜の読経が行われます。12枚の欄間彫刻は禅にまつわるエピソードを伝えます。
■僧堂・浴室・鐘楼・手水舎
僧堂 国重文 建立:明治34(1901)
桁行26.6m、梁間21.1m、一重、入母屋造、桟瓦葺一部銅板葺、西面下屋附属、銅板葺、
僧堂は座禅修行の道場、浴室は19800年に改築。僧堂・浴室・東司の3カ所は三黙道場とよばれ、私語厳禁です。衣食住すべてが修行
■廻廊 国重文 建立:明治35(1902) "山門東方廻廊、山門西方廻廊、中雀門東方廻廊、中雀門西方廻廊、仏殿東方廻廊の5棟、切妻造、桟瓦葺
法堂・仏堂・山門を縦に、僧堂と大庫院、さらに東司と浴室を左右対称に配置し、それらを廻廊で結んでいます。毎朝雲水が雑巾がけをします
■中雀門 国重文 建立:嘉永5(1852) 一間一戸二重門、入母屋造、前後軒唐破風付、銅板葺、左右袖廻廊附属、桟瓦葺 仏殿と山門の間
装飾彫刻が美しいです。
□正面側
□背面側
■山門 国重文 建立:寛延2(1749) 五間三戸二重門、入母屋造、銅板葺 写真 額は曹洞宗第一道場を証明しているとされます
修行僧が最初にくぐり、修行後に出る門。参拝者はここからは出られません。住職のみが行き来できます。永平寺では最古の大伽藍
□三門の拳鼻( 太田精一氏撮影」
■大庫院 国重文 建立:昭和 昭和4(1929) 桁行41.6m、梁間13.4m、鉄筋コンクリート造及び木造、三階建、地下一階、入母屋造、桟瓦葺
毎日の食事を一日3食造ります
■瑞雲閣 桁行24.0m、梁間15.9m、一重、入母屋造、向拝一間、軒唐破風付、南面、北面及び東面下屋附属、銅板葺"
大滝神社・岡太神社(おかもと)
福井県越前市大滝町23-1
大滝神社・岡太神社は、山頂にある上宮(奥の院)と麓にある下宮(里宮)からなる神社で、越前奉書の産地、48か村の総氏神として崇敬を集めました。
岡太神社は紙祖神の川上御前を祀る古社。川上御前は、約1500年前、岡本川上流に現れて村人に紙漉きの技術を伝えたという女神。
大滝神社は719年(養老3年)に泰澄が創建した大滝兒(おおちご)権現が始まりです。かつては白山信仰の拠点でした。
神社のある「今立五箇」は、紙祖神の伝説が息づく村里で、越前和紙の里として1500年の歴史を有する伝統が脈うつ町とされます。
■一の鳥居・二の鳥居
岡太神社は大滝神社の摂社ですが、境内の鳥居の神額や本殿・拝殿には二社の名前が並列に記載されています。
地元でも岡太・大滝神社と呼ぶのは、紙の神と白山信仰が交差する歴史的・場所的に重要な神社であることによります。
上宮(奥の院)には大滝・岡太両神社の本殿が並び建ちますが、下宮(里宮)の本殿・拝殿は両神社の共有となっていることから、2つの神社の名前が併記されています。明治の神仏分離により大瀧神社となりました。国の重要文化財指定名称は「大滝神社」です。
二の鳥居をくぐると杉木立の境内が広がり、地元産笏谷石を敷いた参道が奥へと導きます。笏谷石は水に濡れるとより青みを増す美しい石です。
■新門と廻廊
社殿は左手の丘上に鎮座しています。神門・廻廊は、伊藤平左衛門建築事務所が設計・施工し、平成4年(1992)に完成しました。
同事務所は、400年続く尾張藩御用大工、伊藤平左エ門の堂宮大工としての技術を守り伝統建築を手掛けています。
■社殿
本殿・拝殿は1841~43(天保12~14)年までの3カ年をかけて造営されました。造営工事請負人・大久保勘左衛門は永平寺門前大工集団の棟梁でした。、
本殿と拝殿の屋根を接続した社殿とし、複雑な形式と装飾彫刻を施して建物全体を一個の彫刻のようにまとめあげています。
全国的にも珍しい本殿・拝殿の屋根をつないで一棟とするダイナミックな造りにしています。
大工の大久保勘左衛門が心血を傾注して練り上げたとされ、近世社寺建築の粋を集めたとされる社殿です。
■拝殿 国重文 建立:1843 桁行二間 梁間一間 一重 入母屋造 妻入 向拝一間 軒唐破風付 背面本殿に接続 総檜皮葺
□一間向拝正面附近の彫刻 獅子や龍、鳳凰、草花などが精緻に彫られています。
□身舎の彫刻 四面に施されています。
本殿正面の彫刻 重なっているので全部が見えない
屋根
屋根を見上げると、一間社流造の本殿の屋根が入母屋造・妻入りの拝殿の屋根に覆い被さるように連結されている。思い思いの表現で語られる重なりである。
本・拝殿の屋根は檜皮葺。うねって重なっているようだと表現される屋根は4段、破風は小が1つ、大が2つ。
本殿の屋根が拝殿の屋根に連結されている様子が分かる。本殿の床下構造:石積み基壇+石の亀腹+腰組みからなっているので拝殿とは床高さが違う。
本殿と拝殿を連結した複合社殿である。複合社殿の前例は、北野天満宮や日光東照宮などにも見られるが、本殿と拝殿の間に「石の間」を持ち、これを介して連結されているのが通常であるが、石の間は置いてない。
本殿の側面・背面の板面や袖板戸に彫られた丸彫り彫刻
何れも中国の故事を題材に彫られた見事な彫刻である。板材はケヤキである。木目の流れが今も残っている。
重文 近世以前/神社 江戸末期
天保14(1843) "本殿 桁行正面一間、背面三間、梁間四間、一重、流造、正面小屋根、入母屋造、妻入、向拝軒唐破風付
拝殿 桁行二間、梁間一間、一重、入母屋造、妻入、向拝一間、軒唐破風付、背面本殿に接続 総檜皮葺" 造営文書6点、絵図2枚 19840521
本殿の屋根と拝殿の屋根が連結複合し、檜皮葺の屋根の連なりが龍のごとき印象を感じさせ、今にも動き出しそうな躍動感が味わえると評価が高いです。
拝殿の正面や本殿の周囲に施された精緻な彫刻から窺える卓越した匠の技にも驚嘆させられると評されています。
大瀧神社は1843(天保14)年に再建された建造物で、国の重要文化財
この神社が重要である証明が勇壮な本殿・拝殿である。
この本殿・拝殿は江戸後期の1841 ~43(天保12~14)年までの3カ年をかけて造営された。
この造営工事請負人は大久保勘左衛門である。勘左衛門は永平寺の伽藍の整備・維持を行う永平寺門前大工集団の棟梁で、唐門も手掛けた。
大久保勘左衛門は本殿と拝殿の屋根を接続した社殿とし、複雑な形式と装飾彫刻を施して建物全体を一個の彫刻のようにまとめあげ、全国的にも珍しい本殿・拝殿の屋根をつないで一棟とするダイナミックな造りにしている。
一間社流造の本殿とその前面の入母屋造、妻入りの拝殿からなり、本殿屋根正面上部に入母屋造、向拝付きの小屋根、向拝屋根に軒唐破風を付け、拝殿も向拝屋根に軒唐破風を付け、折り重なる屋根をさらに特長づけている。
本殿と拝殿の床の高低差は約2m、背の権現山から流れるような屋根の形状が、この場所の象徴的な意味合いをよりつよめている。
無形民俗文化財「神と紙の祭り」
凡そ1300年続いている行事とされる。
春と秋に、紙祖神をまつる岡太神社と大瀧神社の祭礼が行われる。
5月5日の春季例大祭では、権現山の頂上にある奥の院に祀られた神様をふもとの里宮にお迎えし、和紙の里である五箇地区を巡幸して再び上宮にお送りする神事が行われ、千数百年の伝統があり、福井県の無形民俗文化財に指定されている。
当日は地元の小学生による浦安の舞や、紙漉きの里ならではの紙能舞と紙神楽等の伝統芸能が奉納され、一般客も見る事が出来る。
祭礼の期間中は和紙の里通りで様々なイベントも開催され、祭りと一緒に紙漉きの里の雰囲気が味わえる。
福井県敦賀市曙町11-68
越前国一之宮、「北陸道総鎮守」と称され、地元では「けいさん」とも呼ばれ多くの人々の信仰を集めてきました。
「古事記」や「日本書紀」にも記載されている古社で、日本三代鳥居の一つがある神社として知られています。
特に仲哀天皇・神功皇后・応神天皇との関係が深く朝廷からも重要視されていた事が窺えます。
社殿は、1945年の空襲で大鳥居を残して焼失し、本殿は1950年に再建され、その他の社殿も再建・修復を経て現在に至っています。
■大鳥居 国重文 建立:1645 屋根付き 朱塗りの欄干とを備えた太鼓橋と一体です。 扁額は黒字に金文字、枠の装飾も金です。有栖川宮威仁親王筆
目印の大鳥居です。全高約11m、笠木の反りが美しいです。下部の前後に控柱を備えた両部鳥居です。厳島神社と同型です。
奈良の春日大社(高さ約10m)・広島の厳島神社(鷹さ約16.8m)と併せて日本三大鳥居と称されます。
■社務所
■二の鳥居 朱塗りの両部鳥居 天頂には屋根 両脇は朱塗りの透塀
■廻廊 拝殿に向かって右側だけにあります。
■神門
■外拝殿 建立:1962 唐破風
□蟇股 表・裏
□細部
□内部
■本殿
巫女の毎
■摂社 角鹿神社 (つぬが)
□社殿細部
常宮神社(じょうぐう)
福井県敦賀市常宮13-16
常宮神社は古くは「常宮(つねのみや)」「常宮大権現」「常宮御前」とも称されました。敦賀湾を望む半島の中ほどにあります。
この「常宮」とは、神巧天皇の神托の「つねに宮居し波しずかなる惟哉楽しやや」に因むとされます。
気比神宮(越前国一宮)と深い関係にあったため、古くは「本宮・摂社」「口宮・奥宮」「ひもろぎ之宮・鏡之宮」「上社・下社」などと一対でも称されていました。大宝三年(703年)、勅命によって社殿の修造があったと伝えられる古社で、氣比神宮の境外摂社として崇敬を集めてきた。本
境内は4455坪。主要社殿は江戸時代の再建です。
■拝殿
海に面して建ち、気比神宮を配します。 正面に原発です。
■中門 福井県指定文 建立:1762 桁行一間 梁間二間 向唐門形式 四脚門 銅板葺
■拝所 福井県指定文 移築:1943 桁行一間 梁間二間 四方吹き放し 唐破風造 銅板葺 元は気比神宮の中門 建立;江戸時代末期
□細部
■本殿 福井県指定文 再建:1713 桁行三間 梁間三間 三間社流造 手前の一間分を禅室とし、正面に一間の向拝を付す。檜皮葺(現在は銅板葺)
身舎は円柱、前室・向拝は角柱。前室は身舎より一段低く、虹梁間などに彫刻が施されています。
本殿に見られる装飾・形式については気比神宮の旧本殿(空襲で焼失・江戸時代初期の造営)との共通点が指摘されています。
□勅額
□禅室向拝
□身舎正面と蟇股
□身舎側面
□身舎背面 蟇股
■国宝 朝鮮鐘
総高:112cm、口径:66.7cmの大型梵鐘。胴部に天女造を陽鋳しています。統一新羅時代の作。文禄の役で朝鮮から持ち帰ったものとされます。
1597年に豊臣秀吉が、大谷吉継を使者として常宮神社に奉納したとされます(神功皇后の三韓征伐に因んで) 緒説あります。
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