Monthly Web Magazine Mar. 2026
■ 徳島の山犬嶽と高知の森林鉄道遺産 瀧山幸伸
徳島県上勝町の山犬嶽は重要文化的景観に指定されている樫原の棚田の最上部から40分ほど登れば楽に到達できる。コケの岩原で有名だが、修験者の地でもあるので修験体験のほうが満足度が高かった。季節を変えて再度訪問したいと思っている。
高知の森林鉄道遺産は、重文指定されている旧魚梁瀬森林鉄道施設の全調査と安芸市の旧伊尾木森林鉄道の調査を行った。
魚梁瀬森林鉄道は20年ほど前から飛び飛びに調べていたことのとりあえずの総括となった。
旧伊尾木森林鉄道は旧魚梁瀬森林鉄道に次ぐ規模だったがあまり知られていない。
いずれの森林鉄道もなかなか渋い調査だったが、あくまで第一回目の調査終了という位置づけであり、次回以降はじっくりと歩いて調査してみたい。
■ 最近の撮影から(迷走中) 大野木康夫
【西本願寺】
3回訪問して大量の撮影になってしまい、いまだに整理ができていません。
(1月25日)書院群の特別公開に行きました。虎之間から先は撮影禁止でしたが、飛雲閣外観は撮影できました。
(2月1日)飛雲閣の正面写真が逆光で白飛びしていたので再訪しました。
(2月20日)飛雲閣の写真がフレア交じりだったので再再訪しました。
【京都タワー】
高倍率レンズを購入したので望遠撮影を試しに行きました。ここも数度の訪問で収拾がつかず、整理が遅れています。
(1月31日)
東本願寺、東本願寺内事、西本願寺
教王護国寺、東福寺、三十三間堂、国立博物館
清水寺、法観寺、知恩院
(2月22日)京都駅ビル天空の庭からも撮影しました。
東本願寺宝蔵、黒書院と白書院の屋根、東本願寺内事鶴の間
修理中の妙法院庫裏の覆い屋が解体されてきました。
【松阪・津】
(2月14日)旧長谷川家住宅と専修寺の案内ツアーが目的で訪問しました。
朝田寺
龍泉寺
来迎寺
松阪城御城番屋敷
旧長谷川家住宅
主屋、大正座敷、表蔵、東蔵
大蔵、新蔵、西蔵、離れ
旧小津家住宅
専修寺
ツアーは貸し切り、賜春館(外観)を撮影することができました。
唐門、山門、太鼓門、対面所、大玄関
鐘楼、茶所、御影堂、通天橋
如来堂、御廟唐門及び透塀、御廟拝殿、賜春館
【五條】
家内に賀名生の梅を見せたくて訪問しました。
堀家住宅のレストランで食事をしました。
賀名生梅林
堀家住宅(旧賀名生皇居KANAU)
ランチコース(鹿・猪などを使ったジビエ料理)
ついでに寄った栄山寺(無人)
【法隆寺・薬師寺・唐招提寺】(3月6日)
10年ぶりに法隆寺を撮影したくなって早朝から訪問しました。南大門の東側にコインパーキング(1日最大料金500円)ができていたので、7時前に到着して人が少ない状況で撮影していましたが、8時の西院伽藍開門と同時に入ってもしばらくは貸し切り状態で、職員さんの箒の音だけが伽藍に響いていました。
法隆寺(国宝+α)
南大門、東大門、三經院及び西室、西円堂
中門、五重塔、金堂、大講堂
鐘楼、経蔵、東廻廊、西廻廊
聖霊院、東室、綱封蔵、食堂
東院夢殿、東院鐘楼、東院伝法堂
新堂、西園院客殿、大湯屋、中院本堂、寶珠院本堂
薬師坊庫裏、上御堂(上堂)、地蔵堂
律学院本堂、北室院本堂、北室院太子堂
薬師寺
東塔、東院堂、休岡八幡宮、若宮社、南門
唐招提寺
金堂、講堂、鼓楼、礼堂
経蔵、宝蔵、旧一乗院宸殿(御影堂)、旧一乗院殿上及び玄関
なかなか整理が進みません。
■ 春日大社境内の大木 野崎順次
巨樹と巨木という言い方があるが、ざっくりといえば、巨樹とは地上から約1.3mの高さで幹の周囲が3m以上の太い木で、巨木はそれより細くとも高さやボリューム感が秀でているものらしい。そこで大木という表現を使うことにした。春日大社境内は、市街地に近く容易にアクセスできるが、長年にわたり、伐採されていないので、大木が多数残されている。一之鳥居から金龍神社まで西から東へめぐってみる。
① 一之鳥居近くのイチイガシ、
本殿に向かって右側にある。サイズ不明。
0
② 表参道脇のムクロジ(説明板あり)
奈良国立博物館の南側あたりに位置し、空洞となった幹内部に横の竹が侵入している。
③ 東大寺への脇道のイチイガシ(説明板あり、サイズ不明)
④
飛火野のクスノキ(説明板あり)
参道からよく見える。明治天皇ご臨席記念に植樹されたから、樹齢は未だ100年程度。
⑤ 飛火野のイチイガシ
姿がよい。イチイガシの特長は樹皮のボロつきと葉のギザギザが先半分にしかないこと。サイズ不明。
⑥ 鷺原道の大洞クスノキ
幹周7.3m、樹高24mで鷺原道の入り口付近によく見える。8度の落雷を受けたとか、大きな空洞ができている。
⑦ 鷺原道のイチイガシ(説明板あり)
鹿苑の入り口近くで、幹周4.9m樹高24mと幹周5.0m樹高29m。
⑧ 二之鳥居近くのスギ
なかなか大きいが、大半が枯れている。幹周6.5m樹高17m。
⑨
国宝殿前のケヤキ(説明板あり)
⑩ 国宝殿脇のナギ
ナギはすらりと真直ぐに伸びて、樹皮が丸く剥がれるので、見分けやすい。ここまで古く大きくなると判定が難しいが、よく見ると樹皮に特徴が表れている。幹周3.3m樹高13m。
⑪ 若宮大楠(説明板あり)
⑫
金龍神社下のイチイガシ(説明板あり)
幹周5.0m樹高24m。
京都市に所在の「金戒光明寺」、「真正極楽寺(真如堂)」と「賀茂祖神社(下賀茂神社)」です。
何れも高名で、歴史ある社寺です。四季を通じて賑わっています。但し、主要な社殿は非公開、撮影禁止で、従い蟇股は少ないです。
■ 福岡の梅見 田中康平
この時期、福岡の花では桜は早咲き種以外は無論気配もなく、梅の花の見ごろが気になる。2月の半ばころまでには自宅庭の白梅が満開になった。その少し前(2月10日)市内の梅の名所の一つとなっている福岡城の梅園にいってみると満開にはまだまだだがそれなりにきれいに咲いていて、これは大宰府の梅林も結構いけるのではないかと2月17日に太宰府天満宮を訪れてみた。
相変わらず中国語や韓国語ばかりが飛び交う人混みだが梅花を見るには混みすぎということでもない。工事中の拝殿前の飛梅は満開近い感じで拝殿の背後に広がる梅林もそれなりに咲いて綺麗だ。ほぼ満開の木もあればまだまだの木もある。ソメイヨシノのように一気にそろって満開になるというのではなく、こんな咲き方のほうが何だか自然で気持ちがいい。
一番奥の天開稲荷神社まで行って一回りしてみる。ここは鎌倉時代末期に京都の伏見稲荷大社から勧請され、九州最古のお稲荷さんといわれてきたようだ。鳥居の列の石段を上がると奥の院があって古墳の石室のような形をしている、これは古そうだ、古墳時代まで遡りそうにみえる。ここにこの天満宮のもとになった神社のそもそもの原点があってそこから天開稲荷も天満宮も形つくられてきたのではないか、そう思わせる。
梅を見ながらの歴史散策は精神のあちこちを刺激してくれるようで、なんだか楽しい。
写真は
01,02:福岡城址の梅(2026.2.10)、03-18:大宰府の梅、そのうち07‐13は天開稲荷神社で11‐13が奥の院石室
■ 今月も覆屋 川村由幸
相変わらず覆屋には苦しめられています。小型のカメラを覆屋の隙間から中に入れて撮影しようかなどと考えているこの頃です。
前回のウェブマガジンで、文化財として認められている覆屋があるとお話しましたが、国の重要文化財に指定されている覆屋は中尊寺金色堂の旧覆屋が有名ですが、熊本県山江村の山田大王神社の本殿覆屋と人吉市の岩屋熊野座神社の本殿覆屋などで、多くありません。登録有形文化財や県市町村の指定文化財になっている覆屋は多く存在します。
そんな中、となりの茨城県に自身が過去に取材しJGに投稿している県指定と市指定の文化財となっている覆屋が各々1件存在していることがわかりました。不思議なことにその2件は共につくば市にある神社で、一の矢八坂神社と金村別雷神社です。
当然、直ちに再訪して撮影してきました。
まず、筑波大学のすぐ近くにある一の矢八坂神社の覆屋です。つくば市指定の文化財です。
確かに立派な覆屋です。拝殿より本殿の覆屋のほうが装飾彫刻も多く、鑑賞に耐え得ます。
ちなみに覆屋の中の本殿は茨城県指定の文化財です。
彫刻も見事でこんなに覆屋を飾る必要があるのかと疑問を持つほどです。覆屋が本殿の威厳をさらに高めている気さえします。
この覆屋なら、文化財として指定され保全・保管に配慮があって同然と思わされました。
もう一つは小貝川のほとりにある金村別雷神社です。こちらは拝殿・回廊・本殿・本殿覆屋が県指定の文化財となっています。
こちらは立派な覆屋だったのだろうとは思わせてくれますが、左の画像でもわかる通り、覆屋の中に入れてしまいます。もちろん、入って撮影してきました。本殿に近すぎて良い画像はありませんが。
真ん中の画像でもわかりますが覆屋の柵が壊れロープで固定されています。なんだか悲しくなりました。前回は2012年に訪れていて、JGに投稿した画像を確認しましたが、このような状態ではありませんでした。
本殿もひどい状況で本殿背面の彫刻や片方の袖の彫刻がありません。修繕中なら良いのですが、なぜかそうは思えない荒れようでした。
左の画像は拝殿正面からのものですが、通常の参拝者には本殿と覆屋の荒れようは想像もつきません。
せっかくの文化的な財産が汚されているような気さえしてしまいます。
経済効果のない文化財の保全の困難さを垣間見る思いがし、最近熱中している名もない神社の装飾彫刻もいずれはこのような末路をたどるのかと暗澹たる思いになりました。
■「冬の空」 柚原君子
庭の柿の木にもたれていた。
ごっつい大きなカメラを向けられていた。
大人たちがこちらを向くように言っていた。
空は青かった。
柿の木は葉を落としていた。
あまり好きではないこげ茶色のコールテンのズボンをはかされていた。
大人たちのざわめき。
父がファインダーをのぞいていたまま
私に「きみこ」とよびかけた。
そのあとに続いたであろう言葉は覚えていない。
私が私だという自覚。
他者から見て
「きみこ」という人間の存在を自覚した私の原点の日。
冬の澄んだ空。
柿の木にもたれて立つ幼女の一枚の写真が、今、手元に残っている。
★
自分の生まれた冬の季節であるからか、きりりと澄んだ冬の空が私は好きである。その冬の空を切り取ってみると、私が生きてきたターニングポイントが見えてくるのも不思議である。
生みの母が祖母との折り合いが悪くて里に帰って私を生んだのが一月。父と母の協議離婚が成立したのが一月。夫との結納が一月。長女誕生が一月。
夫の死の予感、そして私へのがん告知。
辛かった治療が無事に終了して一年間にわたる吐き気から開放されてバンザイと叫んだ冬。がん以後の生きる足し算を、薄氷を踏むように数えたのも毎年の冬。
長い年月の間には、私の気持ちが真っ青に澄んだ冬の空にどうにもマッチせず、他人の幸せがうらやましくてどうしようもない時もあった。
けれど、夫の死を乗り越えて癌の難しい治療をとにもかくにも終了して、がんにとらわれずに生きて行こう、生きていけるのではないかと思い始めたのも冬空の下であった。そして、生き続けていくだけではなく、がん以後に貰えた命を確かなものにして「きみこ」をどう生きたらいいか模索をしてみたい、と思い始めたのも冬。体にあたる風は冷たいものであっても、不思議と心の内が燃えていた気がする。
★
「塞翁が馬」……昔、中国地方の辺境に占いの上手な塞翁がいた(注:塞翁とは古く中国で北方の砦に住むとされた老人)。その塞翁が飼っていた馬が逃げてしまった。人々が慰めにくると塞翁は「これは幸いになるだろう」と言った。
果たして数ヵ月後にその馬は立派な駿馬を連れて帰ってきた。人々がお祝いにくると今度は「これは不幸になるだろう」と言った。
すると騎馬を好む息子が馬に乗って遊んでいるうちに、落馬して足を骨折してしまった。人々がお見舞いにくると「これは幸いになるだろう」と言った。
一年後、胡の国の軍隊が侵略してきたため、若者たちはほとんど戦死したが、塞翁の息子は足が不自由なために兵役を免れ、戦争にも行かずに済み、結局、父子共に無事であった。「人間万事塞翁が馬」とも言う。
故事の出典は、中国前漢の思想書『淮南子』(えなんじ)。
『暮らしの言葉 語源辞典』講談社刊より抜粋。
★
人は生きていく上で仕切りなおさなければならない場面にいくたびか遭遇する。挫折という後ろ向きの時間を長く持つにしろ、鮮やかに仕切りなおして前に進んでいくにしろ、何が幸せになって何が不幸になっていくかは塞翁が馬である。いずれにしても幸せの芽はどこかに必ず潜んでいるもので、それをひっくり返せば、幸せの中であっても不幸の芽はひそんでいるもので、用心は欠かかさないほうがいいということになる。不幸と思える出来事に遭遇したら、やり過ごす智恵が出せるようにすればいいのだ。対外的な理論武装はともかくとして、所詮は自己完結で進んでいくしかないと思うからである。
★
お正月休みの恒例であるアルバム整理をしていたら、前述の一枚の古い写真が出てきて記憶の原点がよみがえってきた。
葉を落とした柿ノ木にもたれて立つ私。背中に伝わる樹のごつごつ感とともに、私が「きみこ」と呼ばれる人間であることをかすかに意識した日。写真を撮り終えて、お正月のおろしたての下駄で踏み出したあの一歩が、私が私に責任を持って踏み出した人生の一歩だったのだろう。
あれからいろいろなものを積み上げては、崩しては、とにかく77歳までやってくることが出来て、77回目のすんだ冬空の下に私は立っている。定命まであと何度の冬の空が仰げるだろうかは神のみぞ知るだが、とにかく生きられるところまで生きていくのだ。もうじき春。冬の寒さとの決別も近い。今年も頑張って呼吸して行こうと思っている。
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