青森県弘前市 弘前城
Hirosaki castle,Hirosaki city,Aomori
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弘前市大字下白銀町1 弘前城 天守 重文 近世以前/城郭 江戸後期 文化7(1810) 三重三階櫓、銅瓦葺 棟札2枚 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 二の丸辰己櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 三重三階櫓、とち葺形銅板葺 棟札1枚 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 二の丸未申櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 三重三階櫓、とち葺形銅板葺 棟札1枚 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 二の丸丑寅櫓 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 三重三階櫓、とち葺形銅板葺 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 二の丸南門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 脇戸付櫓門、銅瓦葺 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 二の丸東門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 脇戸付櫓門、銅瓦葺 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 三の丸追手門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 脇戸付櫓門、銅瓦葺 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 北の郭北門(亀甲門) 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 脇戸付櫓門、銅板葺 19370729
弘前市大字下白銀町1 弘前城 三の丸東門 重文 近世以前/城郭 桃山 慶長16(1611) 櫓門、入母屋造、銅板葺 19531114
史跡 津軽氏城館跡
Apr.18 2023 瀧山幸伸
東外堀
三の丸東門付近
二の丸東門付近
本丸
北の郭へ
西濠
西の郭から二の丸へ
二の丸南門、植物園付近
Apr.23,2022 瀧山幸伸
A camera
一陽橋
亀甲橋
北の郭北門(亀甲門)
丑寅櫓
北の郭
鷹丘橋
本丸 天守
御滝桜、鶴の松・亀の石
日本最古のソメイヨシノ
下乗橋付近
ハート型
西の郭
西濠
博物館
二の丸未申櫓付近
二の丸辰己櫓付近
ハート型
蓮池
本丸
御滝桜、鶴の松・亀の石
西濠
B camera
護国神社
Sep.2021 酒井英樹
弘前城は津軽藩津軽家の居城。
津軽藩祖津軽爲信が津軽地方の制圧を機に大浦から津軽に改姓したのち、慶長8年(1603)に本格的な築城を計画。
2代津軽信牧が慶長15年(1610)着工し、翌慶長16年(1611)に完成したと伝えられる。
初めは高岡城と称したが、寛永5年(1628)に弘前城と改めた。
岩木川に沿う台地を中心に3重の濠と本丸以下6つの郭からなる。
<天守>
三重三階、銅瓦葺、大壁造、外二方張出し、長押形、軒出桁
江戸時代[文化7年(1810)]
ライトアップ
<二の丸辰巳櫓>
三重三階隅櫓、とち葺形銅瓦葺、大壁造
総二階の上に三階を載せる
桃山時代[慶長16年(1611)]
<二の丸未申櫓>
三重三階隅櫓、とち葺形銅瓦葺、大壁造
総二階の上に三階を載せる
桃山時代[慶長16年(1611)]
<二の丸丑寅櫓>
三重三階隅櫓、とち葺形銅瓦葺、大壁造
総二階の上に三階を載せる
桃山時代[慶長16年(1611)]
ライトアップ
<二の丸南門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
<二の丸東門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
ライトアップ
<三の丸東門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
ライトアップ
<三の丸追手門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
<北の郭北門(亀甲門)>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
Apr.19,2021 瀧山幸伸 source movie
Apr.23,2018 瀧山幸伸
昼の桜と夜の桜
Apr.23,2016 瀧山幸伸
天守(曳家中)
Tenshu
東内門
Higashiuchimon
丑寅櫓
Ushitorayagura
北門
Kitamon
東門
南内門
追手門
二の丸未申櫓
二の丸辰巳櫓
岩木川と岩木山
弘前城
弘前城
Hirosaki castle
May 2010 撮影:中村千恵美
Aug.2008 瀧山幸伸 source movie
弘前のシンボル岩木山は霊山。ねぷたは岩木山遥拝の神事を終えてから行進が始まる。岩木山神社はそれほどの影響力を持っていた。今でも毎年初秋の岩木山登拝は重要無形文化財となっている。
弘前は門前町ではなく、弘前藩(津軽藩)の城下町。初代津軽為信が南部藩から独立し、1603年に築城を始めた。為信の霊屋は革秀寺にある。二代藩主信枚の正室満天姫が家康の養女として嫁いだため、城下の西の砦、長勝寺にある御霊屋五棟のうち、二代正室のものには葵の紋が付いている。
明治の弘前は、私学東奥義塾に代表される教育の町、リンゴの町、そしてあの有名な八甲田山事件の本拠地、陸軍第八師団の町として発展した。現在は「洋館とフランス料理とねぷたの町」として売り出しているが、和洋ともに多くの文化遺産を持つ。特に瑞楽園、盛美園などに見られる作庭様式は、この地の人々のゆとりと文化度を代表している。それは、米作りの適地であったという経済的基盤を背景としている。田作りには豊富な雪解け水が利用できること、東海岸と異なり夏期は高温となること、収穫期には三方山に阻まれているため台風の被害が少ないこと、などが挙げられる。
三の丸追手門
南内門
未申櫓
辰巳櫓
天守
丑寅櫓
東内門
東門
Apr. 2008 撮影:中村千恵美
Aug.2007
弘前城
Hirosaki castle
Apr.2005 瀧山幸伸 source movie
みちのく三大桜
正徳5年(1715)藩士が京都から桜の苗木25本を持ち込み城内に植栽したことに始まる。明治以降大量の桜を植樹した。
雪をいただく霊山岩木山を見上げ、重文弘前城の周囲を飾る。
Hirosaki samurai town
Sep.1995 酒井英樹
<天守>
三重三階、銅瓦葺、大壁造、外二方張出し、長押形、軒出桁
江戸時代[文化7年(1810)]
<二の丸南門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
<二の丸東門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
<三の丸東門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
<三の丸追手門>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
<北の郭北門(亀甲門)>
脇戸付櫓門、入母屋造、銅瓦葺、大壁造
桃山時代[慶長16年(1611)]
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