奈良県奈良市、天理市、桜井市 山之辺の道(南)
Yamanobenomichi, Tenri city/Sakurai city Nara
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天理から桜井へ
約16㎞の行程である。
北は春日山の麓から、南は三輪山の麓まで、奈良盆地の東端を山々の裾(山の辺)を縫うように通っているのが、山の辺の道である。
8世紀の初めには官道としてこの道が出来ており、日本最古の道といわれている。
全長26㎞の道の中継地点である天理市の石上神社から桜井に向う。遠き昔よりいにしえ人が行き来した道である。
今回は、天理駅〜石上神社〜長岳寺〜大神神社〜桜井駅を散策する。全距離約16㎞である。
■■コ−ス地図
■■■■その一
石上神社〜夜都伎神社まで。天理駅から約5㎞の距離である。
■出発は近鉄天理駅である。天理商店街を通り抜ける
■天理教峡本部や関連施設が目につく。
■布留の交差点から今回のコースの起点である石上神社へ向かう。教会の施設が続く。
■■■石上神宮
境内
■途中で見かけたツキノワクマ保存の看板
奈良県ではツキノワクマは「絶滅寸前種」に選定されている希少動物である。保護と防除のバランスを計りながら管理している。
■■案内図
■自然豊かな風景を楽しみながら歩く
■大和地方は柿の産地。秋には紅葉に負けない美しい色に輝く。早くも袋カブセが行われている。他にも果物が多く育つ。
■■内山永久寺
芭蕉の句碑が迎える。江戸に出る以前は出生地の伊賀上野に住み、「宗房(むねふさ)」と号していた。
うち山やとざましらずの花ざかり 宗房
■平安時代に建立された石上神宮の神宮寺。盛時には50以上の堂塔を有していた。案内を見てもとても大きな寺院であったことが分かる。
明治期の廃仏毀釈で廃寺となり、現在は池を残すだけの地である。
■■内山永久寺から流出した文化財として、石上神宮の出雲建雄神社の割拝殿(国重要文化財)がある。
もと内山永久寺鎮守の住吉神社拝殿。廃仏毀釈の際に難を逃れたものを1914年現在地に移築。現在は石上神宮摂社の出雲建雄神社の拝殿となっている。(ウイキペデイアより引用)
■カキ畑の太く育った木々や鬱蒼とした木立の中を歩く。
■峠の茶屋「天理観光農園」と二上山
二上山は雄岳と雌岳が寄り添うように立ち、美しい姿である。これから先も時々見える。
■見かけたお花
■■夜都伎神社(やつぎ)
観光農園から15分ほど歩くと鳥居が見えてくる。水田の片隅に堂々と鳥居が建つ。
当社は昔から奈良春日大社に縁故深く明治維新までは当社から蓮の御供と称する神饌を献供し、春日から若宮社殿と鳥居を下げられるのが例となっていると伝える。
■拝殿は萱葺でこの地方では珍しい神社建築である。
■現在の本殿は、1906(明治39)年改築したもので、春日造檜皮葺高欄浜床向拝付彩色7種の華麗な同形の4社殿が末社の琴平神社と並列して美観を呈する。
夜都伎神社から念仏寺まで。天理駅から約7㎞の距離である。
■■略図
■■■竹之内環濠集落
夜都伎神社から5分ほどで竹之内町に着く。
■■濠で囲われた環濠集落を想像して行ったが、街の濠は殆ど埋め立てられ、公園にしたと案内看板にあった。
今は環濠の一部が池として僅か100mほど残るのみである。
■■■環濠集落は外敵を防ぐため、周囲に用水路を兼ねた水濠を巡らせた集落。奈良県内には多いが、標高100mのここは県下で最も高所にある環濠集落。
竹之内環濠集落から少し南に、萱生(かよう)環濠集落もある。
本瓦葺や門構えの大きな家が目立つ。
■■■萱生町環濠集落
集落の入口にある農作物の衆か場近くで環濠跡が確認できる・集落の西側にあった西山塚古墳の周濠を利用した。
西山塚古墳
竹之内と同様、萱生集落にも立派な門構えの屋敷、大和棟や本瓦葺の豪壮な建物が密集している。
大和棟
大和棟(やまとむね)又は高塀造(たかへいづくり)。奈良県の民家で見られる建築様式。
切妻の草葺と屋根瓦が組み合わせられており、洗練された切妻の白い漆喰壁と屋根の対象性が美しいのが特徴。
棟の高い部分が主屋で低い部分が釜屋(くどや土間)で構成されている。(ウイキペデイアより引用)
■■奈良盆地
奈良盆地が一望のもとに見渡せる。葛城、金剛、生駒と奈良盆地を形成する山々が連なる。さらに二上山の双峰も姿を見せる。
■■■大和古墳群(おおやまとこふんぐん)
天理市南部の萱生町から中山町に所在する古墳群である。最大の古墳は西殿塚古墳の一つである。
■■波多子古墳
■■■衾田陵(ふすまだりょう)
古墳名は西殿塚古墳、4世紀前半頃のもの。前方後円墳で全長219m、前方部分がバチ形であり、最古級の大型前方後円墳の一つである。
この古墳は代26代継体天皇の皇后、手白香皇女(たしらかのひめみこ)のものとされている。宮内庁の管理である。
萱生環濠集落付近の田畑地帯の奥に堂々とそびえる陵墓。小高い丘にたつ陵墓で、大和を見守っている感じがする。
■■■燈籠山古墳
山辺の道へもどり、細い墓道の間を進む。古代と現代の墓が同居している雰囲気が漂う。
後円部は果樹園、前方部は念佛寺の墓地になっている。
■■念佛寺
山の寺と呼ばれるのは開化山に御陵守護のために建立されたことによる。浄土宗。本尊;阿弥陀如来
元和8年(1622)に徳川家康の末弟(当時伏見城代)松平隠岐守定勝が袋中上人を開山として建立。
本堂は1630(寛永7)年の建立で、浄土寺院としては古い建築である。
念佛寺墓地は燈籠山古墳の上にある。
■■周辺地図
念佛寺から景行天皇陵まで。天理駅から約9㎞の距離である。
略図
■■■中山大塚古墳(大和神社御旅所) 中山廃寺
天理市中山町寺垣内
念佛寺から700m程離れたとことにある。
出土物から箸塚古墳に次ぐ古さと考えられる前方後円墳。中山大塚古墳の一部が削り造られた大和神社のお旅所の祠がある。
大和神社はここから0.5kmほど西に行ったところにある。
■■石畳道の傍らに可愛い地蔵群が並ぶ。まるで通る人を励ますかのようだ。石段道が少し続く。
地蔵の上の建物は公衆トイレ。この山の辺の道には手入れの行き届いたトイレと道標が間隔を空けずに設けてある。石段道が少し続く。
■■はや咲きのコスモス
のどかな田園風景が続く。
■■■柿本人麻呂「万葉歌碑」
山辺の道には和歌や短歌の歌碑がたくさんあるが、中山大塚古墳下にあるこの柿本人麻呂碑は山の辺の道で一番有名な歌碑であり、よく紹介される。
“衾路を 引手の山に 妹を置きて 山路を行けば 生けりともなし” ”家に来て わが家を見れば 玉床の 外を向きけり 妹の木枕”
■■■長岳寺
長岳寺へ向かう途中の景色は満点である。
■■古木「根上り松」〜総門〜参道つつじ
■■境内
重要文化財に指定された社殿が続く。花の名所とされるだけに、季節の移ろいが楽しみなお寺である。
■■東海自然道「青垣トレイルセンタ」
長岳寺総門を出た近くにある。
無料休憩・学習施設として、2000年(平成12)年4月に開館した。館内では、鳥や草花の紹介や黒塚古墳の石室模型(1/4縮小) 三角縁神獣鏡のレプリカなどが展示されている。天理〜桜井のほぼ中間地点である。コースの確認を行う。
■■■柳本古墳群
石段道を進む。この辺りからは、奈良盆地を代表する大型古墳が存在し、柳本古墳群とされる。崇神天皇陵とされる行燈山古墳は全長約242m、景行天皇陵と呼ばれている渋谷向山古墳は全量300m。他には天神山古墳や珍しい双方中円の形をなす櫛山古墳等がある。
■■歴史的風土特別保存地区
崇神天皇陵や景行天皇陵を含む地域は風土保存地区に指定されている。
■■■崇神天皇陵
石畳道を登ってゆく。前方後円墳で濠が取り巻いている。その周囲を歩くのみである。
■■■櫛山古墳も近くである
4世紀頃の構築とされ、全長150mの双方中円形。行燈山古墳の後円部に接して、より山側の高い位置にある。双方中円墳という特異な墳形をしている。
櫛山古墳は、猫塚のように、二つの方形突出部がほぼ均等な大きさでなく、むしろ普通の前方後円部にもう一つの短い突出部を付けたような形状に変形している。周濠を持っていない。しかし、周囲に周濠の区画が残り水田となっており、当初の姿を残しているといえる。
周濠の範囲は東西190メートル、南北165メートルあって、前方部側面での周濠幅は約56メートルあまりである。「引用:ウイキペデイア」
■■奈良盆地全景
■ ■大和集落〜渋谷町公民館
■■■景行天皇陵
景行天皇陵から大神神社まで。天理駅から大神神社までは約13㎞の距離である。
■■コース地図
■■東海自然歩道を歩き、桧原神社を目指して進む。約1.5㎞の距離である。途中の景色も良好。三輪山も見えてきた。
三輪山は大神神社のご神体。髪が降臨する山として崇拝されてきた。山中には磐座らしき巨石群がある。
■桜井市に入る。桃畑やミカン山が続く。目下準備中の「万葉の楽園」
桜井市穴師505
6月15日開園予定。この地は、古来より生薬栽培がおこなわれてきた。そこで大和シャクヤクの復活と大和の地にゆかりのあった生薬の復活を目的とした万葉の楽園プロジェクトがスタートした。
■この辺りから桜井市の穴師の里
柿本人麻呂ゆかりの地で幾種もの歌に詠まれている。歌碑が方々に立つ。 この辺りまでは蜜柑畑が多い。
■大和三山もクッキリ 耳成山と畝傍山
■農産物の無人販売所や大和棟も見受ける。
■大和青垣国定公園、歴史的風土特別保存地区に指定
自然公園というよりも、文化遺産に重きを置いた国定公園。「山の辺の道」と呼ばれてきた街道と「柳生街道」を結ぶ。この一帯は古くから青垣山と呼ばれていたことから命名された。
■笠山荒神との分岐点から桧原神社へ
■■■桧原神社
桜井市三輪字桧原
■■桧原神社は、大神神社の摂社群の中では、社格も最も高く創建も古い。天照大神が伊勢神宮に鎮座する前に、宮中からこの地に遷されこの地で祭祀されていた時代があった。伊勢神宮へ遷されると、その神蹟を尊崇して、檜原神社として引き続き天照大神を祀ってきた。そのためこの神社は広く「元伊勢」の名で親しまれている。寛政年間に台風で檜原神社は大きな被害をこうむり廃墟化した。戦後になって、現在のように整備された。
桧原神社は、三輪山の中にある磐座をご神体にしているので、檜原神社には本殿はなく、拝殿もない。
■■桧原神社は、万葉集などで「三輪の檜原」と歌に詠まれた台地の上にある。大和国中が一望できる絶好の場所にあって、眼下に箸墓の森が見える。
二上山の姿も美しい。年に2回だけ、絶景と呼ばれるにふさわしい夕景がながめられるとされる。
■かつてこの付近は大和の笠縫邑と呼ばれた。そのため境内には「皇大神宮倭笠縫邑(やまとのかさぬいのむら)」と書いた大きな石碑が立っている。
寛政年間に台風で檜原神社は大きな被害をこうむり廃墟化した。戦後になって、現在のように整備された。
■■三輪鳥居
桧原神社は、三輪山の中にある磐座をご神体にしているので、檜原神社には本殿はなく、拝殿もない。
だが、大神神社では見えなかった三輪特有の「三輪鳥居」とその奥にある神籬(ひもろぎ。神霊が降臨する時の臨時の宿り場所。小さめの樹木や岩石が選ばれる)などが再建された。
■■有名スポット
雑誌によく掲載されるスポット
■桧原神社から再び古道を歩く。小さな滝で涼気を得る。木陰の地蔵に引き続いて石塔が見える。草堂と僧坊の間を行く。
前方に見える白壁と乱積の石垣に惹かれる。
■■玄賓庵
三輪山の谷間に隠棲していた一人の僧のもとに明神の化身が通い、仏堂を知ったという謡曲「三輪」は、ここに暮らした玄賓をモデルにしたとされる。
山門、石庭、本堂 石畳に落花した椿の風景が多くの人に愛されているとか。前庭には梅。静かな佇まいである。
■■■■大神神社
玄賓庵からは約30分で大神神社の深い境内に踏み入る。予定時間を少し越えている。薄暗くなりつつある道を急ぐ。 摂社貴船神社に来る。
■途中での出会い
古事記にも載っている狭井川を過ぎるあたり。神武天皇の石碑、額田王歌碑、花もり
■■■狭井神社
三輪の神様の荒魂を祀る神社。病気平癒の神様として信仰が篤い。毎年4月18日には花鎮祭が行われる。
■薬井戸は、万病に効くという薬水が枯れることなく湧き出る井戸。「ご神水」として水を汲み取る人が後を断たない。三輪そうめんを育む水である。
■■磐座神社(いわくらじんじゃ)
社殿がなく、神の鎮まる堅湖な岩(磐座」を神座として少彦根名神(すくなひこなのかみ)を祀る。少彦根名神は(神農さん)とも呼ばれる薬の神様。
結構登り難い坂道である。そこには黒い色をした巨岩が群がっていた。
■くすり道
くすりの神様・狭井神社への参道で薬業関係者奉納の薬木・薬草が植えられている。今下りてきた道である。
■■■拝殿
国重要文化財 1664(寛文4)年徳川家綱公により再建。背後に森を控える姿が重厚である。
当社は三輪山をご神体とするため本殿が無く、拝殿を通じて三輪山を拝む原初の神まつりの姿を留める。
■夏越の大祓(なごしのおおはらえ)、茅の輪は祈祷殿前に設けられる。下半期を元気に過す神事。くぐるには順序がある。
■巳の神杉
樹齢600年とされる。三輪の大物主大神の化身の白蛇が棲むことから名付けられたご神木。蛇に好む卵が参拝者によってお供えされる。
17:00を回ると境内は参拝者も殆ど居なくなる。
予定を変更してJR三輪駅より帰る。
「お断り」:部分的に2012−02−19撮影の画像が含まれる。
Feb.2009 撮影/文:野崎順次
奈良県桜井市〜天理市山辺の道
(Yamanobenomichi, Sakurai-Tenri, Nara)
JR三輪駅〜大神神社
狭井神社〜玄賓庵〜桧原神社
黒塚古墳
崇神天皇〜中山大塚古墳
灯籠山古墳〜念仏寺
竹之内環濠集落〜西乗鞍古墳〜東乗鞍古墳
永久寺跡〜石上神宮
天理の町
Nov.2008 瀧山幸伸 source movie
黒塚古墳
Kurozuka kohun
三輪神社
Miwa jinja
Nov.2008 瀧山幸伸source movie
崇神天皇陵
Sujin tenno ryo
萱生環濠集落
萱生から竹之内
竹之内環濠集落
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