MONTHLY WEB MAGAZINE June 2012
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What's New May 2012
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トピックス
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■■■■■人文系のトピックス「絹の遺産を学ぶ旅」 瀧山幸伸
Japan Geographicの理念は、生涯教育、非営利、千年単位のデジタルミュージアムということだが、まだ8年ちょっとしか経過していない。ようやく千年の1パーセントという程度。
既に100万ショット近くの写真やビデオが蓄積されているので、毎年10万点以上のコンテンツが増えていることになり、我ながら驚いている。
「学びの旅 〜文化財でまちおこし」の4章、「眠っている文化財」の章で、まちおこしに文化財を活用するには、文化財の共通テーマよるネットワーク化がカギになると提言した。
文化財のネットワーク化の一例として、「絹の経済と文化」(全国各地と世界の絹文化財を結ぶ国際横断的共通テーマ)を取り上げたが、このたび偶然にもそれを簡易な資料にまとめ上げる機会ができた。
5月の連休明け、早稲田大学の生涯教育機関「エクステンションセンター」で表題の「絹の遺産を学ぶ旅」として講義を行った。リンク先はその講座用に印刷製本した資料と上映ビデオだ。
蓄積したコンテンツを一つのテーマのもとに時間(歴史)の糸と場所(地理)の糸でつむぐと、ニッチだが興味深いテキストができあがる事例として紹介したい。
自分自身の反省として、学校で習った丸暗記の弊害を除去したかったことがJapan Geographicを始めた大きな動機だが、自分で現地調査とテキスト編集をやってみて、ずいぶん多くの知識と気づきを得ることができた。
別冊太陽やサライのような商業ベースの雑誌ではどうしてもオムニバスな内容になってしまう。一方、学術書は深い内容だがコスト的に出版が厳しい。
ITを駆使すれば、このような状況でも、デジタルベースでカラーかつ動画込みの教育コンテンツを発行できる仕組みができる。新しい時代が来つつあることを予感させる。
文化庁が国の威信をかけ膨大な予算と撮影権をもとに収集している「文化遺産オンライン」http://bunka.nii.ac.jp/Index.do は素晴らしい。
だが、全く予算がないJapan Geographicも通信員の多大な貢献の果実が実る時が来るだろう。通信員の孫の代になるかもしれないが。
■■■■■自然系のトピックス「子供も高齢者も楽しめる湿原植物」 瀧山幸伸
山奥の湿原は足腰の強いハイカー向けと思われがちだが、そうとも言えない。
福島県の駒止湿原は国の天然記念物に指定されている自然豊かな湿原だが、駐車場から歩いて5分で到着可能な、子供や老人にやさしい湿原でもある。
湿地には木道が整備され、往復2時間程度の散策を楽しむことができる。
4月下旬のミズバショウに始まり、コバイケイソウ、ワタスゲ、ニッコウキスゲ、ハクサンシャクナゲなど、春から秋にかけて様々な花が咲く。
5月20日、雪解けとともに道路が開通し、山開きが行われた日に訪問した。今回は珍しい双苞ミズバショウを観察することができた。
この湿原はアクセスが容易ではあるが植生は豊かで、6月はワタスゲ、7月はニッコウキスゲ、ヒオウギアヤメ、秋はブナなどの紅葉と、毎月、いや毎週その表情を変える。
以前は周囲に開拓農地が拡がっており、耕作放棄地のかなりの部分が荒地、裸地となっていた。
そこにブナの苗木を植えて潜在植生を回復する取り組みが実験的に行われており、毎年その生育状況を確認するのも楽しみだった。
しかし現実は厳しく、多くのブナ幼木が枯れてしまってススキ原となっており、湿原に悪影響が及ばないか心配している。
この地域にはブナ林が育んだ多くの湧水があり、清冽な水をぜひ味わってほしい。
駒止湿原 / 冷湖の霊泉
近くにも多くの湿原があり、矢の原湿原、宮床湿原なども興味深い。 6月にはヒメサユリで有名な高清水自然園も近い。
矢の原湿原 / 宮床湿原 / 高清水自然園
栃木県奥日光の中禅寺湖千手ケ浜も安易に訪問できる湿原だ。専用バスであれば終点の目の前がクリンソウ咲く湿原である。
残念ながら遊覧船や団体観光客の騒音で静寂とは言えないが、まずまずの自然に触れ合える。
もっと安易なのは東大植物園の日光分園だ。こちらも 旧田母沢御用邸と共に 一日充実した時間を過ごせる。
中禅寺湖千手ケ浜 / 東大植物園日光分園 / 旧田母沢御用邸
もう一つのアクセス容易な湿原は長野県の乗鞍高原だ。こちらも車から数十歩で到着できる。牧場やスキー場、観光施設などで人の手が入っているため天然記念物などの指定は無いが、一の瀬園地をはじめ高原のそこかしこで自然と触れ合うことができる。
特に5月のミズバショウから6月のコナシ、ズミ、ミツガシワ、マイズルソウ、レンゲツツジの頃はしっとりと雨に包まれた花を楽しむことができる。雨だからこそ花の美しさが際立つと言える。
乗鞍高原のマイズルソウ群落
長野県には一面にクリンソウが咲き乱れる幻想的な高原がある。観光客に知られていないし知ってほしくもないが、毎月新着情報を見ている方はそれがどこか、2004年の索引から容易に発見できるだろう。
5月の新聞で「空のお祭り3部作」と表現された、「金環日食」、「佐渡のトキのひなの巣立ち」そして「東京スカイツリーの開幕」それぞれ意味深い出来事でした。
その中の新生「東京スカイツリー」。新しい時代のシンボルとして歓迎され、人気沸騰中である。
過去においては各地に建てられたタワーはその時代や地域の発展の牽引車の役目を果たしてきた。この機会にたどってみる。
6月1日からビヤガーデンがオープンした「京都タワー」。京都駅烏丸出口の真正面にそびえる京都のシンボル。
当初は物議を醸したが今はどこからも見え、身近な存在となっている。
昭和39年(1964)に建設された高さ131mのタワーは、地下3F、地上9Fの「京都タワービル」の屋上が土台となっている。
スラリーとした円筒状の塔体に骨組みは一切なく、特殊鋼板をつなぎ合わせた「モノコック構造」を採用しており、航空機と同じ仕組みで台風などの外力に強い構造。
海のない京都市の街を照らす灯台をイメージにして建てられたという。ビルの重さは約800トンある。
京都駅ビルに映る京都タワー
地上100mの展望台からは、京の街並が見渡す限りに広がり、天気がよければ大阪のビル群も眺望できる。
必見は「日本夜景遺産」に選定されているライトアップ。旅人を導く燈台のような姿が、古都の静かな夜を演出する。
「タワー観光の歴史」
先駆けは、浅草・浅草寺の五重塔といわれる。明治19年(1886)、損壊した五重塔の修復費用の捻出を目的に有料で見物人を上らせたことに始まる。
これは、建物の高さを厳しく制限した江戸時代には考えられなかったことで、高所から街を眺めるという行為は、支配者の特権であった。
この浅草寺五重塔がきっかけとなり、眺望を売りにした高塔が続々登場した。そのブームを極めたのが明治23年(1890)、浅草に誕生した「凌雲閣」。名称は「雲を凌ぐほど高い」による。
高さ約52m、10F迄がレンガ造り11・12Fは木造で、日本初のエレベーター付きだった。
展望台には望遠鏡が設置され、眼下に東京市街や隅田川、はるかに富士山を見渡す眺望に人々は大興奮。
正月三が日は延べ2万人をも超える入場者があったとされる。
その階数から”十二階“の通称で親しまれた凌雲閣は、大正12年(1923)の関東大震災で崩壊し幕を閉じた。
エッフェル塔(平成3年(1991)写す)
時は過ぎ、高度成長期という新たな時代に登場したのが「東京タワー」。昭和33年(1958)、テレビ放送の電波塔として完成。
フランスの「エッフェル塔」を凌ぐ、自立式鉄塔として世界一の高さ333m。戦後の復興を遂げ豊かさを手に入れつつあった日本人の誇りであった。
昭和33年完成当時の東京タワー。
当初は高さ150mの大展望台だけであったが、昭和42年(1967)に高さ250mの特別展望台が公開された。
平成10年(1998)には、日本の人口に相当する来塔者数1億3000万人を達成。時代のシンボルとなってきた。
往古より、高所は神へ近づく手段であり、権力の象徴であった。今は誰もが日常的に上れて、その風景と時代が眺められる場所となった。
新しい時代のシンボルとして歓迎されている634mの「東京スカイツリー」。どのような時代の幕開きの役目を果たすのか、見守りたい。
資料≪wikipedia、絵葉書「(東京名所)浅草公園十二階」台東区立中央図書館蔵、鹿島 HP、他≫
■■■■■福岡県八女市立花町 男ノ子焼の里・れんげ祭り 末永邦夫
前回、祭りの準備までを報告しましたが、今回は、さくらんぼ幼稚園の園児が卒園記念に手形の陶板を作るところから、祭りの準備状況、祭り当日の様子までを再構成しました。
年に1度の祭りは、地元の方たちの協力で行われ、派手さはありませんが、ぬくもりの有る、のんびりできるお祭りです。続き
■■■■■鉄道写真 大野木康夫
小学生の頃、友達の影響で鉄道が好きになり、京都駅や大阪駅に行って列車を眺めたり写真を撮ったりしていました。
昨年3月までの職場は京都駅の近くにあったため、時々、昼休みや終業後に京都駅で列車を眺めることもありました。
以下の写真は、その時に昔の血が騒いで撮ったものがほとんどです。
廃止された特急列車
はまかぜ(キハ181系)、雷鳥、日本海
臨時列車
まほろば、おわら、団体専用列車
今も運行されている特急列車
オーシャンアロー、スーパーくろしお、サンダーバード
スーパーはくと、しなの、ひだ
タンゴディスカバリー、きのさき、はしだて、まいづる、丹波、北近畿
トワイライトエクスプレス
新快速、快速、普通列車
きたぐに、はやぶさ・富士
2010年9月のweb magazineでも同じテーマで投稿した東京タワー。
5月22日にスカイツリーが開業し、スカイツリーを見るためか東京タワーの来場者も増加しているようです。
スカイツリーが予約で埋まっていて、展望台に上がれないので東京タワーでもという来場者も多いでしょう。
残念ながら、東京タワーの影が薄くなっているのは確かです。
でも、昭和という時代を象徴する建造物としての東京タワー、
戦後日本の高度成長時代をシンボルである東京タワーに私は深い愛着と思い入れがあります。
東京タワーはエッフェル塔ほどは美人ではありませんが、それでも中の上程度には美しい建造物です。
鉄板の表面に規則正しく並ぶリベットの作り出す造形は今ではなかなか見ることが出来ません。
今、東京タワーは昨年の東日本大震災で曲がってしまった先端を修繕しています。
今年の年末までには修理を終える予定だそうですが、その間19mほど低くなってしまうようです。
元のまっすぐな姿に早くもどることを楽しみにしています。
http://sky-tree.me/
このサイトからの受け売りですが、東京23区内の賃貸住宅に住んでいる人を対象にしたアンケートでは
・東京タワーとスカイツリーのどちらが好きか?
東京タワー48% スカイツリー16.5%
・東京のシンボルとどっちですか?
東京タワー約80%
・もし自宅から見えるならどっち?
東京タワー49.3% スカイツリー23.8%
このように日本人の心には東京タワーが深く馴染んでいるのです。
ビルの隙間に見えるスカイツリーより、木々の間からのぞく東京タワーに心が休まります。
もちろん、自立式電波塔世界一の高さ誇るスカイツリーは近代建築の粋であり、
その技術は高く評価されるべきだと考えています。
それでも東京タワーへの思い入れは強くなるばかりです。
Japan Geographicの基本理念と同様、1000年後にも東京タワーが存在していることを願ってやみません。
昭和という時代が後世にどのように語り継がれるのか、東京タワーはその役割の大きな一端を担っていると思います。
大げさが話になってしまいましたが、東京タワーに格別な思いを持つ男のスカイツリーへの嫉妬でした。
■■■■■ ヤマツツジ 田中康平
栃木県に住み始めてもう40年くらい経つが、春から夏にかけての山の花の移ろいの見事さはなかなか見ごたえがある。
それまで過ごしてきた福岡や関西や勿論東京とも随分違っていて、最初に感じた目を見張るような驚きがいまだに続いている気がしている。
5月の時期は新緑からヤマツツジ、シロヤシオへと移っていく、圧倒的だ。
赤いヤマツツジは標高1000m付近に群生しているところが何箇所もあり、例えば那須の八幡は溢れんばかりのヤマツツジに訪れる人も多い名所だが そのほかでもいいところは随所にみられる。
日光東照宮の裏山の女峰黒岩に至る尾根もいいといわれ、ツツジと 飛び交う野鳥を期待して毎年この時期日光滝尾神社から稚児ヶ墓へ至るこのルートを登っている。
花は時期をぴったり合わせるのが難しく微妙に外すことが多かったが、今年はうまく満開に行き当たることができた。やっと報われた思いがする。
行者堂から登っていくとミヤコザサに浮かぶ静かな広い日本庭園のような景観に至る。ヤマツツジに赤く染まる中にズミの白やウワミズザクラの白い穂のような花も混じり見飽きない。
笹は瀬が伸びて歩きにくい時もあるのだが、今年は丁度適度に鹿が食べてくれて歩きやすい。
根こそぎということはなく、植生は守られている。これくらいならシカとの共生もうまく出来るように感じる。
シロヤシオも花開く尾根で持参したおにぎりを食べていると、近くをキビタキが美しい鳴き声を響かせながら飛び廻る。食事が少しばかり気になるのだろうか、それにしても贅沢だ。
女峰山にかかる雷雲を気にしながら午後の光線に浮かぶヤマツツジの中を戻る。
今年はこのままいい花が続いていくのだろうか、先のことはどうあれ今流れて過ぎ行く時間がいとおしくもある。もう夏も間近い。
■■■■■ 「言葉のあぶく」その3 野崎順次
10年くらい前から、おもしろかった話や、ふと思いついたことをメモしています。
・ 仕事で「スーパー銭湯」の話をよくしていた頃、テレビの経済番組で前後の脈絡と全く関係なく「スーパー銭湯」というので驚いたが、よく考えると「数パーセント」だった。
・ 小学校三年になった孫の男の子の裏ワザ。口をあけてべろを出し、口の中に何もないことを示す。続いて、鼻をすすりあげ、口を開くとべろの上に白い鼻水が筋状についている。無から有を生み出す神技?
・ ある国際派女性文化人の同性愛者についての発言より「セクシャルマイナリティであることを親にカミングアウトすることが困難で、私たちはウォッチ中です。」
・ 故佐藤慶のダジャレ、「カチューシャ、可愛いや、別れの辛さ。」をもじって、診察を受ける患者の役で、「お注射、怖いや、別れの辛さ。」
・ ペンションの名前が「不倫」と見えたので、ドキッとしてよく見たら、「木輪」だった。
・ 京急の駅に生麦事件で知られる生麦(なまむぎ)の駅がある。娘に聞いた話だが、その駅に近づいたころ、隣にいた若い女性が携帯で母親らしき人と話している。「どの辺りって、駅の名前は生姜(しょうが)と書いてある」
・ パンパン(大東亜戦争後の進駐軍相手の日本人娼婦)の語源。西部邁によれば、日本に進駐する前のフィリピンで娼婦がいた村の名前がパンパン(タガログ語)であった。
(西部邁・佐高信の学問のすすめ3 #39「聨合艦隊司令長官 山本五十六」)
但し、その他にも諸説あるようだが。
セラピスト(マッサージのおねえちゃん)との対話。気立てがよく技術も優れていた彼女は、現在、店を辞めて花嫁修業中。歴史・理科・時事問題が大の苦手。「短大出やからそんなん分からへん。」というのが可愛かった。
・ オレ 「子供の頃に神戸の街にはパンパンがおってな。」
娘A 「何ですか。それはパンダですか?」
・ 京都市伏見区の桃山御陵の真下の街で
オレ 「駅の名前にもなってる桃山御陵はどなたのお墓や知ってるか?」
娘A 「坂本龍馬(リュウマと発音していた)」
娘B 「徳川家康」
おれ 「ちゃう。明治天皇や。」
娘AB 「その名前、どこかで聞いたことがある。」
・ オレ 「このリュックサックは30リットル入るねん。水30リットルの重さは?」
娘A 「理科は苦手やったからねえ。うーーーん、25キロ。」
・ オレ 「オタマジャクシが大きくなると何になる?」
娘A 「ザリガニ?」
Japan Geographic Web Magazine
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編集 瀧山幸伸
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