Monthly Web Magazine Jan. 2014

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トピックス

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■■■■■ 瀧山幸伸

年末の調査旅行は九州でした。一部を紹介します。

■■■世界遺産への道 

■ 長崎の教会群とキリスト教関連遺産

2013年、 旧出津救助院の修復が完了しました。詳しくは出津の総合ページをご覧ください。

東京の切支丹坂もつながっています。

 

■ 九州・山口の近代化産業遺産群

三菱の歴史を学べる三菱重工長崎造船所史料館を訪問しました。

■■■スタンプラリーでまちおこし

■ 安心院のこて絵

安心院には70余りのこて絵があります。これらをほぼ全て拝見しましたが、場所探しがとても難しいのでオリエンテーリングのようで楽しめます。こて絵もさることながら、民家と田園の織りなす風景が美しいですよ。どこも良いのですが、例えば日本のマチュピチュ?と言われる西椎谷の風景には癒されます。住民の方々はとても親切です。

 

■ 院内の石橋

院内には70もの石橋があり、日本一の量です。今回は下見を兼ねて主に文化財に指定された橋を訪問しました。周囲の棚田に溶け込んで美しい文化的景観を形成しています。

■ 宮崎の照葉樹林と巨木

綾の照葉樹林は世界遺産クラスの貴重なものです。また、宮崎には清武ほか各地に巨木があります。巨木めぐりは楽しいですよ。

  

■■■ 邪馬台国は宮崎なのか?

古墳が多い宮崎県ですから古墳めぐりも楽しみです。西都原が邪馬台国との学説について、自分の地理学的視点では違うように思えます。現地の研究者との情報交換で確信を強くしました。


■■■■■ 私の年賀状 野崎順次 

私の最近20年の年賀状は写真が主体である。家内と相談して決めるが、意見が一致してすっと決まる年もあれば、悩む年もある。大手企業の役員になった友人は数百枚の年賀状を出すそうだが、私の場合はせいぜい100枚程度。十二月前半に決め、後半に自筆で住所書きをする。字がすこぶる稚拙であるが、心を込めて書く。そして、自宅住所のハンコを押す。そのハンコを忘れて出してしまったことがあるが、字を見てすぐ私だと分かったそうだ。

平成12年から今年までの年賀状である。全部ではない。宛先不明で帰ってきたものと隣宅の母に出して残っていたものである。平成14年と平成25年は喪中で出せなかった。


■■■■■ 年明けから 大野木康夫

前にも書きましたが、我が家のおせち料理は家内が幼馴染の友達と一緒に三世帯分(友人宅、家内の実家、我が家)を作ります。

雑煮は白みそ仕立て、丸餅で具は頭芋と祝い大根です。

今年もおいしくいただきました。

初詣は氏神である山科諸羽神社ですが、今年は3日に伏見稲荷大社にも行きました。

元日よりはだいぶましということですが、それでも大層な人出でした。

4日には新しいカメラに慣れようと本格的な積雪になる前の福井南部に行きました。

板取宿、今庄宿の後、大塩八幡宮拝殿、旧谷口家住宅と雪囲いが続いたので、予定していた大瀧神社などをあきらめて気比神宮から熊川宿の荻野家住宅に行きました。

天気は悪かったですが、まあまあの結果でした。

今年は日帰り遠征と近場を含めて、前もって立てたある程度細かい計画を立て、それを着実にこなしていくようにしたいと思います。

幸い、2月8日の正倉院の現場公開に当たりましたので、そこらあたりから本格的に動いていこうと思います。

 


■■■■■ 2013年を振り返って 川村由幸

右足の小さな骨の骨折で迎えた2014年、とても痛くて暗い新年の幕開けでした。

自分の不注意で起きたこと、ただただ回復を静かに待つのみです。

そのため、撮影にも出かけられず2014年最初のウェブマガジンは例年通り過ぎた年を振り返ってみたいと思います。

特に心に残っているものを掲げてみます。

2013年、富士山が世界遺産に指定されましたが、それが決定するまえの4月に富士山をぐるりと一周しました。

本栖湖から 西湖から 河口湖から

天候にも恵まれ、とても美しい富士山に出会えました。河口湖では桜が開花したばかりで富士山と桜、日本人が最も好むだろう場面に出会えました。

富士山は登山という形で近づくよりも、遠くからその姿を愛でたほうがずっと楽しいと感じますがいかがでしょうか。

2013年も桜を求めて福島にでかけました。花見山から滝桜まで1日で廻りました。

ここで、姿の良い桜に出会うことができました。二本松市の合戦場のしだれ桜です。

運よくちょうど満開で桜花に魅了されてきました。姿が良いだけにカメラマンも大勢で撮影に熱中していました。

滝桜は相変わらず神々しい姿をしていました。

ここには、2年続けて4回目の訪問です。三大桜の中では一番樹勢もありたくさんの花を付けています。

神代桜のように樹勢が衰えると来年を心配するようになりますが、滝桜はしばらくその心配はないようです。

春の桜は人の心をウキウキとさせてくれます。毎年出かける桜紀行、今年は山形に出かけようと計画しています。

そして、夏に滋賀県にでかけました。

ここの寺社仏閣に圧倒されてきました。京都・奈良に引けを取らない歴史と文化に憧れると同時に

滋賀県に対する私の認識が大きく変わり、関東人としては羨ましいと思うばかりです。

金剛輪寺 西明寺 長命寺

石山寺 三井寺

       

もちろん、延暦寺も日吉大社も訪問しましたが、日吉東照宮が公開日でなく訪問できなかったのが

今でも心残りです。滋賀県には車で出かけましたが、片道600kmのロングドライブはなかなかに辛く厳しいものでした。

昨年、嬉しかったのが東日本大震災で倒壊した佐原の正文堂が再建されたことです。

これで重伝建の佐原の街並みも東日本大震災の被害から立ち直ったと言えます。

ただ一つ残念なのは、再建後の正文堂には人が住まなくなったことです。

最後が秋に新潟・佐渡に出かけ、小千谷市で出会った木喰仏です。

どこにでもある小さなお堂の中は、微笑むやさしいお顔の仏様で満たされていました。

これらの仏様を拝観すれば、人は誰でも自然に跪き、手を合わせてしまうでしょう。

慈愛に満ちた微笑みに深く心が癒された思いで一杯になりました。

そして、佐渡でのワンショットも鋭く記憶に残っています。トキです。

ガラス越しの撮影でしたが、思いのほかうまく撮影できました。水中のエサをついばみ水滴がくちばしの先から滴ろうとしています。

トキがこれほどに鋭い表情をもつ鳥とは思っていませんでした。

2014年、骨折が完治するまでは撮影にでかけられませんが、今年はカメラを通してどんな感動に出会えるのでしょうか。

今年は少し行動範囲を拡大しようと考えています。可能な限り多くの時間をカメラを抱えて歩き回ることに費やします。

そして、来年の新年に昨年はこんなにもたくさんの感動に出会えたと報告できることを念じています。

 


■■■■■ 正月に思う 田中康平

寒くなってきた。ロシア・ハバロフクス地方のArharaでは今朝は-40℃の気温がレポートされている。

緯度49.4度経度130.1度で稚内の少し北位の緯度だから日本にかなり近い地点まで北極から寒気が降りてきていることになる。

寒い冬は冬らしくて好ましくもある。

元旦の初詣は近くの神社まで出かけた。

高宮八幡宮といって、住宅地の中の小高い小山の上にある。由緒は古く7世紀に遡る。

百済を助け朝鮮に攻め入るべく後の天智天皇が斉明天皇と共この近くの磐瀬行宮にまで進出していたが、その時に設けた神社と伝えられている。

日本書紀にある白村江の戦いの2年前の661年頃に創建ということになる。

福岡の地に戻ってきてみると辺りが日本書紀や古事記の話に満ちている、本当にそういうことがあったのかもしれないとも思える古い神社だ。

一部の道が混雑防止で通行止めになっていることもあって神社にたどりつくまで住宅地の中をぐるぐる周る。

駐車場へ向う細い道にガードマンが立っていて誘導されて進むがクルマが前に詰まっていて動かない、後ろからも続いて身動きできない。

数十メートルをじりじりと一時間以上も進んでやっと駐車場に着くと8台分しかない、これでは混むわけだ。

造りは新しいが博多の町を見渡すいい場所にあって古来より戦略的な役目を果たしてきたのかもしれないと思わせる。今は平和な氏神様だ。

3日の日には室見川のユリカモメなどを眺めた帰りにそばにある鷲尾愛宕神社にも詣でてみる。

ここも小高い小山の上にあって古来より砦として用いられた様だ、高宮八幡宮と同様山の上の駐車場までノロノロ運転となってうんざりする。

こちらの起源は景行天皇2年(AC72年)と伝えられるが実在が疑われる天皇の時代ゆえ非常に古い起源がある位に解釈すべきなのだろう。ここも同じように眺めが良い。

九州王朝説というのがある。古代、九州に大和朝廷とは別の王朝があってこれが倭として朝鮮や中国に使いを送っていたとする説だ。

ひょっとするとこの鷲尾愛宕神社も高宮八幡宮とともに九州王朝の盛衰を眺め続けてきたのかもしれない。そう思うと楽しくなる。

今年は九州王朝でも追いかけてみるか、新年から思うことはそれくらいのことしかない、すこぶるのんびりとした正月がいい。


■■■■■ 初詣クルーズ 中山辰夫

1月5日、浜大津港から琵琶湖汽船(株)の豪華船「びあんか」に乗船して、琵琶湖を周遊する行事に参加しました。

600人収容可能な全船室を使ってのゆったりとした船旅でした。

琵琶湖汽船が年初に行う出血サービス事業で、何十年ぶりかの快晴にも恵まれ、満足しきった6時間でした。

近江には実に多くの神仏たちがおられ、私たちを守っています。これら神仏の力の源を辿ると、山、川、言い換えれば自然の力・聖地に行き着くとされます。

そして、この自然の力がより集う処が琵琶湖です。琵琶湖から見える「力の源の聖地」を船上から仰ぎ、神仏パワーを戴きました。

山で生まれた一滴の水が筋〜渓〜滝〜川となって、田畑を潤し、里を豊かにしつつ琵琶湖に注いでいます。

どこからも水の神々の息吹が感じられる近江、自然な水の集合体である琵琶湖、そこには水のパワーがあふれていることを再確認した一日でした。

約70カ所とされる「聖地」の数々を大沼専門員から解説頂きました。軽妙な語りで解りやすく、陸上とは違った景観に見惚れながら歴史を身近に感じました。

進路に従い素晴らしい景観が次々と登場します。

取り分け雪を被った霊山・伊吹山が美しかった。

船内では種々の催しがありました。日吉大社裏の大行事社で汲んだ湧き水でお茶が点てられ、琵琶湖の葦で作ったよし笛コンサートも行われました。

十数本並べられた近江の地酒に人気が集まりました。その他、静かな雰囲気で種々の催しが行われました。

ハイライトは「湖水曼荼羅」

よし笛と絵語りで綴る神々の物語。湖上に浮かび、琵琶湖の水を生み出した神々の世界を、映像で語り、よし笛を奏でて、神々しい世界に触れる試みです。

神々しい夕日が差し込む中、航海が終わりました。写真は遠景ばかりですが、機会があれば聖地とされるスポットをまとめたいと思ってます。


■■■■■ 看板考 「お米 知事許可販売店」 ゆはらきみこ

看板があったのは神奈川県鎌倉市建長寺の左側にある駄菓子屋さんのようなお店です。

古い家屋でしたし、下校途中の高校生が群がっていてパンやアンマンやジュースやカップラーメンなどを、おもいおもいに食べていましたので近づいてみました。

ガタピシ来そうな入り口の引き戸を見上げたら、古い看板が三枚残されていました。

「米 知事許可販売店」と「非常災害時米穀配給指定店」の二つの看板。

その隣には赤銅色であまり読めませんが「県登録米……」と書いてあるようです。

おそらく県に登録済みの米販売店と書いてあったのでしょうね。

戦中戦後はお米が不足して配給制度(政府が買い上げて販売)になっていました。

その後に自主流通米や銘柄米などが出てきて米の配給制度は1981年(昭和56年)に廃止になりましたが、廃止になる以前のお米の販売は知事が許可する免許制でした……と話には聞いていましたが、これがそうだったのね、と見上げました。

私が夫と結婚したのは1972年(昭和47年)。大切なものを入れる袋(国民年金手帳とか厚生証書。郵便局の定期預金通帳や実印など)を夫から渡されて主婦になった実感を覚えていますが、その時に米穀通帳も渡されました。

青い表紙で見開きになっていて中には米屋さんが記入をしたような日付と印鑑が押してありました。

結婚して間もない頃も私が実際にそれを持ってお米屋さんに購入に行った記憶はありませんので、何のために夫から渡されたのか記憶は曖昧ですが、大切に持っているようにといわれたことだけは確かです。

……そういえば、米穀通帳にお世話にならなかった理由がもう一つありました。

実家は大衆食堂を営んでいましたのでお米が売るほど(笑)ありました。

実家に帰るたびに父がお米を持たせてくれました。

夫が車で行くと荷台のほうに父が一俵の米袋をドスン!と入れてくれるのです。

お米だけではなく海老も鯖も秋刀魚も海苔も。

キリンレモンや黄桜のお酒などケースごと持たせてくれました。

何かお返しをしようとしたら「自分の子どもに返してやればいいよ(援助してやるから自分たちも強固な土台を築いて子供たちを支えるような親になれ)」、というが父の口癖でした。

私は今、子どもたちに何かを買ってあげると、娘は悪いはね、と言いますので、「いいのよ、自分の子どもに何か買って順繰りに返していくものよ」、と父の受け売りをしています。

父ほどの太っ腹にはなれなかったようですが。

話が横道にそれました。すみません。


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Japan Geographic Web Magazine

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Editor Yuki Takiyama

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