JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine  Jan. 2023


■■■■■ Topics by Reporters


八代の石橋めぐり 瀧山幸伸

石橋といえば、重要文化財に指定された東京中央区の日本橋、千代田区の皇居二重橋、長崎市の眼鏡橋、熊本県山都町の通潤橋などのアーチ式石橋を思い浮かべる方が多いだろうか。

石橋のルーツを遡れば、アーチ橋ではなく木造と同様の橋脚を持った天草市の祇園橋にたどり着く。さらに古い橋もあったのだろうが、なにぶん橋脚方式は災害に弱いのでこれよりも古い建造で現存しているものはない。東京のアーチ石橋は、明治政府が熊本などから呼び寄せた石工集団の系譜であり、八代市の石工はその中の主要な集団である。全国の重要文化財指定の石橋は既に調査が終わっているので、2022年12月の九州旅行では八代市(旧東陽町)の石橋と石造物の二度目の調査を行った。(一度目は現地の棚田を中心に調査している。) 

今回は彼らの手による石橋を細かく調べた。現地には46の石橋のほか八代干拓地の樋門や棚田の石垣などが多く残っている。農地が少なかった八代の発展は彼らの功績によるところが非常に大きい。

当地の石工集団の中心となって活躍した人物は、岩永三五郎と橋本勘五郎だ。橋本勘五郎の生家と墓は石橋群の近くにある。子孫の方が現地に住まわれており偶然お会いしてお話を伺うことができた。

調査を終えて、彼らの偉大な功績に頭が下がる思いだった。

笠松橋

 


■重要美術品建造物について 大野木康夫

昨年から、国立国会図書館のアーカイブにある古い官報を毎月の官報目録から検索し、文化財関係の告示を収集し始めました。
私が主に撮影の対象としている建造物に関する告示をおおまかに分類すると次のようになります。

1 古社寺保存法(明治30(1897)年施行)に基づく特別保護建造物の指定告示
2 国宝保存法(昭和4(1929)年施行)に基づく国宝(建造物)の指定告示、構造形式等の変更告示
3 文化財保護法(昭和25(1950)年施行)に基づく重要文化財(建造物)及び国宝(建造物)の指定告示
4 重要美術品等ノ保存ニ関スル法律(昭和8(1933)年施行)に基づく重要美術品(建造物)の認定告示
5 滅失による解除告示

このうち、重要美術品については、国宝(旧国宝)級の美術品でまだ国宝になっていないものについて、海外流出を防止することを目的として制定された制度であると認識していたため、建造物が認定されているという認識がなかったのですが、認定対象を定めた重要美術品等ノ保存ニ関スル法律施行規則第一条を見ると、「建造物」が明記されており、建造物、主に移動が容易な石造物を認定することも考慮されて認定されていたようです。
重要美術品の認定は、施行規則を見ると、申請に基づき行うこともあったようですが、告示文からはどれが申請案件でどれが国(文部省)による指定案件かはわかりません。
実際の告示を見てみると、建造物を重要美術品として認定した告示は34件、認定された建造物は延べ340件になります。(重複している認定物件は除いています。)昭和25年(1950)年現在の認定件数は299件となっていますので、戦災等で滅失したもの(例えば東京府東京市澁谷區の團伊能邸の佛堂(持仏堂)など)があるようです。ひょっとしたら告示文に誤りがあるのかもしれませんが正誤を全部調べるのは不可能に近いのでやめておきます。また、官報目録(最後の月は毎日の見出し)を調べた限りでは昭和28(1953)年3月31日までの官報には重要美術品の認定取消しの告示はありませんでした。図書館に行けば「重要美術品等認定物件目録」(昭和46(1971)年、思文閣)等の参考資料がありますが、年末にコロナ陽性となり後遺症で咳が止まらない状況なので、またの機会にしておきます。
認定物件の内訳は、やはり石造物が大半を占め、石塔183件、石燈籠50件、石鳥居8件、その他石造物25件で266件と全体の78.2%を占めていますが、木造建築物(56件)や建築物の附属物(厨子等、15件)、銅鳥居・銅燈籠(3件)も認定されていました。木造建築物を解体して移出することも想定されていたということだと思います。
また、戦前・戦中と戦後の比率を見ると、全体では戦前・戦中に認定されたものが68.8%(234件/340件)ですが、木造建築物は78.6%が戦後になってから認定されているのが特徴的です。
文化財保護法施行により、「重要美術品等ノ保存ニ関スル法律」は廃止されますが、既存の認定物件については、「当分の間、なおその効力を有する」とされました。その後、重要美術品の大半は順次重要文化財に指定されることにより、その認定を解除されていきます。認定された340件のうち、現在までに重要文化財に指定されたもの(附指定及び解除後指定されたものを含む)は188件でした。
また、認定物件のうち、後に重要文化財に指定される優れたものの割合は全体で55.3%、戦前・戦中では59.0%、戦後は47.2%で、結果としては戦前・戦中に比べ、戦後の方が割合が低くなっています。(有意水準5%)



認定例

重要美術品から重要文化財となり、さらに国宝になったものは1件のみでした。

旧開智学校校舎(長野県松本市)
昭和24(1949)年 5月28日 重要美術品に認定(名称は「開智小学校本館」)
昭和36(1961)年 3月23日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「旧開智学校校舎」)
令和元(2019)年 9月30日 国宝に指定



重要美術品から重要文化財となったもの(類型別)

(石塔)

浮島十三重塔(京都府宇治市)
昭和 8(1933)年 7月25日 重要美術品に認定(名称は「浮嶋十三重石塔」)
昭和28(1953)年 3月31日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「浮島十三重塔」)



浄土寺納経塔(広島県尾道市)
昭和 8(1933)年 7月25日 重要美術品に認定(名称は「淨土寺石寶塔」)
昭和28(1953)年 8月29日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「浄土寺納経塔」)



(石燈籠)※重要美術品では建造物とされていますが、重要文化財では美術工芸品に分類されています。

石燈籠(京都府木津川市浄瑠璃寺)
昭和14(1939)年 2月22日 重要美術品に認定
昭和38(1963)年 2月14日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し



(石鳥居)

八幡神社鳥居(岡山市北区)
昭和24(1949)年 5月28日 重要美術品に認定(名称は「石造鳥居」)
昭和31(1956)年 6月28日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「八幡神社鳥居」)



(その他石造物)

岩船寺石室(京都府木津川市)
昭和 8(1933)年12月14日 重要美術品に認定(名称は「石室」)
昭和27(1952)年11月22日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「岩船寺石室」)



(木造建築物)

清水寺馬駐(京都市東山区)
昭和12(1937)年 5月27日 重要美術品に認定(名称は「馬繋所」)
昭和27(1952)年10月16日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「清水寺馬駐」)



宝山寺獅子閣(奈良県生駒市)
昭和23(1948)年 4月27日 重要美術品に認定(名称は「木造客殿(獅子閣)」)
昭和36(1961)年 3月23日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「宝山寺獅子閣」)



(建築物附属物)厨子、鬼瓦、木造小塔等

田村堂(長野県松本市)
昭和12(1937)年 4月 9日 重要美術品に認定(名称は「木造厨子(廢若澤寺𦾔藏)」)
昭和28(1953)年 8月29日 重要文化財に指定、重要美術品認定取消し(名称は「田村堂」)



ちなみに私が主に撮影している木造建築物で重要美術品から重要文化財になったものをあげると次のようになります。

馬繋所⇒清水寺馬駐(京都市東山区)
船屋形(神戸市中央区)※認定時は印南郡北浜村所在
長壽寺辨天堂(滋賀県湖南市)
木造棟門⇒春日神社神門(滋賀県野洲市)
金剛輪寺三重塔(滋賀県愛荘町)
金剛輪寺八脚門⇒二天門(滋賀県愛荘町)
安樂寺塔⇒安楽寺塔婆(奈良県御所市)
木造佛堂(本堂)⇒圓成寺本堂(奈良市)
木造社殿(宇賀神本殿)⇒圓成寺宇賀神本殿(奈良市)
木造堂(毘沙門堂)⇒園城寺毘沙門堂(滋賀県大津市)
木造佛堂⇒圓光寺本堂(滋賀県野洲市)
木造亭(月見亭)⇒高台寺観月台(京都市東山区)
木造四脚門(東門)⇒極楽院東門⇒元興寺極楽坊東門(奈良市)
木造客殿(獅子閣)⇒宝山寺獅子閣(奈良県生駒市)
木造住宅⇒片岡家住宅(奈良県宇陀市)
住宅⇒笹川家住宅(新潟市南区)
松尾寺本堂(藥師堂)⇒松尾寺本堂(長野県安曇野市)
庫蔵寺鎮守堂(三重県鳥羽市)
住宅⇒角屋(京都市下京区)
剛琳寺四脚門⇒葛井寺四脚門(大阪府藤井寺市)
龍泉寺八脚門⇒竜泉寺仁王門(大阪府富田林市)
書院⇒降井家書院(大阪府熊取町)
夜支布山口神社境内社立磐神社本殿(奈良市)
富貴寺本堂(奈良県川西町)
神魂神社末社貴布彌稲荷両神社本殿(島根県松江市)
神明社観音堂(秋田県潟上市)
住宅⇒渡辺家住宅(新潟県関川村)
若宮八幡神社本殿(長野県松本市)
開智小学校本館⇒旧開智学校校舎(長野県松本市)
住宅⇒小笠原家住宅(長野県飯田市)
開善寺山門並鐘⇒開善寺山門(長野県飯田市)※鐘は鐘楼の誤記で山門のみ指定
定勝寺山門、庫裡、本堂(長野県大桑村)
白髯神社本殿(長野市)
建御名方富命彦神社本殿、同末社若宮神社本殿⇒建御名方富命彦神社末社若宮神社本殿(長野県飯山市)※若宮神社本殿のみ指定
白山神社本殿(長野県飯山市)
宇太水分神社末社春日神社本殿、宗像神社本殿(奈良県宇陀市)

重要文化財に指定されていないもの

(石塔)

石造十三重塔(現在九重)(奈良市圓成寺)
昭和21(1946)年 8月28日認定
 


石造宝塔(奈良県桜井市浅古)
昭和23(1948)年 4月27日認定



(石燈籠)

石造燈籠(京都府木津川市和岐座天乃夫支賣神社)
昭和20(1945)年 8月 4日認定



(石鳥居)

石造鳥居(京都市上京区厳島神社)
昭和13(1938)年 6月22日認定



(その他石造物)

石造社殿(本殿)(奈良県宇陀市十二社神社)
昭和23(1948)年 4月27日認定



(木造建築物)

木造門(本坊表門)(奈良市興福寺)
昭和23(1948)年 4月27日認定



木造書院(奈良県田原本町旧竹村家)
昭和23(1948)年 4月27日認定



指定されていないものでも、浅古の石造宝塔のように保存状態が良好なものもありますが、田原本の竹村邸書院(離座敷)のように崩壊の危機に瀕しているものもあります。保存は図ってほしいところですが、所有者等の問題で難しいのかもしれません。
古い告示だけでは現存しているかどうか不明であることもありますが、今後も関心を持って調べていきたいと思います。


■同志社大学今出川キャンパスの近代建築群 野崎順次

僅か400m x 150mの範囲内に、5棟の重要文化財と3棟の登録文化財が建ち並んでいる。まさに我が国最高の大学近代建築群である。しかも設計者は全て外国人である。W.M. ヴォーリズが日本国籍を取得したのは1941年(昭和16年)であるから、当時は未だ米国人であった。

特に5棟の重要文化財はいずれも明治中期の煉瓦造で圧巻である。京都では大地震や空襲がなかったのが幸いした。ちなみに「煉瓦」という言葉はれっきとした日本語なので、あたかも外来語のように「レンガ」とカタカナ表記するのは間違いである。

また、一般人の見学や撮影に対して非常に開放的で有り難い。ウェブサイトにこうある、
「同志社大学は夏季休暇中や年末年始など、正門と西門が閉まっている場合を除き、自由にご見学いただけます。(団体での自由散策の取扱いについては団体による自由散策についてをご確認ください。)
学生ガイドは付きませんが、お好きな時間にご自分のペースで学内を見ていただけます。
重要文化財を外観からお楽しみください。」

国重文 有終館 明治20(1887)
煉瓦造、建築面積352.3㎡、二階建、地下一階、桟瓦葺(内装を除く)1887(明治20)年、
設計: D.C.グリーン(Daniel Crosby Greene 米)
   


国重文 クラーク記念館 明治27(1894)
煉瓦造、建築面積389.4㎡、桟瓦葺、西南隅塔屋付、銅板葺 建築仕様書等1冊、建築設計図1巻 19790521
設計: リヒャルト・ゼール(Richard Seel 独)
   


国重文 ハリス理化学館 明治23(1890)
煉瓦造、建築面積587.0㎡、東北隅実験室付、桟瓦葺(階段以外の内装を除く)
設計: A.N.ハンセル(Alexander Nelson Hansell 英)
内部では階段だけが重文指定である。
   


国重文 礼拝堂 明治19(1886)
煉瓦造、建築面積316.0㎡、一階建、一部中二階及び地下室付、鉄板葺
設計: D.C.グリーン(Daniel Crosby Greene 米)
   


国重文 彰栄館 明治17(1884)
煉瓦造、建築面積276.2㎡、二階建、桟瓦葺、東面塔屋、南面玄関ポーチ付、鉄板葺 時計機械1台
設計: D.C.グリーン(Daniel Crosby Greene 米)
   


国登文 同志社啓明館本館 大正9年(1920)
煉瓦及び鉄筋コンクリート造5階建、スレート葺、建築面積406㎡ 1棟
設計: W.M. ヴォーリズ (William Merrell Vories 米)
  


国登文 同志社啓明館西館 大正4年(1915)
煉瓦及び鉄筋コンクリート造4階建、スレート葺、建築面積153㎡、渡廊下付 1棟
設計: W.M. ヴォーリズ (William Merrell Vories 米)
  


国登文 同志社アーモスト館 昭和前/1932
鉄筋コンクリート造地上3階地下1階建、スレート葺、建築面積343㎡ 1棟
設計: W.M. ヴォーリズ (William Merrell Vories 米)
   

参考資料
文化遺産オンライン
同志社大学今出川キャンパスパンフレット


蟇股あちこち 33  中山辰夫

今月は京都・西本願寺です。浄土真宗本願寺派の総本山。国宝建築、美術工芸など文化財の宝庫とされます。
桃山様式の残る豪華な建築に加え、多く配されています蟇股も見ものです。

  


■ 今年は癸卯の年??? 酒井英樹

 新年あけましておめでとうございます。
昨年11月から二か月間WEB-MAGAZINEをサボっておりましたが、今年から新規一転して続けますのでよろしくお願いします。

 さて今年の干支は、「癸卯(みおずのとう)」。
 というわけで、今年初めての題材は卯について、重要文化財建造物にある兎の彫刻を・・・可能な限り、列挙してみた。
 初めてWEB-MAGAZINEに投稿したのが12年前で「辛卯(かのとう)」・・ちょうど十二支がひと廻りした。
 話題はやはり卯だったのでいくつかの兎は被るので、なるべく新しい写真を用いるようにするがかなわない・・同じ場合はごめんなさい・・・。


 瑞巖寺五大堂【宮城県宮城郡松島町】


 飯野八幡宮楼門【福島県いわき市】


 東照宮【栃木県日光市】
  本地堂

  経蔵

上社務所

 五重塔


 大前神社本殿【栃木県真岡市】
 

 妙義神社本殿、幣殿、拝殿【群馬県富岡市】

 
 
 寛永寺五重塔【東京都台東区】


 上野東照宮【東京都台東区】
   

 本門寺五重塔【東京都太田区】


 英勝寺仏殿【神奈川県鎌倉市】


 北口本宮富士浅間神社神楽殿【山梨県富士吉田市】


 南宮神社高舞殿【岐阜県不破郡垂井町】


 神部神社浅間神社【静岡県静岡市葵区】
本殿

  楼門

  少彦名神社本殿


 久能山東照宮玉垣【静岡市駿河区】
 

 金剛證寺本堂【三重県伊勢市】


 日吉大社末社東照宮本殿・石の間・拝殿【滋賀県大津市】


 北野天満宮本殿、石の間、拝殿及び楽の間【京都府京都市上京区】


 勝鬘院多宝塔【大阪市天王寺区】


 天満神社【和歌山市】
  本殿

  末社多賀神社本殿


 総社本殿【岡山県総社市】


 備中国分寺五重塔【岡山県総社市】


 箸蔵寺【徳島県三好市】
本殿

  護摩殿


 白峯寺薬師堂【香川県坂出市】


伊佐爾波神社廻廊【愛媛県松山市】


 如法寺仏殿【愛媛県大洲市】


 柞原八幡宮西門【大分市】


 高千穂神社本殿【宮崎県西臼杵郡高千穂町】


 鹿児島神宮勅使殿【鹿児島県霧島市】


「癸卯」は別読で、「きぼう」とされる。今年こそは希望に満ちた年でありますように・・。
 少なくとも、12年前「辛卯(しんぼう)」の年よりは良い年になりますように・・

 


■ 2022年を顧みて 川村由幸

コロナと車更新の長納期で2022年は顧みる中身に乏しい一年となってしまいました。
私以外の通信員の方々が精力的な取材を続けられているのを拝見し、いささか恥ずかしく思っております。
昨年、初めて撮影に出たのが3月、房総のむらは桜の時期になっていました。

   

桜と日本の伝統的な建造物はとても良く似合います。日本人が桜好きなのは遺伝子に刷り込まれている物のような気がします。
もちろん私も大の桜好き、桜のある風景にはとても惹かれるものがあります。そのためか、次の取材も桜、福島の桜でした。

  

今回の福島観桜行では初めて訪ねた桜や偶然に通りかかって発見した桜もあり、天候にも恵まれ楽しい一日でした。
しかし、福島は未だに東日本大震災のダメージから完全には立ち直っておらず、福島第二原発の汚染水の処理で今も揺れています。
福島も含めた東北の東日本大震災後は記録に残しておくべきと考えていて、出かけていきたいと思いつつ実現できていません。

  

花が続いて、桜のあとは牡丹です。つくば市のつくば牡丹園です。
ここで記憶しているのは、入場料が高いわりに中身が貧弱と感じたことです。コストパフォーマンスが悪く二度と訪問することはないでしょう。
もちろん、花に責任はありませんが。この後が前の車で出かけた最後の撮影場所、大田原市です。

   

吉永小百合さんのJRのCMで雲岩寺にはずっと行ってみたいと思っていました。山門はCMの通り、素晴らしい風情なのですが、境内は僧の修行道場で飾り気等全くなく、ちょっぴり期待はずれでした。でも回廊に囲まれた大雄寺が思いのほか素晴らしく以前に訪問したことのある那須神社も合わせ、満足のゆく撮影行でした。
そして、姫路から京都へ。
  

仕事のついでですから、威張れたものではありませんが久しぶりの遠方取材です。
姫路城は二度目、前回は修繕工事中で特別に設営された櫓から天守の屋根を間近に見た記憶があります。
仕事が終わって京都に立ち寄ったのですが、大きな荷物を持った移動にとても難渋しました。撮影意欲を奪われるほどに厳しく感じました。もちろん年齢も大いに関係しているとは思いますが。機材もコンデジのみでしたのに情けないことでした。
この後、房総のむらと野田市の愛宕神社を撮影していますがJGへの投稿が年明けとなってしまい、2022年としてカウント不可。
こんな内容の乏しい2022年、コロナとの共存で進むことも明確となり、行動制限はなにもありません。
新しい車にも慣れてきました。2023年はいくらか内容の豊かな一年にしたいと祈念しております。
それでは皆様、本年も宜しくお願い致します。

 


■「たわけんとらぁめが」 柚原君子


私のふるさとは愛知県江南市宮後村。名字は『掛布(かけの)』

愛知県江南市宮後村の外れに城跡がある。雑草をかき分けて初めて見えるわずかな石積み。小さな城跡。小牧長久手の戦いの折には砦として使われて、蜂須賀小六正勝・家政親子が世に出る前の少しの間、住んだ城……と、村人たちの言い伝え。

戦国時代に農民たちは雑兵としてかりだされたそうな。
父の父の父の、その父の父の、そのはるか前の父の時代
戦が始まる。ほら貝が響きわたる。農民たちの目が赤目獣目になって、いっせいに遠くを見る。

農民たちは藪から竹を切りだして急いで槍をつくる。
さらに小枝を切って我らの印の旗をつくる。

旗印にする布がなければ、かかぁの腰巻をひっぱがしてでも、棒の先にかけて我らの標(しるし)としたものさ!
かかぁの腰巻でもなんでも、布であればよかった。布を掛けて走った。だから俺たちの村の姓は『掛布』という。

父の、真面目とも不真面目ともつかぬ苗字にまつわる冬の夜の物語。
子どもだった私たちは、父のふところの温さに目がとろけて眠りに着く。

              ★

戦艦大和に乗った日には、とある夜にまた父の話は続く。
さすがの戦艦大和も通路は狭い。海軍の水兵さんたちは陸軍の兵隊さんのような敬礼はしない。
こうやってな、鼻の前に手を置いて、ぽこっ!と鼻にかぶせるのだよ。
普通の敬礼などしたらひじが張るからな。なにしろ戦艦大和の通路は狭い。

鼻にかぶせる敬礼を想像しただけで、子どもたちは大声で笑った。
その笑い声に父はさらに話をかぶせる。
それでなあお前たち!もっとおもしろいことがある、と父の話は続くのだ。

戦艦大和の便所は、船の底に大きなクソ瓶がはめ込んである。話の面白さの予告。父の鼻腔がふくらむ。

それでな、海が荒れるとどうなると思う?船の底にある巨大なクソ瓶が、たっぷんたっぷんとゆれにゆれて、ウンコのかたまりが頭の上から降ってくる!子どもだった私たちは、父のふところで息もつけぬくらい笑いころげた。

              ★

子ども時代を終えた私たちは結婚をして実家から独立。
少しの年月を置いて、孫たちを連れて実家に遊びに行くことになる。
父からおじいちゃんになった彼は、そこでも、孫たちを集めて熱演をするのだった。

孫たちが居並ぶ前で父は歯を磨いて見せる。
正しい歯の磨き方。父の歯ブラシは白く泡立ちながら歯を順番に磨いていく。上の歯、下の歯、前歯、奥歯……孫たちは真剣に見つめている。

父の鼻腔が膨らむ。歯ブラシは父の口を飛び出して、小さな輪を描きながら、あごに降りたかとおもうと、頬を駆け上がり、さらに額に移動していく。
父の顔は真っ白になっていく。

大きな孫たちはサンタクロースのようだと笑い、中くらいの孫たちは目が点になり、小さな孫たちは火がついたように泣き出す。
大人になった私たち子どもに、結局は父は叱られるのだった。

              ★

苗字を調べる本がある。田中さんや佐藤さんというありふれた名前で始まるその本の、だいぶ後ろ、9400番代に<掛布>の姓は出てくる。
出自は不明とある。愛知県江南市に多い姓とのことで、これは父の出生地と一致する。

父のふところで聞いた<旗印にできるものなら、かかぁの腰巻でも……>の話を、この出版社にお伝えして、出自不明はともかく苗字の由来などせめて、と思わないでもないが、人様が喜んでくれるのなら、多少の尾ひれをつけることなど悪びれなかった父の言動を思うと、書面にしたためて提言する勇気はない。

戦艦大和の話も実は嘘である。
父は17歳で少年兵の志願をして海軍の通信兵になったが、乗船したのは戦艦大和ではなく<武蔵>であった。もちろん、空からウンコが降ってくるのは、小さかった私たちを寝かしつけるための面白話である。

話すだけ話して大うけすると父はよく言ったものだった。

「たわけんとらぁめ」と。

たわけ、は名古屋弁で、『お馬鹿』の意味。とらぁ、は『人々』という意味。
「たわけんとらぁめ」の全体の意味としては『そんな話を真に受けて、お馬鹿な人々め』となる。

伊勢湾台風の年に農業を捨てて一家で東京に引っ越してきたから、東京在住はかれこれ65年なる。ふるさとには11歳まで住んだことになるが、城跡や小川や風の匂いは今でも鮮やかに思い出すことができる。人を笑わせようとする父の笑顔も鮮やかに思い出させる。

父は2月に逝った。祥月命日が近づいてくると、父のことを思い出す日が多い。


■坦々と時は過ぎて年が明ける  田中康平

年末年始は毎年訪れる、非日常の時が次々に順序正しく流れていく、この頃はそれが面白い。今年はコロナの様な全くの非日常がやっと日常に組み伏せられて、それらしい年末年始が過ぎて行った。
12月は年賀状作成送付から始まる。毎年その年に撮った夫婦の旅行写真の一枚を取り出して手を入れて作っている。年賀状というとこの頃は、まだ生きてるちゃんと生きてる、というのが最大の伝えるべきことのようで写真が最も適切な情報となると思っている。これを出し終えると翌年の卓上カレンダー作りにかかる。風景編と野鳥編の二組を今年のその月に撮った写真から構成しているが1年分の時間をきっちり思い出していい。コロナ以来出不精になっていて写真の選定には苦労する、今年はいずれも市内の写真が8割以上を占めたが生活密着型となって人に贈るにはちょうどいいかもしれない。子供達や知人などに贈っている。
これが済むと後はできる範囲の掃除や庭の手入れなどをやるだけだが、他にはこのところコンサートホールで年末の第九を聴くのが恒例になっている。同じ曲なのだが毎年そうだったのかと思うところがあって飽きない。今年は第一楽章のティンパニーの延々と続く連打にこんなだったのかと新たな感慨を得た。
大晦日は沈みゆく今年最後の夕日を見、明けた元旦はこれが初日の出となって出てくるのを見る、これもなかなかいい、新年を実感できる。
2023年はどういうことが起こっていくだろうか。

写真は 1.2023年卓上カレンダー写真1-6月、2.同7-12月、3.アクロス福岡での第九演奏会、4.2022年最後の入り日、5.2023年初日の出(いずれも近所から撮影)

    


上田忠司


■おばちゃんカメラマンが行く ウサギの調(つき)神社@さいたま市   事務局

グーグルマップによると、昨年一年間で自分の移動距離は地球一周分の78% 30949kmになるらしい。なんとも落ち着かない高齢者生活を送っている。今年は卯年、ゆっくりのんびりとはいかないようで、益々飛び回ってしまうのか不安だ。
兎に関連した訪問で思い当たるのは、生兎の大久野島、佐渡の長谷寺、兎像の三室戸寺ほか多数ある。
香川の74番札所甲山寺などはかわいい16匹のウサギ像が屋根瓦などあちこちにあるのだが、参拝客が例年の5倍となり、大騒ぎになっていた。
我が家に一番近い兎神社を調べてみるとさいたま市にあるらしい。調神社だ。
兎が神様の遣いであるところから名前がついたらしい。狛犬ならぬ狛兎が参道入口で迎えてくれる。
 
正面できちんとお参りするのは長蛇の例で一時間ほどかかるとのこと。想定内だが狛兎で上がったテンションがどっと下がってしまった。
歴史的にも古いらしく旧本殿は県の有形文化財になっている。
  
兎といえば因幡の白兎、跳躍力ゆえに飛躍の年と言われるが、争いを好まない穏やかな性格もある。そんな年にもなるように初詣パワーを有効に使ってみたいものだ。
兎神社は全国各地 特に西日本に多く存在するようで、今年はそんな神社の参拝も楽しいかもしれない。

 

今月のにゃんこ

御誕生寺の通称「地蔵さん」


 

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