Monthly Web Magazine Feb.2025
■ 冬の熊野 瀧山幸伸
熊野の神聖な雰囲気を味わうには、オフシーズンに訪問するのがいい。正月を過ぎれば人出が極端に少なくなり、喧噪、いわゆる騒音やカラフルな服装による環境攪乱が最小限だ。冬には毒蛇も害虫もいないし、鳥は活発に活動を始めているので美しい声も届き、撮影にも録音にも最高の時期だ。
しかしとにかく寒い。標高千メートル近くの大峯奥駈道に位置する玉置神社への道は凍結しているし、巨大杉の社叢を吹きすさぶ風は肌に突き刺さる。
でも宿泊地では温泉と冬の味覚が豊かで、昔の熊野の雰囲気を五感で味わえ、まさしく再生の聖地と言える。玉置神社以外のおすすめは、神倉神社、熊野那智大社、青岸渡寺、那智の滝は当然として、熊野本宮大社、熊野速玉大社、鬼ケ城などで、熊野古道とともにそれらをつぶさに味わうのがおすすめだ。まさに「聖なるものは細部に宿る」。
■ 犬は喜び… 大野木康夫
京都市内では2月8日未明から乾雪が降り、夜明けには一定の積雪があったので、急遽雪景色の撮影をしたいと思って出かけました。
予定ではJRで花園まで行って妙心寺、仁和寺、バスで鹿苑寺から慈照寺、雪が残っていれば清水寺に行くことにしていましたが、京都駅に着くと嵯峨野線が2箇所で信号点検をしており、運転再開のめどがつかないということだったので、七条堀川の西本願寺に行きました。
堀川通のような大通りでも路面に雪が積もり、行き交う車は徐行気味でした。
雪が断続的に激しく降るなど、撮影環境もいいとは言えない状況でしたが、撮影できる文化財建造物は何とか撮影できたと思います。
総門、伝道院、御影堂門、阿弥陀堂門、太鼓楼
阿弥陀堂、御影堂、経蔵、手水所
鐘楼、飛雲閣、唐門、書院群
雪が止むと青空が見えてさわやかな感じになるのですが、雪が降ると、特に距離を隔てた建造物は大量の雪の向こうに霞んで見えます。
隣の龍谷大学大宮学舎にも行きました。守衛さんに声をかければ建造物の外観は撮影させていただけます。
正門、旧守衛所、本館、南黌、北黌
次は鹿苑寺に行きました。西大路通のバスは阪急や地下鉄からの乗客でいっぱいになるので、北大路堀川経由で行くとあまり混んでいませんでした。
拝観入口には長蛇の列ができており、中華系の観光客の方もしっかり並ばれていました。
鏡容池の南側には池越しに金閣を撮影しようとする人が壁状にかたまっており、撮影が終わった人がそこを抜けるのも大変そうでした。
場所を変えて何回も並びなおして撮影しました。
池の東側や金閣の直近からは楽に撮影できました。安民澤の東側から金閣の東北を見た景色は印象深かったです。
次は慈照寺に行きました。金閣寺道から市バス204番1本で銀閣寺道に行くことができます。
鹿苑寺に比べて訪れる人は少なかったです。
この時間になると、かなり温度が上がって雪が溶けてきましたが、時折降雪もあり、なんとか屋根の雪は解けずに残っていました。特に、展望台から見下ろしたときは降雪もあり、風情のある雪景色を見ることができました。
銀閣
東求堂
展望台から
この時点で、かなり雪が溶けてきたこともあり、清水寺には行きませんでした。1日で観光ダイジェストということになると、嵯峨嵐山、金銀、清水ということを言われますが、貸し切りタクシーで効率よく回るくらいしないと回り切れないように思います。
■ 嵯峨嵐山の雪景色 野崎順次
今年の2月8日、京都市中心部では早朝から雪が降り、8時には5cmを観測した。京都市で5cm以上の積雪になるのは2023年1月以来、約2年ぶりだそうだ。
そこで翌日の2月9日に、嵯峨嵐山の雪景色を見に出かけた。これまで、雪景色というと、東山区や大原に行くことが多かったが、久しぶりに松尾大社に行きたくなったのである。その本殿の裏山の木を伐採したところ、いわれのある岩壁が現れたというのである。その観察も兼ねて、松尾大社、渡月橋、天龍寺の順に撮影した。
阪急京都線で十三駅から桂駅までは、積雪はほとんどなかった。嵐山線に乗り換えて、上桂駅を過ぎる頃、車窓から見える住宅の屋根や地道は雪に覆われだした。
松尾大社には9時半に着いた。参道は除雪が進んでいたが、本殿周りはかなり積もっていた。大社の係の人の話では、嵐山は雪の少ない地区で、こんなに降ったのは近年になかったとのことである。
重森三玲さんの庭園は半ば雪の覆われていた。
午前11時頃の松尾大社駅の状況。
午前11時30分、渡月橋を渡る。天気予報サイトの午前7時ライブ動画では、真っ白だった河畔の雪が融け始めている。
湯豆腐西山艸堂を通り抜ける。日陰の雪はよく残っている。
天龍寺庫裏から大方丈、気温が数度に上がってきて、屋根の雪が融けて落ち始めた。
曹源池庭園
多宝殿あたり、雪はほとんど残っている。可愛いイタリア3人娘と出会った。
帰途、天龍寺総門から桂川河畔
今月は石川県の尾崎神社(金沢東照宮)、心蓮社および総持寺祖院です。
「金沢東照宮」は、1643年(寛永20)に金沢城内北の丸に創建され、金沢城の現存遺構としては最古の建造物です。明治7年に尾崎神社と名称を変更、明治11年に現在地に移築されました。
「心蓮社」境内周辺は「卯辰山山麓寺院群」として国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されており、江戸時代の寺町の雰囲気が色濃い町並みが残されています。
「総持寺祖院」は、およそ700年前に創建された「大本山総持寺」の別院で、「大本山総持寺」が明治時代に起きた火事により横浜市に移転したため、その跡地に建てられました。
2007年の地震で被災し、復旧工事が進められて元の姿に戻りましたが、昨年元日の地震で回廊が壊れるなど、再度大きな被害を受けました。が、建造物16棟が、国の重要文化財に指定されました。
■平尾天満宮 田中康平
菅原道真が大宰府に左遷されたのがこの地に余程印象を与えたのか、道真の足跡と称する遺跡は九州にはいまだにあちこちに残っている。
例えば五木村に残る最も有力な家系の左座氏(ぞうざし)は菅原道真の一族のものが落ち延びたその末裔と伝えられている。道真は死後一応名誉回復されて京都に北野天神がつくられたほどで一族が落ち延び続ける必要があったとはどうにも合点がいかない気がする。全国の落人伝説は柳田国男によれば国中に展開していた木地師集団が話を作って回ったとみるべきものが相当数あるということのようでこれもそうかもしれないと思ってしまう。
福岡市では容見(すがたみ)天神と称する天神があって、これは菅原道真が最初に上陸した地点で水に映る自分の姿を見て嘆いたといわれるその場所に作られたとされる。福岡には何故か2個所の容見天神が伝わっているようで、一つは現在の西鉄薬院駅の近くにあったものが福岡城築城の際黒田長政によって、城の東の鬼門封じとして移動させられた、現在の水鏡天満宮で、もう一つは平尾天満宮ともよばれ、少し南側に位置していたが、40年くらい前に区画整理か再開発かそんな都合で平尾八幡宮の中に移設された。鎌倉期の古地図とされる博多古図を見ると住吉神社に対するように警固村の南にある平尾村の川べりに容見天神と記されており、どうも位置関係からは現在の平尾天満宮のほうがそれらしいが、真実はいまや漠として判然としない。
ともかく気にはなっていたので初詣を兼ねるつもりで平尾天満宮に出かけてみた。平尾八幡の社の左にひっそり鎮座している、道真が座ったとされる石の複製がわざわざそう記して置いてあったりする。随分だ。水鏡天満宮に比べると祠くらいの重みしかない。何が本当なのかさっぱりわからないが歴史的遺物の真実性は結局はこんなものかもしれないと思ってしまう。
添付は、順に 01:現在の福岡市でみた容見天神 02:博多古図に見える容見天神 03-06:平尾天満宮、07:平尾八幡宮
■染谷家住宅 川村由幸
文化財に乏しい柏市に、登録文化財ではありますが、昨年10月に新規に公開された文化財があります。
「染谷家住宅」です。地理敵には過去に柏市と合併された沼南町にあった名主の住宅を保存修繕し一般公開したものです。建造物は江戸時代後期から大正時代に建築されたものです。
国登録文化財は母屋・長屋門・前蔵・文庫蔵・稲荷社・風呂場・肥料蔵・井戸館の8棟、庭は国登録記念物(名勝)となっています。
現在、公開日は日曜日のみで新年の最初の公開日に訪れてみました。
手賀沼のほとりのこの地区は農業の盛んな地域でそれをとりまとめていた名主の住宅らしく、長屋門までのアプローチもゆったりとしていて、それなりの威厳を感じます。母屋は土間・座敷と古民家の良さを感じるもので、寒さ対策さえできれば、今でも充分住むことが可能のように思えました。
古民家は皆そうであるように天井の梁の見事さはここも同じです。調度もそれなりに凝った作りをしています。
ともかく、住まいの近隣にこうして文化財が増えていくことは、嬉しい限りです。庭も名勝になっていますから、季節を変えて訪ねれば又、違った趣を感じられると思います。新しい楽しみが一つ増えたことを喜んでいます。
■「貴様」 柚原君子
昭和19年に大流行した『同期の桜』(帖佐 裕 編詩)の中に、♪貴様と俺とは同期の桜♪という歌詞がある。歌中の『貴様』とは、当時、一般的に男性が使っていた言葉で、同輩または後輩の親しい者を呼ぶ時に用いられる敬称であった。
言葉は年々変化していく生き物で、時には全く正反対の意味になってしまうことも珍しくはない。『貴様』もその中の一つで、現在は『貴様』と言われて相手から尊敬されたのだと思う人はまずいない。まして自分の目線より高いところから指をさされながらその言葉を使われたあかつきには、受けて立つほうも、額に青筋を立てて“侮辱された”と怒らなければならない。
そんな場面に遭遇したことがあった。
★
工務店の店主は、ソファーから立ちあがって人差し指で相手をさして言った。
「貴様!俺の言ったことが正しくないというんだな。どっちが悪いのか出るところに出ようか!」
天井から雷が落ちてきたような大声だった。指をさされた不動産屋は、同じようにソファーから立ちあがったものの
「私は今までに人様から貴様呼ばわりされたことは無い!人を侮辱するのですか!」と言い返した言葉が震えていた。
工務店店主と不動産屋のけんかに、同席していた夫と私は驚いて、ソファーの端っこに逃れて固まった。立ち上がった双方はしばらくの間にらみ合っていたが、不動産屋がドアを蹴って出て行くと静けさが戻った。工務店店主は私たちのほうに向き直り、先ほどの大声とは打って変わった声で、
「驚かしておきましたから、不具合な部分は値引きさせたらいいでしょう。事実不記載で不良物件です。不良物件ならそれなりの値段で買うべきです。正しくないことを、世の中にまかり通させてはいけません」と言った。
★
不動産売買契約の中に重要事項説明書というものがある。物件の内容を業者が顧客に説明するもので、それが正しく行われないと業者は宅建業務法違反で免許取り消しともなる。
私たちが買おうとした一戸建ては重要事項説明書には「上下水道完備」と記されていたが、実は水道管は本管から直接に引いたものではなく、隣家に引かれた管から分配したものであった。水道管はその家が接している道路から一戸一戸に直接取り込んであるのが普通で、そうであって初めて「上下水道完備」と明記できる、と工務店店主は私たちに説明をした。
購入後に、分配をさせてもらっている隣家と気まずくなった時には、水道が供給されない恐れがあるし、本管からの引き込みには別途100万円くらい入用になるから、それを承知の上で購入したほうがいいという助言もあった。
私たちは、不動産屋に少し安くしてもらってその家を買い、工務店に改築を頼んだ。
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この中古物件は、家の継ぎ目から朝日が入るようになってしまったのでその後に建て替えをした。当時、水道を本管から引くと道路交通整理要員をつけて、予算は150万円ほどかかると言われた。新築予算だけで手一杯だったので、水道管は隣家の好意に甘えて分配のままにしたが、もし近所で水道工事があれば、ついでに頼むといくらかでも安くなるから、その時に接続したらいいでしょうと工務店さんから再びアドバイスを貰った。
好機が巡ってきた。大江戸線の開通準備で近所の道路は連日掘ったり埋めたりが繰り返されていた。ある日、水道工事という看板をぶら下げたブルトーザーがやってきて道路のコンクリートをめくり始めた。地下鉄工事に伴う、水道本管そのものの入れ替え工事だという。家の前まで工事が進んできた時に本管からの接続をどこに申し込んだらいいですかと尋ねたら、現場の人が「今やってしまいますよ」と片目をつむって承諾をしてくれた。道路から我が家の前に一直線に穴が掘られた。何時間もかからない工事で、しかも無料であった。
★
都営大江戸線が開通したあとに、東京メトロ半蔵門線もやってきた。人通りが多くなったせいか、いろいろな年代の言葉遣いを以前より多く耳にするようになった。自分に自信が無いのか疑問形で会話をつないでいったり、周囲との協調性を必要以上に推し量り「……っていうじゃないですか」などなど、耳障りな会話も多く耳にする。
言葉は、使う側の責任で、すなわち今を生きる人々の生き方の反映であるから、正しい言葉の継承をと思っても、時代にかぶさって流れるものであるならば、その変化は阻止できようもない。
時代は流れる。工務店店主は病気で亡くなった。正しくないことを世の中にまかり通してはいけません、と大声を出して言ってくれた声が懐かしい。
■ 酒井英樹
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