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広島県尾道市 尾道市街

Downtown, Onomichi city,Hiroshima

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Apr.3,2019 瀧山幸伸 

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中村健吉旧居付近

                                   

天寧寺塔婆へ

                         

猫の細道

                                                                                    

                       

 


June 22,23, 2014 中山辰夫

尾道商店街近辺散策

■■概況

尾道は、「坂の町」・「寺の町」・「文学の町」・「映画の町」としてあまりに有名である。瀬戸内海に面した細長い平坦部を除いては丘陵地で占められているため、坂道と石段が多い。

海岸線の中央に風光明媚な尾道港があり、南に尾道水道を挟んで、かつて歌島と呼ばれた天然の良港向島がある。

町の北側には浄光寺山・西国寺山・千光寺山が迫り、その狭い谷筋—山手地区とそれに続く海岸部に町が営まれている。

山手地区は、1890(明治23)年山陽鉄道が敷設されるまでは、山林の中に社寺が点在するような場所であった。鉄道により社寺と浜とを結ぶ参道が寸断されたが、逆に豪商の別宅地として開発され市街化された。

尾道の文化・文明は、町の経済力と人々の信仰心、そして豪商たちの支えで現在に引継がれてきた。

市内地図と現況

山手地区の坂の上から見下ろすと、重なり合う甍の家並を越えて、眼下に尾道水道が、その向こうに向島の造船工場のクレーン群が眺められる。

左手には尾道大橋、新尾道大橋が見える。

■■尾道の歴史

1169(嘉応元)年に後白河院領大田庄(現在の世羅町付近)の倉敷地に公認されて以来、尾道は足利氏・山名氏等の将軍家、有力大名の庇護を受け、瀬戸内海有数の港町として繁栄してきた。対明貿易の拠点ともなった。

鎌倉〜室町時代には、港を囲む尾道三山の麓に数多くの寺院が建立され、現在の「寺の町」としての尾道が形成されていった。

江戸時代には、高須新涯の埋立により、西国街道が海岸沿いを通るようになり、また、西航路の開発により、北前船の寄港地となったことにより、港町尾道は瀬戸内海の流通経済の中心として飛躍的な発展を遂げ、回船問屋が建ち並ぶ商業地として繁栄した。

そこに尾道商人が生まれ、江戸時代の尾道に多大な影響と貢献を果たした豪商が誕生し、彼らの豊かさが、文化の高揚につながり、今日に至った。

■■尾道の寺院

尾道には港町の財力を背景に、相次いで寺院が建設され、81カ寺を数えたと言われる。今は20数カ寺が数百年の歴史を刻み佇んでいる。

真言宗では西国寺が11世紀以来の歴史をもち、千光寺も鎌倉時代以来活動している。時宗では一遍(1239〜89)によって創られた尾道最古の道場、常称寺・西郷寺は14世紀前期の開基。律宗では浄土寺、隣接の海龍寺があった。臨済宗では三重塔で有名な天寧寺が南北朝の開基。浄土宗では光明寺・宝土寺、日蓮宗では妙宣寺が何れも南北朝には存在していた。

各宗派が瀬戸内海の要津であるこの尾道に拠点を置こうとしたために多くなった。なかでも時宗が多かった。

■■尾道のまちなか

尾道市内、海岸から山手に至るには、海岸線を走る海岸通り、本通りを中心とする商店街通り、国道2号線、山陽本線を渡ることになる。

社寺を中心とする観光スポットは山手に集中している。

■■大通り商店街の目だった建物、ところ

尾道商業会議所記念館 

この建物は、1923(大正12)年に尾道商業会議所創設30周年の記念事業として建設されたものを、当時のように復元改修したもの。

当時としては最先端の鉄筋コンクリート造りで、外観も洋風建築様式を取り入れ、2階は3階と吹き抜けの階段状議場となっている。

大正ロマンただようこの建物は、商業会議所として建築された鉄筋の建築物としては、現存する日本最古のものであり、2004(平成16)年に尾道市重要文化財に指定されている。現在は市内観光の休憩・案内や尾道市の商業史に関する資料が展示されている。

尾道一宮神社お旅所 尾道ベッチャ祭(11月1−3日 」用の神輿。すべて手づくりで、三年がかりでつくられた神輿。

林芙美子記念館

道路を結ぶ石畳の小路が多くある。

尾道歴史博物館

海運で栄え、明治時代にはいち早く銀行を設立し、金融の街としても栄えた尾道。かつての金融街、「銀行浜」に建つ「旧尾道銀行本店」を改装した博物館。1923年(大正12)建築で、尾道市重要文化財。鉄筋コンクリート2階建て(一部木造)、入口には切石を積み上げてある。建物の中に入るとそこには巨大な金庫が残されている。館内には尾道の中世を伝える尾道遺跡の考古資料、当地ゆかりの文人墨客の美術品が並ぶ。年2回、尾道をテーマとした特別展も開催。

住吉神社

1740(元文5)年に尾道の町奉行に着任した平山角左衛門《名誉市民》は、翌年の1741(寛保元)年に住吉浜を築造し尾道発展の基礎を築いた。

その際、浄土寺境内にあった住吉神社をこの住吉浜に移して港の守護神とした。

毎年旧暦の6月28日前後の土曜日、平山奉行の功績を称えるため「おのみち住吉花火まつり」が行われる。

尾道浜問屋初市

江戸時代1671(寛文12)年、河村瑞賢により西廻り航路が開拓され、寄港地に尾道が選ばれた。1800年代には1日1隻の割合で入港していた。昆布や鰤{ぶり}などの市も開かれた。今に残る海産物の初市が毎年1月15日に境内で開かれ、その年の日本の相場の基準となる。

力石

■国登録文化財

一部である。

旧福井家住宅主屋・茶室・土蔵

東土堂町 現在は「文学記念室」として公開されている。 志賀直哉旧居にも近い。

尾道水道に臨む斜面に南面して建ち,寄棟造の東棟が1912(大正元)年,入母屋造の西棟が昭和2年築で,ほぼ中央の玄関を挟んで巧みに連続する。木造平屋建,桟瓦葺で,檜を中心に楓や鉄刀木(たがやさん)などの銘木を多用した上質な造りになり,瀟洒な数奇屋風の意匠でまとめている。

尾道ガウデイハウス (旧和泉家別邸)

三軒家町9−17

大正末期から昭和初期にかけて戦前の豊かな時代に、他の港町と同様尾道でもハイカラな洋風建築が流行りました。鉄道開通後栄え始めていた尾道駅裏の斜面地には擬洋風建築の建物が今も多く残されており、旧和泉家別邸もそのひとつで、わずか10坪の狭い建物の中に当時流行った技法がところ狭しとちりばめられた洋館付き住宅となっている。

旧和泉邸は、千光寺山南西斜面の石垣上に建つ小住宅。木造2階建で下見板張(したみいたばり)の和館の南にモルタル塗の洋館を接続する。

変形の小敷地を巧みに利用しており,2階8畳座敷や階段の造作も丁寧である。入母屋屋根に切妻破風(はふ)や小庇,露台をつけ,変化に富んだ屋根構成を見せる。1933(昭和8)年に和泉家の別邸として一人の大工さんが3年かけて建てた建物

付近で見かけた旧家

吉源酒造場

創業1854(安政元)年

千光寺

下山

石段道を下りてゆく。途中で天寧寺へ行く方向と文学の小路がある。坂の連続である。

文学記念の館とその周辺

尾道市東土堂町8−28

「文学のこみち」

千光寺山頂から途中千光寺敷地内を通り、千日稲荷迄続く全長約1kmの遊歩道。

道沿いの自然石の巨岩に尾道にゆかりのある作家・詩人の作品を刻んだ28基の文学碑が立ち並ぶ。途中数か所結構険しい箇所がある。

おのみち文学の館は「志賀直哉旧居」・「文学記念室」・「中村憲吉旧居」・「文学公園」の総称。

中村健吉旧居

歌人中村健吉は、病気療養のため千光寺公園下の別荘を借り、広島からここに転地したが、昭和九年に亡くなられた。その別荘が中村健吉旧居として残されている。すぐ近くに歌碑がある。

尾道のシンボルである天寧寺の三重塔はすぐ近くである。

志賀直哉旧居

志賀直哉が1912(大正元)年から翌年にかけて暮らした棟割長屋で、「暗夜行路」の草稿を練ったとされる当時の部屋を展示している。

文学記念堂

林芙美子の書斎を再現し遺品や生原稿を展示したコーナーなど尾道ゆかりの作家たちの展示をしている。

下りも登りも石段である。

天寧寺

天寧寺坂

天寧寺横の坂道、風情のある坂路である

西國寺

常称寺

 

大山寺(たいさんじ)

尾道市長江1−11−11

宗派:真言宗 本尊:大日如来(十一面観世音菩薩)

平安時代前期に創建、延久年間(1069〜74)中興、1175(承安5)年再建

石畳の参道を上ってたどり着く。この辺りの坂が「蓮華坂」と呼ばれる。 結構高台にあって市内が見渡せる。

寺伝

米瑠山天神坊大山寺と称し、延喜元年(901年)菅原道真公が九州筑紫へ赴くとき、当浦に寄られ、袖に御自筆の御影を描き村人にお渡しになられた。 

その後境内に、社が建立され「御袖天満宮」と呼ばれ別当寺となった。

境内東側には霊験あらたかな「日限地蔵尊」をお祀りしている。前面の6体のお地蔵様は、心願成就の「重軽地蔵」とも呼ばれる。

隣接の庚申堂には珍しい青色金剛神をお祀りしている。

日限地蔵尊と庚申堂

境内東側に霊験あらたかな「日限地蔵尊」をお祀りしている。日を限って日参し、一心にお願いすれば願い事がかなえられる。前面の6体のお地蔵様は、心願成就の「重軽地蔵」とも呼ばれ、特に受験シーズンになると合格祈願のため大勢のお参りがある。

隣接の庚申堂には珍しい青色金剛神をお祀りしている。

境内 六角堂もある

本堂

鐘堂と遠景

御袖天満宮

浄土寺奥之院満福寺

浄土寺満福寺

尾道市東久保町蛇ケ谷2−8

浄土寺山(瑠璃山)の山頂にある浄土寺奥之院への道はハイキングコースとしても親しまれている。

浄土寺を出て瑠璃橋を過ぎ、海龍寺横から山中へ続く石段道を登る。登山道が始まる。深い森が続く。道は整備されている。石鎚神社のお堂を過ぎる。

この登山道は「観音の小道」といわれ、浄土寺に壱番、海龍寺弐番を皮切りに頂上まで「坂東三十三観音」が祀られている。

また、霊山石鎚山に習って、一番クサリ、二番クサリ、三番クサリのある急峻な岩場を登る登山道も別にある。

石の鳥居辺りから視界が良くなり、展望台スペースもある。

山側に不動明王を彫りこんだ「不動岩」・他やたらと多くなる。磨崖仏は「子宝観音」といわれ、沢山の石仏が置かれているのは祈願の証であろう。

奥之院 峰の薬師如来

コンクリートで出来たお堂。巨岩にまもられている感じである。峰薬師再建碑(昭和11)年が建つ。

碑には、この山に行基が入山し、その景勝を愛で、一宇を建立し薬師瑠璃光如来を安置した。以来この山を瑠璃山と号した。

その後、1631(寛永8)年安芸国主浅野長晟公が再建、浄土寺奥之院満福寺と称した。明治の廃仏毀釈により荒廃していたのを、昭和6年山が都市公園となったので、有志により再建したという内容である。

付近の巨岩には「岩の薬師如来」が祀られている。

山頂の展望台

尾道随一の絶景ポイントといわれる。

遠景

浄土寺



Aug.19,2012 大野木康夫 source movie

 

家族旅行で尾道に行きました。

残暑の中、約5時間の散策でした。

尾道駅前のバスターミナルにはいろいろなバスが来ます。

尾道港

尾道といえば坂道です。

映画やドラマのロケ地を回りました。

坂は思ったよりも急でした。

一旦坂を下りて商店街を歩きました。

千光寺道から天寧寺塔婆に向かいます。

天寧寺塔婆(重要文化財)

猫の細道

艮神社

千光寺ロープウェイ

千光寺

千光寺から一旦町に下りて昼食を摂り、常称寺に行きました。

常称寺

坂道を上っていくと、天寧寺塔婆や千光寺が見えました。

大山寺

御袖天満宮

西国寺

西郷寺

浄土寺

商店街を通って駅前桟橋に向かいました。


Dec.2008 瀧山幸伸 source movie

浄泉寺

Josenji

尾道の坂と石段

大山寺付近

 


Mar.2008 撮影: 高橋明紀代

千光寺公園から臨む瀬戸内海

足利尊氏・義満の時代から、江戸期の北前船が入ってきて繁栄していた尾道の港

林芙美子像、林芙美子の「放浪記」記念碑

 


July 2005 瀧山幸伸  source movie

商店街のレトロな銭湯

デザインが哀愁を誘う。

向島への渡し

あっというまに向島へ。この島は向島レトロタウンと称している。 

映画のロケ地向島

大林監督の映画「ふたり」「あした」のロケ地巡りは、好きな人にはたまらない魅力だろう。

向島 ロケに利用されたバス停付近

映画、「男たちの大和」撮影用の模型

二度と悲劇が起きないように、永遠のメモリアルとすべきだろう。

尾道港 船着場の小さな祠

尾道港 寿司割烹 絲魚(いとう)

港に面する。窓から見る港の景色が美しい。

ヤマモモ

ドックの夜景

映画「男たちの大和」のロケ用に大型模型を建造した。 ライトアップが美しい。

しまなみ海道の橋もライトアップされている。

 


Dec.2003 瀧山幸伸 source movie

街並

Townscape

坂、寺、文学、そして映画の街並

古来より尾道は水上交通の要衝であった。嘉応元年(1169)、備後大田荘(高野山直轄領)の船津倉敷地となり、荘園米の積み出しで栄えた。その後は、対明貿易船や北前船など内海航路の寄港地として繁栄を保った。

尾道に多く見られる国宝、重文の寺社仏閣は、このような背景で栄えた豪商の寄進によるところである。尾道は、風光明媚な港の景観、おいしい食事、寺社の歴史と伝統のまち、坂のまち、文学のまち、映画のまちとしても有名だ。

文学では、この地で「暗夜行路」を執筆した志賀直哉、「放浪記」の林芙美子などがこの地を強く印象付けている。

映画では、大林宣彦監督に代表される「尾道三部作」が有名だ。

風光の美、歴史の美、海鮮とラーメンなどの食の美、文学と映画の美がおりなす尾道の街並は、この街を訪れる人々の心にあたたかい灯を燈してくれる。

尾道ゆかりの作品を愛する人にとっては、「ここでなければならない」必然のブランドデスティネーションなのだ。

広島出張の際、わざわざ尾道に宿泊する知的サラリーマンは少なくないとのこと。

時間が限られた人は、海と山に挟まれた小道を、国宝の浄土寺から千光寺公園まで歩いてみよう。

その後は、渡しで向島に渡ってみよう。

豊饒の海とともに発展した尾道の雰囲気を堪能することができる。

映画資料館

Movie museum

西国寺 (重文)

千光寺公園へのロープウェイが天寧寺塔婆をかすめる。

千光寺公園への坂道

山が見え、海が見え、向島が見える。

登りと下りとでは坂の情景が大きく変化する。この街が文学者を虜にした理由がわかる。

坂の街並の美しいシーケンス

歩を進めるごとに微妙にシーケンスが変化する。

坂の街並は三次元の立体的な景観変化がダイナミックで美しいが、尾道の坂は狭く急峻で、特に美しい。

尾道文学館

坂の途中、林芙美子、志賀直哉の家の周辺を文学館として保存している。

縁側から景色を眺め、彼らの文章の世界に没入する。至福の時を過ごすことができる。

林芙美子 旧宅

林芙美子旧宅から見下ろす尾道の街並

志賀直哉旧宅

尾道の猫は文学的。小説の構想中か。猫は生来にして放浪記そのもの。

 

眼下に広がる尾道の街並。

塔が風景に画竜点睛を与え、印象的な景観を焼き付ける。

公園脇にある中村憲吉(アララギ派歌人)の庵 

尾道ラーメン つたふじ

魚のだしが味の奥深さを作る。



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