MONTHLY WEB MAGAZINE Nov. 2012
Top page Back number Subscribe/Unsubscribe
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
トピックス
この秋訪問した紅葉を順番に並べてみたい。これらはまだ前座で、今月から来月にかけて平野部の紅葉が登場する。
Japan Geographic の理念を立ち上げて活動を始めた手前、普段は社会科や理科などの教材作成に役立ちそうな訪問先を選ぶのだが、それらと、桜、花火、紅葉などの歳時記ものとの調和は、日本文化の本質であるといえる。
和辻哲郎はじめ風土論、景観論など、背後にある文化とあわせて四季折々の景観を楽しむことが好きだ。
寺社の境内地で建築に映える紅葉。初雪を戴く峰を背景に麓に拡がる里の秋と独特の香り。不思議な色の水と緑、黄、赤の紅葉が織りなす錦織のような自然。朝昼晩、晴れた日と雨の日の情景の違いも興味深い。
西欧の文化には紅葉を愛でるという発想は当然とは言えず、葉が枯れて行く姿はオー・ヘンリーの「最後の一葉」のように悲しいものらしい。植生との関連で、紅葉そのものがあまり美しくないというのも大きな理由だろうが。
奥志賀、カヤノ平(10月7日)
(長野県木島平村)
ブナの紅葉には少し早かった。夕暮れ時、小雨もぱらつく。
誰も居ない湿原に峰から霧が舞い降りてくる、いかにも侘しい情景がなんともいえない。
志賀高原、草津白根スカイライン (10月8日/11月4日)
(長野県山ノ内町・高山村/群馬県志賀草津町・中之条町)
10月8日は志賀高原の一沼付近の紅葉が盛りだった。渋峠も白根山も素晴らしい紅葉だ。
それが11月4日にはうっすらと雪化粧。
どちらも美しいのだが、11月4日、雪をいただいた北アルプスの遠望や草津白根スカイラインの霧氷はひとしお感動的だった。
栗駒山(10月13日)
(岩手県一関市・秋田県東成瀬村)
朝まで低気圧の通過でかなりの雨が降った栗駒山が真っ青に晴れ上がった。
足元は水溜りと泥で歩きにくいが、賽ノ河原から昭和湖までの散策は天空の庭のようだった。
白布峠(10月14日)
(山形県米沢市・福島県北塩原村)
峠付近のブナの紅葉は早かったが、ウルシが嘘のような赤色に染まっていた。
磐梯吾妻スカイライン(10月14日)
(福島県福島市・北塩原村)
全体としてはちょっと早かったが、細部は色づいている。
福島県の振興策として有料道路の無料開放を行っているので、渋滞に遭遇してしまい、浄土平を目前に引き返した。
五色沼(10月27日)
(福島県北塩原村)
今までの訪問の中で一番良かった。五色沼だけを目的に日帰りで訪問し、5時間かけてゆっくりと湖沼群を散策した。
初めてのチャレンジとして毘沙門沼のボートの舳先にカメラを据えて動画を撮影した。
なにしろ後ろを向いて岸辺すれすれを漕ぐので、岩や枝に数回ぶつかってしまった。
映像としてはスリリングだが、同乗者の悲鳴も収録され、臨場感は120%だ。
それぞれ神秘的な水の色、青い空、赤緑黄色の葉、これ以上何を望むというのか。
榛名神社(11月3日)
(群馬県高崎市)
2010年の同じ日、この神社を訪問しているが、その時に比べると今回のほうが美しかった。
吾妻峡(11月3日)
(群馬県東吾妻町・長野原町)
国の文化財(名勝)に指定されているので、きちんと収録しておきたかった。
八つ場ダム関連工事の影響で景観と水流が変わりつつあることも訪問の目的。
篭岩・男体山(11月10日)
(茨城県大子町)
篭岩は十六羅漢を祀る信仰の岩場である。危険なので信心篤い方のみにおすすめする。
八溝山(11月10日)
あいにくの曇り空で山頂からの展望は今一つだったが、都心部も幽かに見通せる。条件が良ければ富士山も見られるようだ。
訪問の目的はそれではなく、山頂付近の広葉樹林内の湧水群だった。
名水百選に指定されているが、この季節には枯れているものもあり、期待したほどではなかった。
山頂から塙に林道を下る途中の紅葉群は、アクセスは悪いが実に見事だ。
南湖公園(11月11日)
(福島県白河市)
松平定信ゆかりの、史跡に指定されている公園であり、水戸の偕楽園と並び称される。
(福島県鮫川村)
阿武隈地方は浸食がかなり進んだカルスト地形なので、谷間農村景観が穏やかで優美である。
饅頭のような小高い丘と緩い勾配の谷。そこに拡がる田畑の景観は、建築物さえ違えどイタリアのトスカナ地方の景観に近い。
強滝・江竜田の滝ともに渓谷も浅く威圧感が少ないので散策が楽しい。
秋も大分深まってきた。毎年この時期になるとあちこちの紅葉情報が気になってくる。
テレビで流される紅葉情報は大体が行って見るとちょっと早いことが多くて控えめに出かけるようにしている。
今年は遠方から来た友人を案内して奥日光まで出かけることが10月中旬にあり少し早いかと標高の高い半月山の駐車場まで上がってみた。
結構紅葉は良くて足尾の山もいい感じになってきているのが遠望された。
大して遅れてはいないとの印象でその週末は福島の観音沼に出かけてみた。
標高も奥日光程ではないが900m近くあり緯度も高い。もう期待できるはずだと思っていたが現地に来て見るとそれほどでもない。
遅れ具合が場所によって違うようだ。これはなにか推算手法があるはずと戻って少し調べてみる。
関東では紅葉は9月の平均気温と関係が深いと知られているようで気象庁は紅葉の盛りとなる日を推定する計算式を公表している。
9月のその場所での平均気温が1℃上がれば4.62日紅葉が遅くなるという単純な式だが、試しに値を入れていくつか計算してみるといい値を推定しており結構よい推算式のようだ。
平均気温は近くのアメダス地点のデータを標高で補正して使う。
福島でも大体は当たるだろうと福島の観音沼で計算してみると昨年より気温が1.4℃高く紅葉は1週間遅くなり見ごろは11月2日と出る。
奥日光では0.5℃高いだけで昨年より2日強の遅れの10月20日頃が半月山の見ごろとなる。
観音沼や奥日光に訪れて見た感じや昨年の写真を眺めて較べたりすると確かにそんな雰囲気だ。
東北を廻った人の話を聞いても今年は東北は1週間遅れという声が返ってくる。
単純な式でよく推定ができる、そんなものだったのかとどこか小さな驚きがある。自然は正直なのだろう。
さて今年の冬はどうなるか。
今年の夏は暑かった。特に9月が暑く北極圏の氷も何時になく大量に融けているようだ。
しかしこれは却って寒い冬をもたらすとの見方もある。融けた真水が北に流れ込む暖流を覆い結局は秋から冬の北極の気温を下げることに繋がるという判断だ。
暑い夏が寒い冬をもたらすことになるが、歴史的にも氷河期終焉の時期に融けた氷河の影響でそのような激しい気温の上下が起こっていることが知られている。
富士山の冠雪も例年になく早く、ツバメも早々に南下した様でもある。
寒い冬の到来に備えるべきようにも思えてくる。地球の脈が少しばかり荒くなってきそうだ。
素直に地球の脈動を感じれば一層自然と親しくなったような気がしてくる。それも面白い。ともかくもうすぐ冬だ。
10月17日 奥日光半月山の紅葉
10月20日 福島・観音沼の紅葉
10月は全国各地で祭りが催された。東北の震災地でも細々ながらも祭が復活され、絆づくりに役立っていると聞く。
日本人にとって祭りは今も“個と個”が一体化する武器であろうか。
ススキで有名な曽爾村(そに)に行き民宿で一泊した。
早朝、周囲を散策した。静かで、懐豊かな感じのする山里。
川筋を辿るうちに神社に行き着いた。古事記・風土記にも名を残す延喜式内社である門僕(かどふさ)神社だった。
宿を出る時、6日に行われたこの村の秋祭りがTVで放映される聞き、見てビックリ。享保3年(1713)に始まったと珍しく古文書も残って
いる“獅子舞”。特に“接(つぎ)獅子が全国でも珍しい。
戸数2000戸余、8集落の内、山里の3集落に続く300余年の歴史を持つ行事であった。小さな集落で、よく続いてきたと驚きである。
祭りは、日が重なるので多くは追えない。大津祭と京都の時代祭も見た。大津祭は、歴史も長く興隆していた大津を象徴する名残りで京都の
祇園祭とも似た山鉾が町中を巡る。出し物の“動くカラクリ”は他に類を見ない貴重なもの。普段は人影も少ない町中に、この2日間だけは
突如として山鉾が建ち、人が集まる。
京都の三大祭(祇園祭・葵祭・時代祭)の一つとされ、その中身は?もあるが、長蛇の列が長時間をかけて繁華街を巡行できるのは市民の
支持があっての事と思われる。
華々しい祭りの舞台裏はいずこも大変。来年の開催の保証も無い所が年々増加している。戸数の少ない集落では、主役の小学生の確保すら
難しい。ふるさとの文化の誇りも時流にはさからえない。これら伝統の維持・継続については、観る側にも役割の負担があるべきと思われる。
昔の仲間と東北に二泊三日の小旅行をしてきました。
秋田新幹線こまちで角館へ、そこからはレンタカーで抱返り渓谷−小安峡温泉
−厳美渓−毛越寺−中尊寺と廻り、一ノ関から東北新幹線はやてで帰京するルートでした。
東北は秋真っ盛り、錦秋と呼ぶにふさわしい紅葉に出会ってきました。
残念ながら、小雨模様で曇り空のため画像の色合いが今一つですが、
紅葉の中を散策すると自分もその色に染まりそうでした。
最初に訪れた紅葉スポットは秋田県仙北市の抱返り渓谷、ここは東北の耶馬溪と呼ばれています。
抱返り神社で参拝を済ませ、朱色の橋を渡って、上流に向かい右岸を回顧の滝まで遡りました。
左岸の山肌は赤・橙・黄色に彩られた紅葉に目を奪われ、凸凹の山道につまづきそうになります。
回顧の滝まで約2km、歩きながら絶景に歓声とため息が尽きませんでした。
その夜は湯沢市の小安峡温泉に宿泊、もちろん東北の美味しいお酒をしこたまいただいて爆睡。
翌朝、小安峡の温泉が岩肌から噴き出しているという大噴湯へ。
ここの紅葉は珠玉でした。
石段を下り、渓谷に下りてゆくと突然目の前に絶景の紅葉が現れます。
深く切り込んだ谷の岩肌が錦秋に彩られてまさに日本の秋だと感じました。
谷底には、本当に岩肌から温泉が噴き出しており、もうもうと湯気が立ち上っていました。
プーンと硫黄の匂いがして、温泉であることを教えてくれます。
近くに渓谷を横切る橋が架かっていて、ここからの眺めがまた素晴らしいの一言です。
大噴湯のある渓谷全体を見渡すことができ、その美しさに「日本ていいな!」と改めて感じてしまいました。
今回同時に、角館や世界遺産の平泉にも行きましたがここ二箇所の紅葉に勝るものはありませんでした。
熱い夏が終わり、季節が巡ってしみじみと日本の秋を堪能しました。
先日、地元紙京都新聞に、近年の京都市内の紅葉時期(8割が色づいている時点)は12月8日〜16日という調査結果の記事が出ていました。
今年は11月8日現在、神護寺、真如堂、金福寺、清涼寺で一部見頃、他は色づき始めか青葉と言う状況ですが、何か昨年、一昨年よりも少し早いような気がします。
市内、市役所近辺では御池通のケヤキが紅葉を迎えています。
京都ではモミジ、カエデなんとかイチョウまでしか見向きもされませんが、なかなかの色づき具合です。
鴨川に出て御池大橋から三条大橋を見ると、河岸のサクラが紅葉していました。
御池大橋から北を見れば、丸太町橋の向こうに何やら色づく木々が見えるので、行ってみました。
丸太町橋の上流、左岸の土手の上のサクラ並木が見事に色づいていました。
川端通、疏水の木々も色づいていました。
燃えるように赤いモミジだけでなく、このような雑木の紅葉にも見るべきものがあると思います。
自宅の柿も色づいていました。
一般に行われている神幸式(じんこうしき)は国家の平安と五穀豊穣を感謝する秋祭りですが、太宰府天満宮の神幸式大祭はそれに加えて、菅原道真公の御霊をお慰めするとともに、榎社(えのきしゃ)に幽閉中の道真公を温かく世話をしてくれた老婆(浄妙尼)の祠に向かい、1年ぶりの対面をして、今に変わらぬ感謝の気持ちを伝える神事です。
太宰府天満宮から榎社まで約3Kmの距離を約2時間かけて、平安時代をしのばせる衣冠姿の神職や氏子たちがゆっくりと進み、多くの住民が行列を見守ります。
浄妙尼のご子孫が、現在近くの下大利(しもおおり)にお住まいになられており、「お迎え」提灯をかかげて、お神輿をお迎えされていました。
この神事に併せ、天拝山の山頂では迎え火が焚かれます。
太鼓橋を渡るお神輿の行列
■■■■■ 欧州鉄道の旅、デュッセルドルフ・ルクセンブルグ・パリ その一 野崎順次
10月24日の午後、ドイツのデュッセルドルフで仕事先を離れ自由の身となった。
とはいえ、28kgのトランクを引きずり、背中には8㎏余のリュックサックである。
また、これから鉄道で行くルートは英語が通じにくく、英語の表示も少ない。
デュッセルドルフから直行列車(1日に3本くらいしかない)でルクセンブルグに行き、2泊してから、メッス経由でパリに行く(ここらも1日に3本くらい)。
チケットは日本でユーロレールから購入済みである。
まず、デュッセルドルフでは欧州最大規模の国際展示場から鉄道本駅まで路面電車に乗る。
以前に乗ったことがあるが、切符売り場や改札が無く、ホームの乗車券自動発売機(昔はドイツ語だけ、今は英語もOK)で購入しないと駄目だが、その操作をよく覚えていない。
過去10年間に数回利用したことがあるが、その都度、取引先の外人や偶然出会った日本人が買ってくれた。
考えてみたら、日本を出る時からこの瞬間を心の奥底で心配していたような気もする。
でも、これまで何とかなったので何とかなるだろうと電車のホームに来ると、偶然、日本人の3人連れがいて、ガイド役らしき女性が4人券(1枚で4人分)を購入してくれた。
ホームにいたのはこの三人だけで、しかも、今回は日本人の来場者が極端に少なかったことを考えると、きわめてラッキーだった。こうして、今回も何とかなった。
ドイツ鉄道(DB)デュッセルドルフ駅で昼食を取る。
仕事が終わってホッとしたのか、どっと疲れが出たようだ。
食欲がない。ビールを飲んで、マッシュポテトと酢キャベツ付きソーセージを頼んだが、半分残した。
私の乗車券と予約券の明細は、
15H49 Train 132 IC COARCH 8 SEAT NUMBER 25
つまり、15時49分発 列車番号 IC 132 8号車 25番席
改札はないので、直接列車に乗り込み、指定の席に座ればよい。ただし、プラットフォームが分からない。地上階中央コンコースに時刻表を見ると、列車番号IC 132はあるが、ルクセンブルグの名前が無いし、時刻も15:46と微妙に違う。違う色の時刻表を見ると、15:49で最終駅はルクセンブルグである。共にプラットフォーム(Gleis)は16番である。となると、最初に見たのは到着時刻表とこれまでの停車駅で、後から見たのが出発時刻表とこれからの停車駅であろう。そこで、早めに16番プラットフォーム(2階)に上がって、どのあたりに8号車が止まるのか確かめることにした。と、各列車の停車配置図が見つかった。IC 132は8両編成で、8号車はD位置とC位置の間のDよりに停まる。ドイツ語だが、めちゃくちゃよく理解できる。楽勝である。そういえば各プラットフォームにB〜Fの大きな表示が30メートルおきにある。
列車は30分遅れて到着した。英語で遅延の放送があったが、既に他のプラットフォームから発車してしまったのではないかという不安は皆無ではなかった。
車の床は高いので、4〜5段階段を上らねばならないが、トランクの重さがこたえた。8号車を確認するために見まわしたが、それらしき表示が無い。車内の通路を少し後方に向かうと車掌さんがいたので、「Coach eight!」と叫ぶと私のチケットを見て、3両さらに後方だと云う。疑いつつ、トランクを引きずりながら歩き続けると、別の車掌さんがいたので聞くと反対の前方だと云う。既に汗だくである。元の位置に戻るとまた違う車掌がいたので聞くとまたもや後方を指すので、もう私もキレた。「Different conductors show different directions. Tell me exactly where my seat is!」とわめいた。その間に空恐ろしい大阪弁の悪口雑言も挿入する。そこでやっと相手も何とかする気になったようである。私の切符は普通乗車券(セカンドクラス)だが、前方のファーストクラスの車両に導き、空いている所ならどこでも座れと言った。これは映画でよく見た車両で、3人掛けが向かいあう6人室に分かれていて、片側の窓際に通路がある。よく空いていた。誰もいない部屋にトランクを寝かして、上着と靴を脱いだら、やっと快適な旅が始まった。
ケルンを経由してコブレンツまではライン川の本流を遡る。
コブレンツから本流を離れ支流沿いに進んだ。途中の駅名にMoselleがあり、黄色に紅葉した低灌木が整然と並んだ畑が至る所にあった。そこで、やっとこの支流はモーゼル川で、モーゼルワインの産地だと気付いた。暮れかけの車窓から、蛇行するモーゼル川の渓谷美をぼんやり見ていた。
やがてすっかり暗くなり、終点のルクセンブルグ駅に着いた。ホームは地面と同じ高さである。エレベーターで地階に降り、地下コンコースを通り、再びエレベーターで地上に出て、ホテルに向かった。グーグルの地図によれば駅から数百メートルだから歩いて行こう。
以下2012年12月に続く…… 予定。
Japan Geographic Web Magazine
https://JAPAN GEOGRAPHIC/
編集 瀧山幸伸
All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中