MONTHLY WEB MAGAZINE Feb. 2013
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トピックス
■■■■■ 展覧会「二川幸夫・建築写真の原点 日本の民家一九五五年」 瀧山幸伸
Japan Geographicファンにはぜひおすすめしたい展覧会。「日本の民家」といえば、伊藤ていじと二川幸夫コンビ。こだわりのカメラアングルが放つ鋭い光線を堪能した。この場所からこのアングルで撮っているんだなあ、修復前はこんな外観だったんだなあ、今はこの建物は無くなってしまったなあ、などと、二川幸夫の貴重な記録に深謝する。Japan Geographicのコンテンツと比べるとさらに興味深い。
パナソニック汐留ミュージアムはお気に入りのミュージアムの一つで、その10周年記念イベントの一つだ。本業は悩み多く、本社屋を売るとか売らないとか、、、20周年、100周年と続けることができるのか、いささかの不安を感じる。
Japan Geographicを始めて10年、コンテンツは百万点を越えた。ネットのミュージアムだけではなく、そのうちリアルな「Japan Geographicミュージアム」も創りたい。場所は都会ではなく田舎の廃校や廃業した酒蔵なんかだろうけれど、そのほうが維持費も入場料も格安で、我々の活動にはお似合いだろう。
■■■■■ 静岡県沼津市 戸田 松城家 瀧山幸伸
戸田といえば、造船と廻船の港。ロシアのプチャーチン率いるディアナ号が安政東海地震の津波で沈没し、代船「ヘダ号」を建造したのが戸田の船大工集団。
これに深くかかわるのが松城家。廻船問屋として、主に赤穂の塩を信州に売ることで栄えた。
案内してくださったボランティアの山口展徳さんも祖父は船大工だったそうだ。現在では地元で工務店を営んでいるが、若い頃は薬師寺西塔の再建に参加したという技能の持ち主。
建物は明治初期のもので、長八の鏝絵ほか、細部まで見どころ満載。月に二回、日曜の午前中しか公開しないのがもったいない。
■■■■■ ロケに使われた建物 瀧山幸伸
文化遺産は撮影に使われることが多い。 旧沼津御用邸東付属邸と、旧名古屋控訴院は、多くのロケに使用されている。その両方を使ったのが昨年のNHKドラマだ。旧名古屋控訴院の階段シーンがヒント。
■■■■■ 中山辰夫
お遊びばかりですが、諸々体験しました。遅まきの73歳の体験です。
Ⅰ−スノーシュ体験
「冬の余呉湖を歩く」をテーマに観光協会主催のイベントに参加しました。当日の余呉湖は積雪少なく期待が外れました。しかし、冬の余呉湖の一端に触れることが出来ました。
余呉=豪雪地帯のイメージが変わりつつあるのでしょうか。もっともその一週間後には1m強の積雪、2月に入っても続いています。
このイベントの主目的はスノーシュで雪の中を歩くことでした。普段、雪との係わりが無いためとてもその体験を楽しみにしていました。
余呉湖から車で20分ほど山間に入った所、その場所は洞寿院の傍でした。スノーシュは「西洋がんじき」で、マンツーマンの指導でした。
スノーシュのはき方、ストックの使い方、上りと下り、回転時の足の運び等丁寧に教わりました。1.5㎞程の散策は転んだり、突っ込んだり汗だくで、満足しました。
スキーとは違いゆっくりと流れる時間に景色を楽しみ、動物の足跡などの観察に興味深々、スリル一杯でした。山登りもやってみたいとヤルキ満々で終わりました。
Ⅱ−お酒の仕込体験とぐい呑み作り
近江の酒文化を味わうイベントに参加しました。安土城考古博物館に、滋賀県下37蔵元で生産されている地酒693銘柄が展示され、酒が醸す文化の講義を 受けた後、テーマに沿った体験を行います。計4回あります。
愛知、兵庫、大阪辺りから約40名が参加。食事ときには、日本酒愛好家が痛飲しつつウンチクに精出しています。
イベントの一回目は江戸時代から続く『藤居本家(国登録文化財)』の訪問です。ここの酒蔵はNHK連ドラ「甘辛しゃん」の撮影が行われました。
藤居家の主屋、書院、酒蔵は国登録文化財です。酒蔵は総ヒノキ造りです。店舗の2階も見事な総ケヤキ造で、一見の価値があります。
藤居本家の宮蔵(非公開)で三段仕込みの内、最終の留仕込を体験しました。
一定量の蒸米を運びだし、ひろげて放冷させた後、仕込みタンクに移します。もろみは粘りがあり、櫂も結構重く、攪拌も大変な作業と分かりました。
僅かな時間体験作業をした後は杜氏さんにお任せです。 そして最後は絞り酒の賞味でした。今日仕込んだお酒は、3月9〜10日の最終イベントの時戴きます。
この後は、料理旅館「竹平楼」で昼食です。
ここは明治天皇が1878(明治11)年、民情施設のために北陸道・東海道を巡幸された途次に御小休所となった所で、約70日で、御座所、玄関、表門などを新築したようです。現在もその玉座は常時〆縄を張って保存されています。大広間と御在所は国登録文化財指定となっています。
郷土料理中心の酒付きの昼食でした。鯉のあめ煮、かも肉、エビ煮など地元食材も豊富です。
ぐい呑み作り
滋賀県は『信楽焼』の産地であるため陶器作りが盛んです。でも『水茎焼』は始めてです。
「水茎の岡の葛葉を吹きかへし面知る子等が見えぬ頃かも」と万葉集にも歌われ、平安の絵師・巨勢金岡があまりの美しさに描くのを諦めたと伝えられる「水茎の岡」。
この景勝の地に因んで創始された焼物が「水茎焼」です。この地は朝鮮半島の渡来人が伝えた須恵器の里、鏡谷に連なる由緒ある土地柄でもあります。焼き物はソフトな色合いの仕上げです。
お酒はお猪口で飲むと「甘く」感じ、ぐい呑みで戴くと「辛く」感じる。口の中にゆっくりと運ぶのと、たてに流し込む違いによると説明にありましたが、如何でしょうか。
参加者全員熱心に取組み完成しました。その理由は、この各人作ったぐい呑みで仕込んだ酒を戴くからです。
松明鍋
ぐい呑み製作後は昼食。「松明(たいまつ)鍋」と称し、日本酒をたっぷり注いだ鍋に火を点け燃やした後でしゃぶしゃぶです。
豪快でした。夜間であればもう一つよかったと思います。残る二回のイベントを楽しみにしております。酒付のお遊び、大歓迎です。
1月5日以来週末に用事が重なり,遠出ができない状態でしたが、2月3日、久々に1日フリーで過ごすことができました。
節分で、京都では廬山寺の追難式鬼法楽や吉田神社その他の追ナ式(ナはにんべんに難)が行われておりましたが、遠出を優先し、岡山東部と兵庫県中播地方の国指定文化財を回りました。
岡山県和気郡和気町
旧大國家住宅(7:00〜7:36)
町に寄贈されて10年、重文指定から8年以上が経過していますが、増築に増築を重ねた比翼入母屋造の主屋などの修理業者が決まらず、壁などが崩落した状態となっています。
そのため、内部の一般公開は年1度、2日だけですが、外観は撮影できるので思い切って訪問しました。
写真は順に主屋(2枚)、蔵座敷、中蔵、乾蔵、酉蔵、井戸場です。
岡山県備前市
大滝山三重塔(7:58〜8:37)
いわずとしれた三重塔撮影の難所です。狭い尾根の斜面を少し削平した狭い平地に建つ三重塔は、近くから全体を撮影することができません。
公式な写真は谷を隔てて向こうの西法院の駐車場から撮影していますが、距離があり、よほど空気が澄んだ日でないとくっきりとは撮影できません。
真光寺(8:50〜9:15)
境内を国道2号線とJR赤穂線に分断された姿は、尾道の常称寺を彷彿とさせます。
幸い、文化財建造物の保存状態は良好でした。
写真は順に三重塔(2枚)、本堂です。
旧閑谷学校(9:28〜11:05)
附指定を除いても国宝1件、重要文化財24件という棟数です。
旧閑谷学校
講堂、小斎、習芸斎及び飲室、文庫、公門
旧閑谷学校石塀
旧閑谷学校聖廟
大成殿、東階、西階、中庭、外門、練塀、文庫、厨屋、繋牲石、石階、校門(鶴鳴門)
閑谷神社(旧閑谷学校芳烈祠)
本殿(芳烈祠)、幣殿(階)、拝殿(中庭)、中門(外門)、神庫(庫)、石階、練塀、繋牲石
石塀とハン池(ハンはさんずいに半)の間の芝生を焼く作業が行われていました。
閑谷学校で撮影を堪能したので、あとは時間が許す限り、中播の国宝建造物めぐりを楽しむことにしました。
兵庫県加西市
一乗寺(12:04〜13:04)
観音霊場の札所なので参拝者も多く、撮影の際に待つ時間も長くなります。
国宝三重塔は東側の奥の院に行く石段の降り口から撮影するのがいいのですが、どうしても逆光になります。
よく見るのは石段途中からの写真ですが、こちらも午後は逆光、石段の柵外に出ることもできませんので、かなりの難しさです。
その他、鎮守社が3棟も重文指定となっているのも珍しいかと思います。
写真は順に五輪塔、本堂、護法堂、弁天堂、妙見堂です。
兵庫県小野市
浄土寺(13:36〜14:15)
浄土堂の阿弥陀三尊には圧倒されますが、もちろん撮影厳禁です。
国宝浄土堂をはじめとして、平べったい文化財建造物がそろっています。
八幡神社本殿で撮影ミスをやらかしてしまいました…のはいずれ本投稿で。
写真は順に浄土堂、薬師堂、八幡神社拝殿、八幡神社本殿
兵庫県加古川市
鶴林寺(15:04〜15:50)
文化財建造物が程よい間隔をあけて並んでおり、大変撮影しやすいお寺です。
もっと粘りたかったのですが、帰って豆まきをしなければならず、後ろ髪をひかれる思いで帰路につきました。
写真は順に本堂、太子堂、常行堂、鐘楼、行者堂、護摩堂です。
三脚を持ってから、一箇所当たりの滞在時間が長くなり、枚数も増えています。
この日の撮影枚数は動画を合わせて1000枚を超えていますが、以前の感覚で組んだ予定表の4箇所(伽耶院、箱木家住宅、如意寺、太山寺)を割愛せざるを得ませんでした。
それでも、大半を国指定文化財に絞って撮影しているので、実感としては以前のとおり、文化財の写真を昆虫採集の感覚で集めているという感覚です。
■■■■■ 七重塔と二日市温泉 田中康平
正月は福岡で過ごしたが引越しに備えた片付けばかりの日々でいい加減飽きてきたこともあって思いついて二日市の温泉に出かけた。
古くからの温泉だ。博多湯という名の日帰りの湯が結構歴史もあるようなのでそこにすることにして、どうせだからと近くにあるはずの国の重要文化財の石の七重塔も見てみることにしようと出かけた。
二日市は大宰府政庁跡の近くであたりは奈良京都ほどではないが歴史を感じさせる雰囲気がある。
大和朝廷の九州の拠点であった太宰府が博多の港から大分内陸に入っているのはやはり半島からの直接侵略を恐れたためだろうか。
七重塔は朱雀2丁目にあるとネットにでている。
南を意味する朱雀の名前は雅だが行って見ると碁盤の目のような計画道路の痕跡はどこにも無くただ住宅が立ち込める丘が大宰府政庁跡の南にあるだけだ。
近くまで行けば案内の看板くらいはあるだろうと期待していたがどこにも無い。
細い入り組んだ道をやっとの思いでここにあるはずとの住所に到達してみてもただの公園があるばかりで石の七重塔の姿は無い。
通りがかった人に聞いてみても知らないという。この公園にあったものが保存のために根こそぎ持っていかれたのだろうかといぶかりながらその場を後にする。
重要文化財でもその所在地までたどり着けないとは情けなくなる。
後日宇都宮に戻ってネットを眺めていると 偶然太宰府市の町ごとの文化財を記載したページに七重塔の詳細な場所が載っているのを見出す
(http://www.city.dazaifu.lg.jp/bunka_t/bunkaisan/gtiku/sugazu2.html)
ここだとした公園の近くで前をクルマで通り過ぎていたことになる。
探していると見つからない、探すのをやめると見つけることができる、何だか宝探しゲームのようだ。
文化財を見つけるにはゆったりした気持ちがとても大事なのだろう。
温泉の方は勿論難なくたどり着ける。
日帰り温泉2軒が向かい合っていて、気楽な雰囲気だ。万葉の時代から歌にも詠まれた温泉で恐らくは菅原道真も浸かったことだろうと思いが走る。こちらも文化財に違いあるまい。
先に温泉に入ってゆったりしておれば七重塔も見つけられたかもしれない。
そうすべきだったのだろう、あくせくするなといわれているようだ。
思い返せばそんな雰囲気の九州の地がなんだか楽しくもある。
今日は節分、朝の内強かった風が少し治まった頃、カメラ機材と三脚を持って家を出ました。
久しぶりに電車で撮影にでかけます。目的地は総武線下総中山駅、近くにJRAの中山競馬場があり
そこそこに知られた駅です。
三脚を持って電車で撮影にでかけるのは、三年前の本土寺以来です。
目立つ機材持参の電車はなんとなく気恥ずかしく電車の隅で小さくなりながら
最寄りの北柏駅から新松戸で武蔵野線に乗換、西船橋から総武線で一駅、下総中山駅に到着しました。
今回の撮影の目的である法華経寺は過去に車で向かい、駐車場が見つからず撮影を断念して
帰ってきたことがあって、今回電車行となりました。
駅からは狭い一本道を進みます。
まず総門をくぐります、ここからが参道と考えて良いようです。
両側は商店がびっしりとならんでいます。車がすれ違えるかどうかいう狭い参道なのですが
結構な量の車が行き来します。歩道はなく歩いていても怖いぐらいです。
朝の九時過ぎで商店はほとんどシャッターを閉ざしていました。
しばらく歩くと仁王門、ここからが法華経寺の聖域なのですが、参道右側にはまだ商店が並んでいます。
仁王門の先は石畳で、五重塔が目に飛び込んできます。仁王門には本阿弥 光悦筆の「正中山」の額があります。
五重塔は1622年建立、国の重要文化財に指定されています。最近塗りなおされたようで色彩も鮮やかです。
この塔の左手に祖師堂があります。祖師堂も重要文化財です。
1702年に完成した。当初は比翼入母屋造りのお堂であったが入母屋造りに改修され、平成9年に元の比翼入母屋造りに復元されています。
節分であったため、豆まきには時間があったものの人出も多く、撮影には不向きな日の訪問でした。
この祖師堂の裏にもう二つの重要文化財があります。法華堂とその四足門です。
ところが法華堂の前に行けないでオロオロとしてしまいました。
この刹堂への石段を上がって右にいけば、法華堂の前、背に四足門という位置に出られました。
四足門からは入れないようになっていましたので、戸惑うことになりました。
法華堂は1260年の創建、四足門は約七百年前鎌倉愛染堂に在ったものを移築しています。
法華経寺自体は日蓮が最初に開いた寺で創建は法華堂とおなじ1260年、最初の法華経寺は
法華堂のみであったということでしょう。
今年の冬は関東でも厳しいようですが、法華堂の前の梅が一輪咲いていました。
立春も過ぎ、春は確実に近づいています。
一度断念した法華経寺の撮影、久しぶりの電車行で実現しました。
いい年(67)をして、酒が過ぎたり、口が過ぎたり、ふざけ過ぎたりして、その結果、人に謝ることが多い。
これは最近の生々しい話で未だ書かない方がよいのかもしれないが、読者はかなりマニュアックな人だけだと思うし、もう書いてしまったので、投稿することにした。
92歳の母親が骨折した。昨年の右大腿骨に続いて、今年は左大腿骨である。去年とは違う近くの病院に救急車で入院、手術は無事行われ、現在、リハビリ中である。
未だ自由に歩けないし、ほとんで化粧できないし、髪もボサボサであるから、ごく近い身内以外には会いたくない。
その母親の数少ない親しい友人に同世代のおばあさんがいる。仮にKさんとする。Kさんは一人暮らしで足腰はしっかりしており、いつもきれいにお化粧をして、好奇心が強い。去年の母の入院の時も見舞いに行きたいと、病院の場所を聞かれたが、母の意向もあって教えなかった。ところが、身内の別の人に頼み込んで聞き出し、無理やり見舞いにきた。
母は優しい人だから、来ても怒ったりしない。Kさんのお見舞いは、心配してくれているのが三分の一、病院と母の様子に対する好奇心が三分の二であろう。
手術後2日くらいしてから、Kさんから私の家に電話があった。母宅に電話をしてもずっと出てこないからだ。それに、Kさんは母の携帯電話の番号を知らない。私は外出から酔っぱらって戻り、病院に行く準備をバタバタとしている時だった。
「骨折して入院したこと。今、人に会いたくないこと。落ち着いたら、また、連絡するから、それまではほっておいてください。」
という旨を乱暴にしゃべったようだ。Kさんは「ほっといてくれ」と言われて、情けなくなって少し泣いた、と別の身内から聞いた。このことは母の耳にも入り、すぐに母は病床から携帯でKさんに謝った。
そこで翌日、ベルギーの超高級チョコレートを持って謝りに行った。男らしくペコリと頭を下げ、「ゴメンナサイ、少し酔ってました。また、お見舞いに来ていただけるようになったら、ご連絡します。」といったら、Kさんの機嫌はいっぺんに治ったようだ。
しかし、2〜3日後に、突然、Kさんは母の病室に現れた。我慢しきれなかったのだろう。病院名は私から聞いたといったそうだ。言ったはずはないのになあ。
おしまい
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編集 瀧山幸伸
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