Monthly Web Magazine (Aug.1, 2009)
こんにちは。夏の暑さで気も心も疲れますね。
Japan Geographicのクールなコンテンツで癒してください。
■■■■■■ 7月の新着情報 ■■■■■■
New contents in July 2009
それぞれに歴史あるまち、どちらが好きですか?
7月に両方訪問し、一般の観光ガイドではあまり取り上げられないまちの魅力を再発見してきました。
■■■ 『青森県内の夏祭り』 中村千恵美
■■■ 『新潟県の郷土玩具』 高橋久美子
私は近代建築ウォッチャーですが、コレクターでもあります。
若い頃の旅行は、郷土玩具を収集するための旅だったといっても、決して過言ではありません。
それで、ウェブマガジンのコラムとして、これから時々、郷土玩具の蘊蓄を少々述べさせていただこうかなと思います。
■■■ 『「盛夏来る」の案内役 〜草津の「あおばな」』 中山辰夫
みなさん こんにちは。滋賀在住の中山です。
ハスの開花の盛りが終わる7月中頃になると、住んでいる隣町の草津では「あおばな」の開花時期になります。
「あおばな」は「オオボウシバナ」といい、ツユクサの栽培変種です。
■■■ スライドショーづくり 柴田由紀江
みなさん、こんにちは。 柴田@宇都宮です。
ぢょい、ぢょい、ぢょい〜♪ とちょっと仕事に追われておりまして…
歌うたいの私は今リハーサルの真っ最中なのです。
そこで、今回は本業とはちょっと違いますが、趣味でやっているコーラス指導に使った曲「Joy」と、
お友達がいないので(笑)、独り多重録音ごっこをして遊んだ「オリヴィアを聴きながら」
の2曲をスライドショーにしてみました。
画像の撮影場所も通常の取材物件としては物足りないかも?
早くお休みが取れて、また撮影旅行に出掛けたい〜。
『Joy』
『オリヴィアを聴きながら』
撮影地: 那須ミッシェルガーデンコート
■■■ 杉浦啓之
Video 『元淵江公園 生物園夜の部 魚類と「ホタル見night」 』
足立区の東武伊勢崎線の竹の塚駅からバスでほど近くに元淵江公園があります。その中に、この時期夜も開園する生物園があります。昼の部が一度、五時に終了した後に、期間限定で午後六時から九時まで夜間開園する生物園にいってきました。
Video 『埼玉県川口市JR川口駅周辺』
私の勤務先の本店がある街に所用があり、あらためていつも利用しているJRの駅周辺を記録しておこうと思い撮影しました。
記憶の中にある30年以上前の入社当時の街並からの変化に驚いています。
■■■ 『東京大学医科学研究所』 高橋明紀代
私の住まいとオフィスのそばに、東京大学医科学研究所とその付属病院がある。時々、早朝散歩でこの境内に立ち寄る。
7月上旬、初夏の上海と蘇州を4日間、旅行しました。
2010年の上海万博が間近と言うことで、あちこちで工事が行われていましたが、中国の高度成長の一端を見た思いです。
蘇州に向かう中国新幹線(CRH)に乗るため訪れた上海駅では、タッチパネル式の自動券売機があり、英語の入力画面で指定券を購入できます。
タクシーの車内には、日本語の案内があったりと、外国人旅行者に対するホスピタリティの面で、東京やその他の日本の都市でも、バリアフリーの参考になるのではないかと感じました。
■■■ 『浅草』 蛭田信次
隅田川の様子と雷門の夜の写真です。
■■■ 『銭湯物語』 鈴木貞一
■■■ 『月島・文雅堂』 酒井道夫
前回は、新刊書店(青梅二俣尾)の堂々たる英姿をお見せしたけど、今回は一気に月島の古書店。
ちょっと以前までは、こんな店構えも極く何でもない都会の片隅の風情だったはずだけど、いまや「えっ、マジ?」という気分になる。
つい誘われて入り、昭和28年頃の『週間タイムス』4冊(@350)を買い込む。ほとんどカストリ雑誌のノリだが、今を時めく(?)麻生太郎氏のジイチャン吉田茂をコケにした風刺漫画が載っていたりする。
福島市内にある文化財の一つを撮影してきました。
目当ての来迎図はお堂の中にあり、撮影がままなりません。
なんとか撮ったのですが、ピントが合ってないものやアングルがいまいちなものもあり、お恥ずかしい限りです。
文化財は国指定史跡の阿弥陀三尊来迎碑です。
■■■ 『旅行計画の立て方』 川村由幸
あちこち旅行にでかけるのが好きで、いろんな仲間と年に数回は出かけています。
そんな時、ほとんど私が旅行の詳細な計画を立案しています。
自分自身、旅行も含めて「遊ぶ」ということは、非日常を楽しむことと心得ており遊ぶ時は徹底してきちんと遊ぶ。
きちんと遊ぶという言い方では伝わりにくいと考えますが、旅行だったら事前の調査をして、訪問場所や宿など厳選する。
お昼の食事もおいしいものを求めて徹底的に調べ、経済的なことは無視してでも楽しむ。(もちろん限界はありますが)
これは今年の五月に会社の仲間と福島に旅行したときの計画資料です。
このときは初日の昼食をなににするか決めあぐねていました。
私は会津若松名物「ソースかつ丼」を目指してましたが、全体の意見で「満田屋の田楽」をいただきました。
これが大当たり、日本酒と一緒にいただく田楽は最高でした。
この福島旅行は、全くと言ってよいほどハズレがなく、参加者全員が満足した旅行でした。
もちろん、いくら完璧に調査したつもりでも現地に出かけて、ガッカリすることはいくらでもあります。
それでも自分が納得ゆくまで事前調査をした上での失敗ですからあきらめもつきますし、失敗は必ず次の計画に生きてくると思います。
旅行には、行き当たりばったりのハプニング的な要素も重要です。
予想もしなかった事が大きな感動につながることも多いとは思います。
計画がしっかりしているだけで楽しい旅行になるわけではないでしょう。
ただ、きちんと調査をして計画して旅行にでかければ、楽しく感動の多い旅行となる可能性は大きくなると考えています。
これからも旅行会社のツアーになど乗らず(海外は仕方ありませんが)自分で精一杯調査・計画した旅行に出かけたいと考えています。
■■■ フォトエッセイ 「猫のつぶやき……2」 題:「努力ってぇものは」柚原君子
「俺は猫。家で飼われる猫。
唐突だけど、努力ってぇものは<もういやだ!>って思うその先から始まるものだ。
<もういやだ!>だけど、だけど、自分で決めたから続けようと思い込むことだ。
努力ってぇものは自分で自分を裏切らない自分の中の真実のようなものだ。
俺は猫。勝手気ままだから俺の辞書に努力ってぇ文字はない。
ちなみに猫辞書の<ど>のページをめくってみると、出てくるのは<どらねこ>だ。
どら猫とは……盗み食いなどの悪さをする猫とある。
ははははは ♪俺のことだ!悪いか!」
■■■ 『好きこそ物の上手なれ』 末永邦夫
若いときには、スライド写真を映写機で写しオープンリールのテープに入れた音楽と説明を録音機で再生しながら、家族や友人に見せて喜んでいました。
その後、8mmフィルムで動画に到着。
そして、結婚して子供ができてからはVHSのビデオ機器を購入し、やっと長時間の動画と音声が統合できる様になりました。
ところが、ビデオの編集は編集機器が高価でサラリーマンの私にとっては高嶺の花でした。
近年、パソコンでビデオ編集ができる様になってきたので、定年退職を機に残り少ない小遣を投げ出し、ビデオ編集ソフト込みの機種(某メーカーの旗艦パソコン)を購入しました。
なんとか購入したものの、編集ソフトのプレミアの操作が教習書を見ても、さっぱり分かりません。
やりたい事は、はっきりしているのですが、パソコンのキーをたたく手が全く動きません。
こうでもない、ああでもない。。。と考えあぐねるばかりの日々が半年以上も続きました。
しかし、いろいろと試行錯誤を繰り返していると、段々と基本的な操作ができる様になってきました。
次にぶつかった障壁は、ビデオ編集はできても、他人に見てもらえる作品にはなってない事でした。
それで、NHK福岡のビデオクラブに入り、会員諸先輩の作品を見せてもらい、また講師の先生方達から厳しく、暖かい講評を頂きながら、人様にみてもらえる作品作りに邁進しています。
ここまで映像との付き合いが続いたのも、自分が好きな道だったからだと思っています。
また、Japan-GeographicTVの通信員となり、瀧山さんや通信員の皆様の丹念な撮影作品を見せて頂き、一段と勉強になっています。
今後ともご指導、よろしくお願いします。
庭のメジロ
■■■ 『町野修三さんの短歌など』 野崎順次
町野修三さんは大学時代のバスケットボール部の先輩である。
むこうは一浪、こちらは現役だったので、二つ違いのはずが、大学では一つ違いだった。
大阪府立高津高校時代は、西日本で知らぬもののいないバスケットのスーバースターだった。
身長は176cmと低めだが闘争心と策略力に優れ、ドライブンインの早さ、中長距離のシュート力、リバウンドの駆け引きのたぐいまれなきずるさ、など、個人能力に優れていた。
当然のことながら、有名私立大学から推薦入学の勧誘もあったが、そのようなアドバンテージを好まず、一浪して、近くの国立大学に来た。
家業は染色工場で忙しいときには練習に出てこず、試合の直前に青く染まって手で現れ、大活躍した。
大学卒業後、高津高校OBが心斎橋の宝石店「尼伊」の名前を使って、実業団バスケットボール・チームを作り、町野さんも(高津OBではない)私も参加して、1970年代半ばから1980年代半ばまで、大阪府で試合をしていた。
メンバーのほとんどが中小企業の後継者だった。
仕事とバスケット以外で、町野さんは万葉集、特に大伴家持の研究者であり、歌人であり、長唄を習い、多くの女性を愛した(らしい)。
健康面から見ると、バスケット用に安定のよい胴長短足だったが、不自然なストレスがかかるのか、晩年、腰痛に悩まされた。
また、高校以来のヘビースモーカーのためか、2002年12月、59歳で肺ガンで亡くなった。
一人の奥様と3人のお子様がおられ、すべて女子である。
男子が産まれなかったのは、何となくご家族の幸運だったと思われるほど、恐い頑固親父だったようである。
町野さんは1992年3月に「大伴家持論1」を短歌新聞社より自費出版、2002年8月に「歌集ダンディスト」をデジタルパブリッシングサービスより自費出版した。
特に晩年の彼の短歌は、洒脱ながら、思わずニタリとしてしまう味がある。次の作品は、歌集ダンディストからの引用である。
見つかればこの世の終わりというほどの秘密も失せて老いたる夫婦
「かしこ」という言葉で終わるメールあり捨てたふりして秘匿しておく
耳鼻科で待つついでに眼科に申し込む耳鼻科と眼科は眼と鼻の先
禁煙を指示され飴など舐めいたる友は血糖値の新記録樹立
忙しいことが自慢でよく喋るこのオバチャンには逆らわず居る
肺ガンになったのが分かったのは、亡くなる3年くらい前で、家族以外には誰にも云わなかったので、こちらも知らなかった。
その2年くらい前に久しぶりでマージャンをしたが、驚くほど勝負弱くなっていた。
その後、横浜に肺ガンの名医院か特効薬があるというので、定期的に行っていたようである。
亡くなる数ヶ月前にも関東に行ったようで、おのれの体力の衰えを茶化しつつ、首都圏の高年者用設備の遅れに怒っている。
浅草は心優しい駅にして萎えたる足を鍛えてくれる
階段の手すりたよりにばあちゃんの降り行く地下の駅の深さや
エスカレーターの備え無き駅多くして足弱き吾には辛き東京
浅草の仲見世という名どころに来るには来たりもう疲れたり
弱者への配慮はあらずそれはそも首都は強者の都市であるゆえ
東京へ来てたちまちに逃げ帰るおお騒がしいビルのはざまや
「しょーむない」小咄も作っている。その「鳥編」から、少しばかり、
● 年増ツバメ
花子: まだ若いツバメを飼ってるの?
年増ツバメ: そう、私のイロよ。
花子: 楽しそうね。
年増ツバメ: 人生のイロドリよ。
● 鵜
鵜: わたし、仲間の鵜とケンカしてね。
花子: それで?
鵜: 鵜を鵜呑みにしたの。
花子: どうなさったの。
鵜: 吐き出さされたわ。
花子: ウショウー!
※ウショー(嘘)とウショウ(鵜匠)のシャレ。分かって下さーい。
● 四十雀
四十雀: 肩も腰も痛むようになってね
花子: 何時からなの
四十雀: シジュウカラ
● カナリアとホトトギスとキジ
ホトトギス: よく来れたね。どうしたの。
カナリア: 歌を忘れたふりをしたら、捨てられて自由になったの。
ホトトギス: いいなぁ。私もその手を使ったけど、泣くまで待たれてどうしょうもないの。
キジ: 二人とも贅沢ね。私なんか鳴くと撃ち殺される。
さらにご興味あれば、「町野修三」で検索されたい。未だにいろいろ出てくる。
Japan Geographic Web Magazine
編集統括 瀧山幸伸
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