Monthly Web Magazine (Oct.1, 2009)
■■■ 北陸紀行 瀧山幸伸
誰ともなく名づけたシルバーウィーク、北陸への旅は宿が満杯。今夜の宿確保の不安におびえながら文化財調査を行った。
初日は 氷見から史跡石動山を超え七尾へ。史跡七尾城跡とともに今回は調査割愛。
能登国分寺で太鼓の練習をする人々。場違いな音の謎は翌日にわかるのだが。
七尾湾沿いの漁村風景が美しい能登島を経由し、能登の風土に魅せられた仲代達也さんと地元との交流が実を結んだ能登演劇堂でのマクベス公演。
未来の文化財(建造物、無形文化財)はこのような活動からも作り出されていくのだろう。
二日目は名水百選の御手洗池を訪問。背後に神社があり、神秘的な場所だ。
太鼓の練習は、毎年9月20日に行われる国無形民俗文化財の熊甲神社の祭礼だった。
能登には7月から9月まで各地で盛大な祭りが行われるが、あまり知られていない。
能登のキリコ(大行灯)祭りは東北のネブタや竿灯、絵灯篭祭りなどの源流であるとされる。
海の民とともに日本海沿いに文化が伝播する必然がある。
ではその起源はどこか。朝鮮からの海の民か、東南アジアからの海の民か。
イルカの骨が能登の遺跡で見つかったり、「アマ」という地名が隠岐や能登にあることなど、潮流に乗ってやってきた東南アジアからの海の民の文化を源流と考えたい。
山の民(焼畑)の源流も生みの民の源流も東南アジアとすると、昨今のアジアの人々との経済連携も必然性がある。
文化面での交流も促進させ、相互理解を深めていくべきであろう。
話を元に戻して、この祭りも能登の海の民特有の豪壮なものだ。かなり乱暴といってよい。
昨今は若者が少なくなり、各氏子集落では担ぎ手が集まらないのでこのような連休に祭りを開催し金沢などの都会から若者を雇ってくるのだという。
その費用負担に絶えられない部落もあり、先行きは不透明だ。
三日目は加賀橋立へ。 北前舟の船主が集まった集落で、佐渡の宿根木と同様な形態だ。
無住の住居が多いのが残念だ。朽ち果てる前に保存しないと街並が破壊される。
大聖寺は羽二重で栄えた城下町だが、衰退著しかった。最近、街並の修景と集客に積極的に取り組んでいる。
不謹慎ではあるが、那谷寺は大人のテーマパークだ。
そもそも寺や神社はテーマパークなのだが、那谷寺はその要素を具現化しているので興味深い。
たとえば、現代のテーマパークのディズニーランド(TDL)と比較してみよう。
TDLの本堂はシンデレラ城だが、那谷寺本堂の懸崖造りは素晴らしい。
冒険の国に対し、那谷寺の岩峰巡りは勝っている。
未来の国は寺の得意技。あの世への胎内巡りや三重塔は魅惑的だ。
おとぎの国に関しても、「日本昔話」などの題材は豊富。日本の寺社は自然と融和したおとぎ話の厚みが違う。
開拓の国に比較すべきは、日本庭園の箱庭縮景だろう。
唯一負けているのは、ライドアトラクションと夜の演出だ。
京都の寺社は夜の演出でますます人気が高まっているが、那谷寺で夜の拝観があればぜひとも訪問したいものだ。
寺社は怖いキャラクターも豊富に揃えている。TDLに飽きたらぜひ。
三十年ぶりに宿泊した白山中宮温泉はひなびた湯治場。さらに秘湯の岩間温泉が廃業したのは残念だ。
四日目、 白峰村は白山信仰登山の秘境であったが、ダムと道路の開発が進みかなり俗化した。
珪化木産出地でもあり、 恐竜などの化石が豊富だ。大トチノキには圧倒される。
ここから峠を越えると福井県の勝山。平泉寺も白山信仰の登山基地として大いに賑わった。
境内全域が杉の大木に囲まれ、コケの絨毯に覆われている。非日常の世界にワープできる。
勝山は織物で栄えた町だが、衰退著しい。かつての織物工場が産業遺産として保存再利用されている。
五日目、小松天満宮では航空騒音に悩まされる。
神社創建当時の人々が現代の怪鳥が上空を飛び交う姿を見たら即刻遷宮するだろう。
野々市の喜多家は江戸時代の油屋。高山の吉島家と並ぶ豪壮な屋内建築を持つ。
江戸時代ののれんのデザインはサンローランの洋服(数百万円)に採用された。
日本の伝統工芸デザインの優秀さを証明するものだが、現代の海外ブランドのデザインモチーフの多くが日本の伝統工芸を参考にしたものだということはあまり知られていない。
日本人の遺伝子が西洋ブランド物に魅惑される理由はここにあるのだろう。
チカモリ遺跡には縄文の大規模建造物の遺構がある。
金沢大乗寺は静かな禅寺だ。
湯涌温泉の江戸村は破産し、集められた古民家は市の手により再構築整備中だ。
最後に、金沢の中心商業地を訪ねた。金沢らしさはあまり感じられず、地元若者向けの街と化していたが店舗の廃業が目立っていた。
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