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Monthly Web Magazine Mar. 2018

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 紀伊半島のジオサイトが生み出す「本物の絶景」  瀧山幸伸

この表題の用語は正確に説明しておく必要がある。

「紀伊半島」とは、中央構造線の南側、すなわち紀の川と櫛田川を結んだ線、和歌山市と吉野町と松阪市を結んだ線の南側が対象だ。

「ジオサイト」とは、地形地質に特徴がある土地ということ。その中で貴重なものは天然記念物あるいは名勝という文化財に分類されている。

「本物の絶景」とは、巷に氾濫する絶景本やインスタ写真やマスコミが取り上げる絶景のうち、以下のように地理的成因に由来するものとする。

1.ジオサイトなど自然地理に起因する自然景観

2.棚田や街並みなど産業や人の手によって作られた人文地理景観(文化的景観)のうち、自然地理の影響を大きく受けているもの

紀伊半島の有名な観光地のうち、ジオサイト関連の絶景を挙げれば以下のようなものだ。

単に風景を楽しむだけなら数分で記念写真を数枚撮影して終わり、二度三度訪問することはないが、その景観がどのような作用により形成されたのかを知るとさらに興味が増し、他のジオサイトとの比較や再訪が楽しくなる。

 リアス式海岸地形

三重県志摩市 志摩半島各地

Shima peninsura,Shima city,Mie

 

 海底が隆起した地形

奈良県上北山村 大台ケ原

Odaigahara,Kamikitayama village,Nara

 

 河川浸食のV字谷地形

和歌山県新宮市/三重県熊野市 瀞峡

Dorokyo,Shingu city,Wakayama/Kumano city,Mie

 

 山地での農業と鉱業の文化的景観

三重県熊野市 丸山の棚田/紀州鉱山遺産

Maruyama tanada/Kisyu mine,Kumano city,Mie

 

 海食地形

 

三重県熊野市 獅子岩/七里御浜/花窟

Shishiiwa/Shichirimihama/Hananoiwaya,Kumano city,Mie

 

 海食地形

三重県熊野市 鬼ケ城

Onigajo,Kumano city,Mie

 

 特異な地形と手つかずの那智原始林で形成された滝

和歌山県那智勝浦町 那智の滝

Nachi no taki, Nachikatsuura town,Wakayama

 

和歌山県那智勝浦町 那智原始林

Nachi natural forest,Nachikatsuura town,Wakayama

 

 特異な地層と海食

和歌山県串本町 紀伊大島/潮岬 海金剛

Kiioshima/Shionomisaki,Kushimoto town,Wakayama

 

 マグマの露頭

和歌山県串本町 橋杭岩

Hashiguiiwa,Kushimoto town,Wakayama

 

最も残念なのは白浜だ。この町には多くのジオサイトがあるが、観光客も地元も温泉やパンダや人工の白い砂浜には興味があってもジオサイトにはほとんど興味がないのだろうか、貴重な観光資源が眠っているのがもったいない。

 三段壁・千畳敷・円月島など特異な地層と海食

和歌山県 白浜市 白浜の海岸

Sirahama,Wakayama

 

白崎はそれほど有名ではないが、エーゲ海そっくりの風景が手軽に楽しめる。

 特異な地層が生み出す白亜の風景(古生層の石灰岩)

和歌山県由良町 白崎海岸

Shirasaki, Yura town,Wakayama

 

あまり知られていないが絶景となっているジオサイトは他にもある。

和歌山県古座川町の、古座川峡と呼ばれている古座川弧状岩脈は、かつてのカルデラの名残と言われており、一枚岩、牡丹岩、河内島、虫食い岩などのジオサイトが興味深い。また、古座川の清流はダムや堰に邪魔されず、沈下橋もあり、四万十川や仁淀川に負けず劣らず楽しめる。

和歌山県古座川町 古座川峡・一枚岩

Kozagawakyo/Ichimaiiwa,Kozagawa town,Wakayama

 

和歌山県古座川町 虫喰岩

Mushikuiiwa,Kozagawa town,Wakayama

 

最後に、極めつけの「本物の絶景」は、和歌山県すさみ町のフェニックス褶曲だ。まるでベーコンのような、世界に類を見ない激しい地殻変動の痕跡が目前に眺められる。

残念ながら断崖絶壁なので観光で手軽にというわけにはいかないが、それなりの装備をすれば魚釣りなどしながら終日楽しめる。

ここを訪問すると、絶景本や絶景番組が馬鹿らしくなってしまうかもしれない。

和歌山県すさみ町 フェニックス褶曲

Phoenix fold, Susami town, Wakayama pref.

 

いやいや、土佐清水の見残しのほうが本物の絶景かもしれない。

高知県土佐清水市 見残し

Minokoshi,Tosashimizu city,Kochi

 
 


■ 三木の町を歩く  野崎順次

三木市は神戸市西部の北側に位置する。文化財的には地味な街だと思っていたので、歩いてみようと思ったことはなかった。最近、古本屋で見つけた「昭和街並探訪」2013年によれば、「兵庫県はレアもの民家の宝庫だ!!」とあり、三木は「兵庫県でも街道に沿って町屋が残っているのは、三木の街並です。」と書かれている。友人の故桑田優君が三木の金物史を研究していたことも頭に浮かんで行ってみることにした。

神戸電鉄新開地から鈴蘭台で粟生線に乗り換えた。三木市の中心的な三木地区は電鉄の駅では、恵比須、上の丸、電鉄三木である。一番手前の恵比須で降りて、湯の山街道を西へたどった。湯の山街道は、三木から有馬温泉に通じる街道で、秀吉の三木城攻めの頃(1578〜1580)から整備されたという。古い民家がちらほらとあるだけであるが、道筋は緩やかにくねり、鍵型の辻もあったりして風情を残す。

    

ナメラ商店街から旧玉置住宅

美嚢川(加古川の支流)の手前で街道はナメラ商店街に入る。ここは湯の山街道の延長のようでも、ひめじ道あるいは交わし道の始まりのようでもある。アーケードを抜けると、少し行くと、三寿ゞ刃物製作所があり、右手奥の幹線道路沿いに旧玉置住宅がある。共に国登録有形文化財である。

       

交わし道

その先のいかにも街道筋という少しくねった道は交わし道である。江戸時代に参勤交代の大名が通り本街道の混雑を避けるために造られ、道筋には金物卸問屋や鍛冶屋職が軒を並べ、大道具を製造する多く鍛冶職人が生活していた。

交わし道の先に旧小河家別邸がある。建物が国登録文化財、庭園が国登録記念物で、特に庭園が豪快である。

  

幹線道路を横切り、川沿いの道がひめじ道、東から西へ歩く。ひめじ道は秀吉が3万の大軍を姫路に移動する時に整備された。江戸時代には参勤交代の大名行列が通ったという。

 

創業以来の景観を残す金物問屋黒田清右衛門商店。

 

少し戻って福有橋を渡る。振り返ると三木城本丸跡とその下に旧玉置家住宅が見える。対岸にはレトロな福有薬局が見える。

 

神戸電鉄三木駅に着いた。のどが渇いていたが、無人駅で周囲にはコンビニもない。駅前の観光説明板を撮影して、帰りの電車が来るまでに駅舎も撮ろうとしたが、ちょうど明石行のバスが来たので飛び乗った。午後3時半ころだったか。その3時間後に近くの住宅から出火して駅舎を含む3軒が全焼し、全国ニュースとなった。帰宅後にテレビで見てびっくりした。

故桑田優君のこと

三木は金物の町として有名である。その近代経済史の研究において第一人者だったのが桑田優君(神戸国際大学名誉教授)である。彼の集大成的著作は「伝統産業の成立と発展−播州三木金物の事例」2010年9月1日発行 思文閣出版である。彼とは高校の同期で2年間同じクラスだった。また、高校2年同期の酔いどれ仲間「我楽多会」で40年以上にわたり、毎年に会っていた。残念ながら、一昨年、脳腫瘍のため先に逝ってしまった。合掌。集合写真は2008年11月30日撮影、左端が桑田君。

 


■ 旧甲子園ホテル(現 武庫川女子大学 甲子園会館)と甲子園 中山辰夫

兵庫県西宮市にある「旧甲子園ホテル」を見学しました。JR甲子園口駅から歩いて約10分、高級住宅が居並ぶ中にあります。

ライト式アール・デコ建築の代表とされる旧帝国ホテル(竣功:1923)は京都府宇治市の平等院鳳凰堂が下地とされますが、甲子園ホテルの設計を担当したライトの愛弟子・遠藤新もその流れを継承しました。

いずれも建物と水がランドスケープとなっており、甲子園ホテルも「水滴」がモチーフとして随所に使われています。

平等院鳳凰堂旧帝国ホテル・旧甲子園ホテル (旧帝国ホテルは1985年に明治村に移築復元されました)

  

東の帝国ホテルと並んで「西の帝国ホテル」と称されたこのホテルはリゾートホテルとして1930(昭和5)年に開業しました。

ホテルとしては14年間の使用でした。戦後この地域は阪神・阪急の積極的な開発で大変貌を遂げましたが、先駆けとなったホテルはランドマーク的な存在で残り、現在は大学施設として使用され見学できます。外観、内部共に殆どが当時のまま残されています。

ホテルはライトの幾何学紋様を豊富に取り入れた壮大な建物で正面側外観を見ただけでも圧倒されます。全面が石とタイルとテラコッタに覆われています。これだけの建物で、キャパは客室70、収容150名と聞き驚きでした。当時、最高級の社交場として使われたようです。

 

外観以上に目を見張るのが内部の装飾です。日本独自の「打出の小槌」や「市松格子」を天井飾りとし、壁面には金粉を使い独特の輝きだったホール、その他どの室も彫刻、照明などを含め迫力満点のつくりです。

      

池泉式回遊庭園から見る南側の全景は、正面側玄関の様相とは違ったつくりになっています。褐色で暖かい感じの日華石とタイルで造り出された建物全体に目を奪われ、見飽きることなく見学を終えました。

職業野球球団・大阪タイガースの応援歌「六甲おろし」はこのホテルで1936(昭和11)年3月に発表、お披露目が行われました。

当時の甲子園球場は規模も小さく、周辺はイチゴ畑が連なり、イチゴ作業をしながら歓声を耳にして球場に駆けつけたという話も聞きます。

その後の開発でマンモス化しました。

少し外れますが・・・

甲子園球場といえば、春の選抜高校野球が3月末から開催されます。今年は滋賀県から3校が出場します。

21世紀枠から選抜された膳所高校は59年ぶり4回目の出場です。今年は創立120周年と重なり関係者は大喜び。準備が進みつつあります。

59年前に出場したバッテリーは小・中・高の同期であったことから大いに興奮して応援したことを覚えています。

これまで縁遠い存在の高校野球でしたが思いもよらない機会ですので、バッチリ楽しもうと始まるのを待ち遠しく過ごしております。


■  糸島が面白い 田中康平

福岡に転居してもう5年になる。あちこち出かけているがまだ理解しきっていない場所だらけのような気がする。

今は糸島が面白い。福岡市のすぐ西にある。

怡土郡と志摩郡という2つの地域が明治になって一緒になって糸島という名前になった。

志摩郡の方は日本書紀では嶋郡と表記され大昔は海面が今より高く嶋郡は文字通り島だったというのが定説になっているようではある。

確かにflood.firetree.netの地図では僅かに海面が上昇しただけで糸島水道が出現して糸島半島は島になるようだ。

魏志倭人伝にある伊都国というのが怡土郡の昔の姿だと広く考えられているようで国内最大の銅鏡が出土した王墓平原遺跡もこの怡土側にある。

また、支石墓であるドルメン遺跡は志摩側に見出されていて朝鮮半島からの文化伝搬ルート上に糸島が位置していたと思わせる。ドルメンに埋葬されていた遺骨は渡来人でなく縄文系の色濃い骨だったというから朝鮮半島との行き来がふつうに行われ文化そのものが流れてきて古来からの日本人を変えていったようだ。そんな証拠が残されているところも面白い。

今の時期の糸島は牡蠣小屋がいい。漁港にビニールハウスが並び中で取れたての焼き牡蠣が食せる。

牡蠣というとあたると思っていて現実に関東にいた時はもらった牡蠣や飲み会で出された牡蠣に何度も当たった。

そういう体質かと思っていたら、牡蠣に当たるというのは殆どがノロだとある時知って、そうならば十分に火を通した牡蠣なら大丈夫だろうと数年前に糸島の牡蠣小屋を訪れた。

食べて数日たっても異変は無く確かに大丈夫だった。

ここらの牡蠣小屋では牡蠣そのものが殺菌されてるとうたったり十分火を入れた焼いてくださいと焼き方指導があったり、牡蠣のあたりを避けるべく心を砕いている雰囲気があって、ここなら大丈夫かと思わせる。

どの小屋でも牡蠣1Kg1000円というのが相場で飲み物は持ち込み自由と気楽で割安なのがよくて随分流行っているようだ。

糸島の加布里・船越だけで10店くらいある。以来冬になると港のカモメ見物も兼ねて1度は出かけることにしている。

 

今年は梅もいいらしいと糸島の小富士梅林にも出かけてみた。江戸時代からの梅林らしい。

庭木のように手入れされた梅ではないがメジロが飛び交い海を見下ろしながら梅林を散策するのは心地いい。

ここでも辺りには重文の平安仏があったり前方後円墳があったり明治の豪農邸があったりする。

手軽で美味しい食とともに古代から近代にいたるの遺跡・文化財が点在し流れていく歴史が感じられるところが糸島の面白いところと思えている。九州はどこでもそうだと言われればそうかもしれないが。


■ 萩でのお買い物 蒲池眞佐子

萩市にちょっと買い物遊びに行ってきた。

萩市の笠山に「ドライブイン笠山」というところがある。

地元越ヶ浜の漁師さんが獲ってきたきたイカを一夜干しにして店頭で販売している。

店の前ではイカが洗濯ばさみにはさまれて、クルクルと回っている。

ちょうどイカとっくりの製造中だったのもおもしろかった。

イカをとっくりの形に石を入れて成型。

ふたの部分はオチョコにかぶせて成型中。これに熱燗を入れると、イカの香りが移って美味しいらしい。

もちろん、何回か使えば柔らかくなるらしく、そうしたらトックリ自体がつまみに変身。一石二鳥である。

また、ヒジキ、ワカメが今のシーズンで新物を購入することができた。

実は私はヒジキやワカメに旬があることすらここに来るまで知らなかった。

さすが旬のもの、プリッとシャキシャキッとしてこの時期を外すことはできなくなってしまったのだ。

     

近くには萩ガラス工房がある。

萩ガラスの生産が始まったのは万延元年(1860年)、萩の武士であった中嶋治平が設置した。

職人の多くが江戸から呼び寄せられた者だったため、江戸切子の文様に影響を受けており、公家や天皇の献上品をはじめ、他藩への贈答品や交易品として珍重された。

石英玄武岩(安山岩)に含まれる鉄分の色をした緑色のガラスや切り子ガラス、内貫入りガラスがある。

切り子ガラスは「トワイライトエクスプレス瑞風」でも使用されている。

内貫入りガラスはひびの進行が完了するまで3年かかるらしい。

使用前、使用後を比べてみるのも楽しいかもしれない。

         

最後に「しらすクリームコロッケ」。これでもか、というぐらいしらすが入っているこちらは萩城跡近くの海産物製造直売所で購入。さすが磯の香がいっぱい。

観光名所だけでなく、隠れたおいしいものがあるので、来られた時は立ち寄ってみるのも楽しいものです。


■ 新しいカメラを持って民家園に 川村由幸

新しいカメラを購入しました。コンデジです。

Canon G1X MarkⅢです。巷ではコンデジとは言え、デジイチに負けない画質だと評価する声が大きいようです。

センサーはAPS-Cサイズ、重量 399gで小型高性能が謳い文句のCanonコンデジのフラッグシップです。

撮影機材への投資が撮影意欲を高めるのは間違いのない所で私もそれを狙っての投資でもあります。

さらにもし本当にデジイチに負けない画質なら、大幅な撮影機材の軽量化が実現出来てしまいます。

4K動画の撮影はできませんが、どこに行くのにもG1X MarkⅢだけで済むなら、これほど楽なことはありません。

早速、これをもって日本民家園に出かけてきました。

場所は小田急線向ヶ丘遊園駅、なんと電車ででかけました。

いままで、上野や東京駅近くの取材以外電車で出かけたことはないと言ってもいい状況でした。

器材が軽量なら電車の方が楽ちんなのです。

  

現像はraw画像をdngに変換しLightroomで実行しています。画像はどうでしょうか。

100%サイズにして見ても、それほど粗さも見えずJGの要求品質になんとか耐えているのではないでしょうか。

  

暗い室内画像も細かいところまで描写できていると思いますが、ゆがみというか変形がデジイチの大口径レンズと比較すると大きいように感じます。当然と言えば当然なことですが。

窓の格子から差し込む光などとても美しく撮影できていると思いますが、いかがでしょうか。

  

色あいも自然でくせも少なく馴染みやすい画像だと感じます。

ここ日本民家園は23棟の古民家があり、内7棟は国の重要文化財に指定されています。

こんなにもたくさんの古民家が集められている施設の見学は初めての経験で古民家好きの私にはぴったりです。

園内の敷地も広く、さっと見て廻っただけで10,000歩を超えてしまいました。

今までなぜ訪問していないのか考えて見ますと、車移動だと都心をぬけての移動となり、混雑を嫌っていたのだと思います。

器材が軽くなり、電車移動が楽になると、さらに取材地の選択の幅が拡大しそうです。

■ 看板考 No.63  「押し売り物もらい一切お断わり」 柚原君子

所在地:埼玉県浦和市

「押し売り物もらい一切お断わり」というブリキ板が、表札の横に掲げてあった。

「断りに応じない場合は110番へ」という浦和警察署浦和市防犯協会からの但し書きが添えてある。

かなり古いブリキの様子なので昭和半ば頃の表示かもしれない。

昭和半ば、ルン〇〇という言葉がまだ存在していた頃、私たち家族は下町で大衆食堂を営んでいた。

当時、電気釜の普及はなくてガス台でご飯を炊いていた。祖母がご飯を炊く係でガス加減をずっと見張ってはいるのだが、一釜ごとに多少のお焦げが出るのはやむをえなかった。

祖母はそれに紅ショウガを散らしておむすびにしていた。

髪の毛はもはやお団子状態のかたまり。それが10本ばかりに分かれて頭から垂れ下がっている。

ひげは伸び放題で頭と同じように小さなお団子垂れ下がり化している。

レインコートを着ているが、裾の方はハタキの様に破れて、これまた垂れ下がっている。

顔と手は赤茶色で、もちろん垢のかたまりの末の色だ。

ズボンはてかてかと光り靴は右と左は違う種類であったような気がする。

調理場の脇の細い出口に、午後になるとその人は現れた。

深々とおじぎをする。祖母が紅ショウガ色に染まった赤いお焦げおむすびを二つ三つ与える。

その人は再びおじぎをする。静かに流れたほんの少しの時間。

その様子を調理場の奥から垣間見た小学生だった私は、教科書に載っていない何かを勉強したような気がする。

物乞いをして生きている人は見かけなくなり、路上に座って金銭のお恵みを待つ人もほとんど姿を消し、ホームレスという路上生活者が自力で糧を得ている今となった。

看板の文言にある押し売りは、唐草模様の風呂敷を背負って、包丁を畳にさして「買え!」というタイプは漫画の世界のみとなった。

が、スーツを着て猫なで声での押し売りはちまたに時々いる。

25万円の百科事典を危うく買いそうになったことがある。押しかけイケメン居座り営業マン。

なかなかいい男ぶりであった。その話をいつか機会があったら書いてみたい。


■ おばちゃんカメラマンが行く 豊後街道@熊本県産山村   JG事務局

「なんじゃこれ〜」鞍掛くぬぎ

豊後街道は肥後藩の参勤交代道の一つで、熊本城から大津、二重峠、内牧、坂梨、笹倉、大利、を経て大分県の久住、野津原、鶴崎港までの121キロだ。

行列がここを通るのに5日要し、鶴崎港から瀬戸内航路で大坂まで行き、東海道を通って、江戸まで計1184キロ、35から38日要した。(文化庁)

豊後街道を歩くためには、資料が少なく車でのアプローチがしにくいため、こつこつと散策することをお勧めする。

おばちゃん的には史跡の熊野古道と同等のありがたさで、あまり再訪したくない所の一つだ。

今回は数か所あるうちの産山村内のへき谷の道標から弁天坂の石畳、御休所跡、境の松坂の石畳まで歩いた。

二つの坂の石畳道は共に国の史跡で、当時の石畳がよく残っていた。

杉林や道標などは見られるが、石仏系はほとんどなく、少し退屈である。

境の松坂と弁天坂

 

弁天坂の石畳と御休所跡の間の急なヘアピン山道を登る途中に「鞍掛くぬぎ」の看板を発見。

県の天然記念物で少し奥まっているのでスルーしようと思ったのだが、当時の馬方の気分をと思い脇道を数分登ってみる。

参勤交代とは関係無いようで日本一の大くぬぎと書いてある。

農夫が牛の鞍をかけて休んだらしい。

なんとも納得できないおばちゃんは裏に回ってみると、「なんじゃこれ〜」。

あきれるほどの大瘤が二つ。筆舌しがたいので、写真参照。

女性が瘤に触ると乳が出るとまで書いてあった。

次回からは残り少ない知性と教養を振り絞って少し内容のレベルアップをしようと反省中だ。

今月のにゃんこ

「肖像権を目で訴える猫」

大分県大分市 豊後街道今市の石畳


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Editor Yukinobu Takiyama

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