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山梨県早川町 赤沢宿

Akazawa shuku,Hayakawa town,Yamanashi

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 General
 
忘れられた身延信仰の宿場
 Nature
 
 
 Water
 
車の騒音が無い水場はかくも爽やか
 Flower
 
 
 Culture
 
山岳修行の宿場の街並
 Facility
 
 Food
 


May 25,2014 瀧山幸伸

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江戸屋付近

                                          

   

大阪屋付近

                                               

集落をえびす屋まで上る

                                                                      

えびす屋付近

                  

集落を下る

                                  

再び江戸屋へ

        

集会所付近へ

              

七面山登り口附近

                    

弁天

                       

■■■赤沢宿の危機 

■関東の霊地

 今まさに宿場の灯が消えようとしている赤沢。思い立ったら今すぐ行動しないと宿泊できなくなってしまう。

 関西の霊地と言えば高野山だが、関東近辺で外国人にもお手軽お気楽な霊地的体験は、高尾山か日光富士山だろう。

賑やか過ぎて、もう少し静かな霊地が良いと言う人は、南足柄の最乗寺、富岡の妙義神社、佐野の満願寺、日立の御岩神社、鴨川の清澄寺などか。

いやいや、霊地には朝もや、ご来光、白装束だ。宿坊で一泊できなければだめ、という方には、伊勢原の大山、青梅の御岳山、前橋の榛名神社あたりがおすすめか。

これらの街並も土産物屋や騒がしい観光客で落ち着かない。そうじゃなくて、自然が豊かで、観光バスも車も走っていなくて、水音や野鳥や宗教関連の響きに癒され、質素な宿に泊まってタイムスリップできるような所が良い、とおっしゃる方には赤沢をおすすめしたい。

■山岳修行の宿場

 南アルプスの中央に位置する早川町は全体が秘境で、特に最奥の奈良田は孝謙天皇の伝説が残る落人の里だ。日本で最も人口の少ない町だそうで、1970年には五千人近かったが、今では千人あまりとなってしまった。赤沢も鎌倉時代に遡る落人の里だったが、江戸時代からは身延講の講中宿として賑わった。伊勢講、富士講と並ぶ身延講は、日蓮宗の信者などで江戸東京を中心に組成されたものだ。一行はしだれ桜で有名な日蓮宗総本山の九遠寺から身延山奥の院に登詣した後、山を下り赤沢で一泊し、谷を越えて七面山に登った。七面山は二千メートル近い霊山で、頂部は身延町の飛び地となっており、池や岩が点在する神秘的な空間だ。富士山のほぼ真西にあたり、春分秋分の日には富士山からのご来光が拝めるが、難儀な山登りだ。ところが早川沿いに道が整備されてからは身延山超えが必要なくなる。さらには七面山登山口まで車で行かれるようになり、赤沢は急激に廃れていった。 ■忘れられた宿場

今では忘れられた宿場であるためか、全ての時間が止まっている。近代的なもの、奇抜なものは何一つない、江戸時代から続く和のテイストが味わえる癒しの里だ。集落は30戸に満たず、土産物屋も無い。街並は、周囲の山、畑、坂道の石畳、石垣などの景観要素を抜きには語れない。赤沢青年同士会が昭和63年から始めた石畳の敷設など、地道な努力が今日の赤沢を作っている。身延山から下る南傾斜の斜面が上部、中部、下部に分かれ、中心部を通る石畳歩道に接して雛壇状に建物が並ぶ。宿屋は当初平屋の板葺きだったが、明治以降は多くが総二階建に変わった。通りに面しマネギ板と呼ばれる講中札、今で言う旅館の歓迎看板が掲げられ、団体客が直接出入りする広い縁側とともに独特の景観を呈している。1993年に国の重要伝統的建造物群保存地区に指定されたため、このような景観が良好に修復保存されている。

赤沢の坂はかなりきつい。坂道の石畳と石垣は建物とともに赤沢の街並景観の根幹を構成する。坂の上から街路を見下すか下から見上げるかで街並がダイナミックに変化する。今は閉鎖している旅館がほとんどだが、建物からは七面山と遠方の南アルプスの眺望が開ける。ここの水場は中山道など街道の水場とは異なる。車や観光客の騒音が無い山里の水場はかくも爽やかだ。かつては参詣者に大いに役立ったことであろうが、今となっては水音が街並の静寂さをさらに引き立てる。音といえば、ある日は遠く七面山に登る信仰集団の叩く太鼓の響きが風の音とともに舞い降りる。違う日には谷を渡る集団のグレオリオ聖歌そっくりな御詠歌がここまで這い上ってくる。このような時空が今も残っていることが不思議に思える。それは良いのだが、肝心な宿はどうなっているのだろうか。

江戸屋は集落の中腹に位置する。外観が美しい大型の旅館だ。フコク生命の広告入り「たばこ」看板が懐かしい。90歳にして27代目のおばあさんに話を伺った。初代は室町時代の落武者だといい、甲冑や刀が残る。いつ頃から宿屋を始めたかはわからない。同じ村から嫁入りして70年だが、ご主人は合併前の旧本建村の村長を務めていた。明治の最盛期には40戸ほどの集落に九軒の旅館があり、蔵や民家にも宿泊するほど繁盛した。村人には宿泊関連の仕事のみならず、七面山登頂者の荷物を運んだり、腰押しという登山を手伝う仕事もあった。今でも、足腰が弱いけれどどうしても登拝したい、という人向けに駕籠が用意されている。お代は40万円、日本一高い乗り物だ。重要伝統的建造物群保存地区に指定されたものの、日帰りの見物客はあっても宿泊にはつながらず、商売にはならない。平成に入る頃六軒あった旅館は2000年に三軒に減り、2005年には江戸屋だけになってしまった。跡取りは甲府に出てしまった。今でもシーズンには団体客があるが、この先どうなるやら。この日の夕方、講中一行が江戸屋に到着した。子供を含み全員が白装束に身を包んだ姿は楚々としており、動きに無駄が無い。今日は足慣らしで周囲を巡り、明日七面山に登頂するそうだ。

大阪屋は集落の下部に位置する旅館だ。一階の軒下にはずらりと講中札が並び壮観である。廃業前の2004年にこの宿のおばあさんに話を伺った。目が回るほど忙しかった昔の繁栄は影をひそめ、年に数件の客しか来なくなったという。そのおばあさんは今90歳を超え東京に暮らす。息子さんも東京だ。無人の建物と講中札が来ない客を待ち続けている。

喜久屋は街並保存の有志によって建てられた新しい建物だが、閉まった雨戸と宿の看板が風に揺れる姿が物悲しい。看板越しに見る山並がさらに寂寥感を増す。

大黒屋は入口に大黒様の石像を祀る。ここも営業していない。この風景と環境があるのに、もったいないことだ。大黒屋とその隣の建物は、二階の手摺、軒板、棟飾りなど細部の意匠が好ましい。

集落の上部には平屋の建物が多い。塀が無く、道路と敷地の区分が不明確であるのは、客を呼び込むための工夫であろう。玉屋のご主人に伺ったところ、明治には既に廃業していたそうで、猫だけが無邪気に走り回っている。

えびす屋は集落の最上部、身延山からの下り道中で最初に到着する宿だ。こちらも廃業前の2004年に女将の話を伺った。今ではほとんど宿泊客がおらず、ご主人も勤め人だが、以前は団体客で大いに賑わったらしい。和歌山牧水もこの宿に投宿した体験を書き留めている。この宿の身延講の講中札は、東京下町の鳶職人により組成されたものが多く、信仰と、職域の年中行事、レクリエーションなどを兼ねていたのだろう。 ■追憶から再生へ

赤沢の将来は楽観的な状況ではない。宗教関連の宿場町だったという固定概念を捨て、白紙から具体的な活性化策を考えてみたい。そこでSWOT分析をやってみよう。強みStrength、弱みWeakness、チャンスOpportunity、脅威Threatを分析する手法である。

赤沢の強みは、東京から二時間ほどで行かれることと、自然環境も人文環境も申し分なく、目、耳、舌、体にやさしいことだ。周囲を山に囲まれ、南アルプスを遠望するので、四季折々の自然景観が目に嬉しい。光害が無いので星空が美しい。目の前の水場の音、少し歩けば谷川と行場の滝の音に耳が癒される。車の騒音とも無縁だ。登詣の行をする人々が発する音は非日常的で幻想的だ。早川町は野鳥の楽園でもある。山菜やジビエ、渓流魚など本物の貴重な食材がある。山歩きなど自然に親しむ運動の場としては申し分ないし、夏は冷房が要らないほどの快適さは体にやさしい。

だが弱みもたくさんある。自然が好きな人への強みは、便利さに慣れた都会人には弱みでもある。建物は山小屋や宿坊に近く質が低い。水周りなどに不便が多く、寒さに弱く、プライバシーが確保されず、障害を持つ人に辛い。かといって重要伝統的建造物群保存地区なので近代的な施設に建て替えることはできない。サービスも料理も保養グルメ向きではない。宿といえば温泉だが、地区内にはない。赤沢への道は細く、バス停から20分ほど歩かなければならない。

チャンスは、何といっても空き家を活用できることだ。現に民芸作家がアトリエとして利用している。蕎麦の店もある。七面山への登山者は一定数おり、再生の方向によっては再度固定客になりうる。赤沢の街並は類例が少ないので、海外からの訪問者は評価するだろう。飲食については、健康食であれば専門家の支援を受けて対応可能だ。

脅威は、赤沢が廃れた理由そのものにある。周囲の便利で快適で温泉がある宿と競合することだ。建物はこのままだと朽ちてしまうし、集落の崩壊もあり得る。早川町自体も崩壊寸前だ。

だが、町全体で取り組めば、脅威をチャンスに変えることができるかもしれない。これらの分析を念頭にいろいろな案が浮かぶ。簡便なところでは、アーチストとセットの、群馬のたくみの里のような日帰り工作体験の場だ。だが、赤沢である必然性が弱いし、行楽客を狙える立地ではなく、平日の売上は低い。純粋なアトリエ村にしても良いが、これまた廃校や休眠工場や養蚕農家の活用策などと競合する。

赤沢の規模は小さいから、もっとニッチな案も考えられる。自分探しや美と健康を求めて道場体験などに興味はあるが、宗教の押しつけやきつい修行は嫌だという人も多かろう。例えば、海外客も含め、一週間程度滞在して日本流の「もったいない」主義を体現し、不健康な生活習慣を身も心もエコで健康的なものに変える「日本的世界観に基づいた行動変容の場」となる案もあろう。

戦後、日本各地の山岳信仰の場は歓楽周遊型の観光に押されていたが、最近ではストレス発散、健康増進、ダイエットなどの修行を目的とする来訪者が徐々に増えている。行者のまとう白衣は生まれ清まる再生のための浄衣であり、修行体験は都会生活で疲労した人々を魅了するのだろう。熟年層だけではなく青少年が先達の山伏に従う光景も見られる。宗教の色が希薄となった現代社会では、自然を克服した快適なライフスタイルが有効に働かない人々も多いのではなかろうか。「自然の脅威を知り、パワーをもらう旅」「霊場体験の旅」のような、原始アニミズムに近い非日常体験の場が求められているように思える。その兆候は、伝統的な山岳宗教の地、恐山鳥海山羽黒山月山湯殿山、白山御岳山高野山石鎚山英彦山などで見られるようになってきたが、吉野熊野四国遍路以外はまだ活性化していない。電子化やら国際化やら成果主義やら、何かと疲れることの多い現代人はスローなライフスタイルに変革する必用がありそうだ。その機運の中で、首都圏からさほど遠くないこの地赤沢には、自然とスピリット以外何もない。古い街並と宿泊施設が保存されているのだから、それらを活用し、、創造的啓発や美と健康づくりの場などに有効活用される日が再び訪れるだろう。それには、少なくとも一週間は滞在可能な、時間と心が裕福な人を相手にすることがカギだ。

早川町は「日本で最も美しい村」連合に加盟しているが、その中でも赤沢はキャラクターが濃いだけに、ここを舞台に映画など様々な創作が生まれそうだ。


Oct.2004 撮影:瀧山幸伸

No.1  HD(1280x720)

No.2 えびす屋と女将の昔話  HD(1280x720)

忘れられた信仰の宿場

赤沢は、江戸時代から続く身延往還の宿場だ。しだれ桜で有名な身延の九遠寺から身延本山に登頂し、反対側の七面山に向かって山道を下る途中、山地の中腹に位置する小さな集落だ。

18世紀から昭和にかけて、江戸東京の下町を中心に組成された身延講の参詣者で大いに賑わった。参詣者は、ここで一泊し、赤沢から沢を越えて山岳信仰の霊山である七面山に登っていた。

赤沢の街並は、周囲三百六十度の山、畑、坂道の石畳、石垣などの景観要素を抜きには語れない。

赤沢青年同士会が昭和63年から始めた石畳の敷設など、地道な努力が今日の赤沢を作っている。

忘れられた集落であるためか、近代的なもの、奇抜なものは何一つない、純粋に「和」のテイストが味わえる癒しの里だ。

 

身延往還徒歩ルート(車で赤沢に行く場合は早川沿いのルートを迂回する)

 

集落は北側が身延山に近く、平坦な地形を選ぶように、上部、中部、下部の3区域に分かれている。

中心部を通る石畳歩道に接して、雛壇状に家が並ぶ。

集落の建物は、古くは平屋で板葺きであったが、明治以降は総二階建の旅館型に変わった。

通りに面し、マネギ板と呼ばれる講中札が掲げられ、独特の景観を呈している。 今で言う旅館の歓迎看板だ。

赤沢は国の重要伝統的建造物群保存地区に指定され、このような景観が良く修復保存されている。

  

集落下部の景観 遠方に見えるのは旅館江戸屋

 

大阪屋

 集落の下部に位置する旅館。古老の話を伺ったが、昔の繁栄は影をひそめ、今では年に数件の客しか来なくなってしまったそうだ。

  

江戸屋

 集落の中腹に位置する。障子の格子が美しい、大型の旅館。

    

坂道の石畳と石垣

 赤沢の坂はかなりきつい。坂の上から下から、それぞれ街路を眺めれば、街並がダイナミックに変化する。今は閉鎖している旅館がほとんどだ。

    

水場

 かつては参詣者に大いに役立ったことであろう。今となっては水音がこの集落の静寂さをさらに引き立てる。

 

喜久屋

街並保存の有志によって建てられた新しい建物だが、年代を感じさせる。閉鎖しているため、宿の看板がむなしく風に揺れる姿が物悲しい。看板越しに見る七面山や南アルプスの山並が寂寥感をもたらす。遠く七面山に登る信仰集団の叩く太鼓の響きが風の音と唱和する。このような時間が現実として今も残っていることが不思議に思えてくる。

    

大黒屋

 入口に大黒様を祭る。ここも営業していない。この風景と環境があるのに、もったいないことだ。

    

集落の上部

 こちらには平屋の建物が多い。いずれも元旅館で、現在は廃業している。

塀が無く、道路と敷地の区分が不明確であるのは、客を呼び込むための工夫であろう。

  

      

えびす屋

 集落の最上部、身延山からの道中で最初に到着する宿だ。女将の話によると、今ではほとんど宿泊客がおらず、ご主人も勤め人であるが、以前は団体客で大いに賑わったらしい。和歌山牧水は、身延登山の折、この宿に投宿した体験を書き留めている。

身延講の講中札は、東京下町の鳶職人により組成されたものが多く、信仰と、年中行事、リフレッシュなどを兼ねていたのであろう。

             


Oct.2004 撮影: 高橋久美子

               


Oct. 2003 撮影:瀧山幸伸 source movie

  まとめ

戦後、日本各地の山岳信仰の場は、歓楽周遊型の観光に押されていたが、最近では、ストレス発散、健康増進、ダイエットなどの修行を目的とする来訪者が徐々に増えている。行者のまとう白衣は、死装束であると同時に、生まれ清まる、再生のための浄衣であり、修行体験は、都会生活で疲労した人々を魅了するのだろう。

夏休みには、熟年層だけではなく、青年グループが、先達の山伏に従う光景も見られる。

宗教の色が希薄となった現代社会は、合理主義だけで生きていかれるのだろうか。

「自然を克服した快適な旅」の合理主義が有効に働かない人々も多いのではなかろうか。

「自然の脅威を知り、そのパワーをもらう旅」「霊場体験の旅」のような、原始アニミズムに近い非日常体験の場が求められているように思える。

その兆候は、伝統的な山岳宗教の地、恐山、鳥海山、羽黒山、月山、湯殿山、白山、御岳山、高野山、石鎚山などで多く見られるようになってきた。

ITやら国際化やら成果主義やら、何かと疲れることの多い現代人は、このような所で休養を取る必用がありそうだ。

このような機運の中で、首都圏からさほど遠くないこの地、赤沢には、自然とスピリット以外何もない。古い街並と宿泊施設が保存されているのだから、団体向けの宿泊施設を活用し、林間学校、職場研修、健康づくりの場などに有効に活用される日が再び訪れるだろう。

早川町の「2000人のホームページ」には、赤沢の人々の暮らしが紹介されている。それを見れば、多くの人が、この村の人と交流してみたいと思うだろう。

http://www.town.hayakawa.yamanashi.jp/2000/akasawa/mf_village.html      All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中