JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine May 2018

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 交通不便ゆえに素晴しい 北海道西海岸 瀧山幸伸

北海道西海岸は交通不便ゆえに一般観光客にはあまり人気がないが、目が肥えた旅人には非常に興味深い地が続く。

やはり初夏の6月7月が最もお勧めの時期だ。北の稚内から順に見てみよう。

利尻富士が美しいサロベツ原野

北海道幌延町/豊富町 サロベツ原野

Sarobetsu wetland,Horonobe town/Toyotomi town,Hokkaido

 

米作の北限地遠別

北海道 遠別町清川 米作の北限地域

Kiyokawa Northmost rice farming area,

Enbetsu town,Hokkaido

 

世界一のウトウの楽園天売島

北海道羽幌町 天売島 赤岩の夕景(ウトウの大群)

Akaiwa evening, Teuri island,Haboro town,Hokkaido

 

重文の花田家ニシン番屋

小平 旧花田家番屋

Obira old Hanadake banya

吉村昭の「羆嵐」の題材となった史上最悪の人食い羆事件の三毛別

北海道苫前町 三毛別ヒグマ事件

Sankebetsu,Tomamae town,Hokkaido

 

重文本間家がある増毛から石狩までの険しい海岸線

増毛 旧本間家住宅

Mashike old Honma residence

 

積丹半島から西はさらに人気がない。だが、岩内から松前までの海岸線には最も北海道らしい自然が残されている。

あまり教えたくないが、岩内の高島旅館は魚介類がおいしい温泉宿だ。

北海道岩内町 高島旅館

Takashima ryokan,Iwanai town,Hokkaido

 

岩内から西には、雷電海岸、寿都、島牧と、美しい海と山野草、雪を頂いた山を遠望する野趣に富んだ風景が続き、あまりの美しさに眼がしびれる。各漁港の直売所には新鮮で格安な海産物が並ぶ。その場で焼いて食べられ、あまりのおいしさに舌もしびれる。

北海道 岩内町 雷電海岸

Raiden kaigan,Iwanai town,Hokkaido

 
北海道寿都町

Suttsu town,Hokkaido

 
 北海道 島牧村

Shimamaki Village,Hokkaido

 

島牧の山中には賀老の滝があり、その迫力と爆音に体がしびれる。いつ遭遇するかもしれぬヒグマへの恐怖に背中もぞわぞわとしびれる。

北海道 島牧村  賀老の滝

Garonotaki,Shimamaki Village,Hokkaido

 

奇妙な岩が乱立するせたなも興味深い。

北海道せたな町

Setana town,Hokkaido

 

八雲は「花埋み」の荻野吟子ゆかりの地で、渡辺淳一が好きな人は必見だ。

その南の乙部には湧水群があり、湧水巡りが興味深い。飲み比べればそれぞれ味が違う。

北海道乙部町

Otobe town,Hokkaido

 

江差は交易で栄えた港で、重文中村家や開陽丸が見どころだが、山に入ると人を寄せ付けないヒノキアスナロの原生林が広がる。(危険なのでおすすめしない)

江差 北前船とニシンで栄えた港町

Esashi

 
 
江差 かもめ島 開陽丸

Esashi Kamomejima Kaiyoumaru

 
江差 ヒノキアスナロおよびアオトドマツ自生地

Esashi Hinokiasunaro, Aotodomatsu

 

その南の上ノ国にはアイヌと和人の融和生活を物語る史跡が残り、重文笹浪家にも資料が展示されている。アイヌと和人の戦いの史跡は数多いが、融和の史跡はここと平取町の沙流川中流域が別格だ。

北海道 上の国町 

Kaminokuni town,Hokkaido

 

美しい海岸線を走ると、ようやく松前。桜の季節も良いが、歴史好きにもたまらない。北前船を知るには松前から終着港余市までの西海岸を知る必要がある。西海岸を知らずして蝦夷地の歴史は語れない。が、やはり一般の観光客には興味が薄いか。

北海道松前町

Matsumae town,Hokkaido

 
北海道余市町 旧下ヨイチ運上家

 Kyu Shimoyoichi Unjoya,Yoichi town,Hokkaido

 

■ 木製看板について 大野木康夫

京都は建物が空襲で焼けるということが極めて少なかったため、今でも戦前から続く木製看板が多く見られます。

最近、仕事に関連して木製看板の写真を撮る機会があったので、いくつかピックアップして紹介したいと思います。

源田紙業(上京区)

宝亀2(771)創業で平安遷都により京都に移転したと言われる水引関連のお店でした。

会社は存続していますが、事業を整理されて販売業務はやっておられません。

看板は京都に2枚しか残っていない北大路魯山人の彫看板です。

 

山本竟山の揮毫による看板

亀末廣(中京区)、本家玉壽軒(上京区)

山本竟山は明治時代の書家で、明治の末から京都で活動していたため、看板の揮毫も多く手掛けました。

亀末廣は文化4(1804)年、本家玉壽軒は慶応元(1865)年創業の和菓子屋さんです。

亀末廣の看板の縁取りは、菓子の木型を並べたものになっています。

 

小川寉斎の揮毫による看板

平安法衣店(下京区)、浅井商店(中京区)

明治から大正にかけての書家である小川寉斎は、多くの看板を揮毫しました。

京都で雰囲気のある古い木製看板を見たらかなりの確率で寉斎のものであることが確認できると思います。

 

富岡鉄斎の揮毫による看板

彩雲堂(中京区)、鶴屋吉信(上京区)

明治、大正に活躍した文人画家富岡鉄斎が揮毫した看板は、数が少ないものの残っています。

迫力のある書体で目立つ看板となっています。

 

その他明治期の看板

ヨアケ、灰孝本店(下京区)

いずれも明治期の看板ですが、当時の看板屋さんが手掛けたもののようです。

灰孝本店は任天堂と兄弟企業(創業者が同じ)で、任天堂旧本社の近くにあります。

 

江戸時代の看板?

古梅園京都支店(中京区)

意外かもしれませんが、京都には江戸時代の商業看板はほとんど残っていません。

幕末の戦火、明治初期の衰退の影響でしょうか。

奈良の古梅園の京都支店(江戸時代からあった)の小さい方の看板が江戸時代のものと言われているくらいです。

(参考)寺社の扁額

高山寺石水院(右京区)、龍吟庵方丈(東山区)

今回撮影したものではありませんが、寺社の扁額のうち古いと思われるものを紹介します。

日本最古の看板はおそらく東大寺西大門勅額(重文)です。

京都にも勝持寺仁王門扁額(伝小野道風揮毫)、東寺鎮守八幡宮扁額(伝空海揮毫)、清水寺仁王門扁額(伝藤原行成揮毫)などがありますが、古いものにはどうしてもレプリカではないかという疑いが消えません。

オリジナルかもしれないと勝手に思っているもののうち、古いものが高山寺石水院扁額(伝後鳥羽上皇揮毫)、龍吟庵方丈扁額(足利義満揮毫)かと思います。

 


■ ときわ公園 蒲池眞佐子

山口県宇部市にあるときわ公園は、面積約100haにおよぶ常盤湖を中心に緑、花、彫刻などに彩られた総合公園。平成28年に常盤湖は「世界かんがい施設遺産」に登録されたらしい。

また、「日本の都市公園100選」や「さくら名所100選」「美しい日本の歩きたくなるみち500選」、しょうぶ苑は「池坊花逍遥100選」に選ばれており、NHKが募集した「21世紀に残したい日本の風景」で総合公園として全国1位にランキングされたとのこと。

と、ここまで書いて、ぶらっと遊びに行った公園、なんかすごいところだったんだ。と改めて思ってます。

緑と花、彫刻、動物園、遊園地、歴史・石炭、などのブースがあり、それぞれに楽しめる。

東京ドーム40個分と言われる園内には四季折々の花が咲いており、いつ行っても楽しめる。

行ったときは、芝桜が咲き始め、ハナモモが満開を迎え、サトザクラが咲き終わりぐらいの季節だった。

         

常盤湖にはペリカン、白鳥、渡り鳥などがいる。現在は鳥インフルエンザ防止のため、網が張ってある中で暮らしているペリカン、ちょっと狭いのか、よくケンカしている。

     

ときわミュージアムの中には8つのゾーンがあり、「熱帯アジアゾーン」「熱帯アメリカゾーン」「アフリカゾーン」「南アメリカゾーン」「北中アメリカゾーン」「ヨーロッパゾーン」「オセアニアゾーン」「中国・アジアゾーン」に分かれている。

熱帯アジアゾーンでは青いヒスイカズラの花が咲いていた。フィリピンでは絶滅危惧種に指定されている。

           

途中、滝もあり、自然がいっぱいだ。

熱帯アメリカゾーンではパラボラッチョがドーンと迎えてくれ、アフリカゾーンではバオバブの木が迎えてくれる。

     

南アメリカゾーン、北中アメリカゾーンではサボテンたち。

ちょうど花の時期でサボテン好きにはたまらない。ムーミンに出てきそうな金晃丸もかわいい。

                

オセアニアゾーン、ヨーロッパゾーンは中庭となっている。

 

公園の中には常盤神社もある。

          

シャクナゲは綺麗に咲き、ボタン苑はこれから。花菖蒲はもう少し先。

      

日本初の石炭記念館では宇部市発展の礎となった石炭産業の展示がされている。

      

公園内はベンチもたくさんあり、木漏れ日の下、花や湖を見ながらお弁当を広げるのも楽しく、のんびりできる一日だった。


■ 近江の聖地(パワースポット)−1 中山辰夫

近江には多くの神仏たちがおられます。これら神仏を辿りますと、山(岩)、川(みず)−自然への崇拝−と重なり、自然の力に行き着きます。

そして自然の力がより集う処が琵琶湖です。琵琶湖から見える力の源、琵琶湖を抱く近江の自然や風土−これを白洲正子は『カミ宿る近江」と感じ繰り返し近江を旅しました。

白洲正子を虜にした近江−近江の聖地と称される所を、滋賀県立安土城考古博物館の資料を参考に順次並べます。

1−園城寺(三井寺)大津市

仁王門(重文)・三井の晩鐘(重文)・金堂(国宝)・閼伽井屋(重文)・同(三井の霊泉)・三重塔・観音堂「西国十四番札所(重文)

      

三井寺の名は天智・天武・持統三帝の産湯に使った井戸に由来します。本当の名は長等山園城寺。近江八景「三井の晩鐘」でも有名です。

山寺両門の争いにより再三の焼打ちや数々の難関を乗り越え寺観を整え「不死身の寺」とも呼ばれます。

延暦寺より108年も古い歴史を持ち、波乱にとんだ運命を経てきたことがウソのように思われる現在の広大で静寂な寺域。

観月の舞台に立って琵琶湖を眺め、叡山の峰を仰ぐと、この寺院の存在の大きさがわかります。

2−千石岩(せんごくいわ)と山上不動堂 (大津市)

  

皇子が丘の西に突き出た神の坐す磐座。その名は、米俵を千石積み上げた形に由来するともいわれます。

不動川の源頭付近に存在し、下流に位置する山上不動と密接な関係にあるといわれます。

3−近江神宮(大津市)

楼門・外拝殿・内拝殿・本殿 (社殿は全て国登録文化財)

     

1940(昭和15)年に天智天皇を祀るために創始された神社。この地が大津宮であることに由来します。

毎年百人一首の名人位・クイーン位の決定戦が行われます。

4−唐崎神社 (大津市)

    

琵琶湖岸に鎮座する日吉大社の摂社の一つで、御祭神は女別当命(女の神様)です。創建は持統 天皇の御代の697年と伝えられます。

古来より天皇や国家の大事の災いを祓い清める 七瀬之祓(ひちせのはらい)が行われ、悪しきものを流し去るための聖地とされてきました。

日吉大社の大物主命が影向した地でもあります。近江八景「唐崎夜雨」の舞台としても知られますが、その中心であった霊松が昨年老化で枯れ残念です。古くより多くの歌人に愛されて、詠われてきただけに惜しい事です。若木を植樹し再来を期しています。

5−比叡山と延暦寺 (大津市)

比叡山

古事記には「是神山」と表現されています。最澄が霊山に入り山岳仏教を確立し延暦寺を建立。今日の仏教を支える祖師達を多く輩出させました。その山容は近江の至る所から仰ぎ見ることが出来ます。霊山として有形無形の力を発揮しました。「近江の湖(うみ)は海ならず、天台薬師の池ぞかし・・・」と綴られているように、比叡山に咲いた文化が周辺の山々にも投影し、文化が咲き、文化を育みました。

延暦寺は日本の山岳仏教の母胎の役割を果たし、近江は勿論のこと日本の歴史と文化にも大きな影響を与えました。

根本中堂(国宝)と文殊堂(重文)

   

不滅の法灯が1200年の光を放っていることでも有名で、鎮護国家の祈祷をする根本道場とされてきました。61年振り、10年をかけて大改修中。

浄土院

 

比叡山「延暦寺」で、最も清浄な聖域、最澄の御廟所です。 . "侍真(じしん)"と呼ばれる12年間、山から降りずに籠山修行をしている僧侶が現在も毎日、霊前の給仕を行なっています。"十二年籠山行"として"千日回峰行"と共に歴史ある修行の一つです。

にない堂(重文)・釈迦堂(重文)と横川の横川中堂

   

中堂は本堂で、遣唐使船をモデルとした舞台造り。

6−崇福寺と金仙の滝 (国の史跡と歴史的風土特別保存地区) (大津市)

    

黄金の舎利容器(国宝)が出土した天智天皇建立の崇福寺。この伽藍を画する谷に懸かる滝が金仙の滝。

滝の横には石窟が穿たれ、祭祀が行われていたと思われ神秘的な雰囲気が漂っています。


■ 高島の奇石と磐座  野崎順次

連休前半の4月28−30日によく歩いたが、痛くなりやすい足首も快調で、自信が戻ったのに、5月2日の朝方から左膝が痛くなった。膝の痛みは久しぶりである。筒形のサポーターを箪笥の奥から引き出して、はめたら痛みは感じなくなった。という訳で3日もどこかに行きたいのだが、膝が悪化したら、大変だ。でも、じっとしていられない。そこで、軽いミラーレスカメラだけ持って、杖をついて、笠岡諸島の高島に行った。一番高い神ト山(かみうらやま)頂上が標高77mだから、たいしたことなかろう。

高島は国指定名勝で、神武天皇の「古事記」「日本書記」には、神武天皇が九州からの東征の途上「吉備の高島宮」に数年間滞在したと記録され、地元では古くから、高島宮とはこの島のことであると信じられてきた。また、それにちなんで、奇石や巨石の集合が磐座や古代遺跡と考える人が少なくない。今回は高島の中央部を巡る。

  

北西部の港から海岸沿いに東に歩き、小さな岬を越える。王泊の集落の手前に巨大亀石があり、その上の資料館「高島おきよ館」のさらに上には明治天皇招魂碑がある。

   

王泊の東側から、神ト山(かみうらやま)に登る。神武天皇が吉凶を占った場所といわれる。

高島行宮遺址碑があり、頂上部は東磐座と呼ばれる。

      

南に下っていると陰石らしきものが。

 

さらに南海岸を西へたどると、南磐座で、鳶の頭部の彫刻とやらも。

    

近くにこんな石も

  

秘境遺跡群の看板まで戻り、北へ下ると、王久山遺跡である。

  

最初は天津磐座で、亀石もある。

        

それから、踊り石と岩戸石

      

さらに萬古石と拝観石のセット

   

最後はどんび石

  

ここから港まで約15分くらいの下りだ。結局、1日の歩数は約2万、上がった階数は約60で、膝は大丈夫だった。


■ 今年(2018年)の桜 川村由幸

今年は当初4/22-23で予定していた福島の観桜を一週間前に倒してもすでに滝桜は葉桜でした。

異常気象と言っても過言でないの春先の暖かさで平年に比べ10日以上桜が早かったようです。

桜は冬の厳しい寒さのあとの春の暖かさで開花するようで、冬の平均気温がどんどん高くなってゆくといずれ開花しなくなるという危惧さえ持たれているようです。

日本人の私には桜の咲かない春など春ではないのです。

そんな危機感を感じながらも、福島の桜を楽しんできました。

滝桜は葉桜で訪問しませんでしたが、近くの紅枝垂れ地蔵桜と不動桜はギリギリで楽しめました。

 

この二本は郡山市にあり、そこそこ名高い桜で観桜客が多数見受けられました。

散り際の桜も風情豊かなものと満開時にはないわびさびを感じてきました。

この時期、三春町・本宮市の桜はほとんどが葉桜で二本松市の合戦場のしだれ桜と愛蔵寺の護摩桜が満開との情報でそこに向かいました。

  

右端の画像は2015年のものですが、真ん中の今年のものと比べると分るように枝が一本なくなったようです。

桜も生き物、風で枝がダメージを受けることもあるでしょう。ただ、勢いを失うような変化はやはり寂しいものです。

愛蔵寺の護摩桜は今回初めて訪問しました。

  

樹勢にチョッピリ翳りを感じますが、幹にはまさに年輪が感じられ風格のある桜でした。

ここまで来ると観桜の客も少なく静かに風情を楽しむことができました。

そして今年の最大の収穫は田村市の桜を知ったことでした。最初に尋ねたのが松岳寺のしだれ桜。

  

花の色も濃く、みごとな桜です。こんな桜があまり知られていないはなぜなんでしょう。

墓参りの地元の方はいましたが、観桜の客など全くいませんでした。

翌日、最初に尋ねたのが是哉寺の地蔵桜。エドヒカンの巨木です。

  

まさに満開、この桜も全く知りませんでした。松岳寺のしだれ桜より一回り大きく見えます。

青い空に桜が映え、350年間、人を楽しませて来た樹木の風格を感じます。

他にも永泉寺のサクラ、大雷神社のしだれ桜を廻りました。永泉寺のサクラは知られている桜で撮影のカメラ愛好家であふれていました。

 

大雷神社のしだれ桜も人が一緒に写っていて、その大きさが想像できると思います。姿の良い桜です。

重要なことは、田村市の桜は周辺の市町村の桜が葉桜でも、見頃だということです。

標高が高いのでしょうか、このタイムラグは大変に重要です。

滝桜を見逃しても、田村市に行けば見事な桜を見ることが出来るのです。

今年、田村市の桜をすべて訪ねたわけではありません。来年は福島で二回観桜が出来そうです。

そんなことを思いながら、最後に夏井千本桜を訪ねて帰路につきました。


■  新緑の季節 田中康平

九州は常緑樹が多く紅葉と同じく新緑もいま一つの所があり感動するという景観にはお目にかからない。でもいいところもなくはない。

最近インスタグラムの流行で少し有名になったところの一つに佐賀の環境芸術の森がある。唐津市の南の山中にある。

造園業者である個人を核として自然を蘇らせるべく個人個人の努力で少しづつ30年をかけて形作られてきたとされる自然公園だ。紅葉が美しいことで知られるようになってきたが新緑の季節もいいようではある。

山荘の漆塗りの机に見事に木々の景観が映し出された写真がSNSに数多くアップされている。うまくやればこんな感じの写真になるようだが撮影場所取り順番があって思うようには写真は撮れない。庭を眺めるだけでも勿論美しい。

 

イロハカエデが多くこの時期赤い種を花のように付かせたりしているのもある。これもいい。

庭には人工物をなるべく避けるような工夫があるが晴れた乾いた緩やかな風の吹くこんな日は緑の中が心地いい。

  


■ 看板考 No.65 「おけぞく」 柚原君子

所在地:岐阜県大垣市

桶族……桶を愛用する銭湯好きの人々?……違いますね。

ある程度の年齢の人には解ると思います。私の小さい頃は法事は自宅で、また月命日にはご住職様が読経に参られていました。夕食の膳は取り決めだったようで庭を歩いていたニワトリが追い回されたあげくに一羽シメラレ、こってりとした脂の鳥とゴボウの炊き込みご飯がご住職様に供応されます。当然家族もその夜はごちそうにありつけるわけで、お坊さん早く帰らないかなぁ、と子供心に念じて、涎が出るほど待ち遠しかったのを覚えています(普段は麦ご飯でした)。

その「おけぞく」ですが、おけそくさま、と祖母は言っていました。おは尊敬語の「御」、けそくは「華足」という字。

御華足(宗派によっては御華束)は仏様にお供え物を盛る高台の仏具です。そこにお餅を載せることが多いので、仏事のお供えのお餅の別名になりました。

お供え物を載せる高台ですから、お供え物は何でも載せます。一番はお餅、次にご飯、それからお菓子や果物となるようです。お供えには「恵みをご先祖の方々と共に感謝する」という意味があります。特にお餅は蒸したりついたり、つく途中では合いの手のように杵の降りる前に餅米をひっくり返したり、また付き上がればみんなで冷えないうちに丸めなければなりません。

家族総出で協力し合わなければ、おけぞくさんは出来ないのです。

お餅が最高のお供え物というのは家族仲良くの意味が込められているのかも知れません。

杵も臼も持たない場合はこの看板のように「おけぞくあります」、というところであつらえなければなりません。

先日、お友達のご主人の年忌に参列させて頂いたら、御華足の上に白いおまんじゅうが載せられていました。「お餅と違ってすぐに食べられて便利よね」、とお友達に小声で話しかけたら、「あれは中身はお砂糖。それにお寺さんにそのまま行ってしまうので、待っていたっておまんじゅうにはありつけないわよ」。「えっ中身がお砂糖なの。どこであつらえたの?」「ネット!」。

時代は動いていきネットで「おけそくさま」もどきのお砂糖を買う時代。慣習だけではなく言葉も生きたり死んだりします。「マジ卍」という言葉があると先日聞きました。どのような仏教用語かと思ったらJK用語で「まじ?」から発する『信じらんな〜い!」という意味のようです。

語呂合わせに卍をつける?祖母が生きていたら明治女の心意気で「罰当たりどもめが」と小さな声でつぶやいたかもしれません。


■ おばちゃんカメラマンが行く @神大植物公園 調布市  事務局

連休の混雑を避け東京都内でじっとしていたが、雲一つない好天に恵まれ気軽な気持ちでバラをチョイと観に行くことにした。

子供の日ということもあり駐車場に入るのも大変な混雑で、おばちゃん的には平日にすればよかったと後悔しきりである。

ただ今年は桜同様バラも一週間ほど早くほぼ満開で見頃だった。

バラの話は今回置いておいて、今回の「なんじゃこれ〜」

温室で私好みの植物を発見した。

今まで珍しく奇妙なものはたくさん見てきたが、これは3本の指に入れてあげたいと思う程見事な「なんじゃこれ〜」だ。

名前は「黒猫の花」(タッカ・シャントリエリ)

black cat,devil flower,bat flowerとも呼ばれている東南アジア原産のタシロイモ科の植物だ。怒った黒猫が髭を逆立てている姿を思わせる。

3本の指のうちの残る2本の「なんじゃこれ〜」植物も気になると思うので参考まで

キイレツチトリモチ

鹿児島喜入町(現在の鹿児島市)で発見された寄生植物で、トベラやシャリンバイ他に寄生する国の天然記念物だ。現地に行ったときは見ることはできなかったが、高知の牧野記念植物園で見ることができた。なかなか開花を見ることは難しく、喜入で苦労したため、その奇妙な姿を見た時は感動した。キノコのような大きなつくしのような「なんじゃこれ〜」だ。

アイラトビカズラ

熊本県山鹿市 国の特別天然記念物で樹齢1000年ともいわれるマメ科の植物だ。大きな藤の化け物のような花で、妖艶な匂いがする。

開花すれば必ず国家的事変があると言われる不吉な花で、昭和4年に35年ぶりに開花した翌年満州事変が勃発した。

山鹿のはここ数年開花しているようで地震、集中豪雨、噴火の予兆だったのかもしれない。今年も4月末から咲き始めたようだが、天候のせいか房が少ないらしく、天災がひとまず終息へ向かっているのかもしれない。開花で一喜一憂するのもおかしな話だが、一目見れば納得の「なんじゃこれ〜」だ。

山鹿に行った時は見ることができず、写真は天草のものだ。

今月の猫

黒猫つながりで京都常寂光寺の「くろべえ」

岩合さんに撮られるほどの人気モデルなのに無愛想


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Editor Yukinobu Takiyama

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