MONTHLY WEB MAGAZINE Mar.2012
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What's New Feb.2012
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トピックス
■■■■ 滋賀県の国宝・重要文化財建造物が全て収録されました 瀧山幸伸
滋賀県には181の国宝あるいは重要文化財に指定された建造物があります。中山さんはじめ通信員の努力が実り、全て収録することができました。
文化庁のホームページはおろか、世界中のどのサイトでも成し得ていないことですが、我々のミッションが目に見える成果を達成したことに、携わった通信員の感慨もひとしおです。
もちろん、これは第一順目が完了したということであり、今後二度三度と訪問を重ね、四季折々の美しい情景や細部に宿る匠の技を収録していく予定です。
分野別索引の「街並学 まちおこし学 事始め」の「学びの旅、文化財でまちおこし」で述べたとおり、日本人が誇る文化財には、建造物のほかに、史跡名勝記念物や民俗文化財など多くのジャンルがあります。
より多くの通信員の手でこれらが全て収録され、我々の子孫や世界の人々に伝え、価値を共有する絆を創ることが我々の目指すところです。今後ともご声援をお願いいたします。
■■■■ 東海道そぞろ歩き 瀧山幸伸
旧東海道は旧中山道に比べ浮世絵に出てくるような美しい情景はかなり破壊されていますが、この冬の静岡県内調査から旧東海道散策のおすすめスポットをピックアップしました。
由比 由比正雪ゆかりの紺屋が今も。
吐月峰柴屋寺 一休さんとも親交があった連歌師宋長の美意識の結晶、風流な名勝庭園。
花沢の里 万葉の古道にひっそりと佇む素朴な街並
島田川越遺跡 越すに越されぬ大井川の渡し場を再現する交通産業遺産。
日坂と小夜の中山 茶畑に埋もれる小夜の中山と伝説の夜泣き石。
掛川 市民の手で復元された掛川城天守閣と重文御殿、二宮尊徳ゆかりの大日本報徳会。
白須賀 度重なる津波を避け幕府が移転させた宿場。津波被害の歴史を学ぶ資料が揃う。
■■■■■ 福岡県八女市立花町「竹あかり」 末永邦夫
八女市立花町の谷川梅林で行われる「夢たちばな観梅会」は今年で23回目になります。この時、「竹あかり幻想の世界」が、トンネルを利用して開催されます。
これは、特産の孟宗竹を使った「竹の燈明」で、各種の模様が彫られ、それが暗闇の中で輝くロウソクにより、幻想的な世界を創り出すものです。
「竹の燈明」は地元消防団の方達が時間外に1月から、延べ人数約500名がかりで作成されていました。
また、公募によるボランティアさんの作品「竜の竹燈明」も展示されていました。
今回、ボランティアさん約30名の方達が竹の燈明を作られるところから取材しました。
作成は大変な手間ひまのかかるものでした。しかし、作品は観る人々に暖かな気持ちをもたらす、素晴らしいものでした。
ボランティアさん、消防団さん達の献身的な活動に感謝します。
■■■■■ 雲を抜けて雪の奥日光に遊ぶ 田中康平
3月になった。春があっという間に来た。
この週末日光の町に来たついでに遅くならないうちに今年の奥日光の雪景色を見ておこうといろは坂に車を向けたが、雲が低い。
朝、高層までの大気の予測をパソコンで書き出した図ではこんな低い雲は少なくとも宇都宮には予想されていなかった。
どうみても上空にはドライなエリアが広がっているはずだ。
地形の影響で霧降からいろは坂までは雲が溜まり易い。多分戦場ヶ原は晴れているはず。梅雨時に似たパターンか、と気を取り直してのぼりにかかる。
雲の厚さはいやましに感じられて、予測が外れれば雪かと不安がよぎる。
昨日の雨は奥日光では結構な積雪になっている。更に積もると厄介だ。次第に路面を雪が覆い始める。
と 前を走るレッカー車がみえてきて程なく直ぐ先の道脇に動かなくなっているクルマの前に停まる。
どうやら次第に雪が多くなる雪道に恐れをなしてレッカーを呼んだようだ。
確かにいろは坂は一方通行だけに途中で断念するとこうするほかない。
それにしても木々の枝に雪がつき木の枝のトンネルが雪化粧して美しい。
雪道はスキーに出かけたりで何度も走ったがこれはかなりな美しさだ。
来たかいがあるというものだが停めるところがなく写真には残せない。しかしいい。
明智平を過ぎてもまだ殆ど雲の中だ、大丈夫かと不安になりながらトンネルを抜けると次第に男体山が見え始める。
中禅寺湖に出る頃には空は見事な晴天となった。思った通りだ。こんな時は気象の知恵が役に立つ。
菖蒲ヶ浜にはオオワシ、オジロワシを見ようとクルマが集まっている。朝オジロワシが出たがもう何処かへ行っている。オオワシは見ない、と教えられる。
そろそろオオワシもオジロワシも引き上げる時期だ。暫く待ってみるが現れない。かわりにいつも現れる山の上に小ぶりな鳥の姿が見える。ノスリだ。何もいないよりは随分いい。
戦場ヶ原も歩いてみる。春の光が明るくて心地いい。
暗く覆う雲の向こうに春の光が満ちている。何だか随分得したように山を下りる。今年はどんな春になるだろうか。
■■■■■ 湖国の重文建造物 大野木康夫
中山さんが大半を投稿されていた滋賀県の文化財ですが、元宝寿院宝篋印塔の所在が分かったので、3月3日に訪問し、1巡目が網羅されました。
私の投稿はほぼ撮影ガイド的なものなので、詳細は中山さんの取材を待つとして、この1年半ほどに私が撮影し、まだ未投稿のままほったらかしているものを並べてみました。
金剛輪寺、豊満神社(愛荘町)
弘誓寺、百済寺、春日神社、赤人寺、高木神社、涌泉寺(東近江市)
長寿院(彦根市)
比都佐神社、正明寺(日野町)
長寿寺、廃少菩提寺、常楽寺、善水寺(湖南市)
甲良神社、西明寺(甲良町)
観音寺、鞭崎神社、老杉神社、石津寺、志那神社、新宮神社(草津市)
小津神社(守山市)
安養寺、八幡社、浄厳院、小田神社、摠見寺(近江八幡市)
長安寺、日吉大社、石山寺、神田神社、小野神社、天皇神社、和田神社、膳所神社(大津市)
安養寺、春日神社、大野神社、大角家住宅、小槻大社、大宝神社、宇和宮神社(栗東市)
鏡神社、勝手神社(竜王町)
白鬚神社、若宮神社(高島市)
大行事神社、圓光寺、日吉神社、生和神社、稲荷神社、春日神社(野洲市)
滋賀県の社寺は比較的訪問しやすいので、今後も折を見て撮影に行きたいと思います。
大野木
当方は気楽に後追いさせて頂こうと思っており、時間の余裕が見込まれます。
そこで、今更の感がありますが、何かしら惹きつけられる “町家・民家散策” をと考え、手始めは京都からとしました。
ろうじ店舗(京都文化博物館1階)江戸末期の商家や町家の店構え
京都の町家は2万7000軒ほど残存すると聞きますが、年々15〜20%減少しているようです。
築後275年の松坂屋も昨年よりホテルに再開発中
市と民が協力して町家存続のあり方に対し熱心に取組まれています。
日本経済新聞「2月末日」
京町家本来の佇まいの妙は、気配が感じられる “夏”。冬はとても寒い。その対比も確かめたい。
町家が最高に輝くのは祇園祭の前後とされ、それは圧巻といわれる。その華やかさも見たい。
再生し新事業に取組む町家、古建築を守り運命を共にする老舗の町家。
そうしたお店に立ち寄り “京の食” を味わいながら佇まいを観察したい、などと思っております。
京都の主要な町家・町並みは大野木さん酒井さんが投稿済です。(杉本家、瀧澤家、二条陣屋など)
また、各地の町家・民家も投稿の中に多く見受けます。当方は追っかけで身近な所から歩きます。
先ずは、典型的な町家 “四条京町家” を訪ねて、基礎知識を身に付けることからスタートです。
■■■■■ランの花が咲きました 川村由幸
我が家のランの花が咲きました。二月の十日過ぎだったと記憶しています。
このランはここ四,五年花をつけつけなかったのです。
わたしが植え替えをしましたが、それが悪かったのでしょう。
二年ぐらい前に、以前花をつけていた時のように植え替えをし直しました。
それでやっと今年花を見ることができました。大きさも姿も全く以前のままです。
確か、このランは我が家に三十年以上前にやってきたはずです。
仕事の先輩からいただいたものと記憶しています。いただいてから、すでに二回引っ越しをしていますが
その都度、ちゃんと付いてきて年に一度、目を楽しませてくれていました。
久しぶりに花をつけたのを見て、改めてこのランと三十年以上も一緒に暮らしていた時間に思いをはせ、
感慨にふけることはとても楽しいものでした。
実は、私はこのランの正式な名前を知らないでいました。
調べてみました。「パフィオペディルム・アースリアヌム」という名前、別名 女神のスリッパなどと
呼ばれているようです。ただ確証はありません。
「パフィオペディルム・アクタエウス」の可能性もあります。
一茎一花で形からもパフィオペディルム系であることは間違いないと思います。
新しい芽が一方方向に増えて行くため、数年すると鉢の端っこに株が生えている形となってしまい、
植え替えが必要になります。
これからも大切に育て、毎年花が見られるよう愛情を注いでいきたいと考えています。
■■■■■ 私のカメラ用リュックサック 野崎順次
登山やハイキングの時に背中に背負う袋状のものを、かつては誰もがリュックサックと呼んでいた。
語源はドイツ語の「ルックザック (Rucksack)」で、「背中袋」の意味。
大日本陸軍では背嚢と訳された。その後、北米から「バックパック」という言葉が日本に入ってきたが、これは明らかにドイツ語の「ルックザック (Rucksack)」の直訳である。
その後、小さなものはナップサック(原語では大小に関係ない)またはデイパック、大きなものはザックと呼ばれるようになったようだ。
いずれにしても、私はリュックサックという呼び方が伝統的に正しく時代錯誤には至っていないと結論したい。
私は車を運転できないので、撮影機材をリュックサックに背負って出かける。
何やかやで8㎏前後になる。特に上り坂とか疲れて(酔っぱらって)帰る道には応えるので、背負いやすいリュックサックが極めて重要である。
特によく使っている3種類について紹介する。
(a) 米国 ザ・ノース・フェイス社のリーコン(Recon)30L (made in Vietnam)
(b) ニュージーランド マックパック社 テカポ(Tekapo)25L
(c) 米国 ナショナルジオグラフィック 中型バックパック (made in China)
現在最も気に入っているのが、(a) リーコンである。
形状はスタンダードなD型で、背負ってからチェストストラップを留める。
4〜5kgまでならこれ充分だが、さらに重い場合はウエストストラップを留める。
当たり前の話だが、両ストラップ共に長さ調整可能でバックルをパチンと止める。
中央のでかいメッシュポケット、両サイドのボトルメッシュポケット(三脚と雲台を収納可能)もいい。
昨年の夏ころ、日本のメーカーがよく似た対抗商品を出して日本人の体形にフィットした国産品として1割くらい高く売っていたが、最近は40%引きに値下げして敗退したようだ。
ユニークなのはその上のジップポケットで、多目的ナイフ、眼薬、バンドエイド、ボールペン、保湿ハンドクリームなど入れておける。
第2コンパートメントはボールペンや小型ダイヤリーを入れるオーガナイザーというポケットシステムがあるが、へなへなして使いにくい。但し、ジッパー付きポケットは貴重品用に便利である。
メインコンパートメントにはB5サイズのパソコンやA4サイズの書類が入れて固定できる部分もある。また、底が広くゆとりがあるので、撮影機材を粗雑に収納しやすい。
2番目に好きなのが、マックパックのテカポ25Lである。
ハイブリッド素材「アズテック(AZTEC)」が使用されて耐久性抜群である。
一般的にナイロンの耐水性を高めるために使われるポリウレタンコーティングではなく、ポリエステルとコットンの混紡と特殊なワックスを使って長期酷使に耐えうる耐水性を実現しているという。
個人的にも、同じ素材の小型の製品(いわゆるティアドロップ型ディパック)を10年以上使っている。
実にタフである。このテカポは上下に少し大きいが、厚みが薄くコンパートメントが一つなので、機材の出し入れが手間という難点がある。
見かけの割に容量は25Lと控えめである。目的地までまっしぐらに進み、リュックサックを投げだして、カメラ2台で撮りまくると言ったような状況に適している。メッショポケットが両サイドと中央にある。
最後にナショジオ(NG)の中型カメラバッグは最も高価である。
容量はうまく収納して30L程度と思われる。
「ナショナルジオグラフィックの探究心と環境保護の精神が反映されています。……バッグ本体には、麻や綿などの天然素材をはじめ、アンティーク加工を施した真鍮製のバックルなど、環境に配慮した素材を使用しています。」というが、使いにくく背負っていてフィット感が劣る。
各種ストラップにバックルが使われていないので、だるい。
ウェストベルトもなく、自分で黒いベルトを付けて見て少し良くなったが、まだ不満足である。
耐水性はないので、雨の日にはナイロンカバーが必要である。
でも、肌触りがよく「ナショジオブランド」がかっこいいので、晴れた日の大都会でのお買い物にたまに使う。
■■■■■ 私の三脚システム 瀧山幸伸
現在のAカメラの三脚システムを紹介します。
Japan Geographicでは通信員向けに静止画と動画の撮影方法を解説しています。
現在のカメラはCanon 5D markIIで、建物の撮影には歪みが許されないのでTS-E17mmという超広角のあおりレンズを基本レンズとして利用しています。標準域は単焦点レンズ、望遠域は70-200mmのズームレンズとエクステンダー、超望遠は500mmの天体望遠鏡を利用しています。
カメラには二軸の水準器と自作のステレオマイクが接続されています。(マイクは重いRode NT4も時々使います)
静止画と動画を同時に撮影しますので、三脚システムはちょっと複雑です。
カメラの下にマンフロットのビデオ雲台を使い、その下に自作のスライダーセットを組み込みます。このスライダーセットは何回ものトライアンドエラーの末、海外から輸入したスライダーを最小サイズに切断したもので、既製品を切断しても同様のものが作れます。
その下には容易に水平が取れるボールヘッドがあり、それらの加重を受ける三脚は、軽量性と剛性を考慮し、ジッツォのカーボン3型三段三脚を利用しています。
このシステムに求めた性能は、
1.撮影の性能を落とすことなく機動性が保たれるよう、重量が最小となること
2.セットアップと撤収が即座に行えること
3.スライドによりスムーズな動画効果が得られること
4.超ローポジションでの花などの撮影が可能なこと
5.セットを手に持ったまま静止画撮影することも歩きながら動画撮影することも可能なこと
という大変欲張りな要求を満たす必要があり、このような構成になりました。
このシステムに至るまでに、カメラやレンズは言うに及ばず、10台以上の三脚と数多くの雲台、スライダー、マイクなどを買ってしまいました。
撮影地では、よほど足場が悪い場所以外、カメラと17mmレンズを畳んだ三脚にセットした状態で歩き回ります。
撮影地点とアングルを決めたら、素早く三脚を伸ばし、水平を出し、ライブビューでヒストグラムを見ながらマニュアルで露光調整し、アオリを調整し、動画撮影、静止画撮影(2秒後タイマーレリーズ)という順番で、素早く仕上げます。スライダーの動画は対象地につき1、2点加え、映画のシーンのような魅力を作ります。動画(映画と同じ24コマ/秒)を優先したパンフォーカスの風景撮影ですので、シャッタースピード1/50、絞りF8〜11、ISO320が基本です。17mmレンズは毎回フォーカスを調整する必要は無く、3mと無限大の間に固定して絞りをF8にすれば風景撮影ではいつでもぴたりとフォーカスが合っています。
■■■■■ 「看板考・ローマの休日」 柚原君子
春日部駅前東口の商店街の一角(町名:粕壁一丁目)で見つけた看板
江戸時代には糟壁、糟ヶ辺という表記。元禄初期あたりから明治の頃までは粕壁。
東武鉄道も開業から1949年までは粕壁駅と表記だったそうで、1944年に粕壁町と内牧村とが合併して春日部町ができたとのこと。
現在、町名としての粕壁はこの辺り一体に残っている。
南北朝時代に新田義貞氏の家臣、春日部氏が当地を領地としたところから春日部となったの説もあるが、変遷してきた<かすかべ>の字の当て方に人々の営みを想像するとなにやら温かい。
昔の旅人は日本橋を出発するとちょうどこのあたりで日暮れになったそうで、旅の第一泊目としての粕壁宿としても栄えた場所である。
看板は「ローマの休日」。
王女と新聞記者の恋物語としてオードリーヘップバーンが一躍有名になった映画だが、映画上映の古さの割には看板のペンキのひび割れもなく、しっかりしていて、新しいような古いような妙な感じの看板になっている。
その横の商店街を示す看板は廃業のところがマジックで塗りつぶしてあり、大雑把でおもしろい。
塗りつぶしで放置してある看板。風前の灯のような商店街なのかもしれない。
Japan Geographic Web Magazine
編集 瀧山幸伸
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