Monthly Web Magazine Dec. 2023
■ 西行の紅葉 瀧山幸伸
今回は歌人の西行法師の話題ではなく、西日本の紅葉行脚ということ。しかしながら西行に心酔するものとして、彼の心境で西日本の紅葉を一人で訪ねて歌を詠む旅に出た。西行のオマージュであるから旅行客で混雑し騒音に心が乱される紅葉名所は避け、なるべく自然を肌で感じられるように早朝と夕暮の紅葉と静かな寺社仏閣など史跡を中心に訪問し、夜は月を愛でるため可能な限り車中泊をした。出発したのが11月13日、帰宅したのが11月30日、計18日間の寂しい旅だったが心は豊かになった。
この中で特に感動した訪問先を取り上げたい。
静岡の梅ケ島温泉は周囲を紅葉に囲まれた国民保養温泉。騒音とは無縁で聞こえるのは水音だけで実に美しい。安倍大滝は滝百選に入っているのでアプローチの紅葉も滝自体もすばらしい。
静岡県静岡市葵区 梅ケ島 Umegashima,Aoiku,Shizuoka city,Shizuoka
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静岡県静岡市 安倍大滝 Abe Otaki,Aoiku,Shizuoka City,Shizuoka |
稲武の大井平は地元の文化人が整備した自然公園で、朝霧に包まれた紅葉に心が震えた。氷点下だったので体も震えたが。
愛知県豊田市 稲武 Inabu,Toyota city,Aichi |
今年の小原は紅葉に少し早かった。定番の川見の四季桜は崖崩れの保護シートで興覚めだったが大洞の四季桜は独り占めで桜と紅葉が堪能できた。川見が有名になりすぎたので今後は大洞をメインの訪問先としたい。
愛知県豊田市 小原 四季桜と和紙の里 Obara,Toyota city,Aichi |
大瀧神社は渓流と紅葉と神社の調和がすばらしい。
滋賀県多賀町 大瀧神社 Otakijinja Taga town,Shiga |
香落渓は地味だが峡谷と紅葉が好きな自然派には静かで好ましい。ここまで来たら曽爾村の曽爾高原や天然記念物の断崖にも足を伸ばしてみたい。曽爾高原は盛りの時期は激しく混雑するようだが、訪問日は静かだった。
三重県名張市 香落渓 Kaochidani, Nabari City, Mie |
奈良県曽爾村 曽爾高原 Soni highlands, Soni village, Nara |
龍隠寺は大野木さんのレポートを参考にして訪問した。小規模ながら実に美しい紅葉があり、静かな禅寺だが観光化される予感があり先が心配になった。
京都府南丹市 龍隠寺 Ryuonji, Nantan city, Kyoto |
宗鏡寺は沢庵和尚ゆかりの寺で実に静かな環境だ。境内を巡れば有名な庭園の奥の隠れた庭園も見学できる。
兵庫県豊岡市 出石 宗鏡寺 Sukyoji,Izushi,Toyooka City,Hyogo |
たつの市は重伝建にも指定されており文化度が高く見所が多い。龍野公園の紅葉はしっとりと美しく、時間を取ってゆっくり過ごしたい。
兵庫県たつの市 龍野市街 Tatsuno downtown,Tastuno city,Hyogo |
たつのの隣の宍粟の街並みも趣が深い。その背後にある黒田ゆかりの最上山公園は紅葉に燃える山だ。名所なので訪問者は多いが人の服装よりも逆光で輝く紅葉の鮮やかさが勝っている。
兵庫県宍粟市 最上山公園(もみじ山) Saijosan park(Momiji mountain), Shiso city, Hyogo |
鳥取県西部奥地では実に渋い紅葉が体験できる。大石見神社のイチョウ、生山神社の紅葉越しに見る街並、小泉八雲の鬼気迫る小説の舞台、伝説の滝山神社は中学生のころから訪問したかったがようやく夢がかなった。
鳥取県日南町 大石見神社 Oiwamijinja,Nichinan Town,Tottori |
鳥取県日南町 生山神社 Shoyamajinja,Nichinan Town,Tottori |
鳥取県日野町 滝山神社 Takisanjinja,Hino Town,Tottori |
旧閑谷学校は訪問のたびに理想的な教育のあり方などについて新しい発見がある。聖廟前の楷(かい)の木の紅葉時期と周囲のカエデの紅葉時期とは重ならないので素晴らしい紅葉は二度楽しめるというか二度訪問しなければならない。今回は早朝の紅葉亭がすばらしかった。
岡山県備前市 旧閑谷学校 Kyu Shizutani Gakko,Bizen City,Okayama |
尾関山は江戸時代の城郭史跡なので大木の紅葉が三次元で楽しめる。
広島県三次市 尾関山 Ozekiyama,Miyoshi City,Hiroshima |
山口は日本海側の天候がすぐれなかったので瀬戸内側を巡った。どれも素晴らしかったがその中でも防府毛利家、龍蔵寺、長府毛利邸、功山寺、覚苑寺は期待以上だった。
山口県防府市 毛利家 Mourike,Hofu City,Yamaguchi |
山口県山口市 龍蔵寺 Ryuzoji,Yamaguchi city,yamaguchi |
山口県下関市 長府毛利邸 Chofu Mouritei,Shimonoseki City,Yamaguchi |
山口県下関市 功山寺 Kozanji,Shimonoseki City,Yamaguchi |
山口県下関市 覚苑寺 Kakuonji,Shimonoseki City,Yamaguchi |
白野江植物公園は元私営植物園から市に移管されたもので、多くの花とともに紅葉と海を見ながら散策できる。
福岡県北九州市門司区 白野江植物公園 Shiranoe Botanical Garden,Mojiku,Kitakyushu City,Fukuoka |
佐賀は観光にはマイナーだと言われてるが目が肥えていない人の発言だろうか。
以下のどれも素晴らしい。特に御船山楽園、西渓公園、大興善寺はすばらしい。九年庵は観光化されて騒々しいので仁比山神社のほうがおすすめだ。
佐賀県武雄市 御船山楽園 Mifuneyama Rakuen,Takeo city,Saga |
佐賀県多久市 西渓公園 Taku Seibyo ,Taku city,Saga |
佐賀県基山町 大興善寺 Daikouzenji,Kiyama town,Saga |
佐賀県神埼市 九年庵と 仁比山神社 Kunen An/Niiyamajinja,Kanzaki City,Saga pref. |
大分県豊後大野市 用作公園 Yujaku Park,Bungoono City,Oita |
大分県臼杵市 普現寺 Fugenji,Usuki City,Oita |
大分県竹田市 岡城跡 Okajo ato,Taketa city,Oita |
大矢田神社は紅葉が遅かったので帰り際の11月30日に訪問した。早朝に訪問したかったが雨が激しく、雨上がりを3時間待って訪問した。時期と天候のせいか訪問者が少なく、天然記念物に指定された黄色いヤマモミジはあざとくなく実にしっとりと美しかった。
岐阜県美濃市 大矢田神社 oyatajinja, Mino city,Gifu |
■大阪の十三仏板碑 野崎順次
室町時代に始まった十三仏信仰というのがある。仏教では、人が亡くなると、初七日を初回とする死後の法事が十三回あり、それを司る十三の仏様がおられる。死後の法事が何回かあることは知っていたが、それ以上は恥ずかしながら知らなかった。
ウィキペディア「十三仏」によれば、
「十三仏(じゅうさんぶつ)は、十王をもとにして、室町時代になってから日本で考えられた、冥界の審理に関わる13の仏(正確には如来と菩薩)である。また十三回の追善供養(初七日〜三十三回忌)をそれぞれ司る仏様としても知られ、主に掛軸にした絵を、法要をはじめあらゆる仏事に飾る風習が伝えられる。13の仏とは、閻魔王を初めとする冥途の裁判官である十王と、その後の審理(七回忌・十三回忌・三十三回忌)を司る裁判官の本地とされる仏である。」
とりあえず、その十三仏を暗記しようと思った。不動明王(ふどうみょうおう)、釈迦如来(しゃかにょらい)、文殊菩薩(もんじゅぼさつ)、普賢菩薩(ふげんぼさつ)、地蔵菩薩(じぞうぼさつ)、弥勒菩薩(みろくぼさつ)、薬師如来(やくしにょらい)、観音菩薩(かんのんぼさつ)、勢至菩薩(せいしぼさつ)、阿弥陀如来(あみだにょらい)、阿閃如来(あしゅくにょらい)、大日如来(だいにちにょらい)、虚空蔵菩薩(こくぞうぼさつ)。名前の最初の1~3字を並べて「ふしゃもんふ じみやかんせい あみあしゅだいこく」という呪文にして覚えた。特に真ん中の「じみやかんせい」は覚えやすくリズム感もよく傑作であると自画自賛。「あみあしゅだいこく」もいいけどね。
最も馴染みのない名前が「阿閃如来(あしゅくにょらい)」である。調べると強烈なエピソードがあって忘れられなくなった。
奈良時代、光明皇后が願を立て、1000人の民の汚れを自ら拭いた。1000人目は膿を出す病人であり、皇后に膿を口で吸い出しくれと頼んだ。皇后が口で吸いだすと病人は阿閦如来と化したというのである。
室町から江戸にかけて、十三仏板碑が作られた。板碑とは、中世に作られた石造の卒塔婆(そとば)である。多くは一石で十三仏を種子または容像で表す。
大阪府では、四条畷市と寝屋川市に容像を半肉彫りした十三仏板碑が集中している。そのいくつかを紹介しよう。
寝屋川市堀溝2丁目9-4
大念寺十三仏板碑(大) 市文 安土桃山時代 慶長十六年 1611年 花崗岩 高さ115cm 幅 60cm
大念寺十三仏板碑(小) 市文 安土桃山時代 慶長十四年 1609年 花崗岩 高さ90cm 最大幅45vm
四条畷市中野本町6-17
正法寺十三仏板碑 安土桃山時代 天正十八年 1590年 花崗岩 高さ185cm
四条畷市中野1-3
中野共同墓地十三仏板碑 室町時代後期 天文二十四年 1555年 花崗岩、高さ 125cm 幅39cm
中野共同墓地十三仏板碑 無銘 室町時代後期 花崗岩 高さ約100cm
四条畷市南野 3-6-11
弥勒寺十三仏板碑 室町時代後期 永禄二年 1559年 花崗岩 高さ189cm 最大幅75cm
寝屋川市打上元町31-6
明光寺十三仏板碑 市文 室町時代後期 弘治三年 1557年 花崗岩 高さ 120cm
最後に当尾の石仏めぐりで出会った種子板碑
京都府木津川市加茂町北下手
大蔵墓地十三仏種子板碑 室町時代後期 永禄六年
1563年 高さ 119cm
■11月の変 大野木康夫
通信員になってから毎年、紅葉は意識して撮影するようにしていましたが、今年は身内の不幸や仕事、体調の関係で、紅葉の撮影に行くことができませんでした。
来年再開できることを願って、コロナ以降で印象に残った紅葉風景を紹介します。
令和2(2020)年
奈良公園の鹿と散紅葉
楊谷寺書院二階の紅葉風景
神護寺金堂前の紅葉
下鴨神社紅葉橋
瑠璃光寺書院二階のリフレクション机
令和3(2021)年
光明寺紅葉参道
清水寺ライトアップ
東福寺通天橋からの眺め
安国寺のドウダンツツジ
宝厳院書院前
正法寺参道
令和4(2022)年
常楽寺三重塔周辺のドウダンツツジ
教林坊書院付近の散紅葉
今回は島根の社寺が中心です。隠岐の社寺も含みます。重要文化財指定を受けている社寺が多いです。
染羽天石勝神社本殿(1583・島根・重文)、常念寺(桃山時代・島根・重文)、月照寺(1644・島根・県重文)、日御碕神社(1644・島根・重文)、焼火神社(1673・島根・重文)、玉若酢命神社(1793・島根重文)、清水寺(1859 島根・県重文)と薦神社(1622・大分・重文)、隠岐国分寺です。
■龍の子(タツノコ)?? 酒井英樹
令和5年も師走になりあとひと月。今年最後のWEB-MAGAZINEの題材は?・・何にと考えていたのだが・・
さて、すこし早いが令和6年の話。
毎年1月恒例?の干支の話。
令和6年は「甲辰(きのえたつ)」
そこで、12月は辰(龍)になる前の話・・龍の子供は??・・というと・・。
ここでいう龍は十二支の龍なので、西洋のDORAGONNではなく東アジアの龍のお話。
一般に龍に子供はいないそうです(移説ありますが・・)。
タツノコ(タツノオトシゴ)は龍の子供ではなく、他人の空似??。
では、龍はどうして龍になるかというと、
中国黄河の上流に伝説の滝のような急流(龍門)があり、この滝を登った魚(鯉)のみが龍になると言われている。
年明け早々に始まる受験・・登龍門と言いますが語源はここからきているそうです。
滝を登るという試練に打ち勝った鯉はすぐには龍になることはなく飛龍(あるいは応龍)と呼ばれる形態を経て龍として天に昇っていく。
飛龍の姿は鯉が龍の姿になる途中・・よって頭は龍の姿をしているが、躰は鯉のままで翼を持った姿とされています。なかにはより成長して体はすでに龍の形態を持つ者もいます。
そして、龍と同様に水を吐くので、火に弱い日本の建築物の火除として見られます。
そこで、今回は全国の重要文化財建造物内にある飛龍の彫刻を可能な限り列挙しました。
岩木山神社本殿【青森県弘前市】
鹽竈神社左右宮拝殿【宮城県塩竈市】
東照宮上社務所【栃木県日光市】
東照宮水屋【栃木県日光市】
榛名神社双龍門【群馬県高崎市】
貫前神社拝殿【群馬県富岡市】
歓喜院聖天堂【埼玉県熊谷市】
新勝寺光明堂【千葉県成田市】
浅草神社拝殿【東京都台東区】
勝興寺本堂【富山県高岡市】
大滝神社本殿及び拝殿【福井県越前市】
永平寺承陽門【福井県永平寺町】
神部神社浅間神社舞殿【静岡県静岡市】
富士山本宮浅間神社本殿【静岡県富士宮市】
日吉大社末社東照宮本殿・石の間・拝殿【滋賀県大津市】
観音寺本堂【滋賀県米原市】
石清水八幡宮東門【京都府八幡市】
願泉寺表門【大阪府貝塚市】
船守神社本殿【大阪府岬町】
随願寺本堂【兵庫県姫路市】
日御碕神社日沈宮(下の宮)幣殿、拝殿【島根県出雲市】
総社本殿【岡山県津山市】
本源寺霊屋【岡山県津山市】
誕生寺御影堂【岡山県久米南町】
箸蔵寺本殿【徳島県三好市】
箸蔵寺薬師堂【徳島県三好市】
白峯寺薬師堂【香川県坂出市】
多久聖廟【佐賀県多久市】
柞原八幡宮南大門【大分県大分市】
薦神社神門【大分県中津市】
以上、知る限りの重要文化財建造物にある「飛龍」の彫刻を紹介したが、前述のとおり同じ飛龍でも・・すでに体が龍の形に変化しているのものあった。
今回は、龍の顔と翼を持った神獣を飛龍として分類しましたが、飛龍はあくまでも想像上の神獣・・ってことで他の神獣が間違って混じっていたらごめんなさい。
また、ほかにもあるかもしれません。12年後に訂正するかもしれませんが・・そのときまで続けているやら・・。
さて次回の来月は龍・・、でも・・数が多くて・・できるかなぁ・・
■ 康平寺訪問 田中康平
康平寺という自分の名前のお寺が熊本の山鹿にあると知ったのはこの夏に灯篭踊りを見に山鹿を訪れた後山鹿を通る豊前街道を少し調べていた時のことだったと思う。自分の名前の寺があるというのは初めてだった。名前の由来は親からはしかとは聞けなかったが、どうもお寺の人の知恵を借りたかという気がしていた。生まれたのは筑前山家の近くの天山という村だった、一家は福岡市から戦時中疎開していて戦後も暫くそのまま田舎暮らしをしながら父親はそこから福岡市内の仕事に通っていたと思う。豊前街道は豊前小倉と熊本城を結ぶ街道だが筑前山家のあたりで日田街道及び長崎街道と接続する。山鹿と山家はほぼ一本の道でつながっていたことになりこの康平寺のことに思い至った誰かが生まれた子供の名前として思いついたというのが真相のような気がしている。そんなこともあって是非一度訪れてみなくてはと調べていたところ、この寺のイチョウの黄葉は見ごたえがあるらしいと解り黄葉の季節を待って先日訪れてみた。離合も難しい細い集落の道を抜けてたどり着くと確かに立派なイチョウが美しく黄葉している。もう少し後になるとイチョウの落葉が厚くあたり一面に積もり黄色の世界になる、それが最も見応えのある時期ということのようだ。また来年ということかと思うがとにかくそれほど大きいとは言えないお寺を見て回る。本堂の奥に県が建てた収蔵庫があり30体くらいの鎌倉仏中心の仏像が収められている、小さなお寺には不釣り合いだが歴史がある寺だ、康平元年(1058年)に建てられたのでその名があるということのようだ。
自分のルーツというのは幾つになっても気になる、その一つでも少しわかってくると何だかいい。
写真は 1:康平寺とイチョウ 2:本尊の千手観音 3:収納仏の一部(拝観遠望に写りこんでいたもの拡大)
■ 矢中の杜 川村由幸
今年の9月に重要文化財に指定された「旧矢中家住宅」、やっと撮影にでかけてきました。
ここ、今は「矢中の杜」と呼ばれNPO法人が管理しています。
しかもつくば市で私の住まいに至近でもあるのに拘わらず、すでに瀧山さんが取材済。
私はといえば、重要文化財に指定されたことも知らず、瀧山さんの投稿を拝見して存在を知ったのが現実でした。
そんなわけで最近動きの鈍くなっている通信員川村が撮影に行ってきました。
傾斜地に建てられた本館と別館の2棟からなる矢中の杜、昭和13年から28年にかけて建設された建築家矢中龍次郎さんの私邸と迎賓館だったそうです。上の3枚は住居である本館の画像です。
別館は迎賓館というだけに調度品はどれも見事なものばかりです。
食堂に入ると見事な杉戸絵に目を奪われます。私が驚いたのが昭和30年以前の建築にもかかわらず、二重窓(真中の画像)になっていることでした。別館の二階は耐震補強がされ、残念ながら建築当初の雰囲気をこわしていますが、安全のため、仕方がないことです。
外観は基礎及び一階部分に大谷石が使われていて、特に別館は洋館を少し感じさせます。
つくば市のつくば学園都市からすこし離れたこの地は昔の面影が色濃く残っていました。
この矢中の杜以外にも商家と思われる古い建築物が多く残されています。保存のためと思われる修繕工事もされていてこの町並みを残してゆこうとする意思も感じられました。とても気持ちの良い撮影行でした。
■「追っかけ」 柚原君子
『さださん』のファンになって55年になる。
嫁入ったときも大事にカセットテープを持ってきた。新婚の頃、夫の帰りの遅い時は、ひざを抱えてずっと聴いていた。
子供が生まれたら、子守唄代わりに聴かせた。子供たちは小学生の身分で、さださんのどの歌も歌えるようになった……というより、イントロだけで歌詞が浮かぶ、と嘆いていた。
長い間、子育てや自営業で私の自由時間は一つもなかったし、事業資金や家計のやりくりに追われてコンサート代金を捻出することなどできなかったから、私の誕生日に家族からもらえるさださんのニューアルバムがとても楽しみだった。これさえ与えておけば余計な小言を言わないだろうと、家族の魂胆もあったそうだが、魂胆命中で、私は事務所や台所や洗濯場や風呂場を移動するたびにカセットデッキも移動させて、時には掃除機よりもさらに大きな音で『春雷』や『風に立つライオン』をかけて、機嫌よく仕事や家事をしまくった。
さださんの東京でのコンサートは初夏と暮れの年二回行われている。
年二回ばかりの追っかけだから、追っかけと呼ぶにはおこがましいが、私的には生き生きと胸弾ませての『追っかけ』で、もう40年を経過した。どんな時にも必ず行った。どんな時であろうと必ず。例えば、私の気持ちの内部や私を取り巻く環境に槍が降ろうと嵐が吹こうと……。コンサートに行った。
昭和60年4月。夫が亡くなった春に新聞の隅にコンサートの案内が出ていたのがコンサート、追っかけの始まりだった。
自分を鼓舞する意味もあった。
これからは単親家庭となるから、自分で自分を支えて、自分で自分を励ましていかなければならない。その上で、子どもをこの世に送り出した責任者として明るい家庭を維持すること、片親になってしまった子供たちを寂しがらせずに両親がそろっているのと同じ状態で育てるためにがんばること、その二つを夫の葬儀の後に決心した。
大きなアドバルーンを揚げて喰らいついていくことは、もともと嫌いではなかったが、それにしても今思い返しても悲壮な決意での出発だった。
第一回目は夫の死後3ヶ月目だった。49日は過ぎていたが夫亡き後にコンサートにいくのは、やはりはばかられて誰にも言わずひそかに出かけた。そして新宿の厚生年金会館の3階席に座った。豆粒のように見える舞台のさださん。でもそれで充分だった。人の別れや出会い、人に与え続けていかなければならない想い、駄目な自分だけど愛してやりたい想い、今ある自分の意味、バイオリンやギターの切ないメロディにさださんの柔らかい声が重なって、どの曲を聴いても涙があふれた。
父が亡くなった年も行った。『夢一匁』の歌詞に震えた。
♪父と母が子供の手のひらに残してくれた小さく光る夢一匁♪……。父の思い出をたどりながら聴いた。癌に罹患した年もやっぱり出かけた。吐き気止めの薬を持って。
厚生年金会館のあの席この席に私の生きてきた思い出がある。あの席で聴いたあの頃は、木枯らしよりも冷たい風の中にいる時だった。そして、さださんがコンサートの最後にいつも言ってくれる言葉を待っていた。
「元気と勇気は使えば使うほど増える。使わなければ使わないほどしぼむ。頑張って生きて、またお会いしましょう」。
それ程大きくないさださんが、会場の皆に手を振って舞台の袖に入って行く時は、とてもとても大きな肩幅に見えた。
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余談だが、私は息子が生まれたら“まさし”という名をつけようと思ったが、字画の関係で“たかし”になった。でもなんとなく似ていてうれしい。
娘が嫁入った姑様はさだまさしさんファンで、ここ10年はご一緒に仲良くコンサート会場に出向いている。そして70代の私たち2人は若いファンに負けないように、さださんに請われれば手拍子やハミングで唄にちゃんと参加している。NHKでは毎月第3金曜に24時から「今夜も生でさだまさし」を、ラジオのディスクジョッキー方式で視聴者からの葉書を読んでいる。今後の夢は、葉書を出して読んでいただいて、「君子さ~ん」と、呼びかけて貰うことを冥土の土産にできればなぁと思っている。
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