MONTHLY WEB MAGAZINE Jan.2012

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What's New

Dec.2011

Jan.2012

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トピックス

■■■■■ 「ジブリ作品にみる街づくり 景観と環境考」 瀧山幸伸 

スタジオジブリの作品に登場する情景やライフスタイルは多くの国民に刷り込まれています。我々の街や建物が未来のジブリ作品のモデルとなればとても良いまちおこしになりますね。このような視点でジブリ作品に登場する印象的な景観や環境について街づくりのヒントを探ってみましょう。

ジブリ作品及びジブリ関係者の作品は実録の映画ではありませんからロケ地を特定できませんが、逆にモデルの場所を想像する楽しみがあります。国内の各地から、私なりに作品と関係があると思える写真を集めてみました。これらの写真がどこなのか、どの作品のシーンにつながっているのか、推理に挑戦してみてください。全てわかった方は相当なジブリ通です。答え?は末尾にあります。

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おまけ 
 

 


■■■■■ 専称寺の如意輪観音 野崎順次

若い頃から明日香村によく行っていた。一人で行ったり、家族と行ったり、バスケット仲間と行ったり、何回行ったことやら。

写真のフィルムネガ残っているので年月日が分かっている。1978年12月23日、今から33年前で、この時は一人だった。小雪の舞う年末の寒い日で明日香村は閑散としていた。あるお寺に如意輪観音の石仏があるそうで、急に拝観したくなった。国や県の文化財指定はなく、個人蔵で特別の機会(例えば、石仏巡りのバスツアー)がなければ、なかなか難しいと思っていた記憶がある。だからこそ、閑散期にトライしょうと思ったのだろう。

普通の一戸建て住宅のようなお寺で境内の高台にお堂があった。今ではそのお堂の中に如意輪観音が安置されているそうだが、当時は違った。玄関で「こんにちは」というと小柄なお坊さんが出てこられた。(失礼ながら)ひとなつっこい笑顔をされていたので、ほっとした。「石仏を拝観したいのですが」とお願いすると、「うー」とおっしゃるだけである。もう一度聞き直してから、住職さんは口が不自由なことを理解した。「それなら、お経はどうするの」と思ったが、初対面で口にすることではない。にこにこされて手招きされるので靴を脱いで後に従った。細部の記憶はおぼろげであるから、こたつのある和室に入ると床の間の横に観音開きの仏壇のようなものがあり、開くと如意輪観音様がいらっしゃった。子供のような穏やかなお顔でいたづらっ子が砂遊びの途中に上を見上げたようだ。写真を撮らせていただいた。

それから、誰かが奉納した拓本も見せて下さった。

「こたつに入りなさい」、「みかんを食べなさい」と手真似で伝えられ、お互いにニコニコして見合いあう不思議な安らかな時間が過ぎていった。

その頃のフィルムネガをデジタル化して専称寺の石仏を思い出したわけであるが、本当に記憶通りなのか不安になった。そこで、専称寺に電話をかけると、おばあさんが出てこられ、そのお父さんが口の不自由な住職さんで3年前に98歳で亡くなられたと分かった。お名前は吉水誠聞とのこと。

(写真はいずれも2011年12月にデジタル化)

 


■■■■■ 2011年 「JAPAN GEOGRAPHIC.TV」と私 川村由幸

今日は大晦日、2011年の最後の一日です。

2011年は悲しいことばかりでした。

3月の大震災以来、なかなか明るい気分になれません。

出来ることが少ないので、せめて忘れないでいようと心掛けています。

そんな2011年ですが、私の JAPAN GEOGRAPHIC.TVへの投稿は57件。

2010年が61件でしたから、投稿件数がダウン。又々瀧山さんからお叱りをいただきそうです。

そんな中から今年は私が好きな10ショットを選んでみました。あくまでも、私個人の好き嫌いで選択しました。

まずは4月、春の桜から2件

山梨のわに塚のさくらと慈雲寺のいとざくらです。わに塚のさくらは背後の八ヶ岳をもう少しくっきりと

撮影できたらと感じています。

続いて、京5月の青もみじ祇王寺常寂光寺です。

曇りがちで時々小雨の降る天候だったと記憶していますが、苔ももみじも緑鮮やかなのが気に入っています。

時を経た日本の建造物は美しいものです。なぜ今このように美しい建物が作れないのでしょうか。

時間がものを美しく変貌させるのかもしれません。現存12天守の一つ松江城水戸弘道館です。

そして、達磨山からの富士山です。なんと言っても富士山は世界一美しい山です。

天候という偶然にさえ恵まれれば、誰でもがこの景色に出会えるのですから。

ここは北海道帯広の真鍋庭園です。手を加えに加える日本庭園の美しさとは違いますが、

自然の力と人の手の調和を感じさせる好きな1枚です。

スカイツリーばかりがなぜモテる。東京タワーは日本の高度成長期のシンボルです。

エッフェル塔ほどではないけれど、青空を切り裂く鉄骨の幾何学模様は美しいのです。

そんなこんなで2011年に撮影したお気に入りの10枚を紹介しました。

2011年後半に撮影機材を更新しました。やっと取扱いにも慣れてきて、

2012年にはどんな画像が撮影できるのか楽しみでなりません。

迎える2012年が明るい話題に包まれ、確実に進む大震災からの復興を目の当たりにしたいと念じています。

(注.今回掲載の画像はJAPAN GEOGRAPHIC.TVに掲載の画像を修正しています。)


■■■■■ 2012年元旦 大野木康夫

2012年の元旦は、昨年のような雪景色ではなく、おだやかに晴れたいい天気でした。

おせち料理とお雑煮

家内は、私と結婚する前から幼馴染の友達と一緒におせち料理を作っており、去年の暮れも30日、31日と2日がかりで3軒分(友達の家、家内の実家と我が家)のおせちを作ってくれました。

3段重にぎっしり詰まったおせちも、家族4人で食べると3日もしないうちにきれいになくなります。

お雑煮は、京都なので、昆布だし白みそ仕立てで、丸餅、頭芋、祝大根が入ったものです。

私が子どもの頃のお雑煮は、お椀に頭芋が丸ごと一つ入っており、芋を割ったら汁がなくなってしまう状態でした。

芋は縁起ものなので全部食べなければならず、かなり辛かったです。

このお雑煮は家内の実家(旧市内)にあわせて頭芋を小さく切ってあり、食べやすくなっています。

去勢済みのオスの町ネコ「クロ」がやってきたので、餌をやりました。

昼過ぎに山科郷四ノ宮、諸羽神社に初詣に行きました。

その後、地下鉄とバスを乗り継いで北野天満宮に行きました。

天満宮近くの酒屋の古い看板

北野天神の表参道は露店も出ており、お参りの人で賑わっていました。

子どもは、頭が良くなるように牛の銅像の頭をなでました。

三光門から先、廻廊内はお参りの人でいっぱいでした。

本殿脇に御祈祷を受ける人の列が伸びていました。

あまりに人が多かったので本殿前では遠くから参拝し、後門からも参拝しました。

東門から外に出て、JR円町駅まで歩くことにしました。

途中、一条通を歩いていたら、大将軍八神社が見えたので、ここにもお参りしました。

さらに西に行くと、登録有形文化財の衣笠会館を見つけました。

JRで京都駅に行き、買物(カメラの手入れ用にブロアーを買いました。)をしてから、父、義父と一緒に外食をしました。

帰りに見た京都タワーは何度見てもロウソクのようです。

今年の元旦はほぼ普段どおりに過ごしました。

今年一年、今日のように穏やかであるように願っています。


■■■■■ 23年年末〜24年年始の近況 中山辰夫

気温変化の激しかった年末、そして年明けでした。

個人的には年末に自転車と共に転倒し、左足膝部骨にヒビが入り、予定した初日の出の撮影にも行けずじまい(幸いカメラは無事でした)。

1月中は杖を使っての歩行となりました。従って、有りあわせの内容でお許し願います。

■ 11月末より瀬田唐橋の塗替え工事が始まりました。完成は24年7月です。

塗装色は、「歴史的・文化的景観に配慮し、木造橋をイメージできる唐茶(からちゃ)を基調とした色合いとし、高欄と桁かくしの色には現在と同様濃淡をつける」として提言された色です。

現地には塗替えの見本が置いてあります。

■ 12月19日、23年最後の山歩きに出かけました。京都東山−伏見稲荷から清水寺泉湧寺今熊野観音堂

尊勝寺、大日堂等を散策しました。落ち葉の重なりを踏みしめる気持よい響き。堪りません。

それに加えて、モミジが結構残っていて、それなりの美しさ、華麗さを見届けることが出来ました。

“盛り”の輝きを想像しながら歩き、この頃のモミジも結構見ごたえあるなと見入りました。

伏見稲荷—清水寺—今熊野観音堂—尊勝寺の景色

■ 1月3日、志那神社(滋賀県草津市)本殿(重要文化財)修理完了祝祭

ほぼ30年毎に屋根の葺き替えが行われてきました。昨年末その工事が完了、新本殿の披露をかねたお祝い行事が行われました。臨時の特別な神事です。

古来からの特殊神事−風神踊り(年一回祭りに行われる)も披露されました。豊年万作を祈願して、団扇二つでその風景をあらわす踊りのようです。地元の若者衆に引継がれています。

最後は餅撒きが行われました。袋には、お餅と100円玉のおとし玉入りの福袋がたくさん撒かれました。

氏子や付近の住民が神社と一体となって、歴史ある神事をまもる姿に圧倒されると同時に安堵を覚えました。

今年からは、集録活動には一段と慎重さを加え、内容も、「数」より「質」重視に方向転換をしたいと思います。


■■■■■ 日光彫 田中康平

このところ週末は日光まで日光彫に通っている。

日光市の主催する日光彫教室で勿論観光用の体験とは違う。

日光彫りの歴史は東照宮造営の大工に始まったと言われる。

鹿沼に残された数多くの彫刻屋台やさらに現在も続いて新しい彫刻屋台が刻まれている姿をみたりするとこのあたりには彫刻の伝統が今も脈々と伝わっているようだ。

日光の東照宮は当初簡素な造りだったものを家光が大々的に改築して現在の形になっているようだが改築期間は僅か1年半と記されている。

建物を埋める夥しい彫刻、絵画が整然とバランスをもってこれほどの短時間で完成しうるのだろうか、かねがね疑問だったが、どうやらこれはもう少し長い期間にわたって狩野派により構想され彫師により彫刻が部分ごとに作られ最終的にこれを組み立てて建物に仕上げていったのが1年半だったと考えるのが正しいのではないか。

そのような見方が日光彫の技をつないできた村上長四郎氏の著書に述べられており、ここらあたりが本当の姿ではないかと思われる。

いずれにしろ短期間に彫り物大工が全国から大勢集められ東照宮を作り上げていったことは事実のようでその技術が伝えられたのが日光彫の源となっている。

日光彫の特徴はひっかき刀という独特の彫刻刀を用いた線彫りにある。

手前に引いて線を切れ味良く彫っていく。

実際に学び始めてみると透かし彫りというレリーフ状の彫り方が多いが随所にひっかき刀による彫りが入る。

陽明門の夥しい彫り物を見ても立体的でないものはなく線彫りだけという彫り方は後世のもののような感じがする。

どれが本当と言うものでもないが本来が装飾的な職人技であるだけに求めに応じていかようにでも彫るのがその姿なのだろう。

つたないなりにいくつかできるようになると楽しくなる。

体感することで先人の技が伝わってくる感触が面白い。

東照宮陽明門の彫り物

鹿沼彫刻屋台の彫り物

日光彫の作品(自作)


■■■■■ 柚原君子

寫眞……旧字体で書くとこんな字になります。

ウカンムリは覆うとか被せるという意味があって、ウカンムリの下の音符の潟(せき)は席に通じて<敷く>という意味があって、実物を下に、その上に紙を敷き書き写すというのが写真の語源、と語源辞典にあります。

ちなみに眞は上のヒがさじ(スプーン)を表し下はかなえ(鼎……中国古代の器物の一種)の象形文字で、意味は<いっぱいに詰まる>、つまり中身がいっぱいに詰まっていて<本物>ということになるそうです。

写真、という略字になってしまった今は見た目に味気ない文字になっています。

看板は江東区永代橋脇の店舗。看板というよりもお知らせです。

写真館が時代の流れに逆らえずに90年に渡る営業の幕を下ろすお知らせでした。

幼稚園、小学校で校庭に参列の保護者と共に並ばせられた入学、卒業の記念写真の多くは、この写真館が来ていました。

私も長女小学校入学の日に、写真機の黒い幕をかぶったり外したりしながら、木の板をずらしたりするベレー帽のおじさんの顔を覚えています。

南向きに設えられた台に、保護者としてまぶしさを我慢して立った記憶。

入学式の頃に満開になる桜が日の丸の国旗の横で咲き誇っていた情景も鮮明に蘇ります。

時は過ぎ、桜は3月の卒業式の頃に咲いてしまい、写真は素人さんでも立派な物が撮れるようになり、育ちの時期に撮る記念写真は貸衣装ともどもあつらえられるスタジオアリスに取って代わられ……年年歳歳という言葉が思い浮かびます。

廃業になった写真館のそのお隣に写っている歯医者さんは営業中でした。

今時のデンタルクリニックではなく「歯科」という看板。

しかも日本家屋で昔の小児科内科のように、ガラスのはめ込まれた木の押し戸がなんともいえない良い雰囲気です。

写真館廃業は残念ですが、歯科はがんばれ!とエールを送りながら写真を撮ってきました。


場所当てクイズ

1 『となりのトトロ』 『おもひでぽろぽろ』 秋田県大仙市郊外 作画担当、男鹿和雄の出身地周辺の農村景観が素材の一つに。

2 『もののけ姫』 十二湖 秋田県深浦町 ブナの森と泉。9番の屋久島は杉の森であり、植生が違う。作品を注意深く見てみよう。

3 『借り暮らしのアリエッティ』 盛美園 青森県平川市 5番の革島医院のほうがさらにリアル。

4 『千と千尋の神隠し』 高橋是清邸 小金井公園内江戸東京たてもの園 ゆばーばの部屋からの風景にそっくり。

5 『借り暮らしのアリエッティ』 革島医院 京都市中京区

6 『千と千尋の神隠し』 子宝湯 小金井公園内江戸東京たてもの園 神様が集まる湯宿のモデル。

7 『もののけ姫』 菅谷たたら山内 島根県雲南市 たたら製鉄の高殿をそのままの姿で保存しているのは全国でここだけ。

8 『コクリコ坂から』 代官坂 山手周辺に複数の坂候補がある。

9 『もののけ姫』 白谷雲水峡 鹿児島県屋久島 シカとコケがそっくり。

10 『千と千尋の神隠し』 武居三省堂 江戸東京たてもの園 「かまじい」の部屋のモデル。

11 『火垂るの墓』 夙川公園 兵庫県西宮市 

おまけ トトロの杉 山形県鮭川村 作品キャラクターとそっくりな巨木

お願い 

事実が違うとか、もっと良いモデルがあるとか、、、、ご存知でしたらぜひお教えください。 特に気になっているのは、『コクリコ坂から』のメルの家のモデルです。屋根、軒桁、窓、玄関などのデザインに特徴がありますが、まだ特定できていません。


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Japan Geographic Web Magazine

編集 瀧山幸伸

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