JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine June 2018

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■■■■■ Topics by Reporters


■  東洋のリビエラ? 瀧山幸伸

最近は離島を巡ることが多い。離島に関する各種の記録は非常に興味深いものが多く、訪問は長年の願いだったが、時間がかかるので後回しにしていた。

5月に訪問した甑島馬渡島鷹島、いずれも独特の歴史と文化を持つすばらしい島だった。

特に保戸島については数十年来の強い思いがあった。

戦争も終結近い7月25日、米軍の国民学校爆撃により児童124人(1年生と5年生全員と他数名)と教師2名が犠牲となった事件。その現場と犠牲者が眠る寺を訪問したいと願っていた。

この島はマグロ漁で栄え、狭い土地に密集できるようほとんどの家は鉄筋三階建て、その風貌はまるで東洋のリビエラとも呼べるようなきらびやかさがある。

  

だが、島内を歩けば御多分に漏れずほとんどの家が空き家で、その数は300を超えるという。

島の子供は小学生1人、中学生ゼロ、赤ちゃんが1人だけ。

70台のおばあさんに導かれて念願の海徳寺へ。犠牲者に手を合わせることができた。彼女の兄と姉も犠牲になったという。

  

その後小学校前にある慰霊碑に向かった。

 

裏の堤防から学校の全景と背後の山(海軍の通信施設があった)を撮影して、どのような理由で爆撃(誤爆)されたのかを探っていたら、80台のおばあさんが近寄ってこられた。

お話を伺うと、やはり弟と妹を亡くしたという。自分は校舎が違ったので助かったそうだ。

 

彼女らの話に眼が潤んだ。

この島の未来を想うと、離島ならではの空き家活用法があっても良いのではなかろうか。建築に数千万円かかった家が50万円で買えるらしい。

単なる釣り人の別荘となるのではなく、離島ゆえの閉鎖性を活かした国際交流プログラムなどの利用法も考えられるだろう。

マグロ漁の島だったので住民の方も国際性が高く、盛時はインドネシアの乗組員も大勢住んでいたという。


■ 粗忽者に使われるかわいそうな機材たち 大野木康夫

今年4月、芦生のネイチャリングガイドツアーに行く道で立ち寄った美山北の茅葺集落でソニーのビデオカメラを豪快にアスファルトに転がしてしまいました。

ビデオカメラは、後部の撮影ボタンやズームボタンが全く作動しなくなったので、芦生では液晶ディスプレイで操作していましたが、帰って映像を確認したら、音声がまったく記録されていませんでした。

ネットで中古価格を確認し、修理見積がその3分の1ほどであったのを確認して修理することにしましたが、3週間後の5月18日にようやく戻ってきました。

交換された部品が同梱されていたので、一緒に撮影した写真がこれです。

 

本格的に写真を撮るようになったのは、Japan Geographic の暫定通信員にしていただいた平成22(2010)年11月からです。

以来、静止画はPENTAX Kマウントの初心者向け〜中級向けのカメラとその交換レンズを、動画はSONYのハンディカムを使って撮影してきました。

今回の故障により、この間、いくつかの機材を壊してしまったことを思い出しましたので、追悼の意味を込めて振り返りたいと思います。

まず初めに壊したのは、K−5Ⅱです。

買ってちょうど1年が過ぎた平成25(2013)年12月、雨の中訪問した舞鶴旧鎮守府水道施設の最奥部、岸谷川上流本流取水堰堤で築造年次が入った銘盤を発見し、三脚を使って動画を撮影していたところ、水圧に押された三脚が倒れてしまい、通電しながら水没したためにショートしてしまったものです。

帰ってから修理に出しましたが、修理不能という判定になりました。

岸谷川上流本流取水堰堤

左岸側の階段で水没

   

次は、平成26(2014)年4月、桜の吉野山を早朝から訪問し、中千本から上千本に登る途中でベルボンの重い三脚を伸ばした途端、1本の足の伸縮部からプラスチックの部品のかけらがこぼれ落ち、その部分が固定できなくなりました。

故障した後の撮影では、故障部分を常時縮めて固定し、2段だけで撮影することになってしまい、大変苦労したことを覚えています。

故障前→故障直後→故障後

   

次は、平成27(2015)年8月、立山の白岩堰堤体験学習会が雨天中止になった日に、雨の中の立山室堂を撮影した後、称名滝を撮影していたら、突然、K−5ⅡSの前ダイヤルが利かなくなりました。

雨の立山室堂ではカメラにシャワーキャップを付けて簡易カバーにしていたのですが、雨が上がった称名滝では簡易カバーなしで撮影していたので、滝のしぶきの影響で不具合が生じたのかもしれません。

K−5ⅡSの前ダイヤルは、シャッタースピードの調整に使うので、以降はマニュアル撮影ができなくなってしまい、称名滝の後に撮影した立山博物館、中島閘門、東岩瀬、浮田家住宅では、Pモードに固定し、後ろダイヤルで絞りと露出を補正するという面倒な撮影を余儀なくされました。

幸い、K−5ⅡSは修理ができたので、予備機として保有しています。

室堂

 

称名滝

故障前→故障後

  

立山博物館、前立社、中島閘門、東岩瀬、浮田家住宅

     

最後は、平成29(2017)年4月、下伊那の桜を巡っていて最後に訪れた矢野愛宕様の桜で、桜の下に入って撮影していたら、突然、オートフォーカスで撮影することができなくなりました。

原因は、便利使いで使用頻度が高かったズームレンズDA18-270mmの接続部の金属端子が折れてなくなっていたことでした。

頻繁なレンズ交換で金属疲労による故障だと思われ、以降、レンズ交換時には一層慎重に取り外しを行っています。

故障前→故障後(マニュアルフォーカス)

  

機材の故障は、経済的な負担もさることながら、故障が起きた時の精神的なショックや後悔の念での負担が大きいので、精密機械としての慎重な取り扱いを心がけていますが、生来粗忽なもので、一瞬の油断で数々の故障を経験してしまいました。

今の機材には、なるべくこういうことが起きないよう、自戒したいと思います。


■ ご当地ポスト 蒲池眞佐子

各地にひそかにある変わったポスト、なにこれ?と思うとポストだったりする。

ポストの設置数は郵便制度が始まった明治4年には62か所だったとのこと。イギリスより郵便制度を導入したため、基本的には赤色となっているようだ。

山口県の萩往還道の駅にあるポスト。初めはご意見箱だと思っていた。「POST」という文字が目に入らなければ気が付かなかったかもしれない。

明治4年郵政事業創業当時のポスト、「書状集箱」という名前だったらしい。

現在も取集されているようだが鍵もかけられてなく、投函する人が果たしているのだろうか?

    

こちらは熊本市にあるポスト。お城の形をしている。繁華街の脇に1つだけこの形のポストがあった。

しっかり2つの投函口もある。

    

その他、全国には面白い形をしたポストがあるらしい。旅行した際にも気をつけていると見つけることができるかもしれない。


■ 近江(滋賀)の聖地(パワースポット)−2 中山辰夫

日本仏教の聖地といわれます比叡山と比良山の紹介です。

『堅田の辺りで比叡山が終わり、その裾に重なるようにして、比良山が姿を現わすと、景色は一変する。比叡山を陽の山とすれば、比良は陰の山と呼ぶべきであろう。』「白州正子 ・近江山河抄」。

大津から高島にかけてこの二つの山を中心とする山々がつながり琵琶湖の北側を取り巻きます。

比良山は、平安時代には七高山の一つに数えられた霊山で、古代から中世には比良三千坊と呼ばれるほどの数々の寺院が山中に建ち並び、天台宗の勢力拡大とともに、天台僧の修業の場となっていたようです

江戸時代には、この様子を「比叡山三千坊、比良山七百坊」と称されともていました。

7−日吉大社 大津市

日吉大社は全国に3800余の末社を持つ「日吉山王社」の総社で、比叡の神にして延暦寺の守り神でもあります。

延暦寺とともに宗教・文化・政治・経済などの各方面で多様な歴史を持ち、境内は国指定史跡となっています。

小比叡と呼ばれ神体山として古代信仰の対象となり、「古事記」にも登場する八王子山。その山頂近くにある『金大厳(コガネノオオイワ)』は、神が降臨する聖なる磐座・鎮座地で、当社の創源はこの山の祭祀にあったとされ、日吉大社の根源となる聖地です。

磐座に天降った神は、山の神であるとともに水神で、水は金から生まれるとされています。

八王子山(牛尾山・標高378m)と「金大巌」、二棟の本殿と拝殿、坂本・下坂本・琵琶湖・対岸の三上山までが遠望できます。

     

日吉山王祭では、3月1日に神輿二基が山麓の神輿庫から急坂を山頂まで担ぎ上げら、4月12日夜に山から担ぎ降ろされ祭がスタートします。

   

山からの水は、大社の境内は勿論、坂本門前町中を潤し、この地域に自然信仰の姿を留める役目を果たしています。

8−浮御堂(満月寺) 大津市

     

恵心僧都源信が「水想感」と呼ばれる、水の浄土を念じる修行をした処です。千体阿弥陀堂を安置する湖に浮かぶ堂は、近江八景「堅田落雁」のモチーフとなっています。水鳥が御堂を背景に飛び交う様子や参拝者がお参りする様子は古来も今も大きく変わりません。

9−和邇大塚山古墳と小野の里 大津市

 

大津市の外れにある曼荼羅山の頂に築かれた和邇大塚山古墳は琵琶湖を見つめる前方後円墳。小野古墳群がこれに続きます。

 

和邇小野の里は小野妹子に代表される小野氏出生地で、全国に見られる小野姓の人たちの故郷です。この一帯には数々の神社古墳が残っています。国重文の小野神社、小野篁神社、小野道風神社、天皇神社小野妹子神社が並びます。小野神社はお菓子の神様としても知られています。

小野神社と唐臼山古墳(小野妹子の墓と伝わる−年代観と琵琶湖を見下ろす立地からも妹子の墓に相応しく思えます。

    

10−比良山系 大津市・高島市

万葉集に「並庫山」と詠まれた比良山地は、霊仙・権現・蓬莱・打見・比良岳・烏谷・堂満岳・釈迦岳・リトル比良が稜線をかたちづくり南北約20km、東西約10㎞にわたる連山の総称です。聖の修行の場として好適地で、比良七百坊ともいわれる多くの山岳寺院が展開していました。

   

太古から続く連山からの土石流が琵琶湖までの間の扇状地をつくりましたが、反面自然(水・獣)との厳しい戦いは太古から延々と続き、その跡が今も随所に見られます。

百間垣やシシ垣

  

かっての近江八景の多くは姿を変えましたが、「比良の暮色」だけは変わらずに味わえます。

11−揚梅滝 大津市

釈迦岳の北方にあって、天の峰と称する岩山の中腹より直下します。室町時代の1544(天文24)年に足利義輝が名付けたと伝わります。

近江最大の落差(76m)を誇る、水の力がみなぎる名瀑です。雄滝、薬研滝、雌滝からなります。

揚梅とは「ヤマモモ」の別名で、山中に光る長い水柱が真直ぐに高くのびるヤマモモの木を連想させたようです。山中の滝は珍しいといえます

ここは比良山系の北の玄関口です。

       

大津市はここまでで、次は高島市に入ります。


■  そうだ 今! ※※(天ケ瀬ダム)に行こう・・ 酒井英樹

 平日でも賑わう平等院や宇治上神社があり世界文化遺産に登録されている宇治。

 そこから淀川(宇治川)を歩いてさかのぼること30分、天ケ瀬ダムがあります。

 高さ73m、長さ254mのドーム型アーチ式のコンクリートダムで、今から54年前の昭和39年(1964)に完成したダムです。

 日本最大の湖琵琶湖を源とする一級河川淀川にかかる唯一のダムで、治水Fと利水(上水W、発電P)に寄与する総合(FWP)ダム。

 近年、「コンクリートから人へ」というスローガンでコンクリートの塊であるダムが悪者扱いされる中、関西地方で唯一国が手掛けるダム事業として「天ケ瀬ダム再開発事業」が順調に進んでいます。

 元のダムの放流量を1.7倍に増やすことで、ダムの貯水容量を増やす計画です。

 このあたりの淀川は洪水時最大毎秒1500トンの水が流れるようになっていますが、ダムから放流できるのは全てのゲート開けても最大で毎秒900トンしか流せません。

 残り600トンを放流できるようにしないといけないからです。

 しかし、アーチ型のダムは構造上容易に改造できないため、本体を迂回して水を流すバイパストンネルを施工しているのです。

 事業完了まであと数年・・、工事は最盛期を迎えているので訪ねてみました・・。

 訪ねた日は前週からの雨で琵琶湖の水が増えていることや、梅雨を迎えるにあたり琵琶湖や上流の水を減らしておく目的でダムの真ん中にあるコンジットゲート3門を開けて毎秒300トン(通常の約10倍)の水を下流に放流していました。

 その勢いはダムの横にある建物を低周波振動で揺らし続けていました。

 ダムの上流の一部を締め切って水を遮断して、直径28mの巨大な円筒形のコンクリート構造物をつくっています。

 ここに取水口が設けられるのですが、大きさはおよそ30階建てのビルに相当します。

 当日はまだ半分くらいで15階分が露出しているのですが、今年中には出来上がるようです。

 

 毎秒600トンの水が取水口からダムの左岸側の地下をトンネルを通過し下流の放流口に流れることでダム本体を通ることなく流れます。

 そのために幅23m高さ26mの巨大なトンネルが必要となり、完成すれば日本最大級のトンネル断面となる予定です。

   

まだ、断面の半分しかできていないそうですが、ここもあと数年で完成して水を流してしまえば・・普通、人が入れなくなって見ることができなくなるようです。

 吐口の外観も観光名所を下流に控えていることもあり、景観も配慮して巨大さを感じることができないようにするようです。

 最後は知る人ぞ知る「ダムカード」をいただきました・・。

 ダムカードとは統一した企画で全国の主要ダムにて無料で配布されているカードで、コレクターもいるようで一昔前のカードはネットで高額取引もされているとか・・・。

 


■  末期を迎えたNikon 1 V2 野崎順次

2011年の暮れに家内がニコン最初のミラーレス小型カメラNikon 1 J1を購入した。色は彼女の好みの白である。なかなか良さそうなので、私はサイドカメラ用に、ファインダーの付いたV1にした。カメラ撮影とは脇を締めてぶれないようにするのが原則だから、ファインダーがないと頼りない。私はそういう世代だ。

約1年後に早くも画素数など諸性能がアップしたV2がでたので、しぶしぶ買い替えた。いろいろ性能アップがあるようだが、あれこれ機能があり過ぎて、よく分からない。とにかく、私の設定は、

ピクチャーコントロール: スタンダードor風景(原則的にビビッドは好まない)

ホワイトバランス: Autoか昼光、

ISO: Auto 160-800か400

それで、Pプログラムオート、中央部重点測光、シングルポイント、RAW。

        

使い始めると、小さくて軽くて白い外観が上品だし、電池収納部のグリップ感が快いので、愛用することになった。評判通り、ピントがさっと合う(合焦点速度が速い)。また、サイレント撮影は完全無音なので、美術館や博物館でいろいろな方々に気を使わせることが少ない。後にサイレント撮影は「いけない」盗撮を助長するというので、法律で禁止されてしまった。今となっては、V2の完全無音撮影は貴重である。

 

私にとって非常に特殊な機能もいくつかあり、特筆すべきは次の三つである。

① 連写速度がすごい。1秒間に5コマ、15コマ、30コマ、60コマ。だが、あまり使わない。コマ数が増えるとRAW現像が大変だ。60コマ連写など、目の前を吉永小百合さんが通り過ぎるような状況でなければ、不要である。運動会で走る孫の撮影でも、5コマで充分である。ゴルフのスウィングを60コマ連写で撮って分析するという使い方もあるそうだが、私はゴルフをしない。

② モーションスナップとは、シャッターを全押しして静止画を撮影した時に、その前あるいは前後約1.6秒を動画として記録するモードである。これは不思議な機能で、シャッターを押すことを予想して、その前から動画撮影がカメラが始めているということになる。よく分からない。ただし、1日試してみたら、確かに、短い動画の連続となったが、ただそれだけのことで、もう1回見直す気にもならない。でも、不思議だ。

③ ベストモーメントキャプチャーモード。これも昔のことを思ったら夢のような仕掛けである。要するにシャッターチャンスの難しい場合に、ええ加減にシャッターを押しておくと、たくさんの候補写真の中から、自分かカメラがいいのを選ぶという訳だ。なかなか良さそうだが、とっさに設定して撮影できるほど、頭も手も記憶しないので、辛気臭いと思ってしまう。

それとフラッシュ撮影の恥ずかしい失敗談がある。V2には内蔵ストロボがあるので、時々使っていたが、2年くらい前から2重写しが目立ってきた。スローシャッターのズレの中に、フラッシュ撮影の輪郭が見えるのである。ここでカメラの設定間違いではないかと考えるのが普通だが、なぜか、このカメラの特性かなと思ったりしていた。別売りのスピードライトを購入しても変わらなかった。

  

結局、ニコンプラザ大阪(私の勤務先のすぐ近く)の女性スタッフに設定間違いを指摘されて問題はやっと解消した。プログラムオートの場合、フラッシュモードは、通常発光、赤目軽減発光、赤目軽減発光+スロー、通常発光+スロー、後幕発光+スローの6種類あって、なぜか、2年前から後幕発光+スローになっていた。その間に、私のカメラの腕を信じる友人や家族の依頼に応じて幾多の二重写し記念写真を撮ったのである。最近も浄土宗の御忌に参加した保育園児の撮影に失敗した。

    

設定を通常発光に直して、後期古墳の石室がうまく撮れた。暗い石室でもピントがよく合う。

 

この数年間、ヴァージョンアップを繰り返すキャノンのミラーレスと並行して、V2を使ってきたため、充分に使い慣れなかったのだろうと反省する。また、撮影時には老眼鏡をかけていないので、モニターの再生画像がよく見えていないというお粗末な理由もある。

2014年にはV3が出て、業界は一応騒いだようだが、外付けのファインダーを見て嫌気がさして買わなかった。それで、ずっとV2である。

前述のニコンプラザ大阪には昼休みによく行く。写真展や写真雑誌を見るのが楽しみである。また、ニコンの代表的なカメラとレンズが並んでいる。半年くらい前からか、ミラーレスのNikon 1シリーズ が展示されなくなった。懇意にしているカメラ店の担当のにーちゃんに聞いても、ニコンは次のミラーレスを考えているようだとのこと。今愛用しているV2の部品がなくなるのも時間の問題とか。発売時にはあんだけ騒いで褒め称えたのに。という訳で、世の習いの通り、V2も末期を迎えたらしい。

とはいえ、とにかく、とりあえず、サイドカメラの一つとして、V2を愛用していきたい。


■ 少し早い紫陽花便り 川村由幸

桜から始まって今年の花々は全て咲き出すのが早い様なので、6月の最初の日曜日に松戸の本土寺に出かけて見ました。

ここはあじさい寺とも呼ばれ、境内には一万株もの紫陽花が植えられています。また花菖蒲も五千株ほどもあり、この時期多くの花に囲まれる寺です。

   

青い紫陽花はまだ花の数は少ないものの色づきはまあまあでしょうか。ピンクの花は色づきが充分でないものが多く見受けられました。いくら早いといっても梅雨入り前に美しい紫陽花を期待するのは無理があるようです。

   

花菖蒲は満開の状況です。例年、紫陽花より早く満開となる花菖蒲ですから当然でしょうか。

ただ、今年はスギナがはびこり、花菖蒲の花の数が少ないとの事。少し異常な季節の移ろいのせいでしょうか。

   

白い紫陽花はきれいに咲いていますが、それ以外の花の色は淡いままです。

青空の下の紫陽花よりやはり雨に打たれる紫陽花が美しいのでしょう。

関東も昨日(6/6)、梅雨入りしました。あと一週間もすると本土寺の紫陽花も見頃になりそうです。

人には、とても鬱陶しい季節ではありますが。


■  植物園で薔薇を眺める 田中康平

福岡市に住むようになって時々市の植物園に行く。昔は平尾浄水場といっていた一帯で環境が良く小山になっていて植物が多彩で野鳥の渡りの季節にはいろいろな鳥が現れるということもある。

動物園とも繋がっていて動植物園となっており土日はすぐに駐車場が満杯になってしまう。土日はとてもたどり着けない。

平日に訪れることばかりだが近頃は平日も駐車場がすぐに満になったりもする、バスだ。

福岡市近隣の小学校や幼稚園の格好の訪問場所となっているようで老人介護施設のミニバスもよくあらわれる。

子供も高齢者も入園料は無料ということもあるのだろう。そのうちバスで行くか歩いていくかはたまた自転車でということになってしまうかもしれない。

どのみちクルマに乗れなくなる年齢というものが何時かは来てしまうのだから時間の問題といえばそうだけれども。

ひと月ほど前は花というより渡りすぎていく野鳥を期待して出向いていたがこの季節はバラ苑がいい。

薔薇は品種の一つ一つに歴史がありダイアナ・プリンセス・オブ・ウェールズ等々思いのつまった名前が付けられている、それを見ていくのも楽しいがほとんど覚えられない。

香りと彩とバラエティー、それだけで十分すぎる。

5月の風に吹かれて日陰のベンチで薔薇を眺めながらのんびりとした午前を過ごす、この優雅な心地がいい。

                 


■ 看板考 No.66 「お願いします」 柚原君子

 

北区十条商店街の八百屋さん。手書きですが、これも看板と認定(笑)させていただいて一枚撮らせてもらいました。看板となる文言の上には、千葉産の何が入っていた段ボールかはわかりませんが、ちゃんと「まいどありがとうございます」の印刷文字も利用してあって、全体的に面白看板と感じました。

看板を書くに至った理由を文言からいろいろと想像してみました。

■複雑に商品が積んであり、通路が迷路になっていて、探検隊のようにしなければレジに行かれない。お客さんだってレジのありかがわからなくて迷うが、店主はそれに気がつかずに、ひたすらのお願い書になった。

■聞き分けのないせっかちな、マイペースの高齢のお客さんが多い。

■言ってもわからない痴呆予備軍、または天真爛漫な人が多い土地柄で、テキトウに並んでレジを終えようとする人ばかりで、店主が何度も何度も口で言っても聞かないので、お願い書としての看板。

■店主が筋金入りの頑固者で一糸乱れぬ列でないと気分が乗らず、レジを打つ気になれないので、必死にお願いしている。

■もともと動線がおかしい設定の店舗。出口のような入口のような、どこから入ってもいいような気がするけど、変に入るとレジ終えた人とバッティングするのか、品物を手に取っただけで、持ち逃げに状態になるのか(あは!)

■お願いします、に慣れている元区議さんだった八百屋さん(笑)

と、まあ、面白看板の前にしばらく立っていた私ですが、混雑さは一向になく、というよりお客人はこのときは一人もなく、よけいに面白い看板になりました。

下町商店街の散策はやっぱりおもしろいです。


■ おばちゃんカメラマンが行く @生月島 平戸市  事務局

今回はのんびりと生月島を訪れてみた。この島は捕鯨文化と独特のキリシタン文化で知られている。島自体は小さいがじっくり歴史を振り返ろうとすると1日では不可能だ。

博物館「島の館」で、隠れキリシタンの資料を探しに行くと、詳しく説明があり、なかなか触れることのできない貴重なものを学ぶことができた。

特にこの地独特の隠れキリシタン信仰。隠れながら独自の形で守り続けてきた信仰は、今日のカトリックとは合流せず独自の形で今でも受け継がれ島に残っている。

オラショのテープが流れる中、納戸神様を祭る納戸部屋やその隣になおらいの儀式をする座敷部屋の復元があり当時の様子が想像できる。

儀式も「イタダキ」という毎週日曜日に集まるカトリックの日曜のミサに近いものや、本来の意味通りかは疑問だが「お産待ち」というクリスマス・イヴ「お誕生日」クリスマスなどという私たちになじみのあるような儀式もあり、一年間を通じて行われる。

特に他の地方より興味深いのは聖水の儀式で、中江の島の水を聖水として「お水瓶」に入れ「オテンペンシャ」と呼ばれる綱で作った祭具で御祓いし身を清めるというものだ。カトリックでは同様に聖水で身を清めたり、ごミサの中の潅水式といって特別な時、聖水を金属の棒でしゃくり参列者を清めるということがある。

代々受け継がれたキリシタン信仰は当初の信仰から姿を変え、独特の変化を遂げて今に至るという説も考えられるが、実はこの地方に入ってきた当時のままほとんど変わらず残っていたのかもしれないと思ってしまう。

島にはガスパル様、千人塚、幸四郎さま、ハッタイ様、ダンジク様、焼山などキリシタン遺跡が多数存在する。

生月島は河童の島でもある。

河童伝説は日本国中水のある所にあるようだが、注目すべきは、日田、竹田、平戸、有名な所では遠野にも河童伝説がある。

生月島同様キリシタンが隠れていたところだ。

遠野もあまり知られていないが隠れキリシタンが処刑されている。

はじめは水辺で足を引っ張って人を殺めたり、いたずらをしたり、悪さをする河童だが、最後は人間に恩返しをしたり、反省をして村人につくしたりと憎めない存在になる。人里からあまり離れていない水場で、隠れて暮らさなくてはならなかった人たちが風貌ゆえに河童と呼ばれ、特にキリシタンの人たちは村人から河童ということにして市民権を得、ある程度黙認されていたのかもしれない。

当時神父様(宣教師)はご存知フランシスコ・ザビエルのように頭を削いで背に法衣をまとっていた。隠遁生活では風貌も変わり失礼だが河童のようになってしまったかもしれない。しかし逆は真ならずで、河童伝説のあるところすべてキリシタンがいたわけではなく少しこじ付け的な所もあるかもしれないが、調べてみる価値はありそうだ。

今月のにゃんこ

哀れさゆえに心の友だった嘉例川駅のにゃんこ

私の待ち受け画面でもあったのに、3年ぶりにどうしてるかと会いに行くとびっくり、、、

野良ちゃんから「にゃん太郎」と名乗り、嘉例川駅の観光大使に出世しているではないか。顔つきもうらぶれた感が抜けみんなのアイドルになっていた。

before

 

after

 


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Editor Yukinobu Takiyama

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