JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Jan. 2018

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 杵築の坂を全て調べる 瀧山幸伸

杵築を代表する塩屋の坂と酢屋の坂

 

坂学会という学会に所属している。http://www.sakagakkai.org/

タモリさんの坂道学会とよく間違えられる。あちらはタモリさんと山野さん二人だけの学会らしいが有名だ。坂学会は我々が発起人となり発足から10年以上経つが、まだまだきちんとした学会には育っていない。

このたび、坂学会の巡検(現地調査)で、美しい坂が多く残る杵築の旧城下町を訪問し、その幹事のような役目となった。

「坂学」なるものの方法論はまだ確立していないので、この機会を利用して手法のありかたの一つを探ってみた。詳しくは杵築の坂の調査レポートを参照いただきたい。

坂学会がまだ大人の学会レベルになれないのは、自分がこのような稚拙なレポートしか書けないのが問題なのだろう。発足から13年、中学生と同じ年になったから中学生レベルだと思えば気が楽だ。


■ 五個荘での新年探し 中山辰夫

年明け早々に集まりがあって東近江市の五個荘へ行きました。ここは近江商人発祥の地として知られ、豪商の旧家が多く残っています

何か変わった正月景色に出合えるかと期待しましたが特別なものはありませんでした。正月の間、使用人は丁稚羊羹を土産に国元へ帰省するので豪商の本宅は落着いた整いだったようです。

「門松」が目に着きました。「外村繁旧宅」

   

この門松は、江戸時代の正月飾りを再現したもので、各商家の江戸にある「大店 おおだな」に正月飾られたものです。

江戸の店では家の繁栄を願ってその高さを競い合って飾った様で、広告塔の役目も果たしていた気がします。

勧請吊(かんじょう)と薬師堂前の飾り

  

お正月の間、大注連縄をつくり部落の入口や産土神の境内に飾る行事で、近江の農村にはこの慣習を存続している所が多くあります。

御幣は通常12本、うるう年は13本です。薬師堂前の飾りは、燃やしてその燃え具合でその年を占う様です。

伊勢神楽

五個荘で約200年続くとされる料理店の座敷で「伊勢神楽」をみました。

五個荘の正月、各家に伊勢から神楽の一行がやってきて、その一年の幸福を授ける舞を舞います。特に豪商宅では毎年1月11日に招いた神楽が座敷で舞を披露することが恒例になっていたようです。今も続けているのは、この料理屋さん一軒だけのようです。

   

450〜600年の歴史を持つとされる伊勢大神楽(国の重要無形民俗文化財)は現在、5つの家元で構成されています。12月24日に桑名市の増田神社に集合して奉納を行った後全国を廻るようです。今日の獅子舞は、5社中の筆頭である「山本源太夫家」の皆さんでした。

     

最後はお決まりの場面です。

最近の子どもは獅子舞に余り関心がないようですが、私どもの小さい頃は玄関先でチョビット舞う獅子を追っかけたことを思い出しました。

地域の過疎化や高齢化で神楽を受け入れ てくれる人が減ったり、芸を受け継ぐ者が不足したりと直面する課題は多いと聞きます。

伝統を背負う親方の覚悟、新人たちのとまどい、待ちわびる人々の思い…。神楽周辺には感動するドキュメントが一杯潜んでいるようです。

仕上げは「鼈 スッポン鍋」料理‐これが目的でした。

宴会に付き物のお酒、いろんな種類のお酒が持ち込まれました。その中で目新しい「19歳のお酒」を紹介します。

   

お酒をまだ飲んだ経験の無い?19歳のメンバー達が日本酒づくりに挑戦。20歳になった成人の日に乾杯するというプロジェクトがあります。

田植え→かかし作り→稲刈り→醸造→瓶詰め梱包→さらには出来上がった日本酒は酒店で販売まで行う企画のようです。

純米吟醸・大治郎の滋賀の酒元・畑酒造が、「2018年3月31日時点で満19歳の、関西に住む男女求む!」と募集しています。

昨年度に醸成された酒はフルーティぽいやわらかな味です。

スッポンは琵琶湖の産。このお店では試作に試作を重ねて世に出す新たな味覚です。煮こごり、肝酢、唐揚げいずれも美味い。

    

最後は雑炊です

    

新年早々から好い思いと味わいが楽しめました。スッポン料理は珍しく、一年を乗り切るパワーをとりこんだ気分です。

コラーゲンの固まりのスッポン−今回は女性の参加が頗る多かった訳がここにありました。


■ 高取城彷徨記 大野木康夫

冬は城跡訪問に最適な季節なので、1月6日、奈良県の高取城に行きました。

高取城訪問は3回目、1回目は高校1年の秋、若さに任せて大手口を駆け上がりました。

2回目は車の免許を取ってすぐの冬、七つ井戸の駐車場まで車で行き、うっすら雪化粧した本丸を見てすぐ帰りました。

今回は撮影目的で訪問するため、麓から大手口を登ることにしました。

車は観光協会の案内どおり土佐の町の観光駐車場に停め、土佐街道を城跡目指して登って行きました。

児童公園に移築された松ノ門(の一部)

 

田塩家長屋門

 

植村家長屋門

 

下屋敷跡の農地

 

奈良産業大学がCG再現した高取城の案内板

 

城跡を遠望すると何やら雪が積もっていました。

これは想定外で、トレッキングシューズの行く末が心配になりました。

 

砂防公園、トイレと自動販売機はここが最終です。

 

道は勾配が強くなってきました。

 

黒門跡、本格的な登城道の起点です。

  

登り始めてすぐ、土砂崩れや倒木の痕跡がありましたが、このようなところはここだけでした。

  

石碑付近

 

七曲と呼ばれる急坂です。

随所に小規模な石積が見られます。

     

一升坂

  

岩屋郭との分岐点、本格的な石積。

  

一升坂の終点、謎の猿石です。

岡口門から来る道との合流点になります。

猿石は飛鳥の石造物ですが、背面を少し石垣の角石用に加工してあるような気がします。

下の石も溝があって石棺ぽい雰囲気です。

   

二の門跡の虎口です。

左側の水堀は帰路に寄ることにします。

  

三の門付近、崩壊気味の石塁もあります。

      

矢場門付近の高石垣

  

松の門付近

  

宇陀門の高石垣から雪景色になりました。

このあたりから撮影時間が長くなってきました。

   

千早門

  

大手門に至って素晴らしい雪景色になりました。

写ってはいませんが、何人か先客がいました。

皆さん八幡口門まで車で来られているようです。

いい景色ですが、雨が降っています。

      

二の丸入口、十三間多門跡

     

太鼓櫓と新櫓の高石垣、昭和四十年代に積み直されたものです。

  

本丸入口、十五間多門跡

   

天守台の高石垣

    

本丸虎口

   

本丸最上部からの眺め

    

本丸の高石垣を一周しながらの撮影。

個人的には本丸東南角の高石垣が気に入っています。

      

七つ井戸付近の連続高石垣。

石垣の量に圧倒されます。

      

この時点で午後1時を過ぎていたため、本丸、二の丸から下り始めました。

壺坂口中門跡

壺坂口曲輪に向かう階段が雪で滑りそうだったので訪問を断念しました。

  

大手門から脇にそれて吉野口門へ向かいました。

見事な高石垣も見られますが、草木が生い茂って自然に帰る途中のような感じです。

      

吉野口門の登り石垣

   

引き返して矢場門から国見櫓へ

   

さらに二の門まで下りて水堀付近を撮影

   

猿石から岡口門へ

    

岡口御門

   

猿石まで引き返して登城路を下りました。

土佐の町は10日の「土佐えびす」を控えて提灯が飾られていました。

 

石川医院、下屋敷表門が移築されています。

 

子嶋寺、二の門が移築されています。

 

今回は、息が切れないペースで撮影しながらゆっくり上りました。

駐車場出発が9時30分頃、黒門から登り始めたのが10時5分頃、猿石到着が10時50分頃、大手門到着が11時40分頃でした。

核心部をゆっくり撮影して、下り始めたのが13時15分、途中人があまり行かない吉野口御門、岡口御門に寄って、黒門まで戻ったのが15時45分でした。

積雪や降雨もありましたが、一部を除き、城跡を堪能できたので充実した日となりました。

いつも駆け足で何箇所も回っていますが、たまにはじっくり撮影するのもいいかと思います。

よろしくお付き合いください。


■ 百舌鳥(もず)・古市古墳群のベストテン   野崎順次

昨年の7月31日に百舌鳥・古市古墳群が世界遺産推薦候補と決定されたこともあって、3ヶ月間にわたって歩き回ってみた。

その結果、現地に行って大きさや起伏を見たり体感できる古墳ベストテンを選んだ。

奇しくもというか、当たり前というか、全てが前方後円墳である。名高い最大級の仁徳天皇陵や応神天皇陵は大きすぎるし、外提が視界を阻むので、選んでいない。

全て古墳時代中期である。大半が宮内庁管理地で立ち入り禁止であるため、竪穴式石室や石棺など埋葬施設を観察できるものが皆無なのは、非常に残念である。

  

まず、百舌鳥古墳群である。墳丘に何とか入れるのは、文殊塚だけである。

ニサンザイ古墳 堺市北区百舌鳥西之町3丁 

陵墓参考地 墳丘長300m、5世紀後半。

   

御廟山古墳 堺市北区百舌鳥本町1丁

陵墓参考地 墳丘長203m、5世紀前半。

   

いたすけ山古墳 堺市北区百舌鳥本町3丁338番地外

国史跡 墳丘長146m、5世紀中頃。

   

文殊塚古墳 堺市西区上野芝向ヶ丘町1丁772-3

国史跡 墳丘長59.1m、5世紀中頃。

   

次に古市古墳群。

仲哀天皇陵古墳 藤井寺市藤井寺

陵墓 墳丘長245m 4世紀後半〜5世紀後半。

   

白鳥陵古墳 羽曳野市軽里

陵墓 墳丘長200m、5世紀後半。

   

峯ヶ塚古墳 羽曳野市軽里

国史跡 墳丘長96m、5世紀末頃。

   

両古墳群の中で最もおすすめの歩行ルートは、近鉄土師ノ里の駅から南に、仲姫命陵古墳の北側を後円部から前方部にたどり、古室山古墳の墳丘を上り、さらに大鳥塚古墳の東側を進んで南の入り口から墳丘に登る。前方後円墳の起伏がよく体感できるだろう。

仲姫命陵古墳 藤井寺市沢田

陵墓 墳丘長290m、4世紀後半。

   

古室山古墳 藤井寺市小室

国史跡 墳丘長150m、4世紀後半。

   

大鳥塚 藤井寺市古室

国史跡 墳丘長110m、5世紀前半。

   

 


■ 今年の三社参り 田中康平

年が明けて見た初日の出も雲の中で、正月らしい行事といえばおせちの他は三社参りくらいだ。

三社参りの風習は西日本に偏っているようで誰かがはやらせた習慣のようだがどうせ正月は暇だし三社くらいお宮を回るのは悪くない。

元旦は訪れた孫・子を連れて近くの御子神社に出かけた。ここは太宰府から糸島に移動中の安徳帝が落馬した故事による神社とされる。

一旦太宰府に安徳帝を移し行宮をおき西国を固めようとした平家の思惑通りには運ばずまた屋島に戻ることになるのだがその際の移動の途中の逸話ということになるのだろう、安徳帝は6歳くらいのはずだ。

伝説かもしれない、しかし何かが源平のその時にあったのだろう。

 

2つ目のお宮は4日に宇美八幡宮を訪れた。ここは神功皇后が後に応神天皇となる御子を産み落とした場所とされる。

本殿の傍らには樹齢2000年というクスの古木がある。当時から歴史を見つめ続けた木ということになる、すごみがある。確かな歴史がこの木にはある。

 

3つ目は6日に訪れた糸島の鎮懐石八幡宮だ。万葉集に山上憶良が8世紀前半にここを訪れた時の文と歌が載せられている。

鎮懐石とは神功皇后が三韓征伐に持参した石でこれで妊娠していた体調を整えて首尾よく三韓征伐を成し遂げたとされる。

長さは1尺2寸6分と山上憶良は記しており明らかに石を見ていたようだ。その時でさえ既に三韓征伐から3百数十年は経っており伝説となっていたと思われる。

御神体となっている石は今は見れないがこのような石かというものが拝殿の前に置いてある。石は伝説かもしれない、しかし最低限山上憶良まで1300年は遡れる歴的事実がここにはある。

 

歴史が流れていく、何かを残していく、伝説を残していく、そんな空気に浸って新しい年を刻むのもいい、何か感じるところがあって新年らしい。今年はどんな年になるのだろうか。


■ 2017年の私 川村由幸

毎年、一月は昨年の振り返りをテーマしています。

昨年の投稿件数は27件、一昨年が40件超でしたから大幅減です。サイトの主にお叱りをくらいそうな件数です。

やはり近隣の文化財の取材が複数回となり、興味が薄れてきたことが大きな要因でしょう。

そんな中でも、強い印象が残っている取材場所を挙げてみたいと思います。

訪問の早い順にまず福島の花見山です。

名前の通り、花に埋め尽くされた花見山です。暫し見惚れた記憶があります。

ここの訪問は4/13、三春の滝桜は開花するかしないかという時期でした。

今までは滝桜や合戦場のしだれ桜が見頃の時期に花見山も訪問していて、そのために最も美しい花見山に出会えていなかったようです。

   

次は秋の信州、訪ねたところ全てが絶景でした。

白駒の池です。森の中は苔に覆われ深い緑一色、池を望めば黄色と朱の紅葉、一時間程度で池を一周できる木道が整備されています。鳥の声だけの静寂を楽しみながらの散策は最高でした。

ただ、最近池のほとりにあった山小屋的な宿が火災にあったようです。

   

御射鹿池(みしゃかいけ)です。東山魁夷の「緑響く」のモデルになったとのいわれもあるようです。

池に映った碧がなんとも幽玄な雰囲気を醸し出しています。小さな灌漑用の池で変化も少ないのです。

何に恵まれるとこんな景色が誕生するのでしょうか。

   

標高2000mでの軽トレッキングの準備が必要な栂池自然園です。

黄色に転々と混じる朱色の紅葉、残念ながら白馬連峰の山々を望むことはできませんでしたが2〜3時間のトレッキングの間、ずっとこの紅葉が楽しめました。圧倒される自然のなかでの紅葉は別格です。

そんなわけで昨年は長野でとても良い思いをしたのです。

   

最後は大塚国際美術館です。

訪ねたいと思いながらなかなか訪ねることの出来なかったところだけに思いが残っています。

陶板のレプリカとは言え、各作品の所蔵美術館がその出来映えにお墨付きを与えているほどですからどの作品を見てもその迫力には圧倒されるものがあります。

今でも、もう少し時間をかけて、じっくりと取材すべきであったと後悔しています。次の機会がないかもしれませんから。

   

2018年には、古希を迎えます。取材撮影の量を増加させたいと考えてはいるのですが、遠方に出かけないと思うような対象がなくなっている現状から簡単ではないと考えています。

撮影機材への投資や、旅行の機会の増加を図れば取材機会も増加しそうです。半面、長時間の車の運転がどんどんきつくなってきています。

ともかく、取材機会の増加を今年の目標にして頑張りたいと考えている新年です。


■ 着物 蒲池眞佐子

あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い致します。

お正月には着物を着られた方も多いと思います。着物アドバイザーをやっている私としてはうれしい時期。そこでちょっと着物の話を。

全日本きもの振興会が11月15日をきものの日としていることをご存じの方は少ないでしょう。会員団体を中心に全国各地のきもの業界関係者や省庁や地方公共団体と連携して、全国をきもの姿で溢れさせ、全国一大イベントとなるよう活動しているようです。

全日本きもの振興会によると、きものの日を制定することになったいきさつは昭和39年の東京オリンピックに、東京を訪れた世界各国の人々から「日本の民族衣裳は"きもの"だと思っていたが、きもの姿をほとんど見かけないのは何故か」との声を受けて、本会のシンボルとなる日を制定すべく、11月15日を"きものの日"と制定し、以来、きものの普及と振興を図ってきたとのこと。

全日本きもの振興会はきものに関係する業界の総意により昭和41年に発足し、昭和44年2月通商産業省(現経済産業省)により公益法人に認可され、平成25年4月一般社団法人に移行したものです。

現在では着物=晴れ着となっていますが、じつはその晴れ着の方が普段着のものより安かったりするのです。

国指定文化財の工芸技術、染色には21のものが認定されていますが、普段着のために作られたものが数多くあがっています。車1台買えるぐらいになってしまったものも多くあります。

着る人が少なくなり、作る人が減り、高齢化が進み、さらに高額になり、結局廃業される織元も多く見受けられます。

ホンジャマカの恵さんの実家も恵織物というすばらしい大島紬を作られる織元さんですが、恵さんが他業界で活躍されてますので、後継者がおらず、織元を閉じられるとのこと。

本当に残念です。記念に一つ購入を、とも考えましたが、すばらしい物ばかり作られるので、お値段が・・・

着物の歴史は弥生時代からありますが、デザインも変わってきています。

昭和の着物と現在の着物ではまたデザインも違います。親が嫁入りに持たせてくれた、という着物をお持ちの方も多いでしょうが、嫁入り時からの体系も違うでしょうし、似合う色も違えばデザインも柄も違っています。

着物を無くさないためにも織元さんが頑張れるよう、着物を着て欲しいものです。


■ 看板考 No.61 「明治水」  柚原君子

 

所在地:岐阜県各務原市新加納駅近くの旧中山道沿い

いろりを切って炭火をたいて五徳をおいてその上に大鍋を置いて煮炊きをする。火との距離の調整ができるように、天井からは自在鉤が吊されています。自在鉤には木の魚がぶら下がっています。おまじないと験担ぎです。魚はまぶたがないから眠らない、居眠りして火を絶やさないという戒め。魚が水に住むことから火事除けのおまじないでもあります。

煮炊きの煙は家屋の天井に抜けて行きますが、時には居間全体が煙ります。そんないろり端で暮らした昔の人々には眼病が多かったそうです。

看板は中山道の加納宿(美濃13宿の一つ。現在の岐阜駅の辺り)にあったもの。唐破風の屋根付き。看板の種類としては庇の上に置く屋根看板でしょうか。

「明治水」と大きく書いてあります。掲げられている家屋は店じまいをしていますので、どのような職種であったかわからず、はじめはコカコーラのようの清涼飲料水かと想像しましたが、その場で携帯のネットで調べたら明治水とは「目薬」とのこと。江戸時代の目薬はまぶたの縁に塗る軟膏か、薬効成分の入った水で目を洗うかのどちらで、液体としての目薬は明治以降の事ということも解りました。

実業家の岸田吟香(キシダギンコウ)氏がアメリカ人医師のヘボンより硫酸亜鉛を主成分とする液体目薬の処方を教わり、「精錡水(セイキスイ)という名前で販売したのが、日本初の液体目薬だそうです。当該看板も明治水とあるので液体目薬なのでしょうね。

看板を読むと、登録商標の右下、よく見ないと解りませんが、ほそばた印 くすりと読めるようです。加納宿にはこの先に細畑の一里塚がありますから、ほそばた印とは近辺の土地の名前をとったことになりますから、地域の薬剤師の資格がある人が、目を洗い流す液体を作って、ゴク狭い範囲で販売された目薬だったのでしょうか。明治水は時代の「明治」ではなく、目を明るく治す薬、という意味であったかもしれません。

看板は明治の頃の物としたら看板歴100年。もしかして江戸時代の頃のものであれば看板歴は130年くらいになるでしょうか。そうだとしたら中山道は皇女和宮の行列や参勤交代など、この看板はいろいろな事を見聞きしたのでしょうね。

……とはいっても不確かな情報や想像ばかりですっきりせず、東京に帰ってきて、ちょっと意地になって「明治水」のことを、ネットサーフィンしてみたら半日掛かりましたがやっと真実が解りました。

明治水の写真はすぐにありました。上下がゴムになっていて目にさしやすい(洗いやすい)形状のガラス瓶で提供されていたようです(今でもこの頃のガラス瓶を収集するマニアの方がいらっしゃるようで、海岸に行って拾った、あるいは拾うために海岸を散策しているという方もいらっしゃるほどです)。

ネットで見つけた写真には箱も付いていますが、字が不鮮明で発売元がわかりません。素敵なビンが記録として残されているくらいですから、きっとどこかに販売元があると想像してさらにネットを2時間。いろいろな単語を入れて検索角度を少しずつ変えていって、ついに見つけました。

リサーチ・ナビというHP。下に国立国会図書館と書かれています。

『明治から昭和戦前期までの新聞広告を、5分野に分け、年月順に収録したもの。本巻は、明治期の医薬・化粧品の新聞広告を収録』、という箇所の京橋区の下の日本橋区という分類の中に出ていたのです。

「明治水 発売元 円城半右衞門」。

知りたかった発売元が堂々と書いてありました。その他には宝丹 本舗・守田治兵衛/精奇水(目薬) 岸田吟香/瘡毒、脚気療治所 外科板倉一龍/晴光水(目薬) 問屋・金沢六兵衛/黒薬(ぬり薬) 本舗・守田治兵衛/小野の防臭散 製造販売・小野又七/英明膏(ぬり薬)他 本舗・松本伊兵衛/神薬他 資生堂〔ほか〕 などが記載されていて、やはり目薬はいろいろな名前でいろいろなところから発売されていたようです。

明治の頃の新聞広告の箇所に出ていた「明治水」ですから、看板歴は100年くらいと判明。明るく治る水という意味でなかったことも、和宮様行列や殿様の参勤交代を見ていない事も確定してすっきりしました。

それにしても屋根付きの立派な看板。ああ、もし倉庫を借りられる財力が私にあったら、ぜひ譲りうけて手元に置きたい看板!と久々に思いました。


■ おばちゃんカメラマンが行く 「地獄極楽」@大分県宇佐市   事務局

今回のお楽しみ「なんじゃこれ〜」

        

 

桂昌寺跡「地獄極楽」へ行く

今回2回目の訪問だ。

最初行ったときは、「なんじゃこれ〜×100倍!」

先が見えない暗く狭い通路。絵巻のように置いてある奇妙な石仏。出られるのか?恐怖と不安で声も出ない。

桂昌寺自体は室町時代に建てられたものらしいがその後荒廃し、江戸時代の後半に再興。文字の読めない村人のために仏の教えを説く目的で作られた洞窟ということだ。

ノミ跡が残るぐらいしっかり彫り込まれた細〜い洞窟を通って、地獄から極楽までの道のりを体験できる。全長70mほどだ。現地は簡単な礼拝堂裏山にある。拝観料100円と書いてある。

お堂の入り口にあった洞内図

細い洞窟を裸電球に照らされ浮かび上がる奇妙な仏像を拝みながら進むのだが、教導の場であり、洞窟部分は怖い。

先がどうなっているのかわからない怖さ、狭く暗い怖さ、背後の石仏に見られているような怖さをひしひしと感じた。

ろうそくを持ち、手探り状態で拝み進んだ当時を想像すると益々恐ろしい。心細いので言われるがままに順路に沿って行くと、地獄から入り、道なりに行くと極楽に行くようになっている。

最初の閻魔様に驚かされ、血の池地獄の赤鬼、青鬼、と地獄の風景が続く。くぐれる人がいるのかと思うほど細い胎内くぐりもある。

地獄から無事逃れてくると極楽の道が始まる。地獄に慣れたせいか極楽は幾分気が楽になる。

やっぱり極楽は楽なのかと思いきや最後に針の耳と呼ばれる5mほどの竪穴にぶつかる。

鎖をたどって極楽浄土に行くのだがほぼ垂直で細長い。おばちゃんは情けなくも一度はトライするのだが、すぐ極楽浄土に行くのをあきらめた。

ここは二度目、極楽浄土へ行く手段は一つではない。裏から山越えで行けるのだ。ちょいと太めの人や女子供が極楽浄土へ行けないはずはない。

またもや針の耳から出て最初に目に入った景色の極楽浄土感を味わえなかったのが悔やまれる。極楽浄土では麓の棚田が一望でき美しい。

本来教導目的であった洞窟が、時の流れとともにパワースポットや肝試しの場になりつつあるのも口惜しい。

 

閉所恐怖症気味だから洞窟は苦手だが、溝ノ口洞穴のように目の前に冬眠コウモリがぶら下がっているわけでもなく、都迫のかくれ念仏洞窟のように砂がざらざら降ってきたり大きな虫が這いまわってぞっとする場でもなく、慣れればなんとかなる。

今月のネコ 

これでもおねだりポーズの猫顔

 

普通の顔


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Editor Yukinobu Takiyama

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