JAPAN GEOGRAPHIC

Monthly Web Magazine Dec. 2020

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 危機遺産を救うシステム 瀧山幸伸

文化財保護法の枠組みのもとで伝統的建造物群保存地区に指定された白川郷五箇山は、ユネスコ世界遺産に指定されたことで知名度が上がり、多くの訪問客を迎えて地元経済にも貢献している。

  

重要伝統的建造物群保存地区は、 今年岡山では矢掛と津山城西が指定される予定なので再調査に出かけた。指定されれば保存修復などに多大な補助金が得られ、街並崩壊の危機から救われて知名度が上がるとともに経済の活性化も期待できるだろう。だが、同じ岡山にある歴史的文化的な足守の街並はこの枠組みに入っていないので歴史好きか街並好きなど目が肥えた人を除き訪問客は少ない。

   

既に文化財保護法のもと保護されている文化財であっても予算の問題があり放置されている例はたくさん見られる。ましてや全国に散在する潜在的文化財は存亡の危機に直面している。将来その価値が認められるきっかけは、発掘されたり、天変地異や百年千年の超長期を経て希少性が増したり、人々の価値観が変化したり、学術研究が進歩した売位などだが、それまで生き延びられるかが大問題だ。

ユネスコ世界遺産には危機遺産の指定という制度がある。日本の潜在的文化財は基本的には行政に救われなければ消滅してしまう。一部の専門家が保存を呼び掛けたりはするものの、行政の網から漏れた潜在的文化財を広く国民あるいは世界の共有価値として保護する枠組み、すなわち日本だけではなく世界レベルでのフィールドミュージアム構想の実現は甚だ遠い。潜在的文化財の調査発掘、リスト化と資料保存(アーカイブス化)、保存計画の立案と実施、必要なファンドの設立と維持拡大など、やるべきことは非常に多いのだが、一部の好事家に救われて残された美術品や三渓園などを除き、経済的価値を見出しにくい、あるいは文化的価値が共有されづらい潜在的文化財、例えば歴史的建造物、文化財埋蔵地、史跡などはほとんど救わないという構造的な課題がある。

だがこれを 嘆いていても事態は動かない。我々のウェブページは毎月世界中から多くの閲覧があり、バーチャルミュージアムとしては一定の評価を得てきているので、幅広く文化財などを調査してきた我々自らが率先してそのような枠組みを作る声がけをするべきではないかと思っている。賛同いただける方はぜひボランティアやファンド組成などできる範囲での活動に協力をお願いしたい。

 


■ 今年の紅葉狩り 大野木康夫

このところ、毎年、紅葉の写真を撮りに行っていますが、今年の京都近辺の紅葉は、色づきがよかったと思います。
11月20日の風雨で、いつもより早く紅葉の盛りを迎えていたところは一気に散ってしまいましたが、遅くに色づいたものは、12月の中旬まで楽しむことができており、全体としては長く楽しむことができました。

11/8 鍬山神社

丹波霧の撮影に行ったついでに寄りましたが、早くも盛りを迎えていました。

  

11/12 清滝神護寺西明寺

いずれも色付きが良く、特に神護寺は真っ赤に色づいた木々が目立ちました。

      

11/14 三室戸寺

人も少なく、穴場ともいえるところですが、紅葉にも力を入れておられ、見事な色づきでした。

  

11/15 奈良公園

紅葉を撮っているのか、鹿を撮っているのか、建物を撮っているのかわからなくなりますが、いろいろな樹種がそろっていて、長く楽しめるようです。

    

11/17 梅小路公園 朱雀の庭ライトアップ

人が少なく、遅い時間であれば三脚も使えるので、まあまあ満足できましたが、盛り過ぎでした。

  

11/21 善峯寺楊谷寺

善峯寺は3連休は朝6時半から早朝拝観をされていました。
マジックアワーの紅葉を楽しむことができましたが、露出が難しく、画質が悪くなってしまいました。

  

楊谷寺の上書院の眺めは、期待どおりの見事なものでした。

  

11/22 毘沙門堂

さすがに連休で人が多く、長居できませんでした。

  

11/24 高台寺南禅院南禅寺曼殊院八瀬もみじの小径、瑠璃光院

高台寺ではツアーの早朝拝観が行われていましたが、9時の拝観開始を待っているとき、2~30歳くらいのアマチュアカメラマンがツアー会社の添乗員さんに向かって、「無人の庭園を撮りたいのに早朝拝観の時間がかぶっているのは迷惑だ。」と悪態をついた挙句、「また来年にする」と言い捨てて帰ってしまい、並んでいる拝観者の顰蹙を買っていました。
東山は西側の山麓になるので、本来は写真は昼以降でないときれいに撮れないことも調べず、あげく、境内はほぼ無人の状態でしたので、何をしに来たのかと思ってしまいます。
こういう人が増えると、撮影に関して寺側が態度を硬化することにもなりかねないと思いました。

  

南禅院は例年どおり、色づきと一緒に散り始めていましたが、修学旅行生が感動していました。ここも常に日陰なので、撮影が難しいところです。

  

南禅寺は外国人観光客がいないので、例年よりも随分すいていました。

  

曼殊院は早くから色づいた庭園の紅葉が長持ちしているようでした。

  

八瀬のもみじの小径はマジックアワーで思ったよりもきれいでした。

  

瑠璃光院は完全予約制で、少ない人数でじっくり楽しむことができました。
机のリフレクションの撮影では、カメラを机に置いてもいいのですが、本当はもう少し上から撮る方が、映り込み部分が増えるのかもしれません。

  

11/28 東福寺

今年から一般向けに行われた予約制の夜間拝観でしたが、東福寺の紅葉のピークは11/19で、20日以降は早く散っていったので、今一つとなってしまいました。
ライトアップされるのは、通天橋と本坊の間で、臥雲橋の方はされませんでした。予約者以外をコントロールできなくなるからかもしれません。

  

12/8 清水寺糺の森

清水寺は12/3に舞台の工事が終了し、囲いが撤去されたので訪れましたが、全体的に色づいたままの葉がなかなか散らずに残っていて、この時期になっても見ごろと同じような紅葉を楽しむことができました。

  

京都で一番遅い紅葉で知られる糺の森も盛りを迎えていました。
この時期は修学旅行生が大挙して訪れていたようでした。

  

毎年、色づく時期や色合いが変わるので、興味が尽きません。
 

 


■ 持宝院庭園 野崎順次


私にとって倉敷市児島味野地区は晩年になってから縁ができた町である。当初、商店街はほとんどの店がシャッターを閉め、老人と犬だけが目立っていた印象があった。今ではジーンズによる町おこしが順調に発展し、児島ジーンズストリートに訪れる観光客が増えてきた。
その一角に御室派真言宗の持宝院がある。いつもお盆に来ていただいているお寺さんだが、数年以上境内に入ることはなかった。それで気が付かなかったのだが、新たに庭園が完成していた。

山門をはさんだ南北の石組庭園で、京都の著名な作庭家北山安夫さんの作品である。北山さんは建仁寺や高台寺の庭をはじめ、海外でも日本庭園を手掛けてきた。また、NHK「プロフェッショナル 仕事の流儀」に出演(第41回2007年2月15日放送」し、最近では大河ドラマ「麒麟がくる」で、明智光秀の館の庭をつくった

山門
  


南庭、大きめの石を埋め込んだ州浜の向こうに、豪快な三尊石組がある。
           

左手(北側)の石の壁に挟まれた道が三尊石組方面へ
     

北庭、まず白砂の掃き目と横たわる石が目を引く。
     

累々たる巨石群の中に観音様への道が
    

中核部分、巨大な船石の向こうに中心石
 

先代のご住職の時代から集められた数々の石が並ぶ。
    


■  蟇股あちこち—8 中山辰夫

 
前回まで原始蟇股~板蟇股の遺例を時代順に並べました。今回からは「透かし蟇股」を年代順に並べることにします。

組物と組物の中間におかれる中備(なかぞなえ)は、上からの荷重を下の架橋材に伝える部材です。その形状によりいくつかの種類があります。
これらは建築様式などで用い方に違いが出ると共に形状も変わってゆきます。
間斗束(かんとずか)撥束(ばちずか)蓑束(みのつか) 双斗(そうと ふたつと) 花肘木 人形割束 蟇股
  
双斗(そうと ふたつと) 花肘木 
  
人形束 板蟇股 蟇股
    
これらは、構造材だったものが構造材と装飾材を兼ねたものとなりついには専ら装飾材というものに変わっていきました。
奈良時代以降は間斗束が用いられていました。平安時代後期になると、間斗束に加え蟇股が中備に用いられるようになりました。

この時期の蟇股は、板蟇股の内部を刳り取ってカエルの後ろ足を開いたような形をしたもので本蟇股又は刳抜(くりぬき)蟇股と呼ばれました。
平等院鳳凰堂 板蟇股の起点。
   
1053年に建立された平等院鳳凰堂の身舎の虹梁に用いられた板蟇股が、平安後期以降の板蟇股、蟇股の基本とされています。(3度目の登場です)

平安後期に、本格的に使われた最初の遺例は4件とされています。
醍醐寺薬師堂(1121年)・中尊寺金色堂(1124年・一乗寺三重塔(1171年)・宇治上神神社本殿南殿・北殿(平安時代後期)の建築です。

醍醐寺薬師堂
京都府京都市伏見区醍醐東大路町22

醍醐寺は874年に理源大師聖宝が笠取山の山頂に観音像を祀り草案を営んだことに始まります。907年に醍醐天皇の菩提寺となり、山頂に薬師堂が建立されました。続く朱雀・村上天皇に保護され定額寺となり、下醍醐に伽藍を完備した大寺院となり、十一世紀後半から次の興隆期を迎えました。
現存する薬師寺は1121年に再建されました。中世に二度の火災に出合いました。現在の金堂は火災から100年経過した1598年に秀吉の命で再建されたものですが、他所からの移築によるもので、12世紀後半に建立されたものとされます。

薬師堂 国宝 建立:1121年 桁行五間 梁間四間 一重 入母屋造 桧皮葺  
  
峰の先端の僅かな平坦地に建っています。醍醐寺に現存するものでは最古の建築物です。乱石積みの基壇 桧皮葺の屋根は山岳寺院に共通の建築パターンです。奈良時代末から平安時代前期にかけて山岳の中に密教系寺院が多く創建されました。それらを知る上で、上醍醐の厳しい立地に建てられた薬師堂は貴重です。平安時代初期の創建時に上醍醐には、薬師堂のほか同じ規模の3棟(准胝堂、如意輪堂、五大堂)の伽藍が建っていました。 

蟇股
    
本蟇股は薬師堂内陣に見られます。平安後期から現れた現存最古の蟇股です。組物と組物の間は、下段を間斗束、下段を蟇股とする新しい意匠です。
蟇股は二つの材を中央で合せて作られ、肩が大きく脚部が細すぎて弱弱しい欠点がありますが、建築細部を賑やかにする約を果たしているともいわれます。

中尊寺金色堂 
岩手県西磐井群平泉町衣関202

金色堂 国宝 建立:1124年 桁行三間 梁間三間 一重 宝形造 本瓦葺
     
藤原清衡が平泉の居館に近い関山に中尊寺を創立し、1124年に総供養を行う際に金色堂が建立された。清衡と妻女を檀主とし、大工物部清国らによって造られた。四天柱で囲む方一間の内陣に庇をめぐらせて側廻りは方三間となる一間四面堂で、1124年建立の棟木銘が残ります。
この棟木は内陣上にかけた切妻形の内屋根のもので、日本の棟木銘としては最も古いです。
金色堂は、清衝・基衝・秀衝藤原三代の葬堂の役目を果たしています。

建物の構造は、丸柱に平三斗の組物を用い、軒を半繁垂木の二軒をする比較的簡素な形式で、中備の蟇股が僅かに装飾となるだけです。
金色堂の真価は、清衝の財力をバックに実現した絢爛豪華な建築装飾に尽きます。内外すべてに黒漆を塗り、金箔を施し、さらに螺鈿装飾が施されています。
蟇股 日本列島の北から西へこの精巧な蟇股が平安時代後期にどのように伝播されていったものか。鉄筋コンクリート造のシェルターの中に鎮座しています。
中備に入れた蟇股は一本の木のものと、二つの木を中央で合わせたものとあり、輪郭の曲線は鈍重いとされる。蟇股も螺鈿や飾り金具が使われています。
    
蟇股は片蓋で組物各間の中備として用いられており、側廻りでは壁板の内外、内陣廻りでは壁板の外側に合計24個使用されていますが、2材を組合せたものは4個だけで、塩の田は全て一木造り、この蟇股は内陣廻りの壁板の外側に用いられたもので、螺鈿を用いた華麗な仕上げをほどこしている
形は、内陣外陣ともに同じです。
内部を刳り貫き両脚で斗を支える本蟇股は、平安後期から現れました。金色堂はその流行をいち早く取り入れています。

参考資料 「国宝 中尊寺展」 「蟇股」より引用しました。 

宇治上神社本殿内殿
京都府宇治市宇治山田59

宇治橋東方の仏徳山の麓に建ちます。 1994年に世界遺産に登録されました 隣接する宇治神社を離宮下社、宇治上神社を上社と両社一体の神社として宇治離宮明神「八幡社」と総称されていましたが、明治初年に分離されました。境内及びその周辺には巨石が有り、磐境信仰により創祀された神社ともいわれます
     
醍醐天皇の勅による創始と伝えられます。境内には本殿・拝殿・及び春日神社社殿の古建築が現存します。
特に本殿は平安時代後期の建立で、神社建築に於いては全国最古の遺構であり、同時に優美な姿の装飾用蟇股で知られています。拝殿向拝の蟇股

本殿 国宝 建立:平安時代後期 桁行五間 梁間三間 一重 流造 檜皮葺の多い屋の中に、各一間社流造の内殿―右殿・中殿・左殿が並ぶ。
現存最古の神社建築 左右殿の蟇股は日本三蟇股の一つとされ古様を見せます。左殿は平等院鳳凰堂に次ぐ頃、右殿は時代がやや下がるとされます。る。
蟇股は格子障壁越しに拝観します。
    
母屋の斗栱を舟肘木、庇の角中を頭貫で繋ぎ、平三斗を組み、中備蟇股を置き、繁垂木とします。内殿3社の細部には違いがあります。中殿は庇・母屋共に斗栱を舟肘木とし、細部に蟇股などの装飾的な要素はないです。左右殿は中殿に蟇股を置いています。

本殿左殿の蟇股  
   
蟇股は庇組物の中備に用いられており、繰形を付けた2材を扠首状に組合せている、蟇股としては最古の遺例とみられます。外形は足元に花形の繰形が付けられている他は平等院鳳凰堂の板蟇股とほぼ同形 輪郭内には別材で造った平面的な彫刻が篏込んであるが、これは後入れで、もとは輪郭内だけであったとされます。 平安後期の他の蟇股には輪郭内の彫刻はみられません。 輪郭内に彫刻を入れる時期は鎌倉前期頃とされるます。

本殿右殿の蟇股
  
蟇股は左殿の蟇股と比べて風蝕が少なく、各部の繰形も異なっているため、後世に造りかえられたとされます。 蟇股は2材を組合せたもので、輪郭内には別材で造った花形の彫刻を入れていますが、同時期のものとされます。 左殿と大きく違うのは輪郭内の内側に茨がなく、内側に花形の繰形を造り出しているほか、肩から下方の輪郭が同じような幅で、足元の繰形も大きく表面の猪の目が彫込まれている点 足元の繰形表面に彫込みを施したものとしては1271年の慈眼院多宝塔の蟇股にも見られます。

拝殿、春日神社拝殿・本殿
拝殿 国宝 建立:鎌倉時代前期 桁行六間 梁間三間 一重 切妻造 両妻一間通り庇付 向拝一間 桧皮葺
本殿 国重文 建立:鎌倉時代後期 一間社流造 桧皮葺
  
横長の切妻風造の建築の左右に、庇を付加し唐破風で処理して独特の形にまとめている。建築は木割が細く住宅風の趣がうかがえます。

蟇股
   

宇治神社は後にまとめます。

一乗寺三重塔
兵庫県加西市坂本町821-17
   
兵庫県南部のほぼ中央に位置する加西市の南部で、南が加古川市、西が姫路市都市域を連ねる山中にあります。650年孝徳天皇が勅命で法道に建てさせたと伝わります。法道仙は伝説的人物で、法道仙人開基の伝承を持つ寺院が兵庫県頭部地域に集中してあり、この地域一帯は早くから仏教文化が栄えた地とされています。御嶽山清水寺・書写山円教寺・一乗寺は播磨を代表する天台宗の大規模な山岳寺院です。
境内には国宝や国重文の三重塔・護法堂・弁天堂・妙見堂などの古建物があります。行者堂、本堂を経て200m程先には法道仙人を祀る奥の院開山堂があります。ご詠歌にも「春は花 夏は橘 秋は菊 いつも妙なる法の花山」とあるとおり、春、秋の時節には桜、紅葉の名所としても知られています。

三重塔 国宝 建立:1171年 三間三重塔婆 本瓦葺 建立年代が明らかな塔としては日本で珍しいようです。
  
塔身部の低減率「初層から三重に向かって小さくなる率」の大きいことが特色。中央の板扉の回りは曲面の、幅の広い古式の弊軸が見られます。
軒を支える三手先組物の斗の丈が高く力強い感じがするのは平安時代末期の特徴とされます。初・二重の組物の真ん中に本蟇股がみられます。

蟇股 
      
初重と第二重との軒廻り斗栱間に用いられた蟇股は、上醍醐寺や中尊寺金堂における蟇股と全く同性質の、両脚別々の木片からなります。
その内外の繰形線が多く輪郭線が複雑になっている所、両脚の末端ちかくの左右に開いて曲がるところたまたま力が抜けて勢いが弱くなり、また両肩の捲きこんだところが猪ノ目形に彫り込んでいる所など、年代の差がでています。

平安時代後期の現存する蟇股4カ所のまとめです。
 
その中の3種の他のものは年代ほぼ近接し、一乗寺のものだけは少し離れた末期に属するため、蟇股の変遷経過を知る上に重要な存在です。
蟇股が構造としてではなく意匠として用いられるようになったその最初期のものであり、塔に蟇股が用いられている最古の例です


一乗寺では他の堂宇にも蟇股が見られます。三重塔に似た刳抜蟇股が用いられている堂宇が。あります。

太子堂
   

宝物館
    

常行堂・法輪堂・鐘楼には蟇股の使用個所はなし

護法堂 国重文 建立:鎌倉時代 一間社隅木入春日造の社殿 仏法守護の毘沙門天を祀る
   

弁天堂と妙見堂は並んで建ってます。
 

妙見堂 国重文 建立:室町時代 三間社流造 本堂裏手に建つ
        
本堂の後方、弁天道に接して立っている。三間社流造浜床(まはゆか)付で、高欄(こうらん)を欠きます。
蟇股と扉構えに古様を留めて木鼻・組物・妻飾など大部分が後補になっています。建立年代は明らかでなく室町と見なされます。

弁天堂 国重文 建立:室町時代 一間社春日造の社殿
  

上記三つの鎮守諸堂は、中世の神社建築の様式の変遷を伝える貴重な建物とされます。

開山堂(奥の院) 建立:1667年 宝形造 奥の院にあり、開山法道上人を祀る。獅子・龍・竹に雀・紅葉に鹿・栗鼠などの蟇股彫刻を施した上質の建物。
           
奥の院にあり、開山法道上人を祀ります。獅子・龍・竹に雀・紅葉に鹿・栗鼠などの蟇股彫刻を施した上質の建物です。

《参考です》

宇治神社
京都府宇治市宇治山田1

宇治神社は「ウジノワキイラツコ」を祭神とする神社、宇治上神社は「応神天皇」「仁徳天皇」「ウジノワキイラツコ」を祭神とする神社です。
社伝によると、かつてこの地には応神天皇の離宮があり、その皇子であるウジノワキイラツコが住んでいました。皇子の死後、異母兄の仁徳天皇が住居跡に祠を建て、その御霊を祀ったというのが両社の歴史の始まりとされています。両社はとても近い場所にあり、昔は「宇治離宮明神」「離宮八幡宮」などと呼ばれ、宇治上神社を上社(本宮)、宇治神社を下社(若宮)としていました。

琵琶湖から山間を抜けて宇治川が流れる宇治の地は、平安時代王朝貴族の別荘地でした。藤原道長が889年源融の別荘宇治殿を入手し別荘としました。その死後、藤原頼道は別荘を寺院に改め、1052年に本堂を建立、平等院と号し、宇治のこの地に、極楽浄土を創り出そうとしました。この鳳凰堂が建立されると、宇治神社・宇治上神社ともに鎮守社となり、関係が益々深まりました。
明治維新後に分かれ、現在の名称になりました。境内には、本殿(国重文)・中門・拝殿・絵馬堂・神楽殿・神楽蔵・社務所・末社が並びます。
 

境内
    

本殿 国重文 建立:鎌倉時代後期 三間社流造 桧皮葺 
 
三間社流造の堂々とした社殿。斗栱は庇を連三斗、母屋を出三斗とし、中備は庇と母屋正面に蟇股を置く。母屋背面の頭貫先に木鼻を付ける。この木鼻は、猪の目を伴った挙鼻は大仏系です。
蟇股
      

中門
 

拝殿(桐原殿) 桁行三間 梁間三間 桧皮葺
   

神楽堂・社務所・摂社・春日社・ほか
    

次回は鎌倉時代に入ります。

参考資料≪国宝 日本の国宝 寺社建築の観賞基礎知識 蟇股 修理工事報告書 小建築の細部文様、ウィキぺデイア、他≫



■ 記憶のタイムカプセル~半世紀ぶりの訪問~ 酒井英樹

令和2年もあと1か月になった・・本来なら東京オリンピックも開かれ盛り上がったであろう・・この年・・。
2020年最後の最後のWEB-MAGAZINEの題材は、

母のお中で迎えただけで映像でしか知らない・・前回の東京オリンピック・・
ではなく・・大阪で生まれた自分にとって・・ちょうど50年前に開催された国家イベントの「大阪万博 EXPO'70」を選んだ。

大阪万博EXPO'70は大阪北部の千里で開かれたアジア最初の国際博覧会(万博)。
現在は、その跡地は万博記念公園として残されている・・。


WEB-MAGAZINE 2020 8月号で紹介した大阪の南のシンボルの1つ「づぼらやのフグ提灯」(現在は撤去されています)・・。
しかし、大阪全体で言えばやはり「大阪城天守」とEXPO70のシンボルともいえる「太陽の塔」の2つが追加される。

そしてちょうど今年、大阪万博EXPO'70の50周年を記念してか・・「太陽の塔」が登録文化財(建造後50年以上の建造物が対象)に登録された。

 太陽の塔
       


大阪から西に中国自動車道を通ると必ず見える太陽の塔は、岡本太郎がデザインした高さ71mの鉄骨・鉄筋コンクリート製の巨大オブジェ・・。
未来を象徴する頂部の「黄金の顔」、現在を象徴する正面の「太陽の顔」と過去を象徴する背面の「黒い太陽」の3つの顔を持つ。

黄金の顔
 ステンレス製(当初は鋼製、修復時に耐久性からステンレスに)
 直径10.6m
  
 

 太陽の顔
 繊維強化プラスティックの下地と発泡ウレタン、コンクリート吹き付け、樹脂塗装の表面仕上げ
 直径約12m
  


黒い太陽
 黒色陶器(信楽焼)タイル貼付
直径約8m
  


 誰もが一度は見たことがあるはず・・、しかし内部は???・・ほとんど知られていない。

 それもそのはず・・大阪万博EXPO'70で公開されてから50年近く非公開であった。
 内部の展示物「生命の樹」は全く手つかずのまま朽ち果てていたが、近年復元が完了し公開されたので50年ぶりに太陽の塔を訪れた。


 入口に入ってしばらくすると第4の顔といわれる「地底の顔」が出迎える。

 地底の顔
 直径約3m
 大阪万博EXPO'70終了後撤去され、オリジナルは現在も行方不明。
 内部公開にあたり、当時の資料より復元
   
 

 そして階段を上ると高さ41mの「生命の樹」の根元に・・。
 カラフルな原色の樹の幹や枝に数多くの生物模型が取りつけられ、アメーバーなどの原生生物からハ虫類、恐竜、哺乳類・・古代から人類誕生までの生命の進化の過程をあらわしている。

 生命の樹
 残念ながら写真撮影は1階のみの許可
                 
 

「生命の樹」を見ていて既視感はあった・・50年前・・記憶では亡き父に連れられ入った覚えがあるが・・何か違和感があった。
 当時若干5歳の子供が階段を上ってみたのだろうかという疑問・・しかし今回上るにつれ・・当時の記憶がよみがえってくる・・
 当時は「エスカレーター」で昇って・・太陽の手から出るようになっていたことを思い出しその景色が目の前に現れた。
 エスカレーターで空洞の手から大屋根に出るようになっていた。

 そういえば大阪城の地下に大阪万博EXPO'70を記念して5千年後に開けるタイムカプセルが埋設されている。
 私にとって今回の太陽の塔の内部訪問は、時と共に次第に薄れていっていた50年前の記憶をよみがえらせるタイムカプセルそのものであった。


 ■ 鳥の博物館   川村由幸

我孫子市の運営する「鳥の博物館」に行ってきました。
日本で唯一の鳥専門の博物館です。この博物館が設立されたきっかけは山科鳥類研究所が1984年に我孫子市に移転したことで、博物館は1990年に開館しています。今も二つの施設は隣接しています。
この博物館の場所は水質悪化で悪名高い(最近は随分と改善が見られるのですが)手賀沼のほとりでまず手賀沼の鳥たちの展示から始まります。

  

水質悪化だけが原因ではないでしょうか、昔見ることが出来、今は手賀沼では見ることが出来なくなった鳥たちの紹介もありました。
そこから先はたくさんの鳥の剥製展示が続きます。

  

なんでもこの博物館は日本鳥類633種の約6割に当たる385種の標本を収蔵しているそうです。来年の1/Eまでそれら全ての収蔵品が展示される特別企画が開催されていました。

  

しかし、ガラス張りの展示品の撮影は厄介です。ガラスに周囲が写りこむを防げません。ガラスにカメラレンズを付けて撮影すれば写りこみは防げますが、狭い範囲しか撮影できないことになってしまいます。
言い忘れましたが、ここは70才以上は無料、もちろん私は無料です。
もちろん、剥製標本だけでなく、骨格や鳥が飛べるしくみ等の展示もあります。
絶滅した鳥や絶滅しそうな鳥の展示もありました。

  

日本人にはおなじみのトキ、一度絶滅し中国の力を借りて復活の過程にある鳥です。山階鳥類研究所が発見したヤンバルクイナも絶滅の危機にあるのでしょう。そうだ、ヤンバルクイナ、見逃してます。
動かない剥製は、一羽一羽の鳥をじっくりと観察できます。とてもうつくしいものです。
1月末までにもう一度訪問し、一羽一羽をもっとゆっくりじっくりと見てみたいと思っています。

 

 


■  今年の紅葉 田中康平

コロナもあって今年はそれらしい紅葉見物には殆ど出かけなかった。強いてあげれば雄淵雌淵公園くらいだろうか。佐賀県の嘉瀬川中流に作られた公園で、植えられたイロハカエデは数は多くはないが川をバックにいい感じで紅葉が見れる一角がある。
福岡市内では紅葉のスポットになっている油山の紅葉谷にも出かけてみた。例年は11月中はもっていたように思っていたが、11.3はいい感じだったものの11.21はもうすっかりといっていいほど葉を落としていた。今年は紅葉の進みがいつもより少々早いようだ。紅葉の見頃予想はその場所の9月の平均気温から簡単に算出できる式(*)が気象庁から公けにされていて結構使える(関東地方用の式としているが九州でもそえなりに使える)。温暖化もあるが今年は9月の気温が低めで推移しているということなのだろう。
紅葉は忙しいが、冬桜はのんびり見られていい。近くの公園の10月桜が11月半ばには満開になって赤く色を変えた木をバックに美しい。色々な秋がいい。

* y=4.67*T-47.69 y:10月1日からの通算日数、紅葉見ごろ T:その場所の9月の平均気温℃
 出展:https://www.jma.go.jp/jma/press/0709/27a/koyo2007.pdf


写真は 1-7:佐賀の雄淵雌淵公園(11/18) 8-10:福岡市の油山紅葉谷の風景(8,9:11/3,10:11/21)福岡市城南区の西の堤池公園の10月桜(11/26)

           


■ 看板考 No.94 「つとっこ」 柚原君子

  


所在地:長野県南木曾妻籠宿内

柿の字の右側は『市』ですが、元の字は『柹』。右側の字は「し」と呼ばれるもので、『一番上』を意味します。柿は木に成る一番上ではなく、柿から渋を取っていた時代、一番上に渋がありすくい取っていたから。
余談ですが同じ意味で「し」が付けられている『姉』も女の一番上という意味になります。

妻籠宿の秋の風物詩と言われる「つとっこ」を先日の街道歩きで初めてお目にかかることができました。柿が秋の陽に照らされて、藁の間から笑っているように見えました。ほどよく干されて食べ頃になると、抜いて違う柿を入れるということもできるようです。

つとっこは柿を藁で包んで干してあります。それ以外の干し方はどの地域にも見られる皮をむいて干す方法と、枝ごと切ってきてそのまま干す方法とがあるそうですが、街道筋では皮をむいて干してあるのは見られませんでした。

藁の隙間から見える鮮やかな柿色はとてもきれいで、まさに秋を楽しむことができました。

藁に包まれた柿の種類は渋柿で百目柿。命名は昔の尺貫法で百匁から来ていて375グラムくらいの大きさだったからだそうですが、現在は結構大きく百匁を超えて500グラムくらいの大物もあるそうです。

類似のものでは、つとっ子……秩父地方特産でトチの葉で餅米などを包んだ保存食で朴葉などでも作られるものがあります。その他の地方によっては、つとこ、つつっこ、つっとこなどの言い方もあるようですが、昔は冷蔵庫などありませんから、風通しの良い場所に吊して保存したからなのでしょうね。

当該看板はお年を召した方が書かれたような、なつかしく温かい文字看板でした。


■ おばちゃんカメラマンが行く  JG事務局

 

★今月のニャンコ 



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