Monthly Web Magazine (Oct.1, 2009)
■■■■■■ 9月の新着情報 ■■■■■■
New contents in Sep. 2009
Choice of this Month
奈良 天川 大峯 Nara Tenkawa Omine
女人禁制の山岳宗教の地、修験講体験レポートです 。今回は天候に恵まれたそうですが、悪天候ではかなり厳しい修行ですね。 |
姫路 書写山圓教寺 Shosazan Engyoji Temple, Himeji, Hyogo Pref.
映画ラストサムライのロケ地です。
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Shojinzawa
イヌブナの自然林は国の天然記念物で、その林が天然の貯水池となる尚仁沢湧水が有名です。 「おいしい水」の第一位の受賞暦を持ち、名水百選の中でも最大の湧水量です。を求めて、県内外からの水汲み客が訪れます。
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瀧山幸伸
Komatsu Natadera
地底から宇宙へ、過去から未来に、煩悩と時空を超える宗教のテーマパーク
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■■■ 「初秋の別所温泉〜安楽寺など」 高橋明紀代
信州上田から上田電鉄で、初秋の別所に行きました。
別所に行く上田電鉄の電車は、現役の旧丸窓タイプが珍しく、最近は人気があるそうです。
帰りは長野から小布施に足を延ばしました。
しかし、残念ながら観光客が多い時間帯にかかってしまい、カメラには観光客が入ってしまいので、アップは少なくなってしまいました。
カメラの撮影は禁止でしたが、北斎ゆかりの 「曹洞宗梅洞山の岩松院」本堂代大間天井絵「八方睨み鳳凰図」はみごとでした。
30分以上ながめていても、 まったく飽きることがない迫力です。
色褪もせず、鮮やかな色彩で、大胆に描かれた鳳凰は、国宝にふさわしいと思いました。
■■■ 「八戸三社大祭 加賀美流騎馬打毬」 中村千恵美
■■■ 『米沢の郷土玩具「相良人形」』 高橋久美子
山形県は、各地に近代の名建築が多く、美味しいものもあり、土地柄も好きなので、3回ほど訪問しました。
いつも夏休みを利用して訪問していたので、「とっても暑い所!」という印象が強いです。
暑さを凌ぐ工夫もいろいろ見ましたが、冷やしラーメンもそのひとつで、
普通のラーメンに氷が入っているのに、何故かサラッとしていて、とても美味しかったです。
今回は、山形県・米沢の土人形「相良人形」のコレクションです。
土人形は各地にありますが、ルーツは京都の伏見など、3カ所くらいになるそうです。
「相良人形」は、素朴さの中にも、上品な顔立ちをしていて、とても好きです。
米沢市内の「東光」という日本酒の蔵元で販売しており、訪問する度に買ってしまいました。
添付されていた説明書からの由来を書いておきます。
『米沢藩主親衛隊の相良清左衛門が、藩財政立て直しの一翼として、藩命により相馬にて陶器製造を習得する。
(あの上杉鷹山の時代のことらしいです)これにより、藩が潤うこととなった。
清左衛門は諸芸に通じており、彫刻の特技を土人形作りに用い、種々の人形を作り現在に至った。』
記事を書いているうちに、もう長いこと東北地方には、ご無沙汰だったことを思い出しました。
順に、春駒 口上 花篭 おしくら お多福 です。
■■■ 「あのころ、大地震があった。 1月17日。」 野崎順次
この地震の正式名称は、「平成7年(1995年)兵庫県南部地震」で、それによる大規模災害を「阪神・淡路大震災」と呼称することが2月14日の閣議で了解された。
だが、僕にとって「阪神大震災」が最も慣れた通称である。
それは生まれてずっと尼崎北部に居住し、小学校から大学までが神戸市東灘区・灘区の直径2キロの範囲内にあったことや、
地震直後の2ヶ月間に、尼崎市の自宅から神戸(中央区〜須磨区)に自転車で7回出かけて、阪神間の被害を注視したからだ。
その頃はフィルムカメラだから、倹約しつつ36枚撮りで約40本撮影した。
撮影してから馴染みの梅田の写真屋さんでプリントアウトして大型スケッチ帳に張りつけた。
いつか、この経験が穏やかな記憶に変わって、「あのころ、あんなことがあったんだねえ」
と云える日が来ればいいなあと思って、その写真帳のタイトルは「あのころ」としてそのまま本棚の片隅に入れた。
あれから、十数年が経過し、大地震は身の回りでも身内や友人の人生を大きく変えてしまった。
表向きは神戸も復興したが、未だに残る空き地とともに、あの大地震は多くの人々に心の傷を残した。僕もそれから免れない。
阪神大震災にかかわる小説として、村上春樹の短編集「神の子どもたちはみな踊る」がある。
彼は阪神間の生まれで高校まで住んでいた。僕と同じ高校だった。その頃の自分をあまり明らかにしていないが、あまりハッピーではなかったようである。
その彼が東京で阪神大震災のニュースに接して複雑な感情を抱いたことが分かる。
短編集では地震のことが遠い出来事で話の主流とは関係ないように書いているが、実は地震の記憶(遠くから注視している)が大きなモチーフになっていることが分かる。
まだとても穏やかな記憶ではなく、傷口に塩をまぶすような感があるが、僕の個人的な記憶とデジタル化した写真を残しておきたいと、考えるようになった。
写真の一部をセレクトしてみた。
大地震の前日、僕は独りで六甲山のハイキングに行った。谷筋のトウウェンティクロスから摩耶山に登ったが、妙に空気がクリアで、大阪湾が見渡せた。
新神戸付近の街は穏やかだった。大破壊の17時間前である。
1995年1月17日午前5時46分、前夜は珍しく深酒をしてなかった僕は鋭い振動で目覚めた。
大きな縦揺れ横揺れの記憶はない。濡れた犬が全身の毛から水分を飛ばすような鋭い振動だった。
僕のベッドの直ぐ横に和箪笥があり、その上にガラス戸の入った上置き(60kgくらい)があるが、それが2mくらいすっ飛んでベッドの足もとに来ていた。
尼崎市や大阪市西部の震度は4〜5度と軽く云われることがあるが、重い家具やブラウン管方式テレビが上下に1m、左右に2m位吹っ飛んだ話は多い。
当たり所が悪ければ即死で、実際にそういう人も多い。
携帯電話は混雑して使えなかった。
携帯ラジオを聴きながら、表に出て、近くに住む両親の無事を確認した。
幸い無事だが、母の寝室など、怪我しなかったのが不思議なくらい家具は倒れていた。
すぐ前の家は外壁のモルタルが剥がれ落ちていた。
屋根の重たい寺社の被害が大きい。
また、自宅から150m程のマンションの1階が坐屈していた。
携帯ラジオが阪急伊丹駅が崩壊していると告げているので、そちらに向かった。
その帰途、野間あたりで新幹線の高架軌道の崩壊を見て驚いた。
地震発生がこんな早朝ではなく、昼間だったらどうなったろう。
それにしても、すぐ横のガラス張りのカーショップは全く無傷だった。
このように地震発生当日は尼崎北部と伊丹南部の被害を見た。
いずれも武庫川の東側である。
西側は震度7と判定された地域が広がり、高速道路が倒れ、橋が落ち、高校時代の恩師が梁の一撃を受けて即死された。
そのような状況を2日後に見ることになる。
■■■ 「秋の果実—“ザクロ”頑張ってま〜す」 中山辰夫
昨年末に場所替えしたザクロ。
6月末に花が咲き沢山の実をつけました。
雨の日には枝がたわわになって折れないかと心配します。
10年ほど前、世間を騒がせた大ブーム以降関心が一気に下がりました。
そのためか最近は見かけることも少なくなりました。
ザクロの歴史は古くペルシャ(イラン)原産で、シリア〜エジプト〜ギリシャ〜アメリカと伝わったようです。
日本には平安時代にシルクロード経由で中国から伝来したとされています。
往古では貴重な果実だったようです。
日本では庭木ですが、アメリカ、イタリア、スペイン、インド、中国などでは果樹として栽培されています。甘さ、酸味の違いです。
ザクロは漢字で書くと「石榴」又は「柘榴」と書きます。
中国では形がコブに似ていることから「安石瘤」それが略して「石瘤」となり「石榴」となったようです。
でも日常においてこの字に触れることはめったにありませんでした。
ルネッサンスの巨匠ボッティチエリの[ざくろの聖母]にはイエスの左手にしっかりと握られたザクロの実が描かれています。
歴史のあるザクロには、「スペインの町グラナダのグラナダはザクロの意味」、「鬼子母神伝説 きしもじん」「紅一点」、「吉祥果」、「聖書」、などをはじめ、種々のザクロにまつわるお話があるようです。
今回はじめて知りました。ここでは省略します。
奈良二月堂近くの鬼子母神のお堂の前に立ちはだかっている大きなザクロの木はよく知られています。
我が家のザクロは大きさからは日本産でなくアメリカ産のようです。
とすれば、甘みが強く酸味が少ないので・・・・楽しみです。
不恰好ですが、頑丈な外皮とその内部に沢山のルビーを作るため、ここ数ヶ月頑張っている様子が手に取るようにわかります。
ザクロについても、私だけが知らなかった事かもしれませんが・・・身近なものを見直すだけで大発見?があると気づきました。
通りすがりの人がこのザクロを写真に撮ってA4に拡大して届けて下さいました。
ピントが正確にあった拡大写真でした。
私も「ボケ写真—さようなら」と言えるように頑張らねばと思っております。
8月14日
8月25日
9月15日
9月27日
「ざくろの聖母」
■■■ 「アカハネナガウンカ」 末永邦夫
1分程度のショートビデオをお送りします。
アカハネナガウンカ
ウンカの仲間でジュズダマやススキの葉についています。
接写すると、なかなか愛嬌のある顔をしています。
この顔を素材にして楽しいキャラクターが創造できそうです。
撮影しようとすると、すぐに葉の裏側へと逃げて行き、 撮影には苦労しました。
■■■ 東京スカイツリー 柚原君子
御無沙汰の音沙汰無しのゆはらです。
8月下旬の多摩川の花火以来、カメラを手にする暇がなく暮らしております。
半蔵門線・京成線の「押上」(オシアゲ)駅から東京スカイツリーを一枚だけ撮ってきました。
左の黄色いクレーンの奥の二本のビルの間に見えるのは、本所吾妻橋の朝日ビールの黄金の炎です。
浅草からはバスの停留所四つ目で、(浅草松屋の横から出る錦糸町行き)建設中のスカイツリーが見られます。
だいぶノッポになってきましたので、思わぬところから見ることができて、
地元では皆さん、おっ!おっ!と立ち止まって見学をしています。
■■■ となりのクリスト 酒井道夫
ネタに苦しみ、いささか旧聞に属する話題ですがご容赦ください。
向かいのお宅の後背地にこつ然と出現した「梱包芸術」に驚きました。
向かいのお家がクリムトの親戚であるとは思えないのですが……
真相は、高圧線鉄塔のペンキ塗り替えの養生だそうですが
何だか気の使い過ぎという感なきにしもあらずだなー。
■■■ 「浅草残夏」 鈴木貞一
今回は9月26日(土)に開催された第一回浅草阿波踊りを撮影してきました。
終了後、浅草寺前を歩く踊り手さんを発見!
急いで撮影しました。
■■■ 武蔵小山のお祭り 及川政治
9/6に品川区武蔵小山に行ってきました。その日はちょうど「両社祭」(小山八幡神社・三谷八幡神社のふたつが集結するそうです)だったので、撮影してみました。
写真は武蔵小山商店街と三谷八幡神社の景色です。
広島風お好み焼きのお兄ちゃんコンビのパフォーマンスがなかなかのもので、投げ入れる(文字通り、投げてました)大量の卵とキャベツが圧巻。
一度に作る30人前ほどが、並んでるお客さんにあっという間に売り切れます。
これって小さなお祭りですが、ねぷた同様、いつまでも残っていてほしいお祭りだと思いました。
写真が全部手持ちなのでブレてますが、すいません。
■■■ 北陸紀行 瀧山幸伸
誰ともなく名づけたシルバーウィーク、北陸への旅は宿が満杯。今夜の宿確保の不安におびえながら文化財調査を行った。
初日は 氷見から史跡石動山を超え七尾へ。史跡七尾城跡とともに今回は調査割愛。
能登国分寺で太鼓の練習をする人々。場違いな音の謎は翌日にわかるのだが。
七尾湾沿いの漁村風景が美しい能登島を経由し、能登の風土に魅せられた仲代達也さんと地元との交流が実を結んだ能登演劇堂でのマクベス公演。
未来の文化財(建造物、無形文化財)はこのような活動からも作り出されていくのだろう。
二日目は名水百選の御手洗池を訪問。背後に神社があり、神秘的な場所だ。
太鼓の練習は、毎年9月20日に行われる国無形民俗文化財の熊甲神社の祭礼だった。
能登には7月から9月まで各地で盛大な祭りが行われるが、あまり知られていない。
能登のキリコ(大行灯)祭りは東北のネブタや竿灯、絵灯篭祭りなどの源流であるとされる。
海の民とともに日本海沿いに文化が伝播する必然がある。
ではその起源はどこか。朝鮮からの海の民か、東南アジアからの海の民か。
イルカの骨が能登の遺跡で見つかったり、「アマ」という地名が隠岐や能登にあることなど、潮流に乗ってやってきた東南アジアからの海の民の文化を源流と考えたい。
山の民(焼畑)の源流も生みの民の源流も東南アジアとすると、昨今のアジアの人々との経済連携も必然性がある。
文化面での交流も促進させ、相互理解を深めていくべきであろう。
話を元に戻して、この祭りも能登の海の民特有の豪壮なものだ。かなり乱暴といってよい。
昨今は若者が少なくなり、各氏子集落では担ぎ手が集まらないのでこのような連休に祭りを開催し金沢などの都会から若者を雇ってくるのだという。
その費用負担に絶えられない部落もあり、先行きは不透明だ。
三日目は加賀橋立へ。 北前舟の船主が集まった集落で、佐渡の宿根木と同様な形態だ。
無住の住居が多いのが残念だ。朽ち果てる前に保存しないと街並が破壊される。
大聖寺は羽二重で栄えた城下町だが、衰退著しかった。最近、街並の修景と集客に積極的に取り組んでいる。
不謹慎ではあるが、那谷寺は大人のテーマパークだ。
そもそも寺や神社はテーマパークなのだが、那谷寺はその要素を具現化しているので興味深い。
たとえば、現代のテーマパークのディズニーランド(TDL)と比較してみよう。
TDLの本堂はシンデレラ城だが、那谷寺本堂の懸崖造りは素晴らしい。
冒険の国に対し、那谷寺の岩峰巡りは勝っている。
未来の国は寺の得意技。あの世への胎内巡りや三重塔は魅惑的だ。
おとぎの国に関しても、「日本昔話」などの題材は豊富。日本の寺社は自然と融和したおとぎ話の厚みが違う。
開拓の国に比較すべきは、日本庭園の箱庭縮景だろう。
唯一負けているのは、ライドアトラクションと夜の演出だ。
京都の寺社は夜の演出でますます人気が高まっているが、那谷寺で夜の拝観があればぜひとも訪問したいものだ。
寺社は怖いキャラクターも豊富に揃えている。TDLに飽きたらぜひ。
三十年ぶりに宿泊した白山中宮温泉はひなびた湯治場。さらに秘湯の岩間温泉が廃業したのは残念だ。
四日目、 白峰村は白山信仰登山の秘境であったが、ダムと道路の開発が進みかなり俗化した。
珪化木産出地でもあり、 恐竜などの化石が豊富だ。大トチノキには圧倒される。
ここから峠を越えると福井県の勝山。平泉寺も白山信仰の登山基地として大いに賑わった。
境内全域が杉の大木に囲まれ、コケの絨毯に覆われている。非日常の世界にワープできる。
勝山は織物で栄えた町だが、衰退著しい。かつての織物工場が産業遺産として保存再利用されている。
五日目、小松天満宮では航空騒音に悩まされる。
神社創建当時の人々が現代の怪鳥が上空を飛び交う姿を見たら即刻遷宮するだろう。
野々市の喜多家は江戸時代の油屋。高山の吉島家と並ぶ豪壮な屋内建築を持つ。
江戸時代ののれんのデザインはサンローランの洋服(数百万円)に採用された。
日本の伝統工芸デザインの優秀さを証明するものだが、現代の海外ブランドのデザインモチーフの多くが日本の伝統工芸を参考にしたものだということはあまり知られていない。
日本人の遺伝子が西洋ブランド物に魅惑される理由はここにあるのだろう。
チカモリ遺跡には縄文の大規模建造物の遺構がある。
金沢大乗寺は静かな禅寺だ。
湯涌温泉の江戸村は破産し、集められた古民家は市の手により再構築整備中だ。
最後に、金沢の中心商業地を訪ねた。金沢らしさはあまり感じられず、地元若者向けの街と化していたが店舗の廃業が目立っていた。
「俺猫 いたみもある」 柚原君子
俺猫 好き嫌いが激しい。卵焼きとマグロは好きだけど、ホタテと蟹は嫌いだ。
昨夜もちゃぶ台の上に嫌いなホタテの刺身があった。一大事!だ。
超臭い!すばやく飛び乗って皿をまたいで砂かけをしたら、こっぴどく頭をたたかれた。
痛ぇじゃねぇか!嫌いなものがあったら砂を掛ける、これ常識だろう?それなのに。
痛ぇじゃねぇか!俺だって痛みは感じるぞ。心にも。
最近の俺のいたみ。隣の家から響いてくるピアノ。
ピアノはマアいいが、弾かれる歌が良くねぇ。心がいたむ。
こんな歌だ
1、
♪猫踏んじゃった 猫踏んじゃった 猫ふんづけたら ひっかいた
猫ひっかいた 猫引っかいた 猫びっくりしてひっかいた ♪
悪い〜猫め 爪を切れ 屋根を降りて〜ヒゲをそれ
♪猫ニャーゴ ニャーゴ 猫かぶり 猫なでごえ 甘えてる
♪♪ 猫ごめんなさい 猫ごめんなさい 猫おどかしちゃってごめんなさい
猫寄っといで 猫寄っといで 猫かつぶしやるから 寄っといで
2、
♪猫ふんじゃった 猫ふんじゃった 猫踏んづけちゃたら飛んでった
猫飛んじゃった 猫飛んじゃった 猫お空へ飛んじゃった
青い空に 傘さぁして ふわり ふわり 雲の上♪
ごろ ニャーゴ ニャーゴ ないている ごろニャーゴ みんな 遠めがね
猫飛んじゃった 猫飛んじゃった 猫す飛んじゃって もう見えない
猫グッバイバイ 猫グッバイバイ 猫あしたの朝 おりといで
猫ふんじゃった、猫ふんじゃった
人間は勝手だよナァ。勝手な都合で俺をたたいたりけったり歌ったり。
遠くに飛ばして明日の朝下りて来い!ってどういうことじゃい!
人間は寂しがり屋で愚痴っぽくって泣き虫で、俺らの背中をなでまわして気を静めている。
それなのに強がる変な動物だ。猫の手も借りたいというくせに借りに来たことはない。
猫ふんじゃった♪を歌う人間に、手は頼まれたって貸してやらない。
手は丸めておこう。
Japan Geographic Web Magazine
編集統括 瀧山幸伸
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