Monthly Web Magazine Jan. 2016

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トピックス

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■■ 動画のプレビューチャンネル

今後の投稿では、動画の一部をプレビューできるように試みます。

運用開始から数年間は動画も写真もダウンロードし放題だったのですが、世界中の検索サイトが根こそぎダウンロードしてサーバがダウンしそうになった苦い経験があります。


■■■■■ 瀧山幸伸

■■京都の晩秋(4k動画プレビューあり)

下鴨神社は12月14日でも紅葉の見ごろでした。

無鄰菴は紅葉が終わっていましたが、落ち着いて観賞できました。

■■洞窟探検(4k動画プレビューあり)

鍾乳洞はビデオ撮影が難しい場所の一つです。今回訪問した平尾台の千仏鍾乳洞と青龍窟では、この難題にチャレンジしようと、徹底的に機材を整えて4K映像を収録しました。

特に千仏鍾乳洞は水の中を歩きながら全長にわたって撮影しましたので、今までにない臨場感が得られました。

青龍窟は霊場の雰囲気が濃厚な洞穴で、結構怖いです。

  

もっともっと怖いのが鹿児島県曽於市の溝ノ口洞穴です。鍾乳洞ではなく、岩石の割れ目にできた洞穴ですが、コウモリやらヤスデのような虫やらでびっくり仰天の怖さです。訪問したのが日暮れ後だったので、怖さが半端ではありませんでした。

■■世界遺産登録前の五島と黒島(4k動画プレビューあり)

長崎のキリスト教関連遺産が世界遺産登録されるのが確実になってきました。

登録されてしまうと、静寂で霊的な情景は無くなってしまうので、五島列島の青砂浦教会頭ケ島教会、そして黒島の最後のクリスマスシーズンを体験してきました。

  

住民の9割がカソリックの黒島では、黒島教会のクリスマスイブのミサに参加させていただきました。

キリスト教関連遺産と密接につながる五島列島の重要文化的景観2か所、北魚目崎浦も調査してきました。

 

■■佐賀、長崎の陶磁器産業の伝統的な街並

有田は有名ですが、波佐見三川内は山あいにひっそりと隠れています。

窯元を訪ねながらそれぞれの魅力を探ってみました。陶芸好き、古い街並好きの方にはおすすめです。

  

■■働きネコと泥棒ネコ(動画プレビューあり)

偶然泊まった別府新玉旅館のミルクちゃんは背中のマッサージをしてくれる働き者です。

佐賀の呼子で干しイカを狙う野良猫は窃盗未遂で終わりましたが、忍び寄る姿、イカをひっかく姿、ふてぶてしく立ち去る姿がたくましいです。

 


■■■■■ 私の2015年 川村由幸

毎年、年頭のウェブマガジンは昨年の振り返りをしています。

昨年も2014年末に右足の小さな骨を骨折し、1〜3月は全く撮影に出かけられない時を過ごしています。

2015年も7月までは無事に過ごせたものの、8月東北の夏祭りに出かけた後、肺炎で入院、2週間の入院で病院からは脱出できたのですが、退院してすぐにまた発熱してしまい、肺炎から完全に開放されたのは12月24日とほぼ昨年一杯かかってしまいました。

怪我と病で中身は異なりますが、2年連続の身体の不調で思いのままの行動が出来ないことになりました。

満66歳となり、加齢がこれらの原因の一つであろうことは間違いなく、いささか寂しい思いをしています。

とは言え、2015年も心に残る場面をいくつも撮影しています。

年初から掲げてみますと、まず三月の奈良。

仏像の奈良と言われる通り、どこの寺でも感動する仏像にたくさん出会うことができました。

残念なことに仏像の撮影は東大寺の大仏以外、ほとんど禁止。目に焼き付けるだけしか許されません。

日本の珠玉の文化財に触れることが出来ました。今年もできればまた出かけたいと考えています。

          東大寺 興福寺 唐招提寺                                室生寺

このところ毎年、春の観桜は必ず撮影に出かけています。

昨年も福島と長野にでかけましたが、印象に残っているのが初めての滝桜のライトアップと満開の長野高山村の桜たちです。

ライトアップが始まる時から1時間あまりその場にいましたが、序々に灯が濃くなってゆく様、確かに幻想的で桜の神の存在を信じたくなります。

見る桜すべてが本当に満開で青い空と山の残雪の白に桜が際立っていました。

  

          赤和観音のシダレ桜 黒部のエドヒガン桜 水中のシダレ桜

高山村の観桜のついでに馬篭・妻籠・奈良井と中山道の宿場町もまわりました。私には妻籠が一番です。

時間が止まっていると強く感じる街並みに江戸時代を満喫できました。維持管理の努力に頭が下がります。

いつも変わらずに残っていることの大事さと困難は文化財にカメラを向けるようになって知ったことです。

同じような意味で茨城の真壁の復活は何よりでした。

いくつか震災で消滅した古民家もありましたが、大半の重伝建の建造物が復活しています。

復活した建造物には、まだ時間というスパイスが効いていませんが、それこそ時間が解決してくれるでしょう。

最後が10月に四国に出張ででかけ、ついでに撮影した松山城と内子です。

内子は2度目の訪問ですが、前回はJ.Gに写真を投稿し始めるはるか昔でほとんど画像を残していません。

松山城は良いお城でした。現存12天守なのはもちろんですが、ほとんどすべての建造物が残っている城です。

松本城・彦根城・松江城など国宝のお城も残っているのは天守のみです。それらと比べるとはるかに見ごたえがあります。

四国には、古い街並みが残っているところが多くあります。そしてその全てが心に残るものばかりです。

美馬・吉良川そして内子、内子の欠点は道が狭くて、距離が取れないため、建造物がうまくカメラに納まらないことぐらいです。

2015年は病もあり、思いの外、J.Gへの投稿量が少ない1年でした。病だからとの言い訳も聞いてはいただけるでしょうが、反省の思いの強い1年でした。

2016年はまず健康第一で、次に1箇所の取材情報を増やし、たくさん取材・撮影に出かけ投稿量を増加してゆきたいと考えています。

来年1月のこの振り返りがもっと充実するようにこれから努力します。


■■■■■ 新年の動き 大野木康夫

新年を迎え、氏神様の諸羽神社に初詣に行きました。

家内は体調がすぐれなかったので、子どもと二人で行きましたが、帰りに雨に降られてしまいました。

朝は毎年同じ雑煮とおせち料理を楽しみました。

一日、二日は親族と過ごし、三日に初詣に行けなかった家内を連れて、下鴨神社上賀茂神社に行きました。

上賀茂神社は中門から先に行くことができます。

年末、年始と、兵庫県の文化財建造物を撮影しましたが、最近は撮影ペースが遅くなり、以前のようにたくさん回ることができなくなっています。

使用しているカメラはPENTAX KS-2ですが、ファインダーを覗いてピントを合わせるよりも、ライブビューで拡大確認する方がちゃんとピントを合わせることができるので、時間がかかるようになりました。

バッテリーの減りも早くなり、1日でバッテリー3個を使うこともあります。

12月26日

若宮八幡宮(加東市)6:47〜7:40 66枚撮影

大川瀬住吉神社(三田市)7:50〜8:20 40枚撮影

上鴨川住吉神社(加東市)8:38〜9:13 51枚撮影

朝光寺(加東市)9:30〜10:36 111枚撮影

浄土寺(小野市)11:09〜12:21 149枚撮影

一乗寺(加西市)12:54〜14:27 211枚撮影

この日はここまでで、中国道の宝塚渋滞を避けるために帰りました。

1月9日

如意寺(神戸市西区)6:57〜8:33 186枚撮影

太山寺(神戸市西区)8:52〜10:03 123枚撮影

伽耶院(三木市)10:36〜11:36 151枚撮影

御霊神社(三田市)12:03〜12:33 50枚撮影

高賣布神社(三田市)12:57〜13:21 58枚撮影

波豆八幡神社(宝塚市)13:36〜14:05 59枚撮影

戸隠神社(猪名川町)14:31〜15:07 50枚撮影

多田神社(川西市)15:27〜16:16 116枚撮影

例年、その年撮影したい場所や行事を思い浮かべるのですが、思いどおりに撮影できた例がありません。

今年も仕事以外では無理をせず、マイペースで楽しみたいと思います。

山科毘沙門堂の初寅詣りの福笹です。


■■■■■ 「ヘソ マガリ」 中山辰夫

滋賀県の南部・草津市と守山市の間に、「栗東トレセンタ− JRA」でおなじみの栗東市があり、そこに「ヘソ」と「マガリ」という地名があります。

誰もから「ヘソ」はどう書くのと聞かれ、糸扁に巻くと説明、漢字で書いたヘソ「綣」はどう読むかと聞かれます。

この問いは多分永遠?に続くでしょう。マガリは「鉤」と書きます。

  

昨年末に入手した藤井耕一郎氏の著書「大国主対物部氏」に、「はるか古代、出雲は近江だった。その近江の大きなクニの中心は「ヘソ」「マガリ」であった」とありました。

およそ1800年前の2世紀終わりから3世紀初めにかけての話で、邪馬台国の「直前から前半あたり」の時代のことです。

書中に登場する「伊勢遺跡」が見つかったときにもざわめきが起こりました。

書には最も苦手とする神話の世界も登場し、いささか難解で読みづらい箇所も多いですが、北海道生まれの著者が隈なく栗東・守山の地を探索され、点を線に結び、持論を展開されています。

狭い土地柄の割に遺物が多く残され、古代から豊饒の地だった様子を伝えています。

滅多にない聞きなれた地元の地名・地形・風景や神社の祭神や遺跡を活字で見ると嬉しくなり、その奥の深さに驚き、登場先をすべて歩いて見たくなりました。

1月9日は勝部神社の「火まつり」でした。勿論書中に登場しますが、この神社は物部氏を祀る物部氏の聖地です。

燃え盛るタイマツの火と物部氏の怨念が一体となって周囲を真っ赤に照らし出します。

     

「蘇我氏に仏教が因で敗れた物部氏」としか情報を持ち合わせておりませんが、物部一族も「ヘソ・マガリ」には大いに絡んでいるようです。

古い歴史上の1スポットです。今更知っても仕方ありませんが、足元がカラッポでは・・との思いでおります。

この書からも「ものの見方」の多様な切り口を習いました。

辞書に説明のある「ヘソマガリ」とは違った「ヘソ マガリ」に接して新年があけました。


■■■■■ 今年の正月の鳥見は 田中康平

正月には冬の野鳥を見に行くのが運動不足解消にもいいと鳥見に出かけている。

今年は博多湾の海の中道と諫早の干拓地に出かけた。どちらも初詣も兼ねている。

海の中道の野鳥見物は途中にある海の中道公園の大きな池に来る渡り鳥が目当てだ。

今年はミコアイサが来ていた。ミコアイサは夏シベリアの繁殖地で過ごし冬になると日本や中国に渡ってくる。

オスは白くてところどころに黒い模様があることからパンダガモの俗称がある。

ミコアイサのミコとは巫女さんの巫女の白装束から来ていると言われる。

アイサとはカモの仲間の一つの名だ。アイサは秋沙と書く、秋が去る頃に来る鴨ということらしい。

俳句では秋の季語となっているがミコアイサの俳句など見たことがない。

どこにでもいるというわけではない、見かけると見つけた、という感じがする鳥だ。

栃木にいたときは真岡の井頭公園でしばしば見かけたが他ではあまり見なかった、福岡に来ては海の中道公園ではよく見かけるが他ではあまり見ない、目立つ鳥なので安心できるところに毎年来る事になるのだろう。

ここでの初詣は志賀海神社とした。非常に古い神社で2世紀くらいまで遡るとも言われる。

安曇野の名のもとになった安曇の名が代々神主として引き継がれており上代に大陸との行き来を支配していたと言われる安曇一族の神社であったのだろうと思われる。

幕の内のうちにもう一箇所と樹齢3000年の大楠のある武雄神社に参ったあと、諫早干拓地を訪れて鳥見をした。

潮受け堤防を開門せよしないでもめ続けている現場でもある。

干拓地の農地の先には広い草原が広がっていて冬の季節にはタカの仲間のチュウヒやハイイロチュウヒがシベリアから渡ってきて冬を過ごす。

低い高度をねずみを探しながら悠然と飛ぶ姿は一目見てチュウヒの仲間とわかる。

今回よく見れたのはハイイロチュウヒのオスだ。グレーで翼端が黒くチュウヒの仲間では最も美しいとされるが見る機会はそう多くはない。

これも見つけると、見れた、と嬉しくなる鳥だ。

栃木にいたときは渡良瀬遊水地に現れるハイイロチュウヒを見ようとねぐら入りする日没の頃訪れたことが何度もある。

美しいオスは見れないことも多かった。

ここ諫早干拓地では2年前の前回も見たし今回も普通に見れた、この場所はいいところのようだ。

餌のねずみも多いのだろうか気に入っているようだ。

新年にいい鳥見ができてちょっといい気分だ、さて今年はどんな年になるだろうか。

写真は順に ミコアイサ、志賀海神社、ハイイロチュウヒ、武雄神社の大楠


■■■■■ドラゴンフルーツと干魚  野崎順次

ドラゴンフルーツが容易に手に入るようになったので、孫のために買ったりするようになった。

名前といい、形状といい、非常にトロピカルな感じで濃密な甘みを期待したが、甘みは僅かでさっぱりしている。

フルーツというよりも野菜という感じである。しかし、それが良い。

何でもかんでも甘すぎる今日、さっぱりフルーツは貴重である。

サボテンの実である。すなわち、サボテン科ヒモサボテン属の三角サボテンなどの果実のことをドラゴンフルーツあるいはピタヤと呼ぶ。

果肉はゼリー状で、最も広く流通しているのは白肉種である。

現地で充分に熟すと甘いのであるが、未熟果の段階で収穫されると、ほとんど追熟して糖度を増さない。

原産地はメキシコまたは中南米の熱帯雨林地帯である。

サボテンは乾燥地帯に生えているが、その中で高温多湿の条件に順応したのがヒモサボテン属であるが、他のサボテンと同じく、CAM光合成植物である。

…………というストレートな話はここまで。

昨年の暮れにドラゴンフルーツを買った。

冷やしてから縦に4つに切った。

果肉は白いゼリー状でゴマ状の粒がある。

そのままかぶりついて皮沿いにえぐるように食べた。

温度高めの暖房の部屋で透き通るような薄甘味である。

 

食べ終わって、ドラゴンフルーツの皮を見たら魚になっていた。

偶然に黒い粒が眼になっていた。

その後、約1週間、雨の当たらない外に置いておいたら、4匹の干魚になっていた。

熱帯魚の干魚である。


■■■■■看板考 「カトール」 ゆはらきみこ

所在地:群馬県安中市松井田

錆びた看板です。「タ」の次の文字が欠けて「ベ」とあります。違う壁面には活性アミノ酸アスパラの看板があり、その下に半分しか見えないのですが「カトール」らしき看板が見えます。アミノ酸看板にははっきりと「タナベ」と出ているので、間違いなく田辺製薬の看板だと思われますが、社史の中に「カトール」という製品の表示もまた製造中止の年月日も見当たりません。煙のように不思議な話。(田辺製薬は三菱ウェルファーマと合併して、現在は田辺三菱製薬)。

看板の「カトール」はネーミングどおり蚊取り線香と思われます。

蚊取り線香は1886(明治18)年に除虫菊が米国から渡来して栽培されたのが始まりで、現在の渦巻状の蚊取り線香が製品化されたのは1895(明治28)年と120年の歴史があります。粉末や棒状を経て現在の渦巻きになったそうですが、大日本除虫菊株式会社の創業者の妻が納屋で蛇に遭遇してビックリしたけれど、これが渦巻き発案の始まりだったというエピソードがあります。

ちなみに7時間燃えるだけの長さが巻かれており、これは睡眠時間に合わせたものだそうです。火をつけるとモクモクと出てくる煙に蚊をやっつける成分があるわけではなく、火をつけたときに揮発する化学物質(ピレスロイド)に殺虫作用があって、これは目には見えないとのこと。

ともかく、瀬戸物の豚(蚊遣豚)の置物の中から立ち上るほのかな香りは夏の風物詩で郷愁を誘います。

……そういえば、我が家には明治生まれの祖母がかつては居て、夏には縁側で蚊取り線香が焚かれていました。濃尾平野の真ん中の農家でしたが、夕方に雷が来ると蚊取り線香を部屋の中に入れて、縁側の板戸を閉めて、仏間いっぱいに蚊帳をつり、明治生まれの祖母は蚊帳の中から仏壇に向かって般若心経をあげていました。落雷しないお祈りだったそうですが、孫の私たちもご唱和させられました。おかげさまで今でも般若心経はあげられて木魚の音は好きです。

蚊取り線香はおしゃれな入れ物もあり、玄関にぶら下げてあるご家庭も多く見られますが、さすがに雷と蚊帳と般若心経と木魚のセットはどこにも残っていないだろうなぁと思います。


■■■■■ おばちゃんカメラマンが行く  事務局

■おばちゃんカメラマンが行く@東京 権八

先日、親しくさせていただいていたカメラマンの先生から写真集をいただいた。ご自分の故郷遠山郷の霜月祭を20年にわたって撮りためた集大成だ。

何気なく開いたページに、炎の周りで奇妙なお面をかぶった神々がとりつかれたように乱舞している。その場にいるような臨場感・・・魂が見えるようだ。

村人や子供たちの素直な笑みや祭りの緊迫した雰囲気、究極の躍動感が感じられ、じわじわと感動がこみあがってくる。

ただただ機能満載のカメラのシャッターを押し「量は質に転ずる」という洗脳言葉を信じていた自分に警鐘を鳴らされたような気がした。

今更言うまでのことではないのだろうが、1枚の写真には、見る人に訴えかける無限の可能性があり、見えないものも切り撮らなければ感動はないのだと反省する。

アートと記録、その境はもはやなく、先生のように純粋に被写体を思う(愛する)撮り手の人柄が反映してこその差別化なのだろう。

これからは、被写体にも見てくださる方にも恥ずかしくない写真を撮ろうと襟を正す思いだ。

久々に人生を変える程素晴らしい写真集に出会い、1年の反省と新年の誓いをこめて哲学した。

■おばちゃんカメラマンが行く@黒島 佐世保市 

小さな十字架を握りしめ、ジャングルのような樹林の中、陽の当たらない質素な家でひっそりと祈る当時の信者の姿が想い浮かぶ。

現在人口450人の9割がカトリック信者という島だ。

キリシタン禁止令により転向できない強い信仰を持った信者たちが移り住み、いわゆる「隠れキリシタン」として潜伏していた。

アコウやスダジイなどの常緑広葉樹に囲まれ家の入り口や家屋すら全体を見ることができない。

防風林も兼ねているようだが、当時のキリシタンの人にとっては良い隠れみのだっただろう。

サザンカの実から油を搾り開墾したわずかの畑で根菜を作り、つつましやかに、追手におびえながら、毎日祈りの生活をしていたに違いない。

そんな神様は試練ばかりではなく、おいしい湧水をくださったのだ。今では「天水」と呼ばれるミネラル豊富な水だ。どんなに救われたことだろう。

こんな集落だからこそ、お互いの絆が深く、助け合い許しあい、のちの荘厳な黒島教会が完成したのだろう。

これからも過疎化に負けず愛情いっぱいの人たちが穏やかに過ごせ、私たちを受け入れてくれることを祈るばかりだ。

  


 

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Editor Yuki Takiyama

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