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Monthly Web Magazine Nov. 2017

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■■■■■ Topics by Reporters


■ 今年の紅葉シーズン 瀧山幸伸

今年の秋は比較的良い紅葉だった。自然景観も文化景観もそれぞれに見事だ。

9月の紅葉シーズン開始で、まずは今年三度目の北海道旅行へ。特に大雪高原・赤岳・十勝岳、そして神秘の東雲湖は良かった。

北海道上川町 大雪高原

Daisetsu kogen,Kamikawa town,Hokkaido

 

北海道上川町 大雪山 赤岳

Daisetsuzan Akadake,Kamikawa town,Hokkaido

 
北海道 上富良野町/美瑛町/富良野市ほか 十勝岳周辺

Tokachidake,Kamifurano town/Biei town/Furano city,Hokkaido

 
北海道 鹿追町/上士幌町 然別湖・東雲湖 

Shikaribetsuko,Shinonomeko,Shikaoi town/Kamishihoro town,Hokkaido 

 

サロマ湖周辺のアッケシソウ(サンゴソウ)は、地元の方はあまりよくないとおっしゃっていたが、十分良かった。アッケシソウが食用になるとは知らなかったが、そういわれればサラダにすればおいしそうだ。

北海道 網走市 能取湖

Notoroko,Abashiri city,Hokkaido

 

10月に入り、東北は天候不順で難儀した。最初の吾妻山、魔女の瞳と呼ばれる火口湖の五色沼はとても良かった。秋田八幡平は雨、岩手八幡平は雪で道路閉鎖。やむなく温泉でごろごろ過ごした。

福島県福島市 吾妻山 五色沼

Goshikinuma,Fukushima city,Fukushima

 
秋田県 大仙市/鹿角市 秋田八幡平

Akita Hachimantai,Daisen City/Kazuno City,Akita 

 
岩手県八幡平市 岩手八幡平

Iwate Hachimantai,Hachimantai city,Iwate

 

その後の群馬長野。草津白根は良かった。白駒池は終盤で曇り、ちょっと残念だったが、コケは曇りでも美しい。

白根山と志賀草津道路周辺

群馬県 草津町/中之条町 

長野県 高山村/山ノ内町 

Shiranesan and Shiga Kusatsu Line

Kusatsu town/Nakanojo Town,Gunma

Takayama village/Yamanouchi town,Nagano  

 
長野県佐久穂町 白駒池

Shirakomaike,Sakuho town,Nagano  

 
 

再度東北へ。またもや雨にたたられた。

河原毛地獄周辺はブナの森が美しい。

白神山地の十二湖はどのシーズンに訪問しても美しい所だが、淡い紅葉が静かな湖面に浮かび、とても心地よかった。

秋田県湯沢市 泥湯、川原毛地獄

Doroyu/Kawarage jigoku,Yuzawa city,Akita 

 
青森県深浦町 白神山地 十二湖

Shirakami Juniko, Fukaura, Aomori 

 

やはり日光の紅葉ははずせない。今年は中禅寺湖の西の湖ー千手ケ浜ー菖蒲ケ浜のコースを散策したが、ベストのコンディションだった。

栃木県日光市 中禅寺湖 千手が浜

Senjugahama,Chuzenjiko,Nikko city,Tochigi

 

11月に入り、長年念願だった白山の秘境刈込池の紅葉を訪問した。秘境とは言うものの平日にもかかわらず訪問者が多かった。

福井県大野市 白山麓打波と刈込池

Uchinami Karikomiike,Ono city,Fukui

 

福島各地の紅葉もまずまず。裏磐梯五色沼はやはり良く、夏井川渓谷や鮫川村のかくれ紅葉名所(江竜田の滝、強滝)も良かった。

福島県北塩原村 裏磐梯 五色沼

Goshikinuma,Kitashiobara Village,Fukushima

 
福島県いわき市 夏井川渓谷

Natsuigawa keikoku,Iwaki city,Fukushima

 
福島県鮫川村 江竜田の滝

Eryuda fall Samegawa village,Fukushima

 
 
福島県鮫川村 強滝

Kowadaki, Samegawa village,Fukushima

 

そして、8日から12日まで、京都、奈良、滋賀の紅葉を再度訪ねた。

東では慈照寺銀閣、詩仙堂、圓光寺、三千院が素晴らしい。

京都府京都市左京区 慈照寺 銀閣

Jishoji Ginkaku,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto

 
京都市左京区 詩仙堂

Shisendo,Sakyoku,Kyoto city

 
京都市左京区 圓光寺

Enkoji,Sakyoku,Kyoto city

 
 
京都府京都市左京区 三千院

Sanzenin,Sakyoku,Kyoto city,Kyoto

 

西では高山寺、神護寺、常寂光寺、善峯寺などの定番はとても素晴らしかったが、天竜寺は騒音と天候とが残念で、今一つ感動しなかった。

あまり知られていない金蔵寺や勝持寺は静かで満足した。

京都府京都市右京区 高山寺

Kozanji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

 
京都府京都市右京区 神護寺

Jingoji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

 
京都市右京区 常寂光寺

Jojakkoji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

 
京都府京都市西京区 善峰寺 

Yoshiminedera,Nisikyoku,Kyoto city,Kyoto

 
京都市右京区 天龍寺 

Tenryuji,Ukyoku,Kyoto city,Kyoto

 
京都府京都市西京区 金蔵寺

Konzoji, Nishikyoku, Kyoto city,Kyoto

 
京都府京都市西京区 勝持寺

Shojiji, Nishikyoku, Kyoto

 

滋賀の比叡山延暦寺は紅葉の盛りを過ぎていたが、麓の日吉大社では午後遅くからライトアップまでを楽しめた。

滋賀県大津市 比叡山 延暦寺

Hieizan Enryakuji,Otsu city,Shiga

 
滋賀県大津市 日吉大社

Hiyoshi Taisha,Otsu city,Shiga

 

奈良の談山神社は曇りだったが、週末にもかかわらず人出が少なく、文化財も豊富で、ここだけでゆっくりと一日を楽しめた。

奈良県桜井市 談山神社

Tanzanjinja,Sakurai city,Nara

 

どれが今年の紅葉のベストかというと難しいが、文化景観は慈照寺銀閣、自然景観は大雪高原沼というところか。


■ ナメゴ谷大台ケ原 大野木康夫

ナメゴ谷は山の尾根筋の所有境界に、防火のために植えた広葉樹が紅葉するため、近年撮影スポットとして有名です。

訪問した日は平日、上北山の国道370号のゲートが開く午前6時前には、ゲート手前に10台ほどの車列ができていました。

撮影スポットは64番の標識付近、北側からナメゴ谷を見下ろす形になります。

路肩が広く、10台ほどは駐車できるようになっているのもスポットとなった要因かと思います。

紅葉は若干早い状況ですが、赤みを加えるサクラがもう散り加減なので、今年はベストの時期ということです。

  

サクラの時期は霞がかかることが多いので撮影が難しいそうです。

次の訪問地は、前鬼川か大台ケ原で悩みましたが、「ガスが少ない」ということで、大台ケ原にしました。

大台ケ原は30代の時に何度か行っていますが、いずれもガスがかかっているか曇りで海をはっきりと見たことがありません。

大台ケ原駐車場に向かうハイウエイを走ると、広葉樹の紅葉の盛りですが、撮影は帰りにすることにして、駐車場に直行しました。

そのまままっすぐ日出ヶ岳へ向かいました。

手前の展望デッキから、念願の海が見え、昼間にもかかわらず富士山を遠望することができました。

    

日出ヶ岳の展望台からは、富士山に加え、御岳山、白山山系、大峰山系を遠望することができました。

撮影ではこの程度ですが、超高性能レンズである肉眼ではもっとしっかり見ることができました。

      

いつか行ってみたい大杉谷の入口

日出ヶ岳から正木峠、牛石が原、尾鷲辻を通って大蛇ぐら(「ぐら」は山かんむりに品)に行きました。

   

大蛇ぐらからは素晴らしい紅葉風景、日本の滝百選、中の滝を眺めることができました。

実は私は極度の高所恐怖症で、何とか先端近くまで行ったのですが立つことができず、鎖が入らない風景写真は撮れませんでした。

         

もう他に寄る予定もないので、150mの高低差を下り登るシオカラ谷コースで帰りました。

ブナの紅葉がきれいでしたが、少しきつかったです。

遊歩道沿い以外は西大台調整地区なので、踏み入ることはできません。

          

駐車場手前でキツツキの撮影に挑戦しましたが、一部しか写りませんでした。

帰路、何箇所かで車を停めて紅葉風景を撮影しました。

 

初めて見る大台ケ原からの海には感動しましたが、真昼間にかかわらず富士山などの遠くの山々を遠望できたことにも驚きました。

山関係では立山カルデラの体験学習会が3年連続降雨中止、芦生演習林、伏条台杉のツアーも台風被害で中止とついていませんでしたが、大台ケ原だけで充分おつりがくるような体験でした。


■巨木との別れ 中山辰夫

9月、10月は大雨と台風に見舞われ各地に大きな被害がでました。連続して被害にあわれた地域もあり辛い2カ月でした。

各地における文化財の被害も報告されています。当滋賀県においても、2,3件の報告を耳にしておりますが、まだまだありそうです。

その1−「菅原道真が植えた」伝承のケヤキの巨木が強風と腐食により折れました。

滋賀県長浜市余呉町坂口の大箕山(だいきさん)の山中に建つ「菅山寺」の山門に並び立っていた2本のケヤキのうち1本です。

在りし日の姿

  

樹齢約1300年、高さ、幹回り共に約10mの巨木でした。パワスポットとしても親しまれていただけに残念です。

現在の姿

 

今後は残された1本を大事に見守りたいです。

 

その2−マキノのメタセコイアが7本ほど折れたとのことです。近々確かめたいです。

その3−唐崎神社のカラマツが枯れつつあります

万葉集や枕草子、他にも多くの歌が詠まれた唐崎にあって、芭蕉が「唐崎の松は花より朧(おぼろ)にて」と詠んだ唐崎の霊松。

初代は1581(天正9)年、二代目は1591(天正19)年に植えられ、現在は三代目の黒松でした。

1,2年前の姿

  

金沢兼六園の「唐崎の松」は二代目の分身です。

 

現在の姿

  

天に向かって立ち向かい、枝が臥龍のごとく延びる雄大な姿までに育つには何年かかるのでしょうか。


■ 大塚国際美術館 川村由幸

十月の頭に予てから念願であった徳島県の大塚国際美術館を訪ねてきました。

今話題の美術館で大勢の来館者で賑わっています。

地下三階地上二階の大きな建物で、各フロアーの展示内容は下の画像のようになっています。

   

所蔵作品は1,000点を超え、全て陶板による複製作品です。所蔵品のリストは下記URLを参照お願いします。

http://o-museum.or.jp/files/lib/5/380/201707301025457394.pdf

それでは館内に入ってみましょう。

長いエスカレーターを登りきるとまずミケランジェロの最後の審判と天井画で有名なシスティーナ礼拝堂が正面に見えます。

 

陶板のレプリカと判っていながらもその迫力には圧倒されます。本物とは異なり外部からの光がない分、逆に荘厳さが増して感じられるのでしょう。

ここを過ぎると今世界で最も人気の画家、フェルメールの小部屋に入ります。

自分がどこにいるのか理解できるのはこの辺まで、同一フロアーでも小さなUP&DOWNがあり、すぐにどこを歩いているのか解らなくなります。

歴史上の時間軸を無視して、館内で出会った順に私のお気に入りの絵画を紹介してゆきます。

  

ゴッホ、ラファエロ、ボッティチェリ こんな順番で出会います。

  

さらにブルーゲル、ダ・ビンチ、レンブラントと続けば、レプリカであることを忘れそうです。しかも、作家毎に複数の作品が展示されていますから、じっくり鑑賞していると時間に際限がなくなりそうです。

つぎは、ゴヤ、マネ、ルノアールです。

  

このあたりでは、もうヘトヘトになっていて、絵画の鑑賞よりも出口に向かうという気持ちが強くなっていました。

最後の三点はドカ、モンク、モディリアーニです。

  

ともかく、名の通った絵画は全て展示されています。今まで教科書や美術書でお目にかかったことのある絵画ばかりです。

私の大塚国際美術館での滞在時間は2時間を超えたぐらいでしょうか。じっくり鑑賞はしていません。

写真の撮影も入館者が多く、人を画面に入れまいとすると正面から撮影できず、ここの画像は絵画が四角になるよう精一杯加工しています。

もっとゆっくり、一日フルに滞在するぐらい時間を取って訪問すべきであったとの反省しきりです。

入館料はいささか高額ですが、レプリカとは言え、訪ねる価値のある美術館だと思います。


■ 博多灯明ウオッチング  田中康平

博多灯明ウオッチングというイベントが博多の街で秋に一日だけある。今まで見に出かけたことはなかったが、今年は外さず見に行った。

博多灯明祭りとでもすべきなのだろうが、主催者は「博多灯明ウオッチング」という呼び方で通しているようだ。観光の町おこしイベントの雰囲気が強いようでもある。

国際的にも少しは知られているようで、後でインスタグラムをチェックすると今年で見るのは3回目です等との投稿が海外からもある。

もとは270年続いている博多千灯明に発想を得ており、これを大掛かりにする形で20年ほど前に始められた催しの様だ。

博多千灯明には、博多もみまわれた享保の大飢饉の犠牲者の供養として現在に至るまで毎年7月の下旬に千灯明が博多の各町内で灯されているという歴史がある。

博多の夏祭りである博多祇園山笠の方は、仁治2年(1241年)の疫病が流行った時の疫病退散祈祷に起源があるとされるから、昔からの行事は大きな不幸を乗り越えたいという願いが込めらているようだ。

享保の大飢饉は、冷夏とこれに続く害虫(ウンカとされる)の大発生によって西日本各地に大規模な不作がもたらされ、全国では100万人近い餓死者が出たともされる。米の価格も暴騰して不穏な世であったようだ。

江戸時代はほぼ50年おきに天候不順に起因する大きな飢饉が日本を襲っている。地球が温暖化しようがしまいが大きな自然災害は繰り返し人類を襲ってきたようだ。

忘れてはならないとの意味合いがこんなイベントには込められているようにも思える。

博多灯明ウオッチングのほうは何しろ紙と蝋燭を用いた手作り灯明ゆえ、雨では屋内中心となり規模は大幅に縮小される。

今年は当日朝から雨だったが昼過ぎには上がり開催は際どくも成立した。生活の基本は今も昔も気象・気候に大きく左右されているともいえる。開催そのものが警句を含んでいるようでもある。

歩いたり地下鉄に乗って移動したりしていくつかの会場を見て回った。少々疲れる。全部の会場を見るにはそれなりの体力が要るようだ。

しかし、やっとたどり着いたところがやや拍子抜けだったり、別のところでは壮大な地上絵だったり、右往左往するように博多の街をぐるぐる光に導かれて歩く。確かにこれが面白いのかもしれない。

    


■ 万倉の大岩郷  蒲池眞佐子

山の中腹に巨大な岩がゴロゴロと転がっている大岩郷。

山口県美祢市の観光の一つであるが、ここにはほとんど人がいない。

大きな1m〜6mもある岩がゴロゴロとあるだけだが、これは地質現象によってできたものらしい。

標高320m〜380mの山に広がっており、長さ約100m、幅3〜40mの範囲に石英閃緑岩(せきえいせんりょくがん)の大岩が広がっている。

看板によると、マグマ活動活発になり、地上で急に冷えた火山岩が固まって深成岩ができたのが始まりとなっている。

これが、地殻変動で地上近くまで上昇し、地下水の影響で地表に近い岩石がボロボロになり、雨水により小さなものは流され、大きな塊だけが残ったとのこと。

とても岩の中までは入りこめないが、回りには遊歩道もあり、そこから、巨大な岩を見ることができる。

この中でひときわ大きな岩を「こめかみ岩」というらしいが、どれも大きくてよくわからなかったのが残念だった。

           

 


■ 百舌鳥古墳群撮影エピソード  野崎順次

今年の8月24日に百舌鳥・古市古墳群が世界文化遺産の推薦候補となることが決定されて大きく前進した。今のうちにできるだけ写真と動画を撮っておこうと、最近は土日ごとに堺に出かけている。その折に体験したことなどを書いておく。

10月22日(日)台風21号が近づいている。関西発着の飛行機は欠航になっている。翌日(月)の午前9時40分神戸空港発鹿児島行きの便で出張に出かける予定であるが、その便は飛びそうである。台風は夜遅く近畿に近づいて、真夜中過ぎに去っていくようだ。朝から雨である。以前に撮り残した二つの帆立貝形墳(孫太夫山竜佐山)が堺市博物館の真ん前なので、傘をさしてでも撮影して、後は博物館の室内展示でもと思った。

一眼レフカメラはEOS5D Mk3のボディにシグマ広角ズーム12−24(F4.5-5.6 II DGHSM)だけ。広角ズームは近くから古墳の全景を撮るのによい。それと、予備と記録用を兼ねて、小型カメラ(PowerShot SX610 HS)を持って行った。動画撮影するので軽三脚も欠かせない。

JR阪和線百舌鳥駅で降りると、雨が続いている。傘をさして、数分で孫太夫山古墳に着いた。一眼レフを取り出すとレンズが曇っている。電車内が気温22℃くらい、外気温は15℃程度か。湿度は恐らく100%近いからレンズ表面に結露したようだ。レンズの温度が外気温まで下がれば、結露がなくなるだろうと、雨の中で待った。ところが、レンズ外面の曇りは取れたが、レンズの内面が曇ったまま(内部結露)である。これが実に頑固な曇りで屋外で1時間以上しても取れなかった。

 

結局、博物館に入って、20分くらいで曇りが消えたが、展示を撮影するには広角過ぎる。そこで、小型カメラに切り替えた。さらに20分ほど撮影していると、今度は小型カメラが曇り始めた。霧の中で撮影しているみたいである。仕方がないので、撮影を中止して帰宅することにした。

 

10月29日(日)また、台風がやってきた。日本列島の南の海上を北東に進んでいる。近畿では、朝から雨で、最も影響のあるのは昼ぐらいで、15時頃から雨が上がりそうだと見た。また、堺に出かけた。あの二つの帆立貝形墳を撮り終えたいと、むきになっている。使用カメラは一眼レフで、レンズはキャノン24-105(EF24-105mm F4L IS II USM)とシグマ12-24の2本である。経験上、キャノン24-105の方が内部結露が出にくいと思われる。台風が来ている割には、阪急梅田あたりの人出はあまり変わらない。

南海難波駅では関空に行く本線が止まっていたらしいが、ちょうど動き出したばかりで、急行で堺駅まで行けた。雨が激しくなってきたので、屋外の撮影どころではない。そこで利晶の杜(千利休と与謝野晶子の文化観光施設)で雨宿りがてら展示の撮影をすることにした。

堺駅から宿院まで堺まち旅ループバスに乗る。このパスは土日祝日だけ南海堺駅から堺東駅まで、1時間に1〜2本主要観光地を回る。台風のためか乗客は私一人だった。12時半ころ、宿院バス停横の利晶の杜に着いた。そこでの撮影でレンズ曇りの問題はなかった。

風は収まったが雨は続いている。3時過ぎにループバスで宿院から博物館前まで行く。またもや乗客は私一人だった。博物館は仁徳天皇陵拝所の前にあり、ボランティアガイドさんの一番多い場所だ。今日は観光客がほとんどいないので、ひまを持て余したガイドさんが、「どこから来られた」、「いいカメラですね」と話しかけてくる。有り難いが、こちらは日が暮れるまでに撮影を終えることが最優先である。と、うまいことに、というか、予定通りというか、雨が止んだ。レンズの曇りもなく、順調に二つの古墳を撮影できた。レンズの結露がなかったのは、前回(22日)よりも気温が高めで、湿度が低めだったのだろう。帰りのルーバスから日没寸前の日差しさえ見えた。さて、どこかで一杯飲もう。

11月3日祝日で三連休の初日、台風の恐れはなく、曇り時々晴れと久しぶりの好条件である。また、また、堺に出かけた。この日はJR百舌鳥駅から仁徳天皇陵古墳を4分の3周して三国ヶ丘駅まで行く。仁徳天皇陵は全長486mもあり、しかも二重の濠の外側を歩くのだからたいした写真にならない。前方部正面の拝所辺りにはたくさんの観光客とボランティアガイドさんがいた。行楽日和の休日なのでガイドさんは説明に大忙しで、幸い私にかまう暇がない。

仁徳天皇陵の北西に永山古墳がある。墳丘長104mの前方後円墳である。南を走る幹線道路を渡り、南西から北東に回ったら、おばちゃん(おばあさん)が二人いた。写真の左側の人がいろいろ教えてくれた。いわく、「昔、私はこの古墳の西側の濠で釣り堀屋をしててん。」、「私ら二人、仁徳さんのお墓のおまもり隊やねん。」、「時々、大学の先生がこの古墳に入って調べたはるは。」とか、とか。

私いわく、「仁徳さんの御陵は遺物から見たら、仁徳さんの年代に合わんねんなあ。」

おばちゃんいわく、「兄ちゃんよう知っとんなあ。そや、300年くらい違うそうや。」

「この古墳はわにさんの墓やいう人もおるで。王に仁徳さんの仁と書く。」

300年は違うはなあと思いつつ、最後の質問へ、

私「仁徳さんがよう見えるとこないかなあ。」 

おばちゃん「三国の駅の売店の上に行ったらええねん。ぶあーと見えるは。」

 

そこで、三国ヶ丘駅の屋上に来た。三国ヶ丘はJRと南海高野線の同名の駅がある。そこで三脚を立てて仁徳天皇陵方面を撮影していると、リュックを背負ったおばあさんが話しかけてきた。74歳、8ヶ月前に愛する夫を亡くした未亡人である。いつも二人で出かけていた。ところが、6年前に脳梗塞の発作が出て、小康を得たが、3年前に寝たきりになったそうだ。その旦那さんの思い出をたどるように「写ルンです」で花の写真を撮っているという。

いつも持ち歩いている旦那と花の写真を見せてくれた。どうも苦手のシチュエーションで、ウソでも優しい言葉をかけるべきなんだろうが。「90%の人間は年を取るほど、不幸になります。」とか言ってしまう。早く独りになって一杯飲みに行きたい。


■ 看板考 No.59  「ユアサフナショクパン」 柚原君子

所在地:台東区浅草橋5-22

ユアサフナショクが製パン業から手を引いたのは、いまから12年前の2005年のことです。

当該看板は地方都市または東京の下町辺りで、すでに閉店しているような店舗に掲げられていることが多く、有効看板で無くなってから12年が経過していますが看板的には比較的新しい年代物に入ります。

看板の多くは建物に付いていますから、建物の有効活用期限が切れたときが看板の命も終わるということになります。

重要文化財にまで出世する看板はないのです。それゆえ愛おしいなぁ、と思って眺めます。やがていつかは消えていく運命にある、<時代を生きた>看板を集めてくれるところがあるといいのに、とさえ思います。

さて、このユアサ・フナショクパンの看板ですが、なんと言っても思い出すのは「おっぱいパン」です。関西のかたはあまりご存じないかも知れませんが、関東以北の方で団塊の世代にはおやつとして食卓に出たことがあると思います。

販売名称は「甘食」。マカロンのように舌にとろけるような上品さは無く、カステラのように異国の香りがするでもなく、本当に庶民的な菓子パンでした。

食感はカステラから水分を抜けさせたようなもので、ぼろぼろと落ちてきて食べづらく、それでも何故か甘く、ほっこりとするおやつでした。

形状は本当におっぱいのようで、子どもたちはチュウチュウ吸う真似をしたり、Tシャツの中に入れて、胸ツンツンして部屋を一周したりと下町の下級庶民(笑)の我が家においてはこんなおやつの風景でした。

おっぱいパンという名称で子どものころに親しんでいましたが、『たべもの起源事典』(東京堂出版)によると

『甘食は日本独特の半生の焼き菓子風のパンで、1894(明治27)年に東京・芝の清新堂の初代が半日がかりだったパン作りの時間を短縮するために苦心を重ねて考案し、富士山の形として作った』

と記載があるそうで、100年以上も前に出来上がっていた富士山を模した焼き菓子がルーツだったとは驚きです。

また命名の由来においては『パンの事典』(旭屋出版)の甘食欄に

『甘いビスケットを大きくしたような食事用のパンから来ているらしい』

との記載があるそうです。

そんな甘食を販売していたユアサフナショクパンですが、社史によると

『1936年「野地屋」の屋号をもって、湯浅商店が肥料・米・雑穀・小麦粉・飼料などの販売を目的に創業し、翌年、法人組織に改め(株)湯浅商店(現商事部門)が設立されました。その後、1972年に船橋食品(株)を合併するとともに、商号を現在の「ユアサ・フナショク 株式会社」と変更しました。また、1971年に関連会社山野(株)(現ホテル部門)を通じてビジネスホテル業界へ進出し、平成元年同社を合併し、現在に至っております』

とあります。

焼き菓子、甘食よりも「おっぱいパン」。看板と共に下町庶民の感覚にマッチしたほろ甘いネーミングが消えていったのも惜しい気がします。


■ おばちゃんカメラマンが行く @京都東山   事務局

今年は紅葉を追いかけて北海道から南下して、11月上旬京都を訪れた。

今年の紅葉は少し早めなのか、どこも程よく見ごろになっておりそれなりに紅葉を堪能できた。

いうまでもないことだが、京都の紅葉は寺社とのコラボや庭園の計算された池やモミジの植栽が素晴らしく何度来ても感動する。

おばちゃんになったせいか、気持ちに余裕が出て、新たな発見もあり、年を重ねるのも悪くないなと思ったりもする。

最終日、東山界隈はやはり観光客でにぎわっており、連れ合いが苦手な「カラス、おばちゃんグループ、暴走車」の三重苦だ。動画の録音がNGになるのだとか。

特にゆっくりとしたかった詩仙堂圓光寺で、絵に描いたような超超こてこての関西弁のおばちゃん6人組と抜きつ抜かれつ同行する羽目になったため、連れ合いは機嫌が悪い。眉間のしわが深くなるのですぐわかる。

詩仙堂のお庭を大阪色に染め上げた6人は、圓光寺へと向かう。お寺のかたが、本堂から写真を撮る人がいるから前の方を開けるようにと促すと、「なんでやねん。そもそも入っていけんなら、竹の棒が置いてあるやん。いいから行こう。大体あの人なんやねん?」と人に聞こえるように悪態をつく。堂々と真ん中へ座り込み益々バージョンアップしている。

最後の言いぐさがいい。「私は息を吸うても吐いても音が出る。ほらきいてみ〜。だから静かになんてできひんわ。」誰かに注意されたのだろう、幾分小声だったが、悪夢がまたよみがえった。

詩仙堂と圓光寺

 

おばちゃんたるものこうあるべし。私はまだまだ修行が足りなさそうだ。ということで詩仙堂から圓光寺、修行の旅となった。 

「2017 そうだそれでも 京都、行こう!」


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Editor Yukinobu Takiyama

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