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Monthly Web Magazine Dec. 2016
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■■■■■ 前号マガジン以降に公開した動画
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YouTubeのJapan Geographic Channelで視聴できます。
埼玉県秩父市 秩父神社と夜祭り Chichibujinja and Matsuri,Chichibu city,saitama |
静岡県三島市 山中城跡と箱根旧街道 Yamanaka castle and Hakone old road,Mishima city, Shizuoka |
東京都文京区 六義園 Rikugien, Bunkyo,Tokyo |
新潟県村上市 高根 鈴ケ滝 Takane Suzugataki,Murakami city,Niigata |
福井県小浜市 神宮寺 Jinguji,Obama city,Fukui |
長野県駒ヶ根市 光前寺 Kozenji,Komagane,Nagano |
岐阜県多治見市 永保寺 Eihoji,Tajimi city,Gifu |
富山県南砺市 五箇山 Gokayama,Nanto city,Toyama |
岐阜県白川村 白川郷 荻町 Shirakawago Ogimachi,Shirakawa Village,Gifu |
石川県金沢市 兼六園 Kenrokuen,Kanazawa city,Ishikawa |
石川県小松市 那谷寺 Natadera,Komatsu city,Ishikawa |
奈良県桜井市 長谷寺 Hasedera,Sakurai city,Nara |
奈良県奈良市 正暦寺 (Shoryakuji Temple, Nara City, Nara) |
滋賀県東近江市 百済寺 Hyakusaiji ,Higashiomi city,Shiga |
滋賀県愛荘町 金剛輪寺 Kongorinji,Aisho town,Shiga |
滋賀県甲良町 西明寺 Saimyoji,Koura town,Shiga |
滋賀県長浜市木の本 鶏足寺と周辺寺社群 Keisokuji,Nagahama city,Shiga |
東京都檜原村 小林家住宅 Kobayashike,Hinohara village,Tokyo |
東京都豊島区 鬼子母神堂 Kishimojindo,Toshimaku,Tokyo |
宮城県大崎市 鳴子峡 Naruko Gorg,Osaki city,Miyagi |
新潟県新潟市南区 旧笹川家住宅 Kyu Sasagawake,Minamiku,Niigata city,Niigata |
新潟県魚沼市 旧目黒家住宅 Kyu Meguroke,Uonuma city,Niigata |
山形県山形市 山寺(立石寺) Yamadera Risshakuji,Yamagata city,Yamagata |
■■■■■ Topics by Reporters
■ 富士の絶景も楽しめる城跡史跡 瀧山幸伸
史跡に指定されている城跡のほとんどは、アクセスが悪かったり整備が悪かったりと、よほどの歴史好き城好きでもない限り一般観光には不向きです。
歴史的な価値が高く、アクセスも整備も良くて、富士と駿河湾の絶景も楽しめるという、三拍子揃った史跡を紹介しましょう。
伊豆旅行などの機会にぜひ立ち寄ってみてはいかがでしょうか。
絶景も楽しめる城跡の一つは、三島市の、箱根旧街道に隣接した山中城跡です。
箱根旧街道と言えば箱根関所から箱根湯本までの杉並木と石畳が知られていますが、反対側の箱根峠から三島までの旧東海道も史跡に指定されており、こちら側を歩けば富士と駿河湾の絶景が楽しめます。
山中城跡は、北条軍が出先で守っていましたが、17倍の兵力を持つ豊臣方の前に半日で落城した城です。
しかしながら、城の縄張り(設計施工)は強固で、石や水をほとんど使わないにも関わらず、障子堀と呼ばれる防御構造で護った堅固な城でした。その城の構造が保存復元整備され、散歩程度の簡易さで周回できるのです。
城跡から望む富士は、少し下流に位置する大吊橋で見る富士よりも、戦国ロマンが加わるからか、無機質な構造物が無いからか、とても美しく感じます。しかも、入場無料です。
もう一つの絶景城跡の史跡は、長浜城跡です。沼津市の駿河湾沿い、内浦長浜にあり、かつての島が陸と繋がった、軍艦のような城です。
こちらは北条水軍の拠点で、駿河に勢力を伸ばした武田水軍と戦いました。どちらの側にも戦勝を誇る資料があり、勝負の真相はわかりません。
水軍とはいえ、構成員は近郷の漁民や商船の乗組員が雇われていたのでしょうから、お互い顔見知り、表面はいざ知らず、本音はまじめに戦わなかったのではないでしょうか。
太古から近年まで、死人が出るほどの漁場争いをしていた瀬戸内の水軍や漁民の縄張り争いとは異なっていたのでしょう。
城は小島の頂上に構築されましたから、四方を絶壁と海に囲まれ、アルカトラズのような要塞です。道路からほんの数分登るだけで城の遺構と絶景が楽しめる、本当にお手軽なスポットです。
■ 柿のこと 大野木康夫
11月と言えば紅葉の季節ですが、子どもの頃は「柿の季節」であると思っていました。
家には柿の木が二本、甘柿の次郎柿と渋柿の西条柿がありました。
また、隣の空き地には甘柿のクボガキと渋柿の安西があり、自由に取ってもいいことになっていたので、11月から12月にかけてのうちの家の「おやつ」は、早く熟すクボガキ→次郎柿一色となり、次郎柿が終わってしばらくしたら、西条柿と安西のつるし柿と買ってきたみかんになりました。およそ3箇月は柿ばかりだった記憶があります。
今では、西条柿とクボガキはなくなり、家族も柿をあまりたべなくなったので、次郎柿は同居している父親が近所の人や知り合いに配っています。
隣の空き地には家が建ちましたが、父親が安西をもらってつるし柿を作っています。
紅葉の撮影も一段落した12月4日、かねてから見たいと思っていた宇治田原の柿屋を撮影に行きました。
宇治田原は霧深い山あいに位置し、古くから茶の産地として知られています。
また、18世紀の前半、宇治田原の湯長谷で茶を栽培していた永谷宗円(永谷園の先祖)が、現在の煎茶の製造を始めたことから、「日本緑茶発祥の地」とも言われています。(それを売り出した日本橋の山本嘉兵衛が現在の山本山です。)
その宇治田原では、茶園の霜よけに「鶴の子」という小粒の渋柿を植え、その実を干し柿にしていました。
干し柿は「古老柿(ころがき)」と呼ばれる独特のもので、軒先につるすのではなく、収穫が終わった田んぼに「柿屋」を立てて天日干しにします。
柿屋には斜めの藁屋根と3〜4段の棚があり、扇風機も使って、棚の上で皮をむいた鶴の子を乾燥します。
雨の時は側面をシートで被うようです。
柿屋は宇治田原の各地で見られますが、行ったのは宇治田原で最大の柿屋がある立川の大道寺地区です。
棚によって、干してある柿の色が違うことから、乾燥の度合いが異なることがわかります。
乾燥がある程度進むと、唐箕の上で転がす作業(ひる)を毎日繰り返すことにより、次第に表面に白い粉(内部から出た糖分の結晶)が現れます。
完成した古老柿は撮影できませんでしたが、表面が真っ白になった小粒で甘みが強い干し柿です。
生産過程で不要となった皮や、加工できない小さな柿は、田んぼの肥やしにされています。
それも含めて、この時期の宇治田原の風物詩かと思います。
所在地:岐阜県各務原市蘇原三柿野町922。竹林寺境内
看板考を1回お休みして、死にそうになった話を。
20代の未来の希望に燃えていた頃、『新宿の母』という占い師に手相をみてもらった。「協調性はあまりない。20代のはじめに結婚をする。子どもは2人。よく働く。40代の頃に大きなものがやってくるが無事にくぐり抜ければ、その後は長生きとなる。」と言われた。
協調性があまり見られないのは小学校の通信簿の所見欄にすでに書いてあったので、当たりである!結婚の時期も当たり!子どもの数は3人目が欲しいと言ったが夫が渋って2人の子持ちで終わり、これも当たりとなった。
40代に大事(おおごと)が起こるという占いなので、交通事故には気をつけるようにした。車の運転も必要以外はしなかった。しかし、大変なことは体の中からやってきた。42歳の時に悪性リンパ腫を発症。膵臓付近と乳房にすでに転移していたので化学療法でもきついといわれるCHOP療法を受けた。毒を飲まされて吐き続ける状態の一年間だった。当時はもう助からない人が行く最終病院と言われた駒込病院に入院していたが、かなり厳しい状況の中、ヨレヨレではあったがともかく生還した。ヨレヨレながら働いた。占いによる「よく働く」も当たりぃ!となった。
さて、さて、大きなものをくぐり抜けた私の老齢期は長く幸せに、と『新宿の母』によって保障をされているので、今では好きなことをしてのんきに暮らしているが、先日、もしかしたら死にそうになったかもしれない出来事を通過した。
前置きが長いが、蘇鉄という名前の木があることは知っている。根元に鉄を入れることによってしっかりと成長するから蘇鉄ということも知っている。島唄の蘇鉄も知っている。犬がその実を拾って食べて死んでしまうというニュースも時折耳にして知っている。しかし、肝心の蘇鉄は見たことがなかった。
農家育ちもあって、昔から実のなる木が好きで、グミ、桑の実、びわ、アケビ、木イチゴ、山モモ、キンカンなどを取って食べるのが好き。癌以後は自然のものを体内に入れることを優先にしていた時期もあり、季節のものを素材のままにいただくのは、死にそうになった経験から体のためには良いと決めつけている。野原でそれらがあると、ちょっと口に入れてみることもたびたびある。
そんな背景を持つ私が、先日の中山道歩き『加納宿の竹林寺』の境内で、見たこともないものを見つけたのだ。木の実にしてはとてつもなく大きくて美しい。そしてうまそう!シュロの木?シュロの実?ふ〜んなんだろう。指で引っかけたらコロッと実が落ちてきそうだ。かじってみたい…と思ったがまずは写真に納めた。好奇心押さえられず、コロッと一粒いただいた。もちろん本堂に向かっておじぎをした。しばらくポケットでコロコロしていたが、カメラのキャップや予定表を出したり入れたりしている間に、どこかに落としたようだ。惜しかったなぁと思った。
帰宅して写真整理をした。やはりきれいな実。しかし調べて驚いた。蘇鉄の実ではないか。そのまま食べれば猛毒で拾って食べた犬が死んだというあの実だ。体内で分解されるとホルムアルデヒドに変化する「サイカシン」という有毒物質を含んでいる。食すれば運動失調や麻痺などの中毒症状を引き起こす可能性がある。ポケットからコロッと転げ出てくれたおかげで、旅先で行き倒れて投げ込み寺に放り込まれるのだけは回避できた。
彼岸花が球根の毒性を利用して田畑の畝に植えてあるのは理にかなっている。トリカブトは誰かを殺す目的に利用される。街路樹になっているキョウチクトウも花を口に含めば、即座に出血性下痢、嘔吐、流涎、視力低下、悪心、失神、不整脈、そして死に至るという。動くことのできない植物は種を守るために毒を放つものが多いそうだ。
蘇鉄の実がポケットからコロッ!と落ちてくれたおかげで、『新宿の母』が言ってくれた老齢期を長く平和に過ごすよ、という今に戻ることができた。
蘇鉄は10年か15年に一度しか花は咲かないそうだ。雄花と雌花があり、雌花の所にこのような実がなるという。それにしてもダイナミックで美しいと撮ってきた写真に見とれている。そして旅先で看取られないで良かったとも思っている。
■ 奈良の玄 野崎順次
玄は奈良で最も美味しいとされるお蕎麦屋さんである。毎年、ミシュラン一つ星に格付けされている。
ユーミン、市川海老蔵、堂本剛など有名人のお気に入りである。特にユーミンは、「最後の晩餐」というアンケートで、死ぬ前に最後に食べたいのは玄の蕎麦と答えたという。ただごとではない。
玄のことを知ったのは、ほんの2〜3ヶ月前である。奈良町の東の方にいいお蕎麦屋さんがあると、何かで知った。ネットで調べたら、玄のことらしい。
小さな店で予約が難しそうだったので、ほぼあきらめた。いくら美味しくても、行列して待ったり、何週間、何か月前から予約するなんて、「美学」ではないと思っていた。
これまで、食べ物で長期予約したのは、富雄駅前にあったスペイン料理「アコルドゥ」ぐらいである。
私は蕎麦が好きだが、食べ歩くほどではない。東北、関東、信州の名だたる蕎麦屋に行ったことはほとんどない。
信州では、中央西線から中央東線に乗り換える塩尻駅で、待合室のかき揚げ蕎麦を楽しみにしている程度である。
家人は味覚のレベルが高いと自負している。彼女によれば、今までのベストの蕎麦は三田市母子の「いまきた」である。特に香りがよかったという。私も同行したが、ひどい二日酔いだったので香りも味も記憶にない。
玄が「いまきた」を超えるかもわからないので、家人の誕生日祝いも兼ねて行ってみることにした。ウィークデイは無理だから土日だが、土曜日の昼しか営業していない。
11月初めころに11月26日(土)の予約を取ろうと電話をすると、「昼に打つ蕎麦は41枚で、既に売り切れです。ただし、当日、余分に打てば、予約を受けられます。当日の午前10時に可否を携帯にお電話します。」とのことだった。
店の女性が本当に気の毒そうに一生懸命説明するので、納得した。そして、せいろ2枚、田舎1枚を仮予約した。
が、ひどい話である。我が家から玄まで最短でも1時間半かかる。その日の蕎麦にありつけるかどうか、待機するのも、不愉快である。「美学」では断じてない。
が、納得した。そこまで云って「やっぱりあきまへん」とは云わんだろう。まあ、奈良に行くつもりで、駄目なら他の店(例えば、ミリアムのカレーとコーヒー)に行けばいいことだ。
玄があってもなくても、奈良はいつでも行きたい場所である。と、納得した。
当日、午前9時47分に携帯が連絡があり、大丈夫で午後1時に入店してくれとのことだった。さすがにホッとした。
近鉄奈良に12時20分くらいに着いた。奈良町の町並みを楽しみながらゆっくり歩いた。
十輪院の前を西から東に通過して、そろそろ左に狭い道があるはずと思っていたら、家と家との間に幅僅か1mの道だった。
近所の人に確認したら、「予約してますか」と尋ねられた。予約なしで来る客も多いのだろう。
その道の奥の右手に玄があった。清酒「春鹿」で名高い今西家の別邸として建てられた建物である。のれんをくぐって門に入り、玄関から靴を脱いであがる。
パンフレットと献立表。蕎麦はつなぎなし、いわゆる十割蕎麦だ。蕎麦の種類はせいろと田舎。そして食べ方として、①普通(つゆにつける、ワサビ付き))、②おろし(つゆに大根おろしを入れる)、③水たたきの梅(水、塩、梅をつけて蕎麦自体の味と香りを楽しむ)がある。
私たちが食したもの。春鹿のお酒は「超・辛口」と「かすみ酒」各1合、そば豆腐(うにのせ)1個、蕎麦三枚(せいろ、おろしせいろ、田舎各1枚)である。一言でいえば、上品で繊細な蕎麦である。次回は水たたきの梅蕎麦をぜひ試したい。
お座敷は広くなく、三十人足らずで満席となる。
家の中と庭の様子。こじんまりとして、落ち着いている。ここの蕎麦に似つかわしい。
玄の情報
奈良市福智院町23−20742-27-6868
昼 11:30〜13:00(蕎麦、ほぼ予約必須)夜 18:00〜21:00(蕎麦懐石、完全予約制)
定休日: 月曜日、日曜日(但し、土曜日は昼のみ)
カード: 不可
お正月のおせち料理に縁起物として添えられる塩カズノコの初競りが11月22日に大阪市中央卸市場で行われました。
初競りでは、米国、カナダ産のほか、最高級の北海道産が扱われたようです。競りには、希少なカズノコを厳選して手間をかけた新商品「塩数の子 稀誉(まれひびき)」が初登場。過去最高額の1キロ当たり10万円で落札されたという報道がありました。
その翌日の23日、京都市中央市場では栄養バランスに優れ、皆で楽しむことのできる「鍋」をキーワードーに、「鍋まつり」が開催されました。今年で14回目です。
京都市中央卸市場は、1927(昭和2)年に、日本で最初の中央卸売市場として誕生して以来、来年で90年を迎えます。
午前11時の開場に関わらず、4カ所の入口とも、9時半には長蛇の列、老若入り混じってオープンを待ちます。出足の早いのにビックリでした。
開場と同時にお目当てのブースに殺到します。鍋の種類は20、各々のブースは約4000食分が準備されていました。
人気のブースは幾重もの列ができます。食べては並びの繰り返しです。旺盛な食欲にまかせた決してお上品とは言えない食べ方です。
「マグロの解体」・「アンコウの吊り切り」の実演と即売に人だかりでした。
12時過ぎには完売のブースが現れ、2時の閉幕を待たずして、1時過ぎには空っぽとなりました。参加の人達は最低2〜3種類の鍋に有り付けたようです。
京都の街なかにいるとは思えないような人の波と雰囲気に包まれた数時間でした。
マガジンが発刊される頃からソロソロ迎春準備が始まります。今年の正月用品の値動きが気になります。正月料理を食べて新年も元気に動きたいと思ってます。
11月上旬に家内と電車で横浜にでかけました。
横浜は20歳前後に2年と少し住んでいたことがある街ですが、中華街に幾度か出かけたという思い出以外強い印象は残っていません。
そのため、初めて訪ねる街という気分で横浜へ。上野東京ラインのおかげでとても便利になり、上野駅で乗り換えると乗り換えなしで横浜駅へ。横浜駅から根岸線に乗換、石川町駅で下車。
目当てのお店の開店時間に間があり、先にお土産の肉まんを購入してその店に戻るとすでにけっこう席が埋まっていました。人気のお店はやはり違います。お店の名前は「梅蘭」 こんな焼きそばが名物です。
ボリューム満点の焼きそばにビールを一杯、大満足のランチをいただき、散策のスタート「港の見える丘公園」に向かいます。
ここは、名前の通りの公園でベイブリッジが目の前です。NHKの園芸番組の収録現場にもぶつかり、野次馬根性からのぞき見をしてしまいました。
よく手入れされた花壇も色とりどりの花を咲かせていて、ノンビリと時間を過ごすことのできる公園で自宅の近隣にもこんな公園があったらと羨ましい気持になりました。さて、いよいよ山手西洋館巡りが始まります。
最初は横浜市イギリス館です。港の見える丘公園の一角にあります。
直ぐとなりに山手111番館が建っています。私たちは喫茶店と勘違いして、中に入れませんでした。
ここから、外人墓地に突き当り、左に進むのですが途中心惹かれる建物がいくつか見られます。
歩いていて全く退屈しません。「横浜にこんな所があったんだ、もっと早くに訪ねるのだった」と思いつつ歩を進めます。上の山手聖公堂のとなりに山手234番館が見えます。
234番館のとなりの飲食店も、周りの雰囲気に調和するように建てられています。そして道路を挟んだ反対側に暖炉の煙突が特徴のエリスマン邸が建っています。
木立の中に建つ洋館、良い雰囲気でしょう。60歳を超えた我々夫婦には似合いませんが、若い二人なら、絶好のデートコースです。
ロマンチックな気分に浸れること、間違いありません。進学校で名高い横浜雙葉小中高等学校の前を廻り込むとベーリックホールです。
山手西洋館の中では大きな建物で内部も見ごたえのある調度品が多くあり、楽しい見学ができます。ここまで歩いてくると結構疲れてきて、歩みが遅くなります。
次に向かうテニス発祥記念館と山手68番館はフェリス女学院を廻り込んだ先にあり、なんとも遠く感じました。
山手68番館は今でもテニスコートの受付窓口として使用されています。大切にされ、かつ現役で利用されている。そんなふうに長く残っていけたら建物も本望でしょう。
最後に石川町駅近くの外交官の家とブラフ18番館に向かうのですが、これが遠いのです。道の両側は驚くほどの高級住宅街で気おくれするほどですし、歩いても歩いても到着しないのです。
しかも、やっとたどり着いたと思ったら、外交官の家は修繕工事中。「ガックリ」。山手西洋館でこの外交官の家だけが重要文化財なんです。それが見られないとは。
奥のブラフ18番館を見学して石川町駅へ。夫婦ともいささか疲れ果て、乗換が面倒と根岸線・京浜東北線一本で上野まで帰ってきました。
当然のごとく二人ともに電車のなかで爆睡です。ランチの後、ティータイムも取らず歩き詰めで年寄りにはいささか無理があったようです。でも、楽しかったです。
一日でこれだけ貴重な建物に逢えたことはやはり幸せなことです。そして、横浜市がこれらの建物の見学が無料できるようにしていることに感謝と敬意を払いたいと思います。
前月のウエブマガジンに引き続き11月18-20日に博多湾で展開されたヨットレース、アメリカズカップワールドシリーズの話題です。今回は試合の観戦状況など。
観戦は有料の浜からの観戦と無料の海上観戦(船は自前で出す)の2種類です。
浜からの観戦は人が多く盛り上がるのと、試合の状況がよくわかり観戦しているという雰囲気が出ます。
試合のコース設定も浜からの観戦に良いように浜寄りだったり、フィニッシュが浜近くだったりで、全体が浜からの観戦に適するようにセットされています。
ちなみに料金は土曜日が4000円、日曜日が5000円でした。浜には座席は用意されておらず花見のように早い者勝ちでシートなどで場所を占領しておいて見ることになります。ちょっと不愉快なやり取りが起こったりもします。
写真撮影は海上観戦よりやや近いところはいいのですが前の人の頭が邪魔で良し悪しです。
以下、浜から撮った風景(19日に撮影)
オープニングセレモニー レース中は実況担当の説明に加え大型スクリーンに船内カメラを含めた映像が映し出されわかりやすくなっています。
レッドブル・エアレース・ワールドシリーズに日本から唯一参戦している室谷パイロットによるアクロバット飛行がありました。ヨットのマストより低い高度をナイフエッジで飛び回りスリリングでさすがと思わせます。
スタート風景
レース中は速度を上げるため風がよければフォイリング(水中翼で浮き上がって走る)や片方の胴体だけで走るなどを組み合わせ、風を読んだコース取りでタイムを競います。
この日は3レース中の第2レースで日本のソフトバンクチームがぶっちぎりの1位となり、浜から大喝采を浴びました。
海上観戦(18,20日に撮影)
海上からやや遠巻きに観戦します。海外から来た巨大なヨットなども目につきます。遠くて試合の状況の説明もないので解りにくいのが難点です。雰囲気をゆったりと味わうということになります。
停泊地(小戸ヨットハーバー)との往復(風が弱いと引き船に引かれる)や停泊地での様子もなかなかです。
■ 晩秋の風物詩 蒲池眞佐子
早朝に散歩をするのが好きだ。朝の空気が気持ちいい。ところが、散歩をしているとギョッとする風景に出くわした。カラスの大群だ。
電線にびっしり。隣の病院の屋上にもびっしりいる。もしかしてここの病院は・・と思ってしまったほどだ。ところが、これは冬になると渡ってくるカラスだそうだ。早朝にここらで休憩でもしているのだろうか、毎年の光景らしい。
調べてみたが、名前まではよくわからない。早朝だけこの場所に止まり、太陽が昇ってしまうとどこかへ行ってしまうみたいだ。
最近また鳥インフルエンザが流行している。これも渡り鳥によるものではないか、との説もある。冬の風物詩にも良し悪しがあるものである。
このままでは気味悪いままなので、話題をもうひとつ。この季節に咲く花、皇帝ダリアである。
成長すると3〜4mになることから皇帝と名付けられたらしい。ピンク色の花は大きく、20センチ近くあるであろうか。晩秋の青空によく映える。
最近何かとライトアップが盛んで美しいものであるが、夜中まで煌々と照らしては草木が眠る時間がないんじゃないか、と思う。
皇帝ダリアも、シャコバサボテンもそうだが、日が短くなり暗くならないと咲かない花だ。電球の明るさがあっても咲かない。
見る人間にとってはきれいだろうけど、照らされる草木はなんだか可哀そうに思えてしかたない。
■ おばちゃんカメラマンが行く 《なんじゃこれ〜》 兵庫県高砂市 生石(おうしこ)神社石の宝殿 事務局
世の中には不思議なものがあるもので、《なんじゃこれ〜》とつい言ってしまうものが多々ある。
前回の土偶もそうであるが、何のために作られたのかが想像できないものである。
多くの方が写真を撮っていらっしゃるが、何故か全体像が分かりにくい一風変わった神社がある。
その名も生石(おうしこ)神社。鹽竈神社の塩竈、霧島神宮の天逆鉾とともに「日本三奇」の1つだ。
階段を上って本殿で参拝し、通り抜けると、なんと目の前に石の壁があるではないか。ご神体「石の宝殿」だ。
普通はくりぬかれてその中にご神体が安置されていると思うが、この宝殿そのものがご神体だ。
岩盤を掘り込んで造られた一辺6m前後の巨大な直方体で、側面に幅1.6m深さ30cm幅の溝が掘られて、背面に屋根形の突起が付く不思議な形をしている。重さは推定500tあるらしい。
ぐるりと堀のような池がありご神体が浮いているかのように見えるので「浮石」という名もある。
写真で見ても言葉で説明しても実感がわかない宝殿だ。超広角レンズでも宝殿らしく撮るのは難しそうだ。
裏山に登ってご神体を見ると人の手によって山が掘り出されているのがよくわかる。
誰が、何時、何のためにと疑問が湧くが諸説ありはっきりしていない。
古墳時代に石棺か石槨を切り出そうとしたと言う説など多々あるが、「生石神社略記」によると石造りの宮殿を造ろうとしたが、途中で断念したようだ。
つまり後ろの屋根型の部分は宮殿の上部で、前に見えている部分を底にして正面を引き起こす予定だったらしい。そうなると屋根型の突起物も側面の帯状の掘り込みも理解できる。
もしそうならば、私たちが拝んでいるのが宝殿のお尻で、ご神体は空を向いていることになる。正面にあたるはずであったであろう現在の上部は雨風にさらされ、木や草が生えまくりだ。
ご神体に上るのはいかがなものかとは思うが、一日も早くお顔のお手入れをした方が良さそうだ。
百聞は一見に如かず。お正月の初詣にお勧めします。その節は上からの参拝もお忘れなく。
《なんじゃこれ〜》 おまけ 岐阜県御嵩町 鬼岩の奇岩 オッパイ岩(と勝手に命名)
MerryXmas & A HappyNewYear
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Japan Geographic Web Magazine
Editor Yukinobu Takiyama
yuki at .jp (Replace at to @)
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