MONTHLY WEB MAGAZINE Mar. 2013
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トピックス
■■■■■ 大震災からの再出発 瀧山幸伸
あれから2年経過してしまいました。
私は地理学をライフワークとしていますので、以前から全国各地の災害被災地を調査しておりました。
三陸の津波や地震に関しても、震災前に三陸の田老や女川などで撮影していますし、震災後の記録写真も各市町村別に約1万枚ありますので、震災前後の比較が可能です。
地域別索引から辿ってください。生死を分けた津波被害の地理地形が理解できるように、ほとんどの写真は超広角レンズで撮影しています。
この震災を契機に、日本の都市のあるべき姿が議論されていますが、私がそれ以前から研究している「サステイナブルシティ(持続可能な都市)」の必要性を強く感じています。
■■■■■ 伊勢志摩の地霊 瀧山幸伸
今年の伊勢志摩は伊勢神宮の式年遷宮で大賑わい。
いわゆる「名所」は、渋滞、喧騒、満員の宿泊施設、怪しいパワースポットを巡りなどに蹂躙されている。
江戸時代の伊勢おかげ参りから全く変わっていないようだ。
伊勢は蘇りの地なのに、感動と生まれ変わりを目指した旅の目的地としてはどうなのだろう。
そのような目的の旅には伊勢志摩のどこがお勧めなのかというと、観光ガイドに載っていない所、または小さくしか紹介されていない所だ。
名所の地霊は長期バケーションに出かけているようだが、それ以外の地霊はバケーションの旅費も不如意なのだろう。
1月と2月に訪問した地から、心癒されるスポットをピックアップしてみよう。
まずは、志摩半島をゆっくり巡ることをお勧めする。
和具からの日の出
御座 日和浜 石仏地蔵尊
麦崎
志摩半島よりも静かな海岸でのんびりしたいのなら、英虞湾から五ケ所湾にかけての海岸、さらには南伊勢町のひなびた海岸がお勧めだ。魚もおいしい。
南伊勢町 木谷 かしき料理 丸魚
清流五十鈴川の源流となる剣峠付近は椿の原生林に覆われている。
そこから集まる水がほとばしり始めるのが五十鈴川渓谷。水に反射する葉の緑と太陽の黄が至上の美を演出する。
喧騒にまみれた伊勢神宮とはきわめて対照的だが、この地を訪問するにはうねうねと続く細い山道を通らねばならない。
伊勢神宮は不思議に満ちている。伊勢神宮の五十鈴川上流域一帯はほぼ神宮の土地なのだが、上流の中心部に高麗広という集落がある。
地名の言われは定かではないが、高麗と関係があるのだろうか。
神宮の権威を考えれば、神聖な上流一帯は禁足地であるべきで、たとえ神宮関係者であっても水を濁す集落と農地を許す理由は見当たらない。
高麗広集落の人々が伊勢神宮よりも早くこの地で生活しており、同郷出身の伊勢神宮関係者を呼び寄せた、あるいは神宮の建立を許諾したと考るのが自然だ。
伊勢神宮と大分の宇佐神宮、島根の出雲大社、石川の気多大社、福岡の住吉神社などは、立地の地理的な特徴が極めて似ている。
圧倒的な技術と武力を持った半島からの海人が自分たちの権威を誇示するための場ではないかと考えられる。
鳥羽の庫蔵寺も、立地が厳しい故に世俗に関わらない地霊だ。
かつては空海が開いたと伝わる修験の場だった。
今では麓の人々の信仰に支えられ細々と続いているが、山岳宗教の名残をよくとどめており、スカイライン道路で騒々しい金剛證寺とは対極にある。
庫蔵寺
伊勢の次に騒がしくなるのは和歌山と四国。
空海ゆかりの高野山と四国遍路1200年関連イベントが目白押しで、ここ数年大賑わいになると予想される。
心静かな旅を目指す人は今年中に和歌山と四国を訪問しておいたほうが良い。
天気の良い、冬の日差しの中、散歩がてら天拝山に登りました。
天拝山は標高約258m、天拝公園から歩いて約50分と表示されています。自分の足では約30分で山頂に着きました。
途中注意して見ていると、人の気配がなくなると、登山道へ、小鳥たちが出てきてエサを採っています。
そして、登山者が近づくとさっと森の中に隠れていました。また、山肌を注意して見ると、いろいろな種類の小鳥がエサを採っているのが見られました。
■■■■■ きらら自然観察公園 田中康平
福岡市に転居して1週間くらいが過ぎて引越し後の片付けに少々疲れを感じていた。
丁度福岡市で山口のきらら浜自然観察公園へ野鳥を見に行く無料ツアーの募集が目にとまって応募したら運良く選に当たり、3月9日に出かけてきた。
無料というのは市で建設を計画している野鳥公園のプランに参加者はなにかしら貢献しろということらしい。それも悪くない。
きらら浜自然観察公園は山口市南端の海岸沿いの阿知須(あしす)というところにありシギなどの渡り鳥が多く飛来するという。
放置されていた干拓地の一部を公園にしたもので30haくらいの広さの人工の公園になっている。
訪れてみるとよくぞ作ったと思わせる広さで、シギやチドリの飛来しそうな干潟が人の手でうまく作られている。
この日はアオアシシギやダイゼン、シロチドリなどが見られたがほかにもクロツラヘラサギ、オオダイサギ、ミサゴ、マガモ等のカモ類、カイツブリやバン、アイサ類等がみられ、見飽きることがない。
広い蘆原も人工的に形成されており、この日はチュウヒの飛翔も見られたとの声もある。
ポンプで水を引いている淡水の広い池もありカモ類が浮かんでいる。総てがバブル期の潤沢な予算で作られたものらしい。
人工のものでも今や渡り鳥の重要な中継地になっているらしく、人と自然の関わりの渾然となりうる様が眼前に示されるようで興味深く感じられる、確かに新しい野鳥公園を作るには支えとなるモデルかもしれない。
関東から九州エリアに来てみるとまた知らない世界が次々と開けていくと思えてくる。
時には生きていく拠点を変えてみるのもなかなかだとの気がしている。
2月11日,早朝4時30分出発で和歌山のみなべ町に梅見に行きました。
満開には少し早かったですが、十分に見頃になっており,春を感じることができました。
ただし、現地についてからクシャミと鼻水に悩まされ、梅花粉症ではないかと思うくらいで、梅の香りは楽しめませんでしたが。
帰りに広川町や海南市下津地区の文化財を回りました。
その後、寒さが戻り、2月16日は少し雪がちらついたので、滋賀県の湖西の文化財を回ってみました。
大津市葛川の地主神社、明王院に向かい、花折峠を越すと、アスファルトの路面に雪が積もっている状態でした。
現地は10センチほどの積雪で、雪が混じりの強い風が吹いていました。
高島市の若宮神社は晴れていて雪も見られませんでした。
白鬚神社の鳥居を撮影していたら、対岸に蜃気楼(下位蜃気楼)が見えました。
冬の琵琶湖では珍しくないことですが。
白鬚神社本殿は拝殿との接合部に覆いが取り付けられていました。
切妻造の本殿が集まる天皇神社、小野神社に向かうと、また雪が降り、夕暮れ時に寄った真野普門町の神田神社も雪の中でした。
翌2月17日は、午前中に松尾大社、枚方の交野天神社、石清水八幡宮に行きましたが、また気温が上がり曇り空ながらも少し暖かかったです。
今年の冬は寒さが厳しい中、京都市内は過去60年で3回目の積雪ゼロ(街中の気象台での観測)に終わりました。
3月に入って今週からは気温が上がり、本格的な春の訪れを迎えるような気がします。
先月に続き、お酒好きの集まりに関連した報告です。
安土考古博物館で、副館長の大沼芳幸氏から【なぜ宴会が大切か—神と人を結ぶ酒】のテーマで講義を受けました。
お酒が大好きな講師の話は、副題が”神様は酔っ払いがお好き“で、往古からお酒と宴(うたげ)を軸に「祭り=政り事が」行われてきた経緯や、庭園
茶道、更には雛まつりの起源に及ぶ内容でした。その抜粋を並べます。
終わって、伝統的建造物保存地区の「五個荘」へ行きました。毎年この期間は、近江商人屋敷に伝わるひな人形が展示・公開されています。
そのため多くの人出となっていましたが、街中は静けさが保たれ、寺院と民家と農家が一体となって並んでいる景観には、来るたびに癒されます。
今回は主に、和船の廃材を利用した舟板塀が生み出す情緒一杯の街並みをご紹介します。
ひな人形は観峰館、外村宇兵衛邸、外村繁邸、近江商人博物館、中江準五郎邸、等が会場となって展示されています。ごく少数の紹介です。
小幡人形の雛節句飾りと人形の千体仏
京都御所の紫宸殿を模した御殿飾り(江戸時代)
源氏枠飾り
にんげん雛 三人官女の白酒(甘酒)サービス
地元の人形師東之湖氏と人形作家東之華氏による創作ひな人形と 東日本大震災の被害地へ贈呈される“絆雛”
お雛様に変身
さて、当日の待望の”昼食の宴“は
場所は日本料理「納屋孫 なやまご」。1831(天保2)年には創業していたと伝わり、江戸時代から「商人御用達」の料理を続けて
約200年になる湖国料理が自慢の老舗。
早春の琵琶湖の幸…氷魚の釜揚げ、天然鴨の鍋、ひな祭りに合わせたチラシ寿司など…うまい!
地元愛知川流域の地酒7種の利き酒を楽しみました。
我家にも娘がおり、家内の実家から贈られた七段のひな人形があったはずですが、
娘が成人してからはもちろん、それ以前から御目にかかっていません。
確かに一つの部屋を専有し、出し入れに大きな手間が必要ですから家内が億劫になるのも当然です。
その替わりと言ってはなんですが、家の中のあちこちに小さな雛人形が飾られています。
もちろん、三月三日が過ぎるとたちどころに姿を消すのですが、残念ながら未だにその効果は現れておりません。
これらの小さな雛人形にもいろんな思い出が詰まっています。
この人形は新婚早々に京都大原でもとめたものです。確かこの時は五月人形の金太郎も一緒に購入したはずです。
我家に来てから40年、我々夫婦とともに歩んできた雛人形です。
ずいぶんと汚れが目立つようになりましたが今でも一番大切な小さな雛人形です。
これは、京人形のようですが近くのデパートで購入したもののようです。
見ての通り、これは雛人形の姿をした鈴です。家内が女友達と京都に旅行したおりに平安神宮で購入した
桜橘縁喜鈴です。良縁招福の縁起のよい鈴です。
購入時には、すでに娘も誕生しており、娘の良縁招福を祈念して手に入れたのでしょう。
三人官女もついたお手玉型の雛人形です。4〜5年前に私が金沢でもとめた雛人形です。
二月に金沢にでかけ、五箇山に足をのばしました。日本海側が大荒れの天候で電車が大幅に遅れ
帰宅が翌日になってしまったと記憶しています。おしゃれな雛人形で娘にも大切にされています。
言うまでもなく、家内手作りの折り紙雛人形です。娘と幾組も折って楽しんで作っていました。
折り紙は日本固有の文化のようです。守り育てて、千年後も残っていると良いのですが。
今年も三月四日には全ての雛人形の姿が消えていました。
雛人形を見ると春が近いことを実感します。
雛人形を飾る、途絶えさせずに続けて行きたい日本の伝統文化だと思います。
いささか大げさになりましたが、我が家ではこれからも桃の節句に小さな雛人形を飾り続けます。
先月の17日、大阪は寒く、記録(goo 天気)によれば、最高気温5.7℃、最低気温−1℃だった。天気は曇り。
夕方、たまたま一眼レフカメラを持って、大阪ステーションシティの時空広場を横切っていると、妙な3人連れが来た。
中央のでかい白いものを両脇の娘が抱え込んでいる。
中央の娘は両肩が露出している。とにかく、オモロイナ!と思ったが、疲れていてすぐにカメラを出す気になれなかった。
その後から、盛装にコートを引っかけた娘たちが追いかけてきた。
両肩露出でデカイ白いスカートは花嫁だった。
この近くで結婚式があり、友人だけで記念撮影をするようだ。
こういうオープンな祝い事は誰が写真を撮ってもいいのは全世界の不文律である。
花嫁花婿はどちらかと云うと「ふくよかな」タイプだった。幸せそうなお似合いカップルである。
友人の娘たちはなかなか粒揃いではないのではないのではないか。
突然、友人連中はコートを脱ぎ始めた。撮るばかりでなく、いよいよ本気で写る気になったようだ。心なしか目つきも挑戦的になった。
花嫁花婿様、そしてお友達の皆様に幸あれ!
Japan Geographic Web Magazine
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編集 瀧山幸伸
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