Monthly Web Magazine Jan. 2017
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■■■■■ 前号マガジン以降に公開した動画
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鹿児島県南九州市 知覧 Chiran, Minamikyushu city,Kagoshima |
大分県 国東半島 六郷満山 Rokugoumanzan,Kunisaki Peninsula,Oita |
鹿児島県屋久島町 屋久島 Yakushima,Yakushima town,Kagoshima |
■■■■■ Topics by Reporters
■ 屋久島の冬 瀧山幸伸
冬は最も屋久島らしさを味わえる。観光客が少なくてゆったりと過ごせるからでもあるが、冬の厳しい寒さならではの自然に出会えるからだ。
九州最高峰の宮之浦岳をはじめ高山が聳えるため、亜熱帯から亜寒帯までの気候と豊かな生態の生の博物館となっているのだ。
亜熱帯は年中体験できるが、亜寒帯を体験できるのは冬季のみ。
だが、山間部への進入が危険な時期でもある。
前回(2008年12月)は雪のため縄文杉から上への登山を断念せざるをえなかった。
今回(2016年12月)はさらに激しい寒波と雪に阻まれ、ヤクスギランドまでしか入れず、登山口への道路も閉鎖されてしまった。
こけむす森で名高い白谷雲水峡は、頂上の太鼓岩に到着した時には猛吹雪で、風に飛ばされそうで心細かった。
ヤクスギランドは歩道が凍結して歩きにくく、誰も見かけなかった。
ここを経由して奥地の森林秘境への登山を予定していたが断念せざるをえなかった。
それでも雪の中でヤクシカに出会えたのは幸運だった。
宿の人に聞いたら「キャサリン」と呼ばれているそうだ。
西部林道ではヤクシカとヤクザルが少ない餌を探し回っていた。
このような厳しい季節でも子ザルはシカに飛び乗って遊んでいる。なんともかわいらしい姿である。
2匹のサルが一頭のシカに乗っているのは写真でも動画でも見たことがない。幸運に恵まれたようだ。
島の西側、永田地区には美しい砂浜が広がり、ウミガメの産卵地となっている。
冬はもちろん産卵や海水浴の季節ではなく、西風が強い日も多くあるが、風が穏やかな日にはのどかな風景が楽しめる。
それでも里から見上げる永田岳は雪を抱いており、人を寄せ付けない風貌で、里人にとってはまさしく神の山である。
■重要文化財建造物の「鶏」 酒井秀樹
新年の話題として今年の干支(十干十二支)はというと「丁酉(ひのととり)」とのこと。
十二支は「酉」で子から10番目に当たり、釈迦が動物たちを招集したとき10番目に現れたのが鶏・・という逸話などを基にして一般には「鶏」があてがわれています。
そこで今回のテーマは重要文化財建造物における「鶏」をモチーフにした装飾彫刻を追ってみました。
探してみると意外に少ない。酉を鳥類にまで広げると数え切れないほど有るのだが・・
例えば徳川家光を祀る栃木の輪王寺大猷院霊廟の瑞垣にはおよそ400羽(撮影した写真から数えたのですが、途中で数えるのをあきらめたのであくまでも概数)の鳩が存在しています。
輪王寺大猷院霊廟瑞垣(栃木県日光市)
鳩
その他にも 雀、鶯、鶴、鷹、オシドリ、カワセミなどなど・・
日光東照宮東廻廊(栃木県日光市) 中備蟇股彫刻
坂下門に通じる通路上にある中備蟇股彫刻で有名な「眠り猫」の裏側にある遊雀をデザインした彫刻。猫が居るにもかかわらず雀が遊んでいるという様子から天下泰平の象徴を表現している。
北野天満宮拝殿(京都府京都市) 中備蟇股彫刻
鶯
大崎八幡宮拝殿(宮城県仙台市)
鶴
世羅田東照宮本殿(群馬県太田市) 中備蟇股彫刻
「巣ごもりの鷹」
妻沼歓喜院聖天堂(埼玉県熊谷市)
オシドリ
上野東照宮瑞垣(東京都台東区)
カワセミ
鶏に限定すると数えるほど。鶏は朝を告げる鳥・・朝→太陽が昇る→神の出現・・と変化し神格化されていることが多いのに・・
その中で最も多い作例は、十二支の一つとして作られた物が数例。箸蔵寺以外はいずれも塔の初重の西面(酉の方角)3間の中央の柱間中備の蟇股の彫刻。
日光東照宮五重塔(栃木県日光市)
池上本門寺五重塔(東京都大田区)
旧寛永寺五重塔(東京都台東区)
備中国分寺五重塔(岡山県総社市)
勝鬘院多宝塔(大阪府大阪市)
箸蔵寺護摩殿(徳島県三次市)
「戌」と「亥」が見当たらないが十二支彫刻の12面の内1面
故事の「諌鼓鶏」を基にした物
諌鼓鶏:中国の伝説上の聖天子堯、舜、禹の時代、その施政について諌言を申したいものは、王宮の門前にある太鼓を鳴らして合図を送ることになっていたが、善政で平和で安定した社会に人民が永く太鼓を鳴らすことはなく、やがて太鼓は苔むし鶏が住みついたという逸話
天下泰平の象徴
上野東照宮唐門(東京都台東区) 門扉彫刻
和歌浦天満宮本殿(和歌山県和歌山市) 脇障子彫刻
南宮神社高舞殿(岐阜県垂井町) 西面中央の中備蟇股彫刻
酉を諌鼓鶏で表した十二支彫刻の12面の内1部
唐子遊びでの「闘鶏」
四季に応じた子供達の姿を表現したもので、鶏を競い合わせている
妻沼歓喜院聖天堂(埼玉県熊谷市)
その他
新勝寺光明堂(千葉県成田市) 中備蟇股彫刻
他にも重文建造物における「鶏」の装飾彫刻はあると思えますが、とりあえず見つけたものを11例ほど列挙しました。
■ 新年あれこれ 大野木康夫
毎年、1月はおせち料理と初詣のことを書いています。
おせち料理については、私が関わるのはゴマメの下処理(はらわた取り)だけです。
この暮れも29日の夜に作業をしました。
ゴマメはカタクチイワシを干したものなのですが、時折、丸みを帯びた魚(マイワシ?)が混ざっており、それもとりあえず処理しています。
おせち料理は30日、31日の2日間、家内と家内の友達が、家内の実家も含めて3世帯分作ります。
我が家ではだいたい3日になくなります。
雑煮は白みそ仕立ての丸餅入り、頭芋と大根が入ります。
元日の初詣は毎年、地元の諸羽神社に行きます。
近年は年々、人出が多くなっているような気がします。
2日は初寅で毘沙門堂に行き、福笹を買いました。
3日は子どもが弓道を始めたので、石清水八幡宮にお参りに行きました。
動画だけしか撮影しなかったので、写真は動画から切り出したものです。
4日からは仕事でしたが、7日に山科盆地の旧東海道を歩いて撮影しました。
古い建物はあまり残っておらず、これまでの撮影対象とは違いますが、これからはこういったものも含めて見ていきたいと思います。
また、この日、交通量が激しい府道の擁壁の上に、5頭ほどのニホンザルの群れを見かけました。
これまで、長野、奈良、綾部などで野生のサルを見たことはありますが、自分の家から2キロメートルほどのところで見るのは初めてです。
今年は、今まで狭かった撮影対象を徐々に広げていきたいと思います。
また1年間、よろしくお願いいたします。
■ 遺跡をめぐりつつ初詣 中山辰夫
快晴に恵まれました元旦、初詣は地元の「小槻大社(小杖社 おづえのやしろ)とも称する」にしました。
朝7時前の境内には人影が見られません。帰り頃にやっと一人にお会いしました。たった一人深閑とした雰囲気の中で敬虔な?お参りが出来ました。
少し奥まった下戸山集落、地元の方々が中心のお参りなので出足が遅いかと思いました。
この小槻大社は小槻氏の祖師を祀る社でこの地域の核となってきた神社です。大野木さんの細密な画像にある通り本殿は重要文化財指定です。
中世、土豪の青地氏が当社を崇敬し、1281(弘安4)年記のある宮殿を奉納。四脚門・現在の本殿をも再建しています。
この地域は南部の山地から流れ出る金勝川と草津川に挟まれた丘陵地の先端部に当たり、かつては琵琶湖や湖畔に広がる平野部を一望できた小高い場所で要衝の地でした。JR草津駅から大社までは約2㎞の距離ですが、この区間には、古代から中世〜江戸までの歴史につながる遺跡が多く残っています。
遺跡が集中するのは、草津駅から約1kmの旧東海道を過ぎたあたりからです。順番に並べて行きます。
旧東海道 草津宿を石部宿に向かって出発し、目川を過ぎた間もなくの所(岡)です。
地山古墳
未調査 5世紀後半 直径58mの円墳 周濠がある 近くに2〜5号墳が並ぶ
岡村城跡
足利尊氏に属した宇野氏の居城 東海道の監視役 その子孫は代々小槻大社の榊本衆を務め、今も小槻大社の神職を担っておられます。
岡遺跡
近江国栗太郡衙 8世紀前半から9世紀末頃まで 役人に起用されるのは地元の豪族家から選ばれ、一族に世襲された。小槻氏も担った。
若宮神社
小槻大社の御旅所 滋賀県選択無形民俗文化財指定の「小杖祭りの祭礼−小槻さん踊り」が舞われる 岡遺跡に隣接している。
佐々木高綱塚跡
岡遺跡に隣接する工場敷地内にある 近江国を400年間守護として牛耳った佐々木一族の22代目 佐々木時代は六角が信長に討たれて終焉となった。
下戸山古墳
小槻大社の鳥居傍の墓地に接してある 未調査 全長約60mの帆立貝式前方後円墳 6世紀頃築造 首長墓
小槻大社古墳群
未調査 古墳時代後期 横穴式石室を持つ群集墳。大社を祀る小槻一族の墳墓。
これら遺跡は一見バラバラに見えますが、説明文を呼んでいると記憶がよみがえり、つながりも分かって思いが新たにでき楽しい時間でした。
夜明け
7時30分過ぎに日の出が始まり、8時過ぎには空が明るくなりました。
さらに足を延ばすと、小槻神社が、小槻大社から約1.5㎞離れた草津の志津・青地にあります。
この両社に共通するのは、いずれも祭神は於知別命。於知別命は栗太郡一帯に勢力を持っていた古代豪族小槻山君の祖神とされています。
小槻山君は栗太郡の郡司もしくはそれに準ずる地位にあった有力豪族で、後に本拠を京都に構え、中央官人の道を歩み、明治維新に至るまで宮廷官僚として活躍しました。
小槻神社
960(天徳4)年、志津池の辺に遷座したことで「池宮」とも称されます。中世は土豪青地氏の崇敬が篤く、神輿の奉納や社殿の再建、寄進を行いました。
小槻大社・神社共に青地氏の崇敬の篤さがわかります。青地氏はその出身から小槻大社・神社とは関りが深く、祭祀権を独占していたようです。
部田古墳群
小槻神社境内周辺にも古墳が7基ありましたが青地城築城時に壊され、さらに石室の石材が1881(明治14)年の本殿造営の際に石垣に転用されています。
志津にあった青地城は、鎌倉から室町時代にかけてこの草津・栗太地域を治めた青地氏12代の居城。現在跡地は志津小学校となっています。
青地氏の祖先は小槻氏から出ているとされ、近江守護佐々木氏の支流馬淵基綱が青地氏の養子となって後を継ぎ、その子河内守忠綱が初めて青地城主となり、子・冬綱は近江源氏七騎の一とされました。
その後も、青地氏は佐々木六角氏の重臣として湖南地方に大きな勢力を有していました。1568(永禄11)年の信長の侵攻に際し、信長方に下りましたが、その後は数奇の運命を辿り、最終的には加賀前田家に身を寄せ、子孫代々加賀藩士として明治維新を迎えました。
志津には今も青地氏の末裔と思われる人たちが在住されています。
大社・神社から約4km離れた、祭神の異なる大宝神社(JR栗東駅に近い)にも青地氏は寄進しています。小槻一党がこの神社の神主を世襲していました。
栗東周辺には80数箇所の古墳の存在が確認されていますが未調査で、その解明に期待すると共に、身近に歴史を感じる証が多くあることを喜んでおります。
今年の正月を迎えて最も驚いたことは、古希を迎えたことになると初めて友人からの賀状で知らされたことだった。
古希は70歳のことだが定めによれば数え年でみた70で、改めて落ち着いて数えて見ると今年の正月で確かに数え70だ。エッと思ってしまう。
祝うべきなのかもしれないが、正直なところピンとこない。
同期ではもちろん生き残っている人がまだまだ多数を占めていて、杜甫のいうように「古来稀なり」とはとても思えない。
年末に患ったタチの悪い風邪がやっと治りかけてはいるが、何故か心臓に負担をかけているようで、アルコールは一切飲む気がしない、お屠蘇も今年はなしとする、こんな風に体が劣化していくのを感じるのが古希らしいといえばそうだ。
いつものように初詣と、孫達と連れ立って近くの御子神社(安徳天皇ゆかりの神社)に歩いていく。
初詣しても神に誓う言葉などとんと浮かんでこない。
初日の出も建物に囲まれた街中では見える場所が少なくてうまく見えない、何だか有難くない。
いつもの正月が少しずつ色褪せてきたような感じがしている。確かに古希なのだろう。
正月だからいいこともある。
1月も3日に月のそばに火星が見えるというので日没後南の空を見上げると、上弦の月の下に確かに火星らしい惑星が見える、福岡に来て初めて火星を見た気がする、街中では見えにくいし土台福岡の冬の空はカラカラの関東と違って湿っていて星は見える気がしない。この日は正月らしく星が見やすい空になっていた。なんだかいい。
4日夕方の空には久しぶりに彩雲も見た。
8日には近くの公園の藪で初めてのヒクイナをじっくり見ることができた、これは珍しい。すぐ南の油山ではかわいいルリビタキも見たし鳥見の滑り出しも上々だ。
空を眺めても、鳥を見ても、いい正月といえばそうだ。
今年はどんな年になるのだろうか、世の中は何やら波乱の多い年になりそうで、それを鳥でも見るようにのんびり眺めて過ごせばいい年になるやもしれない。
地名や人名の読み方には神経を使う方である。間違うのが嫌だし、読み方が分からないとローマ字表記ができない。
昔から何回も行っている明日香村の大字名を日本郵便で調べて、明らかな間違いが二つ、怪しいのが二つ見つかった。
日本郵便の読みは非常に権威があるとされているから、これは驚いてもよいだろう。
栢森は、土地の人は「カヤノモリ」と読んでいるのに、日本郵便では「カヤモリ」である。念のため、明日香村に問い合わせたら、やっぱり、「カヤノモリ」だった。
ただし、地名の正式な読みは存在しないと言い切る人もいるから、その土地のほぼ全員が使っている読みということである。
現地の交通標識は「カヤモリ」だが、縄掛神事の説明ではローマ字表記の通り、「カヤノモリ」である。
阪田は日本郵便では「サカダ」だが、明日香村では皆が「サカタ」と読む。
大原(オオハラ)の里や大原(オオハラ)神社で知られる小原は、日本郵便では「オオハラ」である。別に大原(オオハラ)という地名があるのだから、同じ読みにするのはあまりにも不自然である。
万葉文化館の人に聞いたら、小原の読みは「オハラ」だった。ところが、大原の里の現地説明版には小原(オオハラ)としている。日本郵便の権威に負けたのかな。
それから、次は雷の丘のある雷の読みは日本郵便では「イカツチ」と濁らない。雷の信号には「Ikazuchi」と明記されているのに。これは土地の人に聞いてないので、よく分からない。
もっと細かいけど気がついたのは明日香村八釣の金鳥塚古墳は、奈良県遺跡分布図の説明では桜井市になっている。
明日香村の立石には非常に興味がある。石質(花崗片麻岩)は同じでもそれぞれ特有の形態があって、昔人が何を表現しているのか不思議である。
甘樫坐神社の盟神探湯(くがたち)の説明板には、「立石と呼ばれる謎の石はこの豊浦のほか、村内の岡・上居・立部・小原などにも残っています。」とある。
この説明は多くの人がネットで引用しているが、「小原の立石」を実際に見たとの報告は無い。明日香村に問い合わせたが、いまだ返事がない。小原の立石は謎中の謎である。
豊浦、岡、上居、立部の立石はちゃんと存在しており、形態はさまざまである。
年を重ねると共に自分自身が鈍感になったのでしょうか、振り返ると2016年の取材では感動したことが少なかったようです。
あの場所は素晴らしかった、また訪ねたいと強く思う所がなかったということです。
とは言いながら、思いの残っているところを訪問が早い順に挙げると
3月にでかけた東京神田須田町の一角に老舗が昔のままの佇まいで残っていました。
戦災で焼けずに残った貴重な建物たちです。これからは東京という日本の中心で経済性という難敵に打ち勝てるかどうかが将来もこれらの建造物が残るかどうかが懸かっています。
心残りは、取材時どこにも入店せず、その味を確かめてないことです。
次は安曇野の桜です。ここは見事な桜が多いにもかかわらず観光資源として活用していません。
元々アルプスに隣接する風光明媚な地で、桜を利用しなくても観光事業が充分に成り立っているのでしょう。
そのためか観桜の施設は駐車場も含め何もありません。道端に車を止め、人に迷惑が掛からぬ様、バタバタと観桜するしかありません。
でも、桜は見事です。長野まで出かけて見る価値ありです。
7月に訪問した愛知県の犬山城と明治村もなかなかでした。特に明治村はもっと時間をかけて撮影したいところです。
この時は、一泊二日でこれ以外に伊勢神宮も訪問し、往復1,000km超のドライブで「老骨に鞭打つ」感がありました。
暑さで明治村ではあと一歩で熱中症というところまでいったのを記憶しています。
そして、明治村の文化財の多さには圧倒されました。入場料でこれらの文化財が維持管理されながら、観光資源として活用され経済的にも成り立つなら文句はありません。
同じく真夏にでかけた益子参考館、濱田庄司の工房でその作品も多く展示されています。
8月の暑い時で私以外誰も見学者はおらず、静かにゆっくりと撮影・見学ができたことが心に残った理由かもしれません。
蝉の声を聞きながら、偉大な陶芸家の作品に触れる機会などそうそうあるものではなく、芸術的かつ文化的な欲求も満たされたのだと感じています。
最後がなんと横浜山手の洋館街です。神戸の北野には負けますが、それでも十分に散策が楽しめます。
中華街でチョッピリ豪華なランチをしてから、港の見える丘公園を経て山手洋館街散策なんて、最高のデートコースでしょう。
ここのすごいのは、全館入場無料なんです。横浜市は太っ腹です。
全館廻ると結構歩きますので、そこそこ覚悟が必要です。重要文化財の外交官の家が現在修繕工事中で今回見学できなかったことが心残りですね。
こんな2016年ですが、一番のトピックスは撮影機材がα6300に変わったこと、そしてジンバルを導入したことでしょうか。
まだ十分使いこなせておりませんが、三脚を持参せずに動画撮影ができるのは体力ダウンの私には大変ありがたいツールなのです。
α6300はAPS-Cサイズの撮影素子ですが、その画像には満足しています。軽量なのは何よりもましてありがたいのです。
しかし、ジンバルはその取扱いが難しいです。ジンバル本体の設定も満足なマニュアルがありませんし、カメラの取り付けもそのバランス取りが難儀です。
しかも、レンズが変われば、シューの取り付け位置からすべてがやり直しとなり、なんともやっかいな代物なのですが、撮影できる動画は今までと違い動きのあるもので、とても新鮮な思いがします。
今年の課題はジンバルとα6300を使いこなすことになるのは間違いありません。来年1月のウェブマガジンで「ジンバル、身につきました。」と報告できるように頑張りたいと思っています。
■ 蒲池眞佐子
あけましておめでとうございます。
一年が過ぎるのが早いです。ちょうど1年前に、私は眼内レンズの手術をするのにドキドキしていたのです。
なんとなく見えにくくなってきたなーと思っていたところ、手術が必要ということで、踏み切って両眼の手術を行いました。
ところが、眼帯を取られたときの感動はすごいものがありました。世の中ってこんなにきれいだったんだ、空ってこんなに青かったんだ、そんな感じでした。
ブラウン管テレビが4Kテレビになったような感じです。
人間は年をとると青の色の認識する力が弱くなるようで、白内障の手術をした女流作家も世の中が青くなった、と言っていたそうです。
私の見ていた世界と人が見ていた世界がこんなに違うものか、と改めて思ったものです。
もちろん若い人と年配の人とでは見ているものも違うんでしょう。
そう考えると写真を撮るときも、この色は本当なんだろうか?とも考えてしまいます。
しかし目を取り換えるわけにはいかないので致し方ありません。
せめて今年はよりわかりやすい写真を撮るように、頑張ろう。
今年もどうぞよろしくお願い致します。
■ おばちゃんカメラマンが行く 「なんじゃこれ〜」 @栃木県塩屋町佐貫石仏 事務局
明けましておめでとうございます。
「なんじゃこれ〜」シリーズ、今回は新年おめでたいところで亀の子岩を選んだ。
佐貫石仏は国の史跡で有名だが、その岩山を登ったところに亀の子岩がある。
写真で理解できるかどうかは不明だが、大きな山の端に亀の甲羅型の岩とそれを支えているような首と頭の岩が合体し亀になっている。岩をのぞき込むだけでも足がすくむ。明らかに浮いていてちょこんと乗っているのがわかる。
地元の人は小さい頃よく山に登り、亀にまたがったと言っていたが、ぐらぐらしてそうで今にも落ちそうだ。「危険登るな」などと野暮なことが書いていないところを見ると、事故はあまりなかったようだ。
亀の子岩といえばもう一つ思い浮かぶのが福島県川俣町の秋山の駒桜だ。
桜の裏山にある奇岩だが、遠望すると、天然記念物の桜の海原を陸に向かって亀がゆっくり登っているように見える。
「なんじゃこれ〜」と思うと同時に前者に比べれば少しほっこりする。
3.11の地震でもびくともしなかったらしい。
どちらも今のところ落ちない縁起の良い亀ということで受験生に人気が出そうだ。
・・・しかしよく見ると、塩原町観光協会の看板の奇岩の字が寄岩になっているではないか〜〜(@_@) これに気が付かない受験生、要注意!
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Japan Geographic Web Magazine
Editor Yukinobu Takiyama
yuki at .jp (Replace at to @)
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