Top

Monthly Web Magazine (Dec.1, 2009)

■■■■■■ 編集ボランティア募集中 ■■■■■■ 

ホームページやビデオの編集、DTP作業をお手伝いください。

■■■■■■ 11月の新着情報 ■■■■■■ 

New contents in Nov. 2009

■■■■■■ 11月の推奨レポート ■■■■■■ 

Choice of this Month

日向市 大御神社 

Miyazaki Hyuga city Oomijinja

 

堺 南宋寺

Nanshuji Temple, Sakai, Osaka

 


飯豊地方 温身平の黄葉

Iide 

 


十日町の棚田

Tookamachi Tanada

 


会津若松 七日町

Aizu Wakamatsu Nanokamachi

 


野洲 兵主神社

Yasu Hyozujinja

 


函南 柏谷横穴群

Kannami Kashiya yokoana

 


■■■■■■ 今月のトピックス ■■■■■■

Topics of this month

■■■ 「晩秋の文化的景観」 瀧山幸伸

Scenes from typical geography in Japan -- deep fall season.

10月はすがすがしい秋だったが、11月に入り秋も深まってきたと感じるのは、なぜだろうか。

「目には青葉 山ほととぎす 初がつお」の、視覚、聴覚、味覚の季節感に対比して考えてみたい。

視覚的には太陽光の色温度が低く、全ての風景が暖色に染まり、さらに紅葉の照り返しがそれを加速する。

私の場合、記録撮影を重視しているので、カメラのホワイトバランス設定をほとんど常時太陽光(5200K)に設定している。

この時期の日の光は日中でもかなり、朝晩には特に激しく陽光の色温度が落ちる(赤みを帯びる)。

弱い太陽光を浴びる被写体が、古民家の暗い背景で囲炉裏の火に照らされるような温かさを演出し、えもいわれぬ情感を醸し出す。

逆に、日陰の被写体は色温度が高く(青みを帯び)、体の芯まで夜空の寒さに震えるような印象をもたらす。

聴覚的には、鳥の繁殖期ではないので鳴き声が違う。葉が少ないので遠くの水音がよく聞こえる。風に擦れる紅葉の葉は青葉とは違い乾燥した音を奏でる。

味覚については明快で、考察するまでもない。嗅覚については、枯れ草の匂い、刈り取られた田の匂いに明らかに秋の香りが感じられる。

触覚(皮膚感覚)については、現地での肌寒さが晩秋を現実のものとして伝える。

11月の調査対象について、特に五感に晩秋を訴えるものを紹介したい。

十日町の棚田では日に照らされた世界と日没後の蒼い世界の両極端を体験することができた。稲刈り後のこの時期しか見ることができない光景である。

水を張った天水田に写る紅葉は印象派の絵のように一瞬の出来事。

夕暮れ後の星峠は闇夜の世界。長時間露光で浮かび上がったダークブルーの棚田と背景の山の向こうに拡がる長岡上空の人工照明の照り返し。

自然に溶け込んでいる自分がアリや雑草と同じ存在のように思えた。

11月初旬は日光へ。昨年は奥日光の紅葉を楽しんだが、今年は世界遺産地域の日光の寺社の一部を夜のライトアップと朝昼夕の光景の対比で調査した。

結論としてわかったのは、日光の素晴らしさは視覚だけではないということ。

もちろん紅葉やライトアップや建築の美を否定しないが、観光客がほとんど来ない文化財周辺で時間を忘れて立ちつくす理由は、聴覚に訴える環境音のすばらしさだ。

余談だが、幸運にも、最近修復が完了した三重塔の内部を拝観することができた。

さらに余談だが、日光近辺には聖地が多い。ここ、佐貫の磨崖仏は生半可な気持ちで訪問してはいけない。何がどう素晴らしいかも文章にしない。

さらにさらに余談だが、日光杉並木を、鹿沼市境から日光山内までほぼ連続で動画撮影した。4年前の撮影と比較し、どう風景が変わったのか興味深い。

妻籠脇本陣の旧林家では、この季節だけ、日差しが格子窓を通って土間に届く。

囲炉裏の煙が立ち上り日光のスリットに乱舞する。静と動、陰と陽のコントラストに息をのむ一瞬、それが多いなる感動をもたらす。

妻籠の街並は早朝や夕暮れ時は静かで美しいが、休日の日中はかなり騒々しい。軒下に干し柿が下がり、これも晩秋の風物詩だ。

近くの小黒川のミズナラ、天然記念物の大樹は山深い水源地区の素晴らしい環境で数百年を過ごしている。全くもって世俗の雑音が無い。人々の信仰を担ってきた祠が神々しい。

中央構造線に沿った秋葉海道沿い、遠山郷の下栗は日本のチロル。

夕暮れ寸前に光り輝く南アルプスの頂きと眼下の深い谷底の闇。

その温度差もさることながら、谷底から沸き上がる清流の音も心地よいが、翻ってこの地の急傾斜に生きてきた人々の労苦を思うと感動を禁じえない。

子どもたちはこの急坂をどうやって通学していたのだろうか。

いわきの白水阿弥陀堂は日本五大阿弥陀堂の一つ。うち、様式の異なる平等院浄瑠璃寺を除いた方形の三大阿弥陀堂は、ここと中尊寺富貴寺

訪問日は快晴で紅葉の盛り。浄土式庭園の水面に映る姿はまさに現世の極楽浄土であった。居合わせた多くの老人が「葬式写真に」とここを背景に撮影しあっていた。

勤労感謝の日の三連休は滋賀と京都へ。ただし京都市内の混雑を避けた。

滋賀で寺院建築、仏像、紅葉、石段の名所といえば、湖東三山(西明寺金剛輪寺百済寺)と湖南三山(常楽寺善水寺長寿寺)。

酒臭かったり大騒ぎしたりの場違いな団体観光客に森閑とした空気は汚染されているが、この時期にしか拝観できない文化財もあり、やむを得ない。

ただ紅葉は信心あるなしに関わらず誰分け隔てなく感動を与えてくれる。

そして金剛輪寺、雨が上がり、夕方の日差しをスポットで浴びる三重塔前の紅葉が光り輝く姿はこれまた極楽浄土からの乗り物がやって来たかのようであった。

西明寺三重塔の内装はまさしく現生の極楽浄土。これを拝観せずして何を目的に来訪するというのか。

京都大原野の善峰寺へは早朝に訪問。一面朝霧に包まれていた。

JR東海のキャンペーンが功を奏し、この寺も隣の光明寺も訪問者でひしめき合うが、救われたのはこの霧のおかげ。

やはり日本美は霧や靄に依存するところが大きい。

鉄道会社の宣伝のような派手な全山紅葉のパノラマは見られなかったが、かえって奥ゆかしく、実に気持ちが良かった。京都と大阪を遠望する雄大な景観は犠牲になったが。

今年の紅葉のおそらく最後になるのは栃木の黒羽、雲巌寺だろうか。

芭蕉が訪問した由緒ある寺だ。黒羽に14日間も滞在した城下町黒羽は今となっては往時の姿が夢の跡。芭蕉は今の姿を見たら何と詠むだろうか、黒羽城跡付近のさらなる整備が望まれる。

ということで、ここにて詠める歌。「枯葉散るいにしえ人の夢のあと」

芭蕉公園の竹藪に散る枯葉のかさかさしたリアルな音をビデオで鑑賞して臨場感を味わってほしい。

■■■ 「下関のふく笛」 高橋久美子下関ではふぐのことを「福」にかけて『ふく』と呼んでいます。

これは商品の販売や、地域活性のための話題作りかと思っていましたが、下関の友人も会話で普通に「ふく」と言っていましたから、ごく一般的のようです。

「ふく笛」の誕生の由来は、昭和10年有志で「下関郷土玩具愛好会」を結成。民芸誌「河豚笛」を創刊する。

その中で創作玩具について発表し、ふぐ笛のアイディアを掲載したとのこと。

その後、具体的な形にされ、発売したということでしょう。

くりくりした大きな眼が可愛いですね。

■■■ 「倉敷仏間の額」 野崎順次

これは倉敷市の家の仏間で見かけた書である。

誰の書で、どうしてそこにあるのか、今まで分からなかった。

ところが、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読んでいて、日露戦争直前の英国公使として日英同盟締結に大きく寄与した外交官であったことが分かった。

林董(はやしただす)と読む。名前は菫に似ているが、草冠の下に重と書く。

1850年4月11日(嘉永3月29日)下総国佐倉藩の蘭医佐藤泰然の子として生まれ、後に幕府御典医林洞海の養子となる。

横浜ヘボン塾で学び、1866年幕命により英国に留学した。

帰国直後に榎本武揚率いる幕府脱走艦隊に身を投じ、函館で捕虜となり、禁錮に処される。

その後、英語力などが認められ明治政府に誘われ、外務大臣、逓信大臣など要職を務めた。

壬子(みずのえね、じんし)は1912年で、明治天皇が亡くなられた。

7月30日までが明治45年、それ以降は大正元年となる。

従って、壬子四月は明治45年4月である。ちなみに4月15日はタイタニック号が沈没。

貞風凌俗(貞烈の風、群俗を凌ぐ)は、「愚直なまでにおのれの生き様を首尾一貫させる節義の人物がよい」という意味合いで、次の中国古典に基づいている。陶淵明『夷齎』 読史述九章 ① 晋

二子譲国。相将海隅。 二子国を譲り,海隅に相将き

天人革命。絶景窮居。 天人命を革め,絶景に窮居す

采薇高歌。慨想黄虞。 薇を采り高歌し,黄虞を慨想する

貞風凌俗。爰感儒夫。 貞風凌俗を凌ぎ,爰に儒夫を感じせしむ伯の夷と叔の齎とが国主と為ることを互いに受けず,行動を共にし海隅に走る,この時に当り,殷と周とが戦い,殷が亡び,周が興る,夷齎の二人は君臣の道を説き諫しめるが用いられず,絶景の窮居に処す。

此の地で薇を采り食し高歌し,世の衰えるを悲しみ黄虞の世を慨想し,遂に餓死して周の粟を食はず,その貞烈の風,群俗を凌ぎ,千秋万古儒夫を感じさせる。

林菫は若い頃、落ち目になった徳川幕府を裏切ることなく、その残党とも云うべき榎本艦隊にあえて加わった節義を晩年までも大切に思っていたのである。

翌年の大正2年(1913年)に死去、青山墓地に眠る。

■■■ 「円空・木喰展」 中山辰夫 「円空・木喰展」に行ってきました。 

2009年11月7日(土」〜11月29日(日) 美術館「えき」KYOUTO【JR京都駅下車、ジェイアール京都伊勢丹7F隣接(075・352・1111)】にて開催

円空と木喰は、全国を巡る行脚僧として布教活動をしながら、独創的な仏像や神像を彫り歩いた。

庶民との交流を通して彼らが彫った木像の多くは庶民の信仰の対象として守り伝えられてきた。

この展示会では、円空・木喰がたどった土地に今もなお、守り伝えられる仏像や神像と資料、約200点をとおし、時代を超えて人々を魅了する二人の造形を紹介する。

(パンフレットより) 

(小島梯次氏選出の200体が陳列されています。撮影不可)

これほど多くの作品を見たのは始めてです。

会場に入った瞬間から、雰囲気にのまれました。

単なる木彫りではなく、間違いなく仏像です。

古いものでは300年近くの間、敬われ、守られてきた歴史が、作品と一体となって独特の味わいを醸し出していました。

全国に散在しており、まとまった展示を見る機会がありませんでした。一見の値打ちがありました。

京都「円空 木喰展」ポスター

岐阜県羽島市 円空 ポスタ− 羽島市竹鼻町55 羽島市・羽島観光協会 058−392−1111

富山市 猪谷関所舘ポスター 富山市猪谷978−4 076−484−1007

関市 円空舘ポスター三重県関市池尻185 0575−24−2255

円空美術舘ポスター 岐阜市大宮町2−17 0582−66−4556

善女龍王(龍天太神)部分 円空 富山県 光厳寺蔵 富山市五番町7−37

制多迦童子、不動明王、矜羯羅童子 円空 栃木県 清龍寺蔵 栃木県日光市中尊寺 0283−55−0013

子安観音菩薩 木喰 愛媛県 光明寺 愛媛県四国中央市中乃庄町

不動明王 木喰 新潟県 個人

■■■ 「四国漫遊記」 川村由幸

11/9〜11までの三日間、四国の東側を旅行してきました。

羽田7:40一番のANA高松空港へ、そこからまっすぐレンタカーで高松港に向かい小豆島行きのフェリーに乗船しました。屋島を右手に見ながら小豆島にむかいました。

内海の瀬戸内海ですから波もなく、快適な一時間の船旅でした。

小豆島上陸はちょうど昼、まっすぐ上の画像の日本料理「島活」さんに伺い新鮮なお刺身を堪能しました。

小豆島では、先ず寒霞渓へ。曇空で紅葉の色が今一つでしたが、それでもその美しさに目を奪われました。

麓の駐車場からケーブルカーで山頂に向かうのですが、このケーブルカーから見る紅葉が最高です。

次に中山地区にある農村歌舞伎舞台と棚田に行きました。

十月にはこの舞台で地元の方々による歌舞伎公演があるそうです。

役者のいない舞台はひっそりとしているものの幽玄な雰囲気を漂わせていました。

棚田は全部で800枚ほどだそうです。

稲刈りの済んだ棚田には歌舞伎舞台同様、人の気配もなく静かで、観光客も我々だけでした。

一泊目は小豆島の苗羽地区にある島宿「真理」に宿泊しました。部屋のお風呂も温泉です。

食事は醤(ひしお)料理といってお醤油やもろみを使った特色のあるものでした。

2日目のスタートは徳島県美馬市の脇町から。

ここは「うだつ」の上がった家々が続き美しい町並みを形成しています。

ここも観光客はほとんどおらず、静かにそしてのんびりと景観を楽しむことができました。

ただ、観光客が少ないとこの伝統的な景観の維持・管理には大きな苦労が伴うことだろうことを心配します。

三好市西祖谷のかずら橋は雨でした。雨に濡れた橋を渡るのは勇気のいるものでした。

谷底が丸見えになるほどに粗い木組みの上を歩くのは、かずらの欄干に捕まらないと不可能です。

二泊目は高知の「オーベルジュ土佐山」。

宿がすごい山奥で向かう道がとても細く、暗くなって車を走らせると不安が頭をもたげてくるほどでした。

ヴィラという離れ形式の部屋に宿泊しましたが、その夜に大雨が降りその音で寝付けないほどで、傍の清流の氾濫を心配するほどでした。

3日目は、高知から室戸岬まで100kmを一気に移動。奇岩の続く岬の海岸を散策しました。

岬のあとは同じ室戸市の吉良川に立ち寄りました。

土佐漆喰を守るために水切瓦が家の壁に取り付けられているという特異な外観の家と「いしぐろ」と呼ばれる石を積み重ねただけの塀のある古い街並みです。

ここも観光客など我々以外おらず、地元の方に水切瓦の役割など説明していただきました。

高知に戻り、桂浜へ。竜馬の像を上の画像のような角度で見ることができました。

像の隣に櫓が組まれており、それを登って竜馬像を観察できるようになっています。

最後にここ高知城に立ち寄り、高知竜馬空港から羽田に向かいました。

高知城は、改修中で天守閣には登れませんでした。

木造の城として現存するものは数少ないとのこと。

今年から来年にかけては、NHKの「坂の上の雲」に代表されるように四国にスポットが当たっています。

皆さんもおでかけになってはいかがでしょう。

■■■ 「佐世保 隠れキリシタンの陰影」 高橋明紀代

ホテルから眼下に臨む佐世保湾と佐世保湾の夕日です

黒島

黒島へは、佐世保から松浦西九州線で相浦(あいのうら)駅で下車。

相浦から、予約してフェリーで向かいます。

黒島内には公共交通はないので、マイカーでない場合は私のように事前にタクシーで、こちらも予約が必要です。

黒島では、カトリック信者で民宿の経営をするおじさんが島内のガイドをしてくれました。

いまも島民の8割が敬虔なカトリック信者とか。

いまも島の信者が埋葬されている墓地、教会、信仰復活の地など、最終の帰りのフェリーまで約2時間があっという間に過ぎました。

翌日バスで西海パールシーリゾートへ向かい、九十九島クルージングにでかけた。快晴でクルージング日和であった。

船は白いPARL QUEEN。小型ながらきれいな内部。

月曜日であったが、ほぼ満席で中には台湾や韓国からの観光客のカップルや家族づれもいた。

デッキでシャッターを押していると、寒くて、すぐ船内に入りたくなる。

船の揺れが大きく、バランスを取るのが意外にむずかしかった。

佐世保駅前にある三浦町教会教会内は、訪れる人もなく静まりかえっていたが、隣接する幼稚園の庭から、子どもたちが元気で飛び回っている声が聞こえていた。

■■■ 「熊本城 本丸御殿」 小出正

九州へ旅行し、昨年復元工事が完成した「本丸御殿」大広間(対面所)、数寄屋(茶室)、大台所を見る機会を得ました。続く

■■■ 「浄土平」 及川政治10月31日、もう2〜3日で冬季閉鎖に入るという山形の姥湯温泉に行って来ました。

そのついでに寄ったのが、磐梯朝日国立公園の浄土平。

吾妻小富士という山というか、外輪山の周囲をエッチラオッチラ歩いてみたのですが、その景色はある種、地獄のような風景でした。

コースのところどころには石が積み上げてあるし、火口を覗き込むと吸い込まれそうだし…。

付近は硫黄のガスが噴出しているので、要注意です。

温泉を堪能した翌日、今度は「峠駅」という名のヘンチョコリンな駅を見つけました。

これでも奥羽本線の駅で、山形新幹線も通過するようなのですが、ご覧のように全体がバラック状に覆われていて、無人駅になっています。

しかも、線路の一部はこの中で行き止まりになってるし。

面白がって写真を撮っている間、1回も列車は通りませんでしたが、山形新幹線通過時には、カメラを抱えた「てっちゃん」たちだらけになるのでしょうね。

■■■ 「高崎達磨寺洗心亭」 酒井道夫

ブルーノ・タウトの残した諸々の資料が高崎の創造学園大学に行っている関係で、時々ここを訪れるというご縁が生じてから、もう何年くらいになるのだろうか? 

そうこうしているうちに、例のノリピーがこの大学に入ったということで、またエラい騒ぎになっている渦中の11月24日。

午前の授業2コマを担当すべく出向きました。

幸か不幸か、ノリピーとの遭遇はかなわなかったものの午後がすっかり空いたので、初めて少林山達磨寺を訪ね、滞日のタウトが過ごして喘息をこじらせたと言われている洗心亭をちょっとだけ眺めました。

これまで良く見かけている写真では、遥かな眺望に恵まれた斜面に立っ少亭ですが、今では周囲に潅木が生い茂り、亭そのものすら枝間を掻き分けてのぞき見るといった風情になっていました。

少林山そのものはすばらしい紅葉の季節でしたが、生憎の曇天で残念。

帰宅して我が家の庭の紅葉に初めて気付いたけれども、今年はどこも紅葉が奇麗なのかしら? 

はたまた、歳のせいで紅葉に敏感に反応しているのかな?

■■■ 「杉並区の黄葉」 鈴木貞一

家の前の銀杏が黄色に色づきました。

青梅街道の街灯でライトアップされ、とても綺麗です。

■■■ スライドショー 柴田由紀江

こんにちは、歌うたいで餃子が主食の柴田ですヽ(^o^)丿

実はわたくし、ここからの1カ月が1年で最も忙しい時期なのでした。

そんな訳でして、撮り溜めた写真の整理をする時間がとれず、今月のマンスリーウェブマガジンにはまたもや手前味噌なスライドショーを投稿させて頂きます。

■■■ エッセイ 柚原君子

俺猫。外に出たことがない猫、つまりニート猫。どこかの人間のように挫折をしたから世間に出ないというわけではない。

俺の辞書に挫折はない。時に失敗はあるが、それは良く眠って忘れるのみだ。

猫は外に出すな!という掟が俺のかぁかぁ(飼い主のおかあちゃんのことだ)にあるらしいのだ。

外に出していけない理由は10万円の痛かった出費という経験によるそうだ。

なんでも以前の飼猫は外に出てもよい猫だったそうだが、

猫の額ほどとさげすみの対象となっている我ら猫族の貴重な狭さの額に、

野良猫という名前の猫に、喧嘩の挙句にかみつかれて大怪我を負ったのだそうだ。問題はここからだ。

その治療費が10万円もかかったそうだ。

かぁかぁは仏壇の裏に隠しておいたへそくりで、猫の額を縫う手術をしたそうだ。

額が狭くって10万円で済んだ、とかぁかぁは泣き笑いをしたそうだ。

以後この家で飼われる猫は10万円の不慮の出費を抑えるために外出禁止となり、猫ニート大歓迎となったソウダ。俺猫。猫背。

猫ニートとなって12年。時々はつまらなくなって背伸びをする。無理に猫背を伸ばしてみる。

一旦前足を伸ばしたあとに後ろ足を伸ばす。気持ちがよくってあごが出る。

あごが出るとニートの俺でも目線がちょっと上向いて遠くが見える気がする。

人間よ。行き詰ったらあごが出る。あごが出たらおしまいじゃないぞ。

あごが出たら目線が遠くに飛ぶ。遠くのものが見えるはず。遠くが見えるはず。あごが出ても頑張れ人間。

■■■■■■■■■■■■■■

Japan Geographic Web Magazine

/

編集統括 瀧山幸伸

■■■■■■■■■■■■■■ All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中