MONTHLY WEB MAGAZINE Dec. 2012
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トピックス
今年の紅葉は何処も美しかったが、一番はと聞かれれば、西行ゆかりの「花の寺」の別名を持つ勝持寺を挙げたい。
西行ゆかりの地には思い入れがあること、訪問者が少なく静かであったこと、境内が広く、高台にあり、のびやかな環境だったこと、仏様が心静かに拝めたことなども良い印象につながったのだろう。
二番は? 桜と紅葉が一度に楽しめる城峰公園。青い空に赤、黄、緑と桜の白が映えて美しい。
今年は夏が高温多雨で、11月に入ると気温が下がり、紅葉が鮮やかになる条件が整っているといわれましたが、ふたを開けてみると盛りの季節に断続的に雨や強風に見舞われ、何かあっという間にシーズンが終わったような気がします。
色づきそのものも不作の昨年よりはいいのですが、一昨年と変わらないような感じでした。
11月からの撮影で、色づいた葉が入っているものを集めてみました。
11月7日 御池通、鴨川
11月10日 鍬山神社、出雲大神宮、春日神社(南丹)、普濟寺、八幡山
11月23日 南丹市大河内、摩気神社、竹井の庄屋屋敷、安国寺、行永家住宅、金剛院
12月1日 毘沙門堂
12月2日 上御霊神社
12月8日 糺の森
地域差もありますが、例年よりも早く紅葉が始まり、早く終わったことがうかがえます。
今年の11月中頃からは天候が定まらず、紅葉狩に適した日が少なかったようです。鳥取・島根・京都・滋賀で各々2〜3ケ所ずつ観て廻りましたが陽射しがなく残念でした。
その中の1ケ所、大津坂本の西教寺(明智一族を菩提する天台真盛宗派の総本山)、陽射しはダメでしたが、紅葉の最盛時期に恵まれました。
この寺院の桜と紅葉は見事とかねがね聞いておりましたが、なかなかタイミングが合わず今回初めての紅葉見物でした。
参道
境内アチコチ
今回の西教寺訪問には別の目的、有名な「西教寺の菊御膳」を味わうことでした。
菊御膳
お料理全部に菊をあしらった精進料理です。
坂本では、『菊を食べないと秋を迎えた気にならない』と言われるほど「菊」が松茸や栗より身近な秋の味覚の一つとされています。
西教寺では、40〜50年前から鮮やかな色目と香り・シャキとした触感の(坂本菊)を使った菊御膳をこの時節のみ提供してきました。
この時期この地でしか味わえない菊料理のフルコース。食前酒からデザートまですべてに菊が顔を出します。
お料理全部に菊をあしらった精進料理です。
境内の紅葉をめでた後に戴くのも洒落たもの、紅葉狩と併せた秋の行楽を満喫できると宣伝し、集める客人は毎年4000人程にもなるという。
比叡山延暦寺の門前町として栄え多くの寺院をかかえる坂本では、古くから各家の庭や畑の片隅に食用菊を栽培していたようで、芭蕉の句には堅田で「菊なます」を食した際に詠まれた句もあるようで、江戸時代にはすでに栽培されていたことが伺われます。
食用菊で有名な東北地方とは違い、関西では食用菊といえば普通刺身のつまなどに一輪添えるぐらいですが、坂本では東北地方と同じように小菊や中輪の菊をおひたしや酢の物にして食べます。
坂本の食用菊は、東北地方で栽培されている「阿房宮」や「もってのほか」のように品種の名前はありませんが、いくつかの品種があるそうです。今では栽培している農家が少なくなりましたが、9月下旬より花が咲く早生から11月下旬に花が咲く晩生まで、また、花の形も小菊から中輪まで地域によって多々あるようです。
食用菊は主に畑で作るため病気が出やすく、連作を嫌い、最低4〜5年間はあけないと出荷できる花には育たないようです。
坂本の食用菊は、鮮やかな色、味、季節感、そして花を食べるという華やかさなど、現代にも受け入れられる多くの良い点もあり、歴史ある坂本の町が育て守らなければならない滋賀の貴重な伝統野菜といえます。
毎年12月になると年越し、新年の前にクリスマスの一騒ぎが待っています。
日本ではキリスト教の信者が多数を占めるわけではなく、宗教上のお祭りとしての意味合いは小さいものです。
それでも日本中が大騒ぎ、日本のクリスマスは商業上の需要喚起を目的して成り立っています。
そうして身の回りを眺めて見ると、小規模ではありますがクリスマスイルミネーションがここ千葉県柏市でも発見することができるのです。
結構家族連れが訪れて写真を撮影していて、私もシャッター押しを依頼されてしまいました。
小規模ではありますが、それなりに楽しめます。
ここは、つくばエクスプレスの柏の葉キャンパス駅に隣接したショピングモールにあるイルミネーションです。
買い物の後、お子さんと暗闇に浮かぶ光を楽しむには十分です。
もう一か所紹介しましょう。
JR柏駅のクリスマスイルミネーション、デパートのマークが写っていますので当然ですがここもショッピングモールにあります。
ひっきりなしに人が立ち寄り、カメラやスマホを構えて撮影されています。
暗い中の色とりどりの光は人を引き付けるものなのでしょう。
ただ、東日本大震災ー福島原発事故に続く逼迫かつ暴騰している電力事情を考えると心痛むものもあります。
個人消費の拡大が経済の活性化に有効なことは、誰もが承知。
このようなイルミネーションも消費の刺激になっていないとは言えません。
などと、いろんな思いが頭の中を横切りながらの撮影でした。
■■■■■ 時代を遡りながら西へ旅する 田中康平
このところ毎年暮れはクルマで北関東から走っていって九州の家で過ごすことにしているが今年はやや早めに12月の頭から移動を始めた。
勤めを終えて自由になったこともある。まだ上信越道の雪も大したことはあるまいと北周りの金沢を経由して行くルートで計画していたのだが、今年は寒さの到来が早い。
出発5日前になって上信越あたりがかなりの吹雪になることが見えてきてこれは無理かと金沢はあきらめた。かといって京都は紅葉で宿が殆ど取れず、結局去年と同じような奈良経由とした。
新東名も初めてだし東京さえ無事に抜ければ南回りも悪くない。新東名に入るとクルマの流れは順調だが海も見えずこの日は富士山も雲の中で景色が悪い。どこを走っているかよく分からず なんだか中国道のような雰囲気がある。サービスエリアは趣向を凝らしているが走る楽しみは何処か物足りない。飛ばすことに楽しみを見出しているクルマに時折抜かれるが、決まって覆面につかまっている。スムーズな移動のための機能は十分果たしているので不満に思うほうが贅沢なのだろうがなにか足りない。キラキラするものがない。文化的でないという感触はこういうことを言うのだろうか。
人工的で迫力のある名古屋湾岸辺りに来て元気のあったつい先ごろの現代を感じながら、四日市の先から25号線で天理に出る。
思ったよりも順調にきたので南に折れて直ぐ近くの石上神宮(いそのかみじんぐう)に行って見る。
記紀に記されている古い神社だ。現存の拝殿は鎌倉期の建立となって国宝だがあまり古さを感じない。奈良にくるとこれくらいは普通のようにも思える。更に古い時代の痕跡を求めて山之辺の道沿いに下り巻向に向かう。
巻向では古代都市の遺構がいくつも発見され邪馬台国ではないかといわれるがその論拠の一つの箸墓古墳を訪れてみる。
宮内庁管理で立ち入り禁止だから外観だけだが、3世紀にしては恐ろしく大きい。住宅街に小山のように迫っている。結構な土木技術だ。卑弥呼の墓といわれればそうかもしれないと思える。
横へ移動しながら時代を遡っていく、千数百年でもこれくらいのことかと思えてくる。進歩しているがまだまだ序の口なのだろう、今後1億年は続くかもしれない人類の歴史は始まったばかりといってもいいのだろう。
なにか行き詰まっているように見える現代も先の先を見渡せば大した滞りでもないのだろう。
旅することは少し目を開いてくれるように思えてくる、そんな感触がいい。
■■■■■ 欧州鉄道の旅、デュッセルドルフ・ルクセンブルグ・パリ その二 野崎順次
ルクセンブルグに二泊してから、10月26日昼過ぎにメッス経由でパリに行く。
ルクセンブルグ駅は20世紀初頭にドイツの建築家たちの設計に基づき、木造から石造に徐々に建て替えられた。メインの建物と時計塔はモーゼル・バロック様式である。中央ホールの天井画はルクセンブルグの画家、Armand Strainchamps の作品である。
ルクセンブルグからメッスへの切符は、
26日 12時55分発 列車番号86667 メッス着13時42分 セカンドクラス 指定無
駅での表示を見ると、4AB、すなわち、4番プラットフォームのA-B位置で待てばよい。
10分位早くそれらしき2階建て列車が入ってきた。待っている位置は列車の端である。入ってきたと同じ方向に進むなら最後尾車。反対に出るなら先頭車になる。直ぐに乗ろうかと迷っていたら、ドアが閉まった。が、列車は動かない。ドアの横のボタンを押せば開く。ここらは日本の田舎のJRと同じ。革ジャンのアンチャン風の男が来たので、列車を指差して「メッス?」と聞くと、あったりめーよー!と云う風に「イエース、メッス」と答えてくれた。一緒に乗り込むと、その男はためらいもなく、車掌室か運転室に入って行った。へーっ、一般人も入ってよいのか、と思ったら、何やら運転装置のチェックを始めた。何と、運転手だった。制服姿ではない。後で分かったが、車掌は制服を着ていた。
通路の反対側に上品なご婦人がおられ、咳き込んでおられたので、思わず「大丈夫ですか(Are you alright)?」と声をかけた。日本を出てからは lady first に徹していたので、すっかり「feminist」になっていたようだ。ただし、この3日後、関西空港でパスポート審査を待つ時、数人の大阪のおばちゃんに割り込まれてlady firstをやめた。
出発した列車は、最初はゆっくりだったが、2駅停まってから、牧場から工場地帯をガンガン走ってメッスに着いた。けっこう揺れるので写真が撮りにくかった。
メッス駅舎は驚くほど大層な建物であった。ドイツ人建築家クレーガーが手がけたネオロマネスク形式の代表作で、20世紀初頭建築の傑作とされているそうだ。
小腹がすいたので、ベーコン味ビスケットとサーモンサラダを立ち食いした。回りには移動中のフランス兵が沢山いた。
次の列車はフランスの誇る高速列車TGVである。切符の記載は、
メッス発 14時56分 列車 TGV 2672 17号車 33番席 パリ東駅着16時25分
中央コンコースの電光掲示板でプラットフォーム番号が出てくるのを待つのだが、TGVは大体決まっているようだ。一番近いフォームで17号車は直ぐ分かった。発車20分位前に席に着いた。最初、よく空いていたが、移動中の兵士(私服)が乗り込んできた。何やら落ち着かない様子で、上官らしい人がきょろきょろして指図している。兵士は指定席券を持たず、空いている席があれば座っていいようだ。若い兵士はトランク置場のスペースに座り込んだりしていた。結局、満席となり発車した。
しばらくは通常の列車と同じ速度だったが、町を抜けてしばらくすると、急に速度を上げてパリにまっしぐら。最初は古い在来線共用部で、途中から専用高品質軌道に変わったようだ。
パリ東駅(Gare de l'Est)に着いた。東へ向かう列車が発着するから「東駅」である。パリの東側にある駅ではない。フランス東部やドイツ、ルクセンブルク方面への列車が発着する。回りをきょろきょろしながら、身内の迎えを待った。
参考資料
Luxembourg City Tourist Office
フランス観光開発機構ウェブサイト
ウィキペディア「パリ東駅」
Japan Geographic Web Magazine
https://JAPAN GEOGRAPHIC/
編集 瀧山幸伸
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