Monthly Web Magazine December 2014
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おしらせ
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500点ほどの写真はほぼ全てジャパンジオグラフィックの通信員が撮影したものです。
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トピックス
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■■■■■ 瀧山幸伸
■ 四季桜の里
愛知県豊田市の小原地区には約1万本の四季桜がある。
春と秋に花を咲かせることからこう呼ばれる。
川見(せんみ)四季桜の里は全山紅葉と桜に覆われ、みごとな光景だ。
文政年間に小原北町の「藤本玄碩」という医師が名古屋方面から苗を求めて植えたのが親木となって広まったとされる。
三大冬桜の一つだが、桜のリストの中でも指折りの花見スポットだ。
■ 雨の紅葉庭園
紅葉は日蔭や雨、夜の姿も美しい。この秋は主に庭園の紅葉を愉しんだ。
天候が悪い日は人影もまばらでおちついている。
順に、 多賀大社 兵主神社 永源寺 金戒光明寺 真如堂 南禅院 平林寺
■■■■■ 紅葉狩とは… 大野木康夫
今年の紅葉は色づきが早く、色合いも総じて良かったのですが、11月下旬に強風の日が多く、思ったよりも早く散ってしまいました。
今年は東福寺や永観堂などの横綱級の名所をあえて外し、数を回るようにしました。
色づき方が場所によって異なっていましたが、それぞれの良さがありました。
多くの紅葉の名所を回っていると、食虫植物に引き寄せられる虫のようで、紅葉に心身ともに狩られているように思えてきました。
11月22日
11月24日
11月29日
11月30日
逆光や日没後の撮影に課題を感じましたが、おおむね満足しています。
自宅の秋
■■■■■ 5年に1度の八女津媛(やめつひめ)神社の浮立 末永邦夫
八女市矢部村大字東部北矢部字神ノ窟に「八女津媛神社」があります。
祭神は、景行天皇筑紫巡幸の頃、八女東部一帯を治めていた八女津媛神であり、養老三年(719年)の創建と伝えられています。
この浮立がいつ頃から始まったのか詳らかではありません。
全く文献がないため時代や人物などについては不明ですが、踊りや服装からして、神仏混淆の時代であり、平安朝の頃からではないかと思われています。
昔から春に豊年を祈る「願立」の行事があり、秋になると「願立成就」のお礼として「浮立」を奉納してきました。
戦時中、途絶えましたが、昭和26年一旦復興されました。
その後、また途絶てしまいました。
村人の熱心な協力で、昭和38年に再開され、その後5年に一度、11月中旬に浮立が奉納される様になりました。
英国の友人が時折メールで写真を送ってくれる。40代後半の既婚男性でエイドリアンという。ヨークシャー生まれのイングリッシュで、現在はロンドン郊外のレッドヒルに住んでいる。彼はストイックなアウトドア派で、マラソン、自転車レース、登山など厳しいスポーツが好きである。やや小柄な鋼のような身体でスキンヘッドである。ハーフマラソンは1時間40分、100マイル(160km)の自転車ロードレースで4時間8分、若いころはテントを担いで当時のガールフレンドとピレネー山脈縦断600kmを踏破したという。奥さんも活動的な人だが、運動能力に差があり過ぎて、一緒について来るのはまれである。
最近、彼は一人でスコットランドのお母さんに会いに行った。そのついでにハイランド州ケイスネス郡の荒野を彷徨った。グレートブリテン島はつっかかる軍鶏の形に似ているが、その鶏冠の先っぽにあたる。ケイスネス郡の西隣はサザランド郡で、このあたりはヨーロッパでもっとも人口密度の低い地域の一つである。ケイスネスは香川県とほぼ同じ面積で人口は2万4千人(2001年)、サザランドは千葉県と同程度で人口僅か1万4千人(2001年)である。古くはノース人(バイキング)の勢力下にあって多くの遺跡が残っている。
最初のメールでエイドリアンいわく、
「最近、スコットランドの母を訪ねました。そのついでに以前から行ってみたかったケイスネスの荒野を見て回りました。
ご存知かどうか、ケイスネスは実に広々とした土地で、植物や太陽を遮るものはほとんどありません。このような地域のサイクリングは難しいものです。何故なら、道は10km近く直線で続き、地平線には目印すらないのです。激しい風にも脅かされて、目的地に到達できないのではないかと恐れます。もちろん風は見えませんが、絶えず存在して、この地域を特徴づけています。
その他の特色は古代の歴史とバイキングによる占拠です。立石、石室のある墳墓、ブロッホ(円形の積石塔)、見捨てられた村落跡など古代の遺跡が多く存在し、ほとんどが自由に入って見学できます。」
私自身がケイスネスをGOOGLE EARTHで見ると、イングランドと同じような畑と牧場のパッチワーク模様が見えて、荒野ではないように見えた。そのことを伝えると、あの地上の索漠感は想像できないといってきた。その代りに5年前にサザランド郡で登山をした時の写真を送ってくれた。スコットランドでは3000フィート以上の山をマンロー(Munro)と呼ぶ。その中でも人気の高いのがサザランドのベン・ホープ山(3040 ft)で、その山頂から撮った。なるほど荒涼とした岩山地帯である。
最後にサザランド西海岸の幹線道路の写真があった。思わず笑ってしまった。ヒツジ数頭という超軽交通である。
しかし、夏にはオランダとドイツから多数のキャンピングカーがやって来るのでフラストレーティングだといっていた。
11月22日夜に発生した長野県北部の「長野県神城断層地震」から一週間後の26日、予定通り白馬へ行きました。
街は平穏を保っていましたが、国道や県道には所々通行禁止の区域がありました。全長26㎞の断層のうち10㎞が動いたと推定され、白馬村や小谷村の断層上にあった家屋に倒壊、道路に陥没やひび割れの被害が集中、マンション室内も家具類の転倒が他の地区よりも多かったようです。避難場所であった堀之内公民館も大層な被害を受けました。報道写真そのままの現場を確認しました。
翌日の早朝、霞・霧・靄?が発生して視界が利きませんでした。(1km以内は霧、それ以上は靄と呼ぶようです。ここでは霞にしておきます)
白馬三山と山麓の景色の変化を追ってみました。スタ−トはAm6:30頃で約5分毎に追いました。
場所を選ぶ余裕もなく始めました。一時霞が薄れ朝焼けとなりました。(Am6:35〜7:00 )
霞が消えたり、生まれたり、その濃淡もクルクル変わり、その都度景色が変わります。(Am7:00〜7:45)
向かい側にお日さんが上がり出します。(Am7:45〜8:00)その動きに合わせて周囲が変化します。
おひさんが高く上がって霞も消えました。いつも通りの美しい白馬三山、白馬の街並に戻りました。(Am8:00〜8:20 )
12月に入ってスキー場もオープンしたようです。元気ある白馬に早く戻るよう願っています。
被災された方々には申し訳ない気持ちで過ごした数日でしたが、見・聞きしたことは地元の防災会に情報提供して、役立ててもらいます。
平成15年から平成23年にかけての保存修理で華麗な極彩色が復活した妻沼聖天山(歓喜院聖天堂)。
日光東照宮の陽明門に負けないような彫刻に取り囲まれています。
この本殿は奥院、相の間、拝殿が一つの建造物で華麗な彫刻は奥殿の三面に集中しています。
拝殿 奥殿上部 奥殿下部
最初に奥殿上部の彫刻から
どれをとっても、江戸時代の職人の丹精が伝わってくるものばかりです。
猿を助ける鷲(猿を捕える鷲に見えますが)は伝左甚五郎作ですが、日光の眠り猫とは異なる左甚五郎のようです。
図柄はシリアスなものはなく、遊びを題材にしているものが多いようです。
下部の彫刻です。
この部分も子供が相撲をしたり、川遊びに興じる様子だったりと子供の歓声が聞こえてきそうな図柄ばかりです。
全体の極彩色にまず目が奪われてしまいますが、一つ一つの彫刻を丹念に見てゆくと飽きることがありません。
庇の下部にもたくさんの彫刻が飾られています。
ともかくこれでもかというほどに彫刻だらけ、一回では足らず再度元に戻って二度目の鑑賞をしたほどでした。
小さなお堂ながら、はっとするほどの極彩色と、270年前の職人の丹精が満喫できました。
■■■■■ 庭の松 田中康平
引っ越した家の庭の松の木は植木屋に頼むと結構物入りだし自分でやるほうが面白そうなので暇を見つけては手入れしている、というか手入れしているというほどの手は入れていないが、むさくるしくなると刈り込んでいる。
当初は初夏に新芽が出たところでこれを摘み取る所謂緑摘みをやればおよそ半年は持つだろうと思っていたのだが、そうはいかない。
夏もたけなわとなるとあちこちから再び元気に芽は伸びだしてくる、手が追いつかなくなる。こうなると小枝が混んできて如何にもむさくるしい姿となる。九州では植物の勢いが違うようだ。
秋口になって、それでは刈り込むか、と構えたがどういう風に切るべきか考えこむ。一体他所の松はどんな風になっているのだろうかと気になってくる。
松の手入れは主にネットで見てのみよう見真似だがnetからではどうにもピッとこない。
そんな訳で有名な庭園を訪れるたびに松はどう刈り込んであるか見ている。
近くでは福岡の松風園、友泉亭、植物園、伊藤伝右衛門邸、御花。。。。遠くは六義園などでも眺めている。
色々見ていると大抵の庭園の松は枝がまばらで松の葉がよく見え風通しがいい。
これに比べ我が家の庭は書割の松のように葉がびっしりしていておよそ風など通らない。これではいけないと切り始める。
1年半前に植木屋が最後に手を入れた時もそう枝は切り込まなかったのを見るとどうやらこの庭はいつも適度に葉が茂るように枝を残してきたと思える。
手がかかるようにしつらえてあって手を抜くと大変なことになるようだ。これでは敵わないと切りすぎるくらいに枝を落としていく。
他所の松を見ていくと結局最後は色々で自分の好きなようにすれば良いとも感じてくる。
こんな手入れは西洋の国では見たことがない。一体いつごろから始まったのだろうか。
盆栽の歴史は国内ではおよそ1000年、それより前にも盆景という形で中国で行われていたというからおそらく庭木の松の手入れそのものは更に古い歴史があるのだろう。
好き勝手にやってみて翌年にその結果が出て、それを繰り返していけば自分の好みのやり方がだんだんわかってくるのだろうがもはや寿命の問題だ。
植物と付き合うと寿命ではるかに負けるのを感じる。勝った負けたではなくて共に生きていく、これしかないと教わるような気がしている。生きていると全てに学ぶことが多い。
(順に、今年夏頃の庭の松、松風園の松、御花の松、伊藤伝右衛門邸の松、六義園の松、刈り込んでみた今の庭の松 較べてみると庭の松の進歩はまだまだ)
■■■■■ 看板考 「アカンで!」 ゆはらきみこ
所在地:大阪府 道頓堀商店街
2014年の流行語大賞は日本エレキテル連合の「だめよ、だめだめ」に決まりました。「だめよ、だめだめ」は、ちょっとHポイおじさんが「おしゃべりワイフシリーズ 未亡人朱美ちゃん3号」に語りかける時の返答の言葉です。このコントは卑猥な所も少しありますから、子どもと一緒に見ている時の我が家は、TVのリモコンを持っていてボリュームをさっと絞ったりします(笑)。「だめよ、だめだめ」は日常的に意味深でなく、つい使ってしまって苦笑することもありますから、大賞に選ばれたのも納得できます。
この「だめよ、だめだめ」は関西弁で言うと「あかんよ あかんあかん」となるので、この看板でも「アカンで!」と呼びかけているのでしょうね。
「あかん」の語源はとなると、広辞苑では「埒(らち)明かぬ。の略」とあります。岐阜県や石川県などに見られる駄目を表す方言の「だちゃかん」などは、この流れの様な気がしますが、埒は囲い(馬場などの囲いも含む)のことで、さらに仕切りや句切りも表していますから、仕切りや句切りが出来ないこと、つまりけじめが無いことから「駄目」という所に持って行く論理でしょうが、何だか少しの無理があるような気がします。
他の国語辞典では「いけん・いかん」が「いかぬ」から「いかん・あかん」に変化した、という記載があります。「いかん・あかん」は愛媛県や福岡県、山口県の方言にも見られるそうで、関西の「あかん」はこの流れでは?と私もこちらに賛成です。
駄目押しとして、「いかぬ」が「あかん」に変化した説を肯定形から詮索すると、駄目の反対は良いで、良いということを「いける」とも言いますので、いける→いかん、の「いかん」が「あかん」に変化した方が自然と思えますが、どうでしょうか。
ともあれ、素人の勝手な考察はこの辺にします。
さてさて、看板は大阪の道頓堀商店街に堂々と垂れ下がっていました。アカンで!だけでも面白かったのですが、チャリンコが堂々と文字になっているのも面白く、さすが関西!と人の流れに押されながらも見上げてしまいました。自転車がチャリンコになった流れは解りませんが、自転車で行く、ということをチャリチャリで行く!と使うこともありますので、レンジをチーンして来て、という「音」からくるチャリにかわいらしく子を付けたのではなかろうかと推察できます。
道頓堀商店街の看板に書かれてある様に、商店街の人混みが多い中は、自転車を降りて押して歩くのは常識の範囲だと思いますが、看板があるにもかかわらず、けっこう強引グマイウェイーの方々がいらっしゃいましたよ(笑)。
道路交通法によると自転車は車両ですが、全国の行政上であいまいな扱いを永年に渡って受けている上に免許制でもないので、乗り手を一律に教育する機会もなく、車道、歩道のどちらを走っても白い目で見られる状態になっています。道路交通法に沿って実際に車道を走ってみたことがありますが、トラックなどに寄ってこられたり、違法駐車をよけて道路の真ん中に出なければならなかったり、また排ガスを直接受けて命がけで走らなければならなかったりするのが現状です。ましてママチャリで幼児を乗せて車道を行くとなると一家全滅も覚悟の上という意識がいります。
チャリチャリとかチリチリとか鳴らせるベルを標準搭載している我自転車ですが、歩道を歩く人の迷惑にならないように、決して「そこどけ!そこどけ!」のベルだけは鳴らしたらアカンと肝に銘じて乗っています。運転免許書はゴールド。自転車は模範運転!最近威張ることが少なくなったので、ここは威張っておきます!
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Japan Geographic Web Magazine
https://JAPAN GEOGRAPHIC/
Editor Yuki Takiyama
yuki at .jp (Replace at to @)
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