Monthly Web Magazine Feb. 2016
■■■■■ 法隆寺中門の撮影にちなんで〜国による建造物の保護のことなど 大野木康夫
法隆寺中門の本格修理開始前に撮影に行きました。
法隆寺中門は、明治30(1897)年12月28日、「古社寺保存法」(社寺所有の有形文化財が対象)に基づく「特別保護建造物」に初めて指定された42棟のうちの一つです。
「古社寺保存法」は、社寺が所有する宝物を「国宝」に指定して散逸を防ぐことに重きを置いたもので、当初の法案には建造物の保護が含まれておらず、国会の審議の過程で含まれたようです。
なお、「国宝」は祭祀に使用するもの(御神宝や御本尊など)を除いて、官立・公立の博物館に出陳することを義務付けられていました。
海龍王寺、元興寺の五重小塔が帝国奈良博物館(現・奈良国立博物館)に並んで展示されていたのはこのためかと思います。
古建築の保存が加わった背景には、伊東忠太等の尽力があったようで、彼らの業績として、近代の文化財建造物の設計だけではなく、こういったことも認識する必要があると思います。
「特別保護建造物」は、昭和4(1929)年7月1日、「古社寺保存法」の廃止及び「国宝保存法」の施行に伴い、「国宝」に指定されたものとみなされました。
背景には大恐慌により旧大名家等の什宝や調度などが売り立てにより散逸していったことがありますが、これにより城郭や霊廟など、社寺以外が所有する有形文化財についても保護の対象となりました。
「国宝保存法」に基づき指定された「国宝」は、昭和25(1950)年8月29日、「国宝保存法」等の廃止及び「文化財保護法」の施行に伴い、「重要文化財」に指定されたものとみなされました。
また、「重要文化財」のうち、「世界文化の見地から価値の高いもので、たぐいない国民の宝たるもの」を「国宝」に指定するとされました。
それまで「国宝保存法」(有形文化財)、「重要美術品等の保存に関する法律」(有形文化財で「国宝」に準ずるもの)、史跡名勝天然記念物保存法の3体系に分かれて保存されていた文化遺産を、総合的に保護する法体系として整備されたのが「文化財保護法」です。(制定の直接のきっかけが法隆寺金堂の火災なのは有名です。)
法隆寺中門は、「重要文化財」へのみなし指定を経て、昭和26(1951)年6月9日、文化財保護法に基づく「国宝」に初めて指定された建造物36棟の一つになり、現在に至っています。
なお、「国宝保存法」により「国宝」に指定され、「文化財保護法」により「重要文化財」にみなし指定となった後、文化財保護法による「国宝」に指定されず「重要文化財」のままのものを「旧国宝」と呼ぶことがあります。
旧法指定の「国宝」は新法下では「重要文化財」となったのであって、新法の「国宝」は違う概念なので、「格下げ」されたわけではないのですが、「宝」という語感が大きく作用しているのでしょう。
ちなみに、明治30年に「特別保護建造物」に指定された42棟は次のとおりです。
北野神社本社(現国宝、指定名称「北野天満宮」)、大報恩寺本堂(千本釈迦堂、現国宝)、六波羅蜜寺本堂(現重要文化財)、念仏寺本堂(愛宕念仏寺本堂、現重要文化財、移転)
豊国神社唐門(現国宝)、蓮華王院本堂(大仏三十三間堂、現国宝)、東福寺山門(現国宝、指定名称「東福寺三門」)、法観寺五重塔(八坂塔、現重要文化財)
清水寺本堂(現国宝)、教王護国寺金堂(現国宝)、教王護国寺五重塔(現国宝)、本願寺飛雲閣(現国宝)
三千院本堂(往生極楽院本堂、現重要文化財)、大徳寺唐門(現国宝、撮影禁止のため画像なし)、鹿苑寺金閣(放火により焼失)、
三宝院殿堂(現国宝及び重要文化財)、醍醐寺五重塔(現国宝)、法界寺本堂(日野薬師堂、現国宝、指定名称「法界寺阿弥陀堂」)
平等院鳳凰堂(現国宝)、男山八幡宮本社(現重要文化財(国宝答申後の指定告示待ち)、指定名称「石清水八幡宮」)、浄瑠璃寺本堂(九体寺本堂、現国宝)、浄瑠璃寺三重塔(九体寺三重塔、現国宝)
観心寺本堂(現国宝)、東大寺南大門(現国宝)、東大寺法華堂(三月堂、現国宝)、東大寺鐘楼(現国宝)
興福寺北円堂(現国宝)、興福寺三重塔(現国宝)、興福寺五重塔(現国宝)、興福寺東金堂(現国宝)
新薬師寺本堂(現国宝)、唐招提寺金堂(現国宝)、薬師寺三重塔(現国宝、指定名称「薬師寺東塔」)、法輪寺三重塔(落雷により焼失)、法起寺三重塔(現国宝)
法隆寺金堂(現国宝)、法隆寺中門(現国宝)、法隆寺五重塔(現国宝)、法隆寺夢殿(現国宝、指定名称「法隆寺東院夢殿」)
室生寺五重塔(現国宝)、當麻寺東塔(現国宝)、當麻寺西塔(現国宝)、西明寺本堂(現国宝)、金色堂本堂(現国宝、撮影禁止のため画像なし)